変わりゆく街
「休んでいた間のことで先生と話があるから、先に帰ってて」
放課後、三日ぶりに登校してきた桐生はそう言って職員室に消えていった。
残された俺は廊下にぽつんと佇んでいた。
「……帰るか」
この三日間俺を悩ましていた懸案事項も解決し、久々に軽い足取りで帰宅の途につく。
下駄箱から靴を取り出す。
外履きに履き替える為にしゃがんだ俺に、何者かが背中から覆い被さってきた。
「夢宮く~ん、一緒に帰ろ~」
甘ったるい声が頭から降ってくる。
こんな事をするのは、あいつしかいない。
「やめろ。人に見られたら、どうするんだ」
俺はくっついてきた奴を引き剥がす。
「え~、勿体ないことするな――。私とのハグなら、いくら払ってでもお願いしますって言う人がごまんといるのに~」
頬を膨らまし、不満を述べる。
「そうそう、ウチのお父さんからの伝言。『一度会ってじっくりと話をしたいので、週末に家に来てください』だってさ。どうする? お父さんはどんな予定をキャンセルしても都合をつけるそうだから、あとは夢宮くん次第。ど~する、ど~する?」
彼女はニマニマと、悪戯を仕掛ける子どもみたいに笑う。
こいつ完全に面白がってやがる。
そのフワフワした柔らかい亜麻色の髪に指を絡め、漣のように揺らめかす。
静謐な湖のように揺らぐ瞳は、世俗の穢れが無縁のように澄んでいる。
幽玄の世界の住人が、そこにいた。
新開 鈴、またの名を『フェアリー・クイーン』。
俺のクラスの、もう一人の女王。
俺は彼女と出会った六日前を、思い起こす。
◇◇◇◇◇
初夏の澄んだ土曜日早朝、俺は電車に乗り、多奈川を渡り、県境を越え、『兎越木』駅へとやって来た。県を越えると云うと大層だが、家からたった二駅しか離れていない。昔は自転車で遠征して来たこともあるくらいだ。
ここに来た目的は二つ。
一つは、この街の直営店だけで販売される限定商品を購入する事。
もう一つは、日常から逃避したかったから。
昨日、桐生の奴に腐男子と認定され、この休み明けにBL小説の読書感想文を提出するハメになった。
憂鬱だ。8月31日に書き上げる、名作小説の読書感想文の方がよっぽどマシだ。
締め切りに追われた作家が普段しない部屋の掃除をするように、俺は目の前の苦行から逃げた。
明日のことは明日の俺に任そう。頼んだぞ、明日の俺!
早朝の街は蒼く澄んでいた。
小鳥の囀りが心地よい。
オープンテラスで、小さな子どもを連れた家族が朝食をとっている。
魂が洗われるようだった。
ありふれた、ささやかな日常がそこにあった。
ん?
日常の向こうに、とんでもない非日常が顔を出していた。
俺は目をこする。
間違いない。
広場の向こうで、西洋の鎧を身に着けた青騎士が、剣ではなく火ばさみを持ってゴミ拾いをしていた。
鎧騎士 → カッコいい
ゴミ拾い → 立派だ
この二つが混じり合うと、なんでこんなにカオスになるのだろう。
まあ世の中、いろいろな人がいるからな。
そう言い聞かせ、俺は傍観していた。
「おう夢宮、奇遇だな!」
青騎士は俺を見て取ると、大声をあげて近づいてきた。
周りの視線が俺に集中する。痛い。俺はもはや傍観者ではなかった。
カオスが俺に、すり寄って来た。
「俺に異世界の知り合いはいないんだが……」
精一杯の抵抗をする。日常世界の縁を離してたまるか。
「はは、そうだな。俺にも異世界の友人はいない。……わからんか? 香坂だよ、同じクラスの!」
青騎士はそう言うと顔全体を隠していたヘルムを取る。
そこに見知った顔が現れた。香坂 颯太、クラスいちのイケメンだ。
女子のあまりのレベルの高さと数に霞がちだが、こいつのキラキラぶりも大概だ。
中間テストではトップ10入り。
街に遊びに出ればスカウトされる。
通学電車で見初められて告白される。
エピソードには事欠かない。
