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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第六章 燎原之火(りょうげん の ひ)
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役割(パート)

第五章が思ったより長くなったので、章を訂正致します。

飛鳥山を舞台とするのを『第五章 パラダイス・ロスト』とし、蒼森市街を舞台とするのを『第六章 燎原之火(りょうげん の ひ)』と致します。

申し訳ありませんでした。

部屋は重苦しい空気に包まれていた。

沈黙がそれを助長する。

音が死滅した世界は、息が詰まるようだった。




『 “魔王“ とは、何だと思う?』


殿倉(とのくら) 主馬(かずま)の問いに、俺は答えられずにいた。


『権力』、『理想を阻む現実』、『社会システム』、……色々な言葉が頭に浮かぶ。だが、どれもしっくりこない。いや、そもそも前提となるもの知らなければ、話にならない。


「父さんが求めた “理想“ とは、何だったんですか?」


俺は沈黙を破り、父を知る為の根本的な質問をする。

これを理解しなければ、正解に辿り着く事は出来ない。



主馬は絞るように目を細め、じっと俺を見つめながら答える。


「 “王道楽土(おうどうらくど)“ 、それを蒼森の地に築くこと――」


王道楽土? 満州の建国スローガンじゃないか。

ここはフロンティアじゃないぞ。


「君たち昭和生まれの若い人にはピンとこないかもしれない。しかし直輝さんや私達の世代は違う。東北の民が虐げられるのを、身をもって感じてきた」


主馬は唇の片端をあげ、忌々しそうに言う。


「私たちが生まれたのは明治の世、十九世紀末から二十世紀初めだった」


二十一世紀の意識を持つ俺とは、まさしく隔世(かくせい)の感がある。


「1905年の “大凶作“ について、聞いた事があるかね。 “天明・天保の大飢饉“ に比肩すると云われた “大凶作“ だ。私たちがまだ小学校に上がる前だった……」


……知っている。今でも語り継がれる、悲惨な出来事だった。


「ひどいものだったよ。東から吹く冷たい風―― “やませ“ が続き、長雨と低温に見舞われた。収量は例年の三割に満たなかった。食べる量を減らして我慢すればいいと云うレベルではない。元々食糧事情はカツカツだった。生きる為にギリギリだった。そんな中でのこの減収だ。富める者は高いお金を出し食料を求め、貧しい者は口にする事も叶わない。価格は際限なく上昇した。人の命を選別するように。若い女性はその身を売り、幼い子どもは飢えて命絶える……それは私たちのすぐ隣で起きていた。近所のお姉さんが人買いに連れて行かれ、知り合いの子どもの葬儀が挙げられた」


彼が語るのは、言葉ではなかった。怒りそのものであった。音に感情が込められ、俺の胸に突き刺さる。


「これは1904年に起きた “日露戦争“ が原因でもある。働き手を兵隊に取られ、労働力が脆弱になったからだ。おまけに戦費を賄う為、戦後に増税や国債の割り当てがあった。僅かな余剰を、貯える事も出来なくなった」


主馬は声は、鋭く尖っていた。


「中央の支援も、あるにはあった。義捐金(ぎえんきん)とか御下賜金(ごかしきん)とかね。諸外国からも支援が寄せられ、清国皇太后からの寄付もあった。だがその実情は、現場を知らない奴らのする事だった」


(さげす)むように言い放つ。


「米国からは『如何なる食料品が必要か』との問い合わせがあった。それに対しての日本政府の回答は『金銭での寄贈を望む』だった。……まるっきり、分かっていない。金ではない、食べる物が必要なのだ。金を増やしても、食料のパイが大きくなる訳ではない。値段が吊り上がるだけだ。凶作が明らかになった秋、宮城県では “県民大会“ が開かれ、『凶作地に対する輸入米の戻税実施』を決議し、政府に請願している」


政治が的外れなのは、古今東西一緒か……。


「おまけに御下賜金についても噴飯(ふんぱん)ものでね。秋に起きた大凶作に対し、配布が決定されたのが翌年一月だよ。随分とのんびりした話だろう」


お役所仕事とはいえ、遅すぎる。


「御下賜金を行うには、侍従派遣が必要だったからだ。十二月から巡視視察し、そのデーターに基づいて御下賜金を決定したらしい。……悠長なことだ」


この行為の発露が『人を救いたい』という想いではないからだろう。

不満が政府に向かない為の、おためごかし。それが本質だからだ。


「おまけに余計な一言が添えられていた。『生業の為に使うか、貯蓄に回せ。いたずらに消費するな』とね。『どの口がぬかす。ふざけるな!』と思ったよ。今日生きられるかどうかの人間に、貯蓄をしろと言うのだ。それも強制的に。中には村長が郵便貯金を預かる村もあった。そもそもこんな状況を作った一因は、貴様らじゃないか」


