恋ひ焦がれ
7月24日――主馬との対面を終え、新たな日を迎えた。
「朝餉をお持ちしました」
女中が行儀よく膳を運んで来る。
俺と紬は配置された膳の前に座り、黙々と口に運ぶ。
「……今日はお静かなんですね」
女中の呼びかけにも、俺たちは何も喋らなかった。
一夜明けても、話す気にならなかった。
それほど昨晩の主馬との対面は、俺たちの魂を削った。
「そんな貌で食べるのは、食べ物に対する冒涜だよ」
鈴が腕組みをして、しかめっ面で非難して来た。
「食べたくとも、それが出来ない人もいる。そんな人に対しても、失礼!」
この食糧難の時代、『食べる』という事にみんな必死になっている。そのありがたみを感じず食すのは、確かに傲慢が過ぎる。
「こっちに来て、私なにも食べてないんだよ。まあ、お腹が空かないからいいんだけど。でも食べるって、それだけじゃないからね。あ――おっちゃんの焼き鳥が食べたぁ~い。皮はパリパリ、中はジューシー。炭火の煙と一緒に漂って来る、芳醇な肉の焼ける匂い。串を打った肉の間から零れる肉汁。想像するだけで涎が出て来る~。あ、ついでに酒も飲みたいな。私いまは、法律に縛られない立場だから」
そっちかよ、このドワーフ!
『こいつ、自由すぎる』――明日香が眉間に手を当て、顔を顰めている。
なんか、馬鹿馬鹿しくなった。
「ご馳走さまでした。美味しかったです」
俺は手を合わせ、給仕してくれた女中さんに丁寧に礼を述べる。
女中さんはキョトンとしていた。
礼を持って接してくれる人間には、相応の礼を返さなければいけない。そこに “大道寺“ も “殿倉“ も関係ない。身分や立場の上下に、胡坐をかいてはいけない。それを弁えない人間は、品性が下劣になってゆく。そんな人間に、なりたくなかった。そんな下衆な人間になって、愛想を尽かされたくなかった。メアに、紬に、明日香に、鈴に。みんなに誇りに思ってもらえる人間でありたかった。
「なんか、調子狂うな。礼儀を弁えないバカ息子って聞いていたのに……」
女中さんがブツブツ言いながら膳を下げてゆく。
明日香と鈴が、『よしよし』と笑っていた。
「失礼します。亜夢美お嬢さまがお会いしたいとの事です。こちらにお通ししてよろしいでしょうか」
朝食を終え、のんびりと過ごしていると、部屋の外から女中さんの呼びかける声がした。
来た! 俺は身構える。
殿倉 亜夢美――俺の未来の親友、姫川 歩と同じ顔を持つ女。こいつは敵なのか、味方なのか。ハッキリさせなければならない。
「どうぞお越しくださいとお伝えを……」
俺の返答に、女中さんは去って行く。
いよいよ、対面だ。
紬は、不安そうな顔をしている。
鈴は、『よっしゃ、姫サマ登場か――。返り討ちにしてくれる』と息巻いている。
明日香は、『ねえ、事情があって女装をしているけど、実は男の娘という可能性はない?』と腐った台詞を吐く。
みんなそれぞれの思いを持ち、亜夢美の来訪を待った。
「失礼します。亜夢美お嬢さまが参られました」
襖の向こうから、相馬 聡美の声がした。
「どうぞお入り下さい」
心の動きを気取られぬように、平坦な声で応える。
襖がスーと開く。
「皆さん、お揃いのようで……」
聡美は俺、紬を見た後、視線を明日香と鈴に向け、食い入るように見る。
やっぱり感知されている。
俺たちは事前に話し合った。
鈴は『あいつらがユマと会っている隙に、情報収集に行こうか?』と提案してきた。
それに対して明日香は『それは、止めた方がいい。あいつらもそれは予想して、トラップを仕掛けているはず。それにこの段階で対決姿勢を鮮明にするのは得策じゃない。刺激して、身動きが取れなくなるのは避けたい。それに情報収集というなら、ここに居る方がよっぽど有意義』と主張した。
『なんで?』と問い掛ける鈴に、明日香は答える。
『殿倉 亜夢美が何者か、見極める必要がある。その存在は如何なるものか、その狙いは何かを』
さらに明日香は続ける。『 “姫川 歩“ を知る私たちだからこそ、気付ける事があると思う。私たち三人が、異なる視点から見て気付ける事が。今は敵の正体を見極める事が肝要……」
廊下から、ほんの僅かな軋む音がした。
神経を集中しなければ聞き洩らすような、小さな小さな音だった。
殿倉 亜夢美だ。優雅に、音もたてず、部屋の入口に現れた。
「ごきげんよう、勇哉さん、紬さん。やっと、お会い出来ましたね」
天使のような微笑みで、亜夢美は俺たちに語りかけてきた。
切なげで親愛に満ち、まるで離れ離れになった家族に再会したような顔をしていた。
