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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第六章 燎原之火(りょうげん の ひ)
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情けは人の為ならず

雪峰(せっぽう)のような清らかさで、白刃の如き鋭さで、亜夢美はじっと俺を見つめていた。


「さすがに一年分のお手紙を一度に見るのは無理ですよね。見終わったら言って下さい。次の分を持って来ます。……四歳の私が書いた手紙を」


冷たい川水のように、言葉が淋しさを纏って流れて来る。

それは孤独という木の梢から滴り落ちた、哀しいものだった。


十七歳の亜夢美の後ろに、三歳から十六歳の14人の亜夢美が立っている。

みんな嬉しそうに、俺を見つめていた。――やるせなかった。



「さあ、昔語りはこのくらいにして、これからの事を語りましょう」


亜夢美は両手を自分の目の前でパンと叩き、明るく言った。



「デートに行きましょう」


……はい?


「聞こえませんでしたか? デ・エ・ト――逢引きに行きましょうと言っているんです」


聴こえているよ! バーボン飲んだらチョコレート味で、脳が拒否反応起こしてるんだよ!


「どこに行こうっていうんだ。十日前の蒼函(せいかん)連絡船空襲で、街はまだ復旧してないだろ」


この状況で、遊び回れる場所は無いはずだ。


浦町(うらまち)駅に行きます。そこで――炊き出しをします」


ああ、そういう事か。

空襲で焼きだされた人たちがいる。その支援か。


「十日前から殿倉家が行っているんです。県や市の配給だけでは足りませんから」


背筋を伸ばし、口をきゅっと引き締め、亜夢美は凛々しく言った。


「私も毎日行っています。勇哉さんも、お手伝いして頂けませんか」


断りづらい申し出だった。

行かなければ、無駄飯を(むさぼ)穀潰(ごくつぶ)しだ。


「分った、行く。だがな……」


俺はせめてもの抵抗をする。


「それは、デートと呼べるのか?」


「愛する二人が出かければ、それは何であろうと、 “デート“ です」


恋する女性は強かった。




俺と亜夢美は浦町駅へと向かう。

二人っきりにはさせないと、紬と聡美も付いてきた。

駅は殿倉邸からすぐそこで、10分ほどで着いた。



「こんな駅、あったっけ?」


憑いてきた鈴が、明日香に問う。


「ないわよ、80年後には。私たちのいた時代の『平和公園』よ、ここ」


「『平和公園』! ということは、ここは……」


鈴の声が引き攣る。


「そういう事」


「マジか――、爆心地か――、ここ」


『平和公園』と名の付く場所は、日本中に沢山ある。その多くはそれなりの由来を持っている。ここも、例外ではない。


「この駅自体は燃えなかったけどね。ただ周辺の多くの建物が焼失して、ここは避難場所になったそうよ。1968年(昭和43年)に東北本線のルート変更に伴い廃駅となり、その跡地が『平和公園』に生まれ変わった……」