主馬は激しい憤りを露にする。声も、拳も、魂も、震えていた。

だがその主張は、これまで俺が聞いていた物とは違っていた。


「義捐金で十分救済可能だったから、御下賜金で貯蓄の気風を高めようとしたと教わったのですが……」


俺の意見に、主馬は冷笑を浮かべる。


「救済が十分ならば、なぜ餓死者が出るんだ? 貯蓄が出来るのならば、なぜ自分の娘を売り飛ばそうとするんだ? そんな親は、いないよ」


主馬の言葉は、毒針のように俺を刺した。


「大事な者を奪い去られた哀しい涙を見て、直輝さんと私は語り合ったよ。『なんでこんな事になったんだろう。どうすれば良かったんだろう』と」


悲しい感情の波紋が伝わって来る。


「もういやだ! まっぴらだ! そう思った。直輝さんも同じ想いだった」


津波のような悲しみが襲って来た。


「二人で、夢を語り合ったよ。この世の理想郷、ユートピアを。それは、私たちには慰めだった……必要な事だったんだ」


やるせない哀しみが、冷たい風のように吹きすさぶ。


「みんなで分かち合い、助け合う世界。豊かな、飢えを知らない世界。そんな夢のような世界を、語り合った。私たちが大人になったら、きっとそんな世界にしようと」


数多(あまた)(むくろ)の上に咲く理念の花は、悲痛なほど哀れであった。


「『僕の右腕になって欲しい』と言われた。歓喜に震えたよ。腕でも指でも爪の先でもいい、あの人の役に立ちたい。心からそう思った」


地獄で救いを求める、狂信者の眼をしていた。


「いま、あの人はいない…………。君には、直輝さんの遺志を継いでもらいたい」


魂のうめきのような、淋しさが身にしみる声だった。

埋めようのない喪失感が伝わって来た。




この人の、『苦しむ人を助けたい』という気持ちは、本物だろう。

だが俺には、どうしても気になる事があった。


「貴方のその慈愛の心は、素晴らしいと思います」


俺の称賛に、主馬は顔をほころばせる。


「けどそれは、誰に向けられるのですか?」


笑顔の咲いた顔が、引き攣る。


「万民に、分け隔てなく与えられるのですか? それとも、貴方が認めた者だけに与えられるものなのでしょうか?」


何が言いたい? 主馬はそんな表情をする。


「静さんは、アメリアは……、その中に含まれているのでしょうか?」


俺の問いに、主馬は苦虫を嚙み潰したような顔となった。


「……あれは、殿倉の責務を投げ出した者だ。その様な者を、同列にする事は――出来ん」


自分に言い聞かせるように、一言一言嚙み締めながら、主馬は言う。


「それは、僕には到底受け入れられない言葉ですね」


二人の間に、亀裂が走った。綻びが生じた。

それは、小さな溝だったのかもしれない。

だがそれの底は深く、到底埋められないものだった。


組織のため規律を遵守し、個人を切り捨てる者。

個人のために組織を活用し、集団の在り様に頓着しない者。


どちらにも正義があり、互いの生き方を認められない者達であった。



「『 “魔王“ とは、何だと思う?』と先程おっしゃられましたが……。なぜ “魔王“ の声は “息子“ には聞こえ、 “父親“ には聞こえなかったんでしょう」


ぴくりと主馬の眉が上がる。


「優しく “理想郷“ に誘う “魔王“ 、猛々しく奪い去る “簒奪者“ たる “魔王“ ――まさに今の貴方ではありませんか」


俺の回答に、主馬は鼻白む。


「そしてその声が届く “息子“ は、まだ世のしがらみに縛られていない者達です。届かない “父親“ は、社会システムに組み込まれた者達です。だから父さんは言ったんじゃないですか、『これは今でしか歌えない曲だ』と。社会システムに組み込まれる準備期間の学生時代に」


俺の解釈に、主馬は当惑の表情を浮べる。


「そして父さんは選んだ、 “父親“ の貌を。僕は忘れません、父さんの最後の貌を。戦争に行く前に見せた、優しく哀しい、死を覚悟した貌を。愛する者を守る、 “父の貌“ を!」


『お前が紬を守ってやれ。たった二人の家族なんだ。兄妹で仲良くやっていくんだぞ』――父の最後の言葉の意味が、初めて分かった。俺は、守らなければならない。


「直輝さんは、 “理想“ を捨てたと……」


蒼白な顔で、主馬は呟く。


「捨ててはいないでしょう。託したんじゃないですか、貴方に。 “魔王“ の役割と共に。だがその “魔王“ も目的を遂げると新たな社会システムとなり、次の “魔王“ を生む事となる。――順送りですよ」


俺も父の全てを理解した訳ではない。だがこれは、間違っていない気がした。


「あの人は昔から、無茶振りがひどかったが……。これは……とびっきりだな」


父から託された想いに喜んでいるのか、使い捨てられる役割に憤慨しているのか、よく分からない表情だった。


「だが直輝さんの思惑通りになるとは限らない。私は自分の信じる道を行く。たとえ直輝さんの忘れ形見である君が立ち塞がろうとも」


毅然とした態度で、俺を見つめる。

緊迫した空気が流れた。

数舜の睨み合いの後、主馬はふっと顔を緩める。



「だがいつか――私の手を取ってくれる日が来るのを、願っているよ」


主馬は切なそうに語りかける。

それはきっと、訪れない未来だ…………。






「しばらく、直輝さんと二人きりにしてくれないか……」


主馬はソファーにゆったりと腰かけ、祭壇を見つめる。

祭壇からは無数の父さんの視線が、主馬の座るソファーに注がれている。

そのように、配置されていた。

彼は、父に包まれていた。




ここは彼の『記憶の(はこ)』。

写真、レコード、ノート、日記……ここには、たくさんの父さんがいる。

ここで彼は色々な時代の父さんを取り出し、巡り逢っているのだろう。




俺と紬は、そっと扉を閉める。

匣から、『魔王』が漏れていた。

正義とは、あやふやな物だと思います。みんなそれぞれの正義を持っています。


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