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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第六章 燎原之火(りょうげん の ひ)
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リトル・ロマンス

春から夏に移り変わる季節、私は初めて生まれ育った土地を出た。

そこは山は遠く、平地がどこまでも続き、高い木々の代わりにビルが生い茂っていた。

マッチ箱を立てたみたいな塔は無機質でつるんとしていて、ツンっと押せばパタンと倒れてしまいそうだった。


私は帝都――『東京』を訪れていた。

東京駅から出て見る光景はまるで異世界のようで、私は巴里(パリ)紐育(ニューヨーク)にでも迷い込んだのではないかと思った。


「おとーさま、ここが『東京』なの?」


幼い私は、たどたどしく父に尋ねる。


「そうだ、ここが日本の中心、いや今や亜細亜の中心、いずれ世界の中心となる『東京』だ。よく見ておくんだぞ、亜夢美。これが私たち “殿倉“ の人間が、乗り越えなければならない存在だ」


父の言う事は、三歳児の私にはよく理解できなかった。

だがこの自然から切り離された場所は、私にはどこか寒々しく、他人行儀に感じられた。


私たちは自動車に乗り込み、宿泊先のホテルへと向かう。

車窓から見える街並みは、美しかった。

大きな洋風な建物が立ち並び、調和の取れた世界を造り上げていた。

弘前(ひろさき)で洋館群を何度も見た事があったが、スケールが違った。



「あれから九年か……。見事に復興したものだ」


父が遠い目をしながら外を見つめる。

私が生まれる前に、この街を破壊し尽くす大きな災害があったそうだ。

今は、その面影もない。


ほんの僅かな車の旅も終わり、ホテルへと到着した。


「行くぞ」


父の号令に従い、車から降りた私はトコトコと駆け足でついて行く。

ドアボーイが微笑ましいものを見る目付きで、重厚なホテルのドアを開ける。

建物の中へ入る。そこは、別世界だった。


見たことも無いような複雑な幾何学的模様、石やタイルなど色々な素材を組み合わせた建築方法。

それは想像の域を超える美だった。

私は圧倒された。



「ようこそお越しくださいました、殿倉様。当帝国ホテル支配人、獅子丸(ししまる) (とおる)と申します。殿倉家の方をお迎えするのを、一日千秋の思いでお待ちしていました」


支配人という男が私たちの前に現れ、優雅に一礼した。


「当家と帝国ホテルさんは、お付き合いはなかった筈ですが?」


父が怪訝な顔で男に声をかける。


「 “殿倉(とのくら) (しずか)“ さま、貴方の妹君にお世話になりました、関東大震災の時に。この "ライト館" が焼けずに済んだのも、あの方とそのお連れ様のご尽力のお陰です。このホテルの恩人なのですよ、あの方は」


支配人の視線は私たちを突き抜け、遥か遠くを見ていた。空間も時も超えて。


「いま静さまは、どうなさっていらっしゃいます?」


何の打算もなく、ただ知りたいという純粋な気持ちだけで尋ねてきた。


「あれは、今や殿倉とは何の関係もない人間です。よって、お答えする事は出来ません」


父は、にべもない態度で答える。


「そう……ですか……」


それだけで、支配人はすべてを察した。

何があったか、彼女が今どうなっているのか。


「それでも私たちのする事は変わりません。あの方に受けた恩義を返すだけです。筋違いだとか(おっしゃ)らないで下さい。私たちがそれをする事で、彼女を慕っている人間がいる事を知って頂ければ、それでいいんです。それが少しでもあの方の立場を良くする事に繋がれば、私たちはそれで満足です」


