アイのウタ
血で染め上げたような夕暮れが広がっていた。
その赤い空に、乾いた銃声が鳴り響く。
それは動乱の世を告げる鏑矢だった。
「犬養を探せ。必ずここにいるはずだ。見つけ次第、撃て!」
血走った眼の男たちが拳銃を構え、首相官邸に侵入しようとする。
それを邪魔する者は容赦しない。
門前から駆けつけた守衛に、遠慮会釈なく銃弾を浴びせかける。
守衛は糸の切れたマリオネットのように身体をくねらせ、どさりと倒れ込んだ。
周りで悲鳴があがる。みんな我先にと逃げ出した。
私は何をすればいいのか、分らなかった。
混乱する私の手を、小さな手が握り締めた。
「逃げよう。あいつらの目的は、ボクたちじゃない。逃げれば、追っては来ない」
ユウヤは静かに語りかける。
その落ち着いた口調は、私に冷静さを取り戻させた。
私はコクリと頷く。彼はほっと安堵の表情を浮べる。
だがそれは、長くは続かなかった。
後ろから、『ううぅ』と低い呻き声が聴こえてきた。
「フミさん?」
ユウヤは慌てて振り返る。
そこに右足から血を流し、倒れ込んだフミさんの姿があった。
「どうしたの? 大丈夫?」
ユウヤは彼女の許に駆け寄り、血を流す右足をさする。
大きな傷ではない。だがそれは深く、血が滴り落ちている。
銃創だ。流れ弾が当たったのだ。
「バッグの中の、ガーゼを取ってください……」
フミさんは顔をしかめ、苦しそうにユウヤに言う。
ユウヤは泣きそうな顔でバッグの中を探し、『はいっ』とガーゼを手渡す。
フミさんはそれを傷口に深く押し込む。『ぐがっ』と鳥が首を絞められたような悲鳴があがった。
後で聞いた話だが、被弾による一番の死因は出血によるものだそうだ。
それを知っていたフミさんは、応急手当として止血を行ったのだ。
「ドジっちゃいました、申し訳ありません。私がお二人をお守りしなければならないのに……」
いかにも “無念“ という表情だった。
負傷したことではなく、職責を果たせないことに。
「逃げてください、私を置いて。ここから帝国ホテルは、すぐそこです。お二人で、逃げてください!」
フミさんはキュッと唇を噛みしめ、強い口調で言った。
「いやだ! フミさんも一緒に逃げよう!」
駄々っ子のように、ユウヤは涙をまき散らしながらフミさんに縋りつく。
「……聞き分けの無いことを、おっしゃらないでください。この足では、走ることも歩くこともままなりません。文字通り、お二人の “足手まとい“ です。私のせいで坊ちゃまを危険に晒す。 “不忠者“ ――そんな汚名を、私に着せるおつもりですか?」
反論しづらい大人の論理で諭してきた。
「それに私を助けると仰るならば、一刻も早く帝国ホテルに戻り、旦那さまにお伝えし、助けを呼んできてください。それが私を助ける一番の近道です。私はそれまで、あの茂みに隠れています」
フミさんは立ち上がり、右足を引きずりながら歩きだす。アスファルトに、赤い帯が描かれてゆく。
ユウヤは涙を拭い、フミさんを見詰め、言った。
「待ってて、フミさん。すぐ助けを呼んでくる」
その声を聞き、フミさんは嬉しそうに笑った。
「はい、お待ちしています。けれどその前にこの異変を、 “犬養 千代子“ さまにお伝えください」
強い意志を込め、フミさんは言う。
「犬養さま?」
「先程帝国ホテルで『久米平内堂』のことを教えて頂いた方です。あの方は “犬養 毅“ 総理大臣の奥方。あの方の旦那さまの命が、危険にさらされています。それを、お伝えください」
それは家族としても、国家としても、重大な意味を持っていた。
「……わかった。必ず伝える。待っててフミさん。すぐ助けを呼んで帰ってくるから!」
彼はそう叫ぶと私の手を握り、涙を流しながら駆け出した。
その後ろ姿を見ながら、フミさんは呟いた。
「やれやれ、よかった、行ってくれて。もし愚図るのならば、舌を噛み切ってでも諦めさせるところだった。私のせいで坊ちゃんに何かあったら、死んでも死にきれない……」
忠誠の心か、雛鳥を守ろうとする親鳥の心か、何に起因するかは分からないが、深い愛情に溢れていた。
私たちはその愛に押され、暗闇に変わる世界を駆けて行った。
私たちは大きな真っ直ぐな道を、黙々と走る。
闇は段々と深くなり、足もとも見えなくなってきた。
首相官邸前の端まで来ると、大きな道路が横切っていた。