俺は戸惑った。
二日前飛鳥山に迎えに来た時の、冷たい焔は鳴りを潜めていた。
惜しみない好意が、俺たちに向けられていた。
「一昨日と、随分と違うんだな」
あまりの変貌に、俺は皮肉を込めて言った。
「あれは、余所行きの貌です。家人もいましたし、甘い貌を見せられないでしょう。……それに、勇哉さんもいけないんですよ」
亜夢美は幼子のように頬を膨らます。
「月子さんばかり構うんですもの、面白くないに決まっているじゃないですか」
拗ねた口調で甘えるように言う。
「乙女心を、理解して下さいね。嫉妬という蛇は、餌を与えると、見る見る間に膨らんで行くんですよ」
ちょろちょろと、赤い舌を出しながら、淫靡に話す。
ぞっとした。それは求愛者ではなく、捕食者の眼だった。
「そこまで俺に拘る理由が分からないな。君と俺は、ほとんど会った事がないだろう。 “大道寺“ の系譜が欲しいのなら、分家に代を譲るからそっちと仲良くやればいい」
正直俺にとって、 “大道寺“ の当主は何の意味もない。それは紬も同じだ。
「私が欲しいのは、 “大道寺 勇哉“ ではありません。貴方そのものなんです。貴方の名前が、違うものに変わっても関係ありません。月が違う名前で呼ばれようと、その美しさが変わらないように。私が求めるのは、貴方そのものです」
それは、意外な言葉だった。
「蒼森での実験を握る為、大道寺を利用したいんじゃなかったのか」
「……随分と直截な言い方ですね。でも見くびらないで頂きたいですわ、殿倉を。ここまで勢力を拡大させた以上、大道寺の助力は必要ありません」
きっぱりと亜夢美は言い切る。そこに強がりや誇張はなかった。
そうすると、俺はますます分からなくなった。亜夢美が俺に拘る理由が。
「もしかして、本当に忘れているんですか? 私との思い出を……」
なんの事だ? 俺は首をかしげる。
「ひどい方……。私の初めての口づけを、そして私のすべてを奪ったのに」
亜夢美は潤んだ瞳で、じっと俺を見つめる。
「「「なんだって――――」」」
紬、明日香、鈴の三重奏が木霊する。
「お嬢様の……純潔を……奪った……」
亜夢美の後ろに控えていた聡美が、グルルルルと獣の咆哮をあげる。
「お兄ちゃん、浮気? メアちゃんを裏切ったの?」
紬が俺の右腕を掴み、詰問してくる。
そして鈴が左腕を掴み、涙ながらに訴えてきた。
「ユマ、いくら私たちに肉体が無いからって、それはないんじゃない。手で物は掴めるようにはなったんだから、言ってくれたら私がいくらでも…………」
なにをする気だ! いらん気を回すな!
「まあ、若いから仕方がないけど。それでも節操がなくない。やっぱりハーレム作って、私が管理しなくちゃ」
明日香の、理解があるような、ペットの繁殖期を管理するような、訳の分からん愛情が込められた声が、後方からする。
四方から、楚の歌が奏でられた。
好き勝手に振る舞った、哀れな暴君の末路が頭に浮かんで来る。
俺は自分の罪深い過去を振り返る。
…………ん?
「いや、ちょっと待て。俺はコイツとやった覚えはねえぞ!」
俺は自分の無罪を主張する。
やった事なら甘んじて非難は受けるが、やってない事まで受け止める気はない。
「サイテー。証拠がないのをいい事に、ヤリ逃げしようとしている」
鈴が軽蔑するような目で俺を見る。
なんだよ、ヤリ逃げって。実際やっていないからな。
やってない証拠は出せないぞ。 “悪魔の証明“ だ。
聡美は亜夢美の耳元で、なにか囁く。
多分、俺たちのやり取りを伝えているのだろう。
そしてフンフンと頷き、合点したようにニッコリと笑う。
「証拠ならありますよ、ほら!」
亜夢美が、懐から何かを取り出す。
一葉の、写真だった。
そこに、俺と亜夢美が写っていた。
そこで二人は、口づけを交わしていた。
とろけるような、幸せそうな顔をして。
「「「はぁ――――ぁ?」」」
再び三重奏が奏でられる。
だがそれは、先程の非難めいたものはなく、肩すかしを喰ったような脱力した声だった。
その写真に写っていたのは、三歳ぐらいの俺と亜夢美だった。
憶えている訳ないだろうが――――。
子どものお遊びじゃねぇか――――。
これは、ノーカンだ――――。
俺の魂の叫びは、波しぶきのように砕けて霧となり、暗鬱たる雲を育んでいった。
人は三歳までの記憶は失われるといいます。憶えていなくとも、仕方ありません。
『ブックマーク』、『星評価』、『いいね』をお願いします。下段のマークをポチっとして頂くだけです。それが執筆の何よりの糧となります。……筆者の切なるお願いです。