だがそんなこいつに、浮いた噂は一つも無かった。
「何やっているんだ。花の休日にそんな恰好をして。……コスプレが趣味だったのか」
成る程、ストライクゾーンは二次元か。彼女の噂がないはずだ。
「コスプレは趣味ではなく手段だよ。目的を達成するための」
「持って回った言い方だな」
「おっと悪かった。質問にそのまま答えようとして、かえって分かりづらくしてしまったな。俺がやろうとしているのは『キレイな街を作ること』。見たまんまだろ」
にかっと白い歯を見せて笑う。
「この街の昔の姿を知っているか? 今でこそ『住みたい街ベスト10』とか云われているが、昔は何も無い田舎だった。それが駅が改築され、タワマンが建てられ、今や全国区のお洒落タウンだ」
香坂は洗練された人で賑わうオープンテラスを見ながら言う。
「人が増え、便利になった、それは悪いことじゃない。だけど、少しずつ街が荒んでいった」
哀しむような声で香坂は続ける。
「ゴミが増え、道を譲ることが減り、人が困っていても助けなくなった……」
香坂は嘆くみたいに零す。失くした宝物を思い起こすように。
沈黙が、落ちた。
「……俺な、あそこのタワマンに住んでいるんだ」
唐突に香坂は会話を再開する。俺は話の脈絡がつかめず、ふ~んとだけ答えた。
俺の言い方が面白かったのか、香坂は笑いだす。
「いや、悪い。お前の話し方が可笑しかった訳じゃない。……タワマンに住んでいると言うと、必ず次の質問が出るんだ。『何階に住んでるの?』って。お前はそれが無かったから」
笑い顔から、引き締まった真剣な顔となる。
「余計なお世話だろ、何階に住んでいようと。そして答えると、みんな同じような反応をするんだ。高層階に住んでいると言うと、羨ましそうな妬ましそうな顔をする。低層階だと言うと、憐れむような目を向ける。中層階だと言うと、反応に困る顔をする。……アレは住むとこじゃない、マウント取りのツールだよ」
言われてみれば、『あそこのマンションに住んでいる』と言って、『何階なの?』と聞かれることは、まずない。そんな事言おうものなら、ストーカー扱いされる。タワマンだけそれが許されると云うのも、おかしな話だ。
「まあ、いいんだけどね。俺も真面目に答えないから。……けどな、この街が荒んでゆくのは許せない」
「……だからゴミ拾いを?」
なんとなく、こいつの事が分かってきた。
「汚れた街は、人の心も蝕んでゆく。それを少しでも防ぎたい……」
「鎧を着てゴミ拾いをする意味がよく解らんのだが」
俺の質問に香坂は手を握り、親指を自分に向けて答える。
「俺ってイケメンだろ」
自覚があるのかよ!
「素顔でゴミ拾いもしてたんだよ。けどな、おかしな事になった。変な女が寄って来るし、『イケメンが恰好つけやがって』と言われてゴミを投げつけられた事もある。……この鎧を着だして、楽になったぞ。生暖かい目で見守ってくれるし、ヤバイ奴らは寄ってこない。何より子ども達が慕ってくれる。『お兄ちゃん、これ』といって落ちているゴミを拾ってきてくれる子もいる。そうするとな、なんかあったかいものが流れてくるんだよ」
多分こいつは、この街そのものなんだろう。
成長し、イケメンと持て囃される自分。
自分勝手な物差しで優劣を決める世間。
知ったこっちゃあない! そう叫んでいるようだった。こいつも、この街も。
「じゃあな。街を守る青騎士は、穢れを祓いに参るとする!」
そう言うと青騎士はヘルムを被り、火ばさみを掲げ、街を守りに出陣する。
嫌いじゃないな、こういう奴。
澄んだ朝、清々しい気持ちで、俺はこの街を見つめた。
次のメインヒロイン登場です。今回はさわりだけですが、次回から活躍します。
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