そこを渡ると、国会議事堂が見えた。
私たちは国会議事堂の前を駆ける。
ここで、日本の行く末が論じられている。
だが本当の日本の将来は、そんな論戦を丸っきり無視した暴力によって、いま決められようとしていた。
国会議事堂を抜け、官庁街へと出る。
外務省や大蔵省などが林立していた。
日が暮れ、建物に明りが灯りだす。
建物の一つ一つが、怪獣みたいに蠢いていた。
ぞっとした。
いま目と鼻の先で、この怪獣の頭が潰されようとしている。
だが怪獣はそれを気にもせず、その巨体は休むことなく動いている。
この怪獣は止まらない。何を求め、何処へ行こうというのか。
突然通りに、強い風が吹いた。
足腰をぐっと踏ん張り、耐える。体重の軽い私たちは、気を抜くと吹き飛ばされそうだった。
必死に堪える私たちを嘲笑うように、大きな看板が唸りを上げて飛んできた。
「あぶない!」
ユウヤの叫び声が響く。彼は私の前に飛び出し、身を挺して庇う。
彼は吹き飛び、その身体には木片が突き刺さっていた。
傷口からドクドクと、血がしたたり落ちていた。
「ケガはない?」
ユウヤは自分の傷には一顧だにせず、私ををじっと見つめる。
「ケガは無いようだね。……よかった」
彼は血塗れの顔で、安堵の表情を浮べる。
その凄惨な笑顔は、私の心に染みわたった。
「バカっ! 自分の心配をしなさいよ!」
私は嬉しいやら腹立たしいやら、訳の分からない感情に襲われた。
「してるよ、自分の心配。もしアユミちゃんに何かあったら、ボクは立ち直れない」
いけしゃあしゃあと、とんでもない口説き文句を吐きやがる。
このタイミングで、この場面でそれを言うか!
無意識で言っているのならば、こいつは天然の女たらしだ。
私の非難の視線を、ユウヤは『ん?』と困惑した表情で受け流す。
……こんちくしょう。
私は自分の劣勢を、ひしひしと感じた。
日比谷公園が見えてきた。帝国ホテルまで、あと少しだ。
暗闇に、鬼火みたいな赤い光が浮かんでいるのが見えた。
10、20、30……数え切れないくらい、沢山あった。
その赤い光が、上空から私たちに向かって襲いかかって来た。
ぐんぐんと近づいて来る。
赤い光の周りに、闇に溶けていた漆黒の躰が現れ始めた。
黒光りする羽、鋭い嘴、鴉の大群だった。
墨染の軍勢が、襲いかかって来た。
「アユミちゃん、じっとしてて!」
ユウヤはそう言うと私に覆い被さり、私を包み込むように抱きしめる。
私は庇護される雛鳥のように、その温かさに包まれた。
鴉は、狂ったようにユウヤを啄む。
血が滴る傷口に、せっせと嘴を潜り込ませ、肉を抉り血をすする。
花に群がる虫のように、ユウヤの血の匂いに引き寄せられていた。
私は、腹が立った。
彼の血や肉は、お前らごときが口にしていいものじゃない。
「ふざけるな! お前らは、ゴミやネズミを突っつけばいい。この人に触れるな! その穢れた躰で、神さまみたいなこの人に、ちょっかいをかけるなんて、私が許さない!」
その時の私は、理不尽に磔にされる神の子を嘆く信徒となっていた。
この人の美しさを穢すのは、天の国に唾を吐く行為に他ならない。
誰が好き好んで、神殿に汚物をまくような真似をしようか。
信心深くない私でも、それ位は理解できた。
この人は、神の国からの使者だと。
私は彼の腕の中から飛び出し、薄暗い “根の国“ からの亡者に対峙した。
「あっちへ行け! 死肉が欲しければ、私の肉を喰らえ!」
私は両手をブンブンと振り回し、鴉どもを追い回した。
鴉は狂信者に恐れをなし、カァと悔しそうに鳴きながら、通り雨が去るように暗闇に消えていった。
月が雲間から顔を見せる。闇が晴れてゆく。
幼い二人は、見つめ合う。互いの大切なものを、愛しそうに。
月はそんな二人を微笑むように、光を投げかけていた。
「女の子が、無茶をしちゃダメだよ……」
彼は優しく私の頬を撫でる。彼の指は、拭き取られた涙で濡れていた。
「こんなお転婆な女の子は、きらい?」
私は不安に駆られ、尋ねる。
「そういうんじゃないけど……」
彼は口ごもる。私の不安は、一層大きくなる。
「……男の子はね、 “みえっぱり“ なんだよ。好きな女の子の前では、カッコつけたいんだよ」
彼は頬を掻きながら、照れくさそうに答える。
いま、なんて言ったの? 好きな……女の子?