迷いのない目で、彼は語りかけた。


「……お好きなように」


父は苦虫を嚙み潰したような顔をする。






「部屋に行って、休んでいなさい。私はこれから人と会う」


チェックインをした後、私と乳母を残し、父は部屋から出て行った。


二つのベッドルームと、広々としたリビングが設けられたスイートルームだった。

いつも和風の屋敷に暮らしていた私は、興奮した。


「すごい、すごい、お姫様になったみたい。絵本の世界みたい!」


私ははしゃぎ、部屋の中を駆けずり回った。


「まあまあ、普段お住まいになっている屋敷の方が、よっぽど価値があるのに……」


乳母は呆れたように私を見つめる。


「それでは心ゆく迄遊んで下さいね。私は向こうで荷物を整理しますから」


乳母はそう言ってトランクを抱えてベッドルームへと行った。

私は乳母の事には気にも止めず、部屋を見て回った。


子どもは飽きるのが早い。

一通り部屋を見て回った私の興味は、ドアの外へと移った。

あの向こうには、どんな世界が広がっているんだろう。

ワクワクする気持ちを抑えきれず、私は背伸びをして、ドアを開けた。

そして静かに、気付かれないように、未知の世界への冒険へと繰り出した。

ふかふかの絨毯を踏みしめ、廊下を進む。

その先にある、まだ見ぬ世界を求めて。




そこで私は出会う事となる。

私の『運命の人』と。






運命の出会いは、すぐそこで待っていた。

私が走る前方で、いきなりドアが開かれた。

廊下を疾走する私は突如現れたドアを避ける事は出来ず、物の見事に激突した。


ドアに弾き返された。すっころんだ。目から火花が出た。そして……鼻血が出た。


私は慌てた。自分の怪我の事など、どうでもよかった。ただこの高そうな絨毯を血で汚す事を、怖れた。

急いでワンピースをたくし上げ、洋服で顔を覆った。血が零れぬように。

自分が怪我をしようと服が汚れようと関係ない。他家に迷惑をかけ、父に失望されるのが、怖ろしかった。



『あれは、今や殿倉とは何の関係もない人間です』


先程の父の言葉が頭によぎる。そう言われるのが、怖ろしかった。

そう思うと涙が溢れ、(わめ)かずにはいられなかった。

私は廊下にへたり込み、泣き声をあげた。



「大丈夫。ごめんね、僕がいきなりドアを開けたから。怪我はない?」


部屋から、一人の男の子が出て来た。

年恰好は私と同じくらいの、身なりの良い男の子だった。

髪もきちんと整えられ、着ている服もこざっぱりとしていた。

蒼森でみていた、鼻水を垂らすような子とは違う生き物に見えた。


『やっぱり東京の男の子は違うな――』と、見当違いな感想を抱いていた。


「うわっ! 血が出てる! とにかく手当てをしなくちゃ」


彼は私の赤く染まった顔を見ると慌てふためき、自分の服が汚れるのも構わず、私を抱きかかえるように部屋に入っていった。


この子も自分のしくじりを、大人に怒られるのを怖れているのかしら。

私は彼の行動を、そう捉えていた。


「女の子の顔にキズが残ったら大変だ。なんとしても(あと)が残らないようにしなくちゃ。フミさーん!」


彼は大声で誰かを呼ぶ。

意外だった。こんなに素直に大人を呼ぶとは思ってなかった。

自分に非がない、そう誤魔化すと思っていた。

この子はそれを一切しようとせず、ただ私の身を案じていた。

それは、新鮮な驚きだった。

そして私はそう考えた自分の浅ましさを、恥じた。



招き入れられた部屋は、私たちの部屋よりも大きかった。


「フミさーん! ケガをしたんだ、血が出てる。急いで手当てして――!」


彼は大声で奥の部屋に呼びかける。


「はいはい、今行きますよ。一体どうしたんです? この前五針も縫う怪我しても、平気な顔をしていた坊ちゃんが……」


奥から三十歳くらいの女性が出て来た。

背が高く、きりっとしていて、落ちついた色調の着物を粋に着こなしていた。


彼女は私の存在を見咎めると、静かな口調で尋ねてきた。


「何があったんです? こちらの方は? どこを怪我したんです?」


端的に、聞きたい事だけを訊いてきた。

責めるとか(なじ)るとかは一切後回しにし、今すべき事をする。

自分の職務に専心し、感情に乱されない。


見事だった。



「僕がいきなりドアを開けたんで、この子がぶつかってケガしたんだ。どこの誰かは知らない。顔から血を流しているみたい。お願い、急いで診てあげて! 顔に傷痕が残らないようにしてあげて!」


彼は極力落ち着いて答えようとしていた。

それでも感情を完璧に抑える事が出来ず、声が少し上擦っている。

だがそれは深い愛情故に思え、好ましく感じられた。


『どれ』と言いながら、女性は私の顔をまじまじと見つめる。

そして私の身体をあちこち撫で回し、一通り終えるとフゥーと息を吐き、にっこりと笑いながら言った。


「大丈夫、骨は折れていないし、切り傷もありません。ぶつかった拍子に鼻血が出ただけです。ちょっと横になって休んでいたら、すぐ治りますよ」


彼女の言葉に彼は力が抜けたようになり、へなへなと床に座り込んだ。


「よかった――!」


彼は心の底から安堵の声をあげた。

その声は温かく、優しく、甘く、いつまでも包まれていたかった。


「お着換え用意しますね。服に付いた血も落とさなくちゃ」


彼女は再び奥へと消える。

リビングには、私と彼が残された。

さっきまでの切羽詰まった空気は霧散し、気まずい雰囲気が漂っていた。




「えっと、ごめんね、いきなりドアを開けて。びっくりしたでしょ」


おずおずと、彼から話しかけてきた。


「いえ、こちらこそごめんなさい。私こそちゃんと前を見てなくて。それに私、走っていたの……廊下を……」


私の言葉に彼は一瞬キョトンとし、そして『ああ』と深く頷いた。


軽蔑されるかもしれない、私の立場が不味くなるかもしれないとは思った。

だが彼の前では、隠し立てをしたくなかった。

そんな自分に、なりたくなかった。




「女の子もそうなんだね。僕と一緒だ!」


彼は天使の微笑みを振り撒く。


「一緒?」


「うん。長い廊下を見れば走りたくなるし、大きなお風呂を見れば泳ぎたくなる。これは『ほんのー』っていうんだって」


「『ほんのー』?」


「みんなが持っている、どうしょうもない気持ち。大人も持っているけど、それを上手に隠せるかどうかが、大人と子どもの違いなんだって」


「ふ~ん」




私はこの時彼の言う意味の、十分の一も解っていなかった。


『本能』の猛々しさも、厄介さも、根深さも。

これから永く付き合ってゆく事になる事も


ただ彼の聡明さに、心奪われていた。

キラキラ光る瞳に、見蕩れていた。




これが彼と私の、忘れ得ぬ初めての出会いだった。

勇哉、亜夢美、ともに三歳時の話です。今回は前編で、このあと中編・後編へと続きます。


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