明日香は淡々と述べる。それが――より哀しかった。


「……そっか」


二人は四日後に起きる惨劇に思いを馳せ、駅をじっと見つめる。






「はいはい、順番ですよ。まだ沢山ありますから押さないで。さあ、召し上がれ」


満面の笑みで、亜夢美は豚汁を手渡す。

屋敷にいた時とは違う、粗末な服装だった。

割ぽう着にモンペを穿き、動きやすくて汚れてもいい恰好をしている。

装飾品は一切身に着けておらず、無意味に飾り立てるような真似はしない。


「殿倉んとこのお嬢さんだろ、あれ」


「年ごろの娘が、お洒落もしないで、汗水たらしながら毎日儂らに食べ物をよそってくれる。ありがたいこって」


あちこちから賛辞の声があがっている。

俺はその横で、黙々と豚汁の鍋を掻き回していた。

俺の心はこの鍋のように、混沌としていた。




「何が目的だ?」


行列も途絶え、休憩に入った俺は、亜夢美に問いかける。彼女はキョトンとした顔をする。


「この食糧難に、何の力も持たない庶民に大盤振る舞いをして、割に合わないんじゃないのか」


俺の言葉に亜夢美は目を細め、静かに言った。


「『何の力も無い』と云うのは――誤りです。彼らには力があります。それが集まれば、天をも揺るがす力となります」


俺の言葉を否定するのではなく、『もっと大きな目で見よ』とでも言うような口ぶりだった。


「これは、彼らの為だけに行っている訳ではありません。殿倉の為になる事なんです」


「民衆の好感を得ようとか?」


俺はその真意を掴みかねた。


「今さら殿倉がそんなものを必要とするとでも? 悪辣非道と(そし)られてても、涼風のように受け流す、あの父ですよ」


亜夢美の貌は、悲しそうだった。


「いまに……わかりますよ……」


枯れ葉を揺らす、秋風のような声だった。






炊き出しを終えた俺たちは帰路に就いた。心にモヤモヤしたものを抱えながら。


「おっと、ごめんよっ!」


そんな鬱屈した俺に、一人の少年がぶつかって来た。

十二歳くらいの、貧しい身なりをした少年だった。

身体は痩せ細り、骨が浮き出ていた。


少年は軽く謝り、足早に立ち去る。

それを見ていた聡美が、眉を吊り上げる。


聡美が少年を追いかけようとする。俺は彼女の手を掴み、それを止める。

彼女はキッと俺を睨みつける。俺は(かぶり)を振り、『やめろ』と意を示す。



「ずいぶんと、お優しいんですね」


()てこするような、非難がましい声で聡美は言う。


「気持ちいいですか? 施しを与えて。明日に繋がらない、実を結ばない優しさを振舞って」


少年は、スリだった。俺の懐から財布を(かす)めていった。


「やめなさい、聡美。無礼ですよ。いいんです、勇哉さんはそれで。担がれる神輿はこの世の些事に拘らず、ただその尊い気高さを見せればいいんです。至らぬ点は、私が補います」


亜夢美が、慈愛に満ちた声で、聡美を諫める。

その声は天から降るようで、どこか傲慢だった。


「行きましょう」


亜夢美は静かに歩みを進める。聡美はそれに付き従う。

俺もそれに続こうとした。が、それは叶わなかった。紬が後ろで立ち止まっていた。

紬は肩を震わせていた。


「あいつらの肩を持つ訳じゃないけど、――間違ってると――思う。お兄ちゃんのやった事は、小さすぎる」


紬は声も震わせていた。

その声を聴くのは、悲しかった。


「いつかおまえにも、分かる時が来る……」


俺はそれだけしか言えなかった。

今はそれだけしか…………。






その日の夕餉は、静かだった。

誰もしゃべらず、黙々と食べた。

砂を噛んでいるようだった。




翌日、俺と紬は再び街に出た。

殿倉の人間は誰も付いてこなかった。

離れた場所から尾行してくる奴がいたが、まあ、これはしょうがない。

紬は相変わらず不機嫌だった。



賑やかな街中に出る。

人々の話し声が聞こえて来た。



「おい、聞いたか。三日後、蒼森で大規模な空襲があるって」


「おう。その前日に、アメリカ軍が空襲予告ビラを空から撒くともな」


「もしそのビラが撒かれたら、空襲は本当にあるってことか」


「これは予言だからな、オシラ様の」


「……どうする、逃げるか?」


「様子見だな。28日までに家に居なければ、配給がもらえなくなる。27日にビラが撒かれたら……考えなければいかんな」



街は騒然としていた。




「ほお。思ったより早く、広まったな」


想像以上の成果に、俺は満足の笑みを浮べる


「……お兄ちゃん、何をしたの?」


紬は目を見開き、訊いて来る。


「俺は、何もしていない。やったのは、――雄兵郎(おべろう)たちだ」


俺は自分を飾らない。功績を横取りするような真似はしない。


「雄兵郎? 茅崎(かやさき)に帰ったんじゃなかったの?」


紬は驚きの色に染まる。


「まだ、帰ってない。最後に一仕事して、それから帰る手筈になっている。この蒼森で、俺の指示を待っていた。そして昨日、指示を出した。この噂を広めろと」


「いつ、どこで? そんな素振りはなかった!」


言った瞬間、紬はハッとした顔をする。


「もしかして、昨日のスリは――」


「雄兵郎の仲間だ。あいつにスられた財布の中に、指示書が入っていた」


スられる前に、あいつはハンドサインを送って来た。そうでなければ、易々とスらせはしない。


「おまえの兄ちゃんはな、財布をスられるような間抜けでもないし、無意味に施しを与えるようなお人好しでもないんだ」


俺の言葉に、紬は涙を流し始める。


「これで、犠牲者を減らせる…………」


俺は、心から安堵の溜息をつく。


「やっぱりお兄ちゃんは、お兄ちゃんだ……。私の自慢の――お兄ちゃんだよ」


嬉しそうに、満足そうに、紬は泣いていた。


「けっこう大変なんだぞ、おまえの兄ちゃんするの」


この妹に相応しい兄でいようと、俺は努力を惜しまない。

この顔を見るためなら、どんな苦労でも厭わない。


「ふふっ。(おのれ)の生まれの不幸を、呪うがよいっ!」


紬は両手を俺の左腕に巻き付ける。

甘えるように、俺の腕に頬ずりをする。


俺は神に感謝した。紬の兄に生まれた幸運を。天使を(さず)けてくれた配剤に。




俺たちは騒がしい蒼森の街を、連れ添い歩く。

俺たちはきっと離れない。

(いさか)い、行き違いがあっても、いつまでも傍にいる。

たとえこの身が朽ちようとも…………。

携帯が存在しない世界です。古式ゆかしい接触方法をとってみました。昔のスパイたちは、大変だったんですね。


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