「だから、守らせてよ。アユミちゃんを、ボクに――」
トクンと、胸が鳴った。
天にも昇る心地がした。
あの月まで、飛べる気がした。
「ズルいな……」
私は思わず声を漏らす。彼は『ん?』と怪訝な顔をする。
「女の子はね、弱いのよ、 “白馬の王子さま“ に。こんなの、反則だよ」
私たちは顔を見合わす、そして『ふふっ』と笑い合った。
さあっと月の光が降りてくる。
青白い光が、すべての邪なものを洗い流す。
不安、絶望、嫉妬、…………。あらゆる負の感情が、浄化された。
あとに残ったのは、愛しさが具現化したお互いの存在だけだった。
私たちは、どちらかともなく、手を繋ぐ。
離れているのが、不自然に思えた。
こんなに愛しい人に出会えたことに、感謝した。
『健やかなる時も 病める時も 喜びの時も 悲しみの時も これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い
その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?』
ホテルで新郎新婦に投げ掛けられていた言葉が、頭に浮かぶ。
私は神に願ったのだ、『けっこんさせてください』と。
ならば誓いは、守らなければいけない。
「一緒に行こう。どこまでも、いつまでも。……ずっと、一緒だよ」
私は彼に語りかける。
離さない、この手を。何があっても、絶対に!
私たちは、走り出す。未来に向かって。阻むものは、何もない。
月が照らす、進む道を。迷いのない真っすぐな光で。
私たちは手を繋ぎ、駆けていった。
日比谷公園を抜けた。帝国ホテルまで、あと少しだ。
温かい、オレンジ色の光が見えてきた。
ホテルの正面玄関まで来た。
待機していたドアボーイが、ぎょっとした顔をする。
私たちは何度も転び全身泥だらけで、彼は身体中から血を流しているし、私もその血を浴び服は血塗れだ。普通なら入れてもらえる筈がない。だがドアボーイは私たちの顔を覚えていて、戸惑いながらもドアを開き、入れてくれた。……私たちは、やり遂げた。
ロビーは、平穏に満ちていた。
硝煙の匂いも、軍靴の響きもなかった。
みな思い思いに歓談し、平和な日常を謳歌していた。
私たちは、そこに爆弾を投げ込むことにした。
「首相官邸に、拳銃を持った男たちが押し入りました。『総理はどこだ』と叫んでいました!」
ユウヤがロビー中に響く大声で叫ぶ。
「人数は五人。けど『早くあいつらと合流しよう』と言っていました。建物の反対側でも騒ぎが起きていたので、その倍はいるかもしれません。あいつらは、人を殺すことを躊躇いません。守衛さんを拳銃で撃ちました」
私が彼の言葉を補足する。
ロビーがしんと静まり返り、みんなの視線が私たちに集中する。
「おい、悪戯にしては洒落にならんぞ。どこの子どもだ。親はどうした」
羽織袴を着た年配の男性が詰め寄って来た。
子どもの悪戯、それで済ますのが、一番望ましい結末なのだろう。
だが現実は、逃がしてくれない。
「僕の父さんは、『大道寺 直輝』です。この名に誓って、嘘は言いません。時間がないんです。警察に、そして犬養夫人に伝えてください!」
「だいどうじ――――?」
男の顔は青ざめる。
『大道寺 直輝』――蒼森有数の名家『大道寺家』の当主。そして私のお父様が主として仕えるお方。ユウヤはその息子なの?
「ボクのお父さんね、蒼森ではけっこう有名なんだ」
ユウヤはニコッと無邪気に微笑む。
知っています。よ――く存じ上げています。お父様に、耳にタコが出来るほど聞かされています。
けど、私と同い年の息子がいるとは聞いていない。あのオヤジ、肝心の所が抜けてやがる。
「その話、本当か?」
人混みの中から、ユウヤによく似た男の人が出て来た。その後ろには、私のお父様が控えていた。
「はい、神に誓って! フミさんが、流れ弾に当たって取り残されています。お願い、父さま。フミさんを助けに行って」
直輝さんと父は顔を見合わせ、コクリと頷きあった。
「フミは、どこにいる。どんな状況だ」
直輝さんは地図を広げ、ユウヤに問いかける。
「ここ。この茂みに隠れている。右足を撃たれて、歩くことも難しい」
ユウヤは感情を抑え、端的に答える。
そんな彼を見て、直輝さんは目を細め、彼の頭をくしゃっと撫でた。
「……頑張ったな。よくやった。あとは私たちに任せろ。お前は傷の治療をしろ。お前は私の――誇りだ」
優しい言葉に、彼の張り詰めて糸が切れた。
わんわんと泣き出し、右腕で涙を拭った。
私はそんな彼を後ろから抱きしめ、彼につられるように泣き出した。
パチパチパチ――後ろから拍手がした。
支配人が姿勢を正し、惜しみない称賛を私たちに送っていた。
その拍手が呼び水となり、ロビーに万雷の拍手が轟いた。
私たちは拍手の洪水の中、安心し、疲れ果て、気を失った。
やるべきことを、果たしたのだ。
暗闇の中、私は目を覚ます。
柔らかいベッドで、きれいな寝巻を着せられ、眠っていた。
あれは夢だったのだろうか。
隣の部屋から、言い争う声が聞こえてきた。
「陸軍皇道派の限界が、このクーデターで明らかとなりました。彼らに志はあるが、状況判断能力も計画立案能力もない。行き当たりばったりです。彼らは乱を起こすだけで、どうやって国を治めるか、まるで分っていません」
父の声だ。父が敬語で話すなど、相手はあの方以外に有り得ない。
「だが彼らの愚行は、新たな時代を切り開きます。腐敗した政治家を倦んでいた庶民は、このクーデターに称賛を送る。クーデターが成功していたら皇道派のアラも見えていたでしょうが、幸いにも失敗しました。彼らの無能は印象に残らず、清新さだけが後に残ります。……政党政治は終わりを告げます。軍の意向を無視できなくなります。ある意味、勝利です。彼らの目的は、達成されたのです。そしてこれから皇道派と対立していた陸軍統制派が、実権を握る事となります。彼らは捨て石の役割を、立派に果たしたのです」
父は何を言っているのだ。
これではまるで、父がこの事件に関与していたみたいに聞こえる。
「皇道派の青年将校には、東北の地主や商家の出が多かった。彼らは東北の貧しい民の苦しみをよく理解し、嘆いていた。彼らの行動の根底には、そんな者を救おうと云うものがあった。そんな彼らを、見捨てると言うのか……」
直輝さんの声だ。苦渋に満ち、やり切れない思いに溢れた声だった。
「必要な……犠牲です」
父が冷たく言い放つ。
「人の命は、算術じゃないんだぞ!」
直輝さんは、そんな父を責めるように叫ぶ。
「この世のすべては、数値化されているんですよ。幸せも、正義も……」
「そんな世の中、認めたくない……」
静寂が訪れた。二人はどちらも、言葉を発しなくなった。
長い沈黙のあと、パタンと廊下に繋がるドアが閉じられた。
私は隣の部屋のドアを開け、ソファーにぐったり腰掛ける父を見つめた。
「…………聞いていたのか」
父は私の不作法を咎めることなく、力なく言葉をかけてきた。
「言っておくが、今度の事を計画したのは私ではないぞ。資金や武器を提供しただけだ。私ならもっと上手くやる。こんな杜撰な計画なんぞ、立てん」
父は “悪辣“ と非難されることは平気でも、 “無能“ と謗られることは我慢ならないらしい。
「理想を求める者は、己の行動に酔い、目的を見失う、 “美学の罠“ に落ちやすい。人は行動の美しさではなく、行動による成果で讃えられるべきなんだ」
確かに叛乱を起こした将校たちは、どこか舞台俳優のような匂いがした。
『救国の英雄』になりきろうとしていた。
「いつか直輝さんも、理解してくれる。例え非道に見えようと、 “王道楽土“ を築くためには、 “魔王“ も必要なのだと……」
父の気持ちが、痛いほど分った。あの人に汚い真似は似合わない。あの人が穢れるならば、それは私が全て引き受ける。
「勇哉くんのこと、どう思う?」
私が考えていたことが伝わったのか、父は私の内面を探る質問をしてきた。
「愛してます! 命をかけて!」
私は迷わず答えた。
「そうか、『愛している』か……。はは、血は争えんな!」
私の答えに、父は愉快そうに笑う。
「しばらくは大道寺とは疎遠になるかもしれん。だがいずれ、殿倉の力が必要になる。共に歩める日が来る。その時まで、待てるか?」
「待つ、待たないじゃないでしょう。私たちは、一緒になるんです、いつの日か。それに向かって進んで行くだけです。待ったりなんか、しません」
『そうだ、その通りだ』と、父は大きく頷く。
私の未来は、彼と共にある。彼なしの人生は、考えられない。
その日から私は手紙を書きました。
あの人への出せない手紙を、毎日毎日欠かすこと無く、日に何度も。
あの人への想いが溢れ、綴らずにいられませんでした。
むかし書いた手紙を、時折読み返します。
拙い字で、たどたどしい文体で、顔を赤らめてしまうような手紙でした。
けどそこには、精一杯の気持ちが込められていました。
桜の花が咲きました。鈍く重い冬を追い払うように、力強く咲いています。あなたはどこで今年の桜を見ていますか。私たちの春は、いつ来るのでしょう。その日を思い焦がれ、夢のように眺めていました。
蒼森港の花火を観ました。あなたが横にいるようで、思わず『綺麗ね』と呼びかけてしまいました。返ってくるのは、花火の音だけ……。あなたが一緒だったら、どれほどよかったでしょう。
『五所川原』に行きました。賑やかで、田畑の匂いがなく、どこかあなたと行った『浅草』を思わせる所でした。いる筈のないあなたの姿を、いつまでも探していました。
小さな私の、小さな愛が、どんどん大きく膨らんでいきます。小さな街の、小さな家から、広大な世界に、無限の宇宙に、広がってゆきます。全てはあなたで満たされていきます。あなたは、世界そのものです。
あなたの姿を、見失うことはありません。
いつでも私の隣にいます。
私はあなたの手を握ります。
肌に伝わる感触は、初めて握った時と同じです。
けれどその手は、あの日の温もりを伝えてくれません。
…………会いたい。
日ごとに想いは募り、手紙は積み上がってゆきます。
書き上げた手紙の中から一通だけを選りすぐり、毎月 “浅草寺“ の “久米平内堂“ に奉納しました。
蒼森にいた時は、東京の殿倉邸の者に命じて。
東京の女学校に入学してからは、自らの手で。
望月の日に、毎月欠かさず奉納しました。
『澄んだ気持ちで祈っているとね、神さまがやって来るの。それは天から降りて来るとかではなく、私の心の内から、じわじわと染み出て来るの。思いやり、愛、優しさ、そんなものに包まれるの。それはとても心地良く、自分が気高いものになったように思わせてくれる魔法なの』
“犬養 千代子“ さまが仰られて意味が、最近分かるようになりました。
綴った手紙の数は、千をとうに越え、万に至りました。
いつか私はあなたに逢い、そして伝える、この想いを。
きっと私は、こう言うでしょう――――。
「愛してます」
あれからずっと、一日たりとも途切れることなく。
「愛してます」
これからもずっと、我が命尽きた後も。
「愛してます」
私は奏でる、愛の歌を! …………永遠に。
こんな想いを抱え、 “姫川 歩“ は転生しました。
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