ハレルヤ
『シュヴァルツシルト半径』
「インピーダンス」
『スカラー』
紬と鈴が “しりとり“ をしていた。物理用語縛りで。
殴り合いとかではなく、平和的な戦いだと思って許可したが、……かわいくない。
「うっう――」 紬が頭を抱える。
『ほほっ。底が尽きたか、憐れ憐れ――』 鈴が煽る。
「じゃかあしい! ちったぁ黙っとけ、この悪霊!」
そろそろ潮時か。
「そこまでだ。一旦休憩。頭を冷せ」
俺は二人を引き剥がす。
「ほら、水を飲め。こんなんで喉を傷めたら、アホらしいぞ」
俺は紬に水の入ったコップを手渡す。
紬は『ありがとっ』と言って、ゴクゴクと飲み干す。
「珍しいな、お前がこんなにムキになるなんて」
紬は基本、人の悪口に反応しない。何を言われようが、無視している。
「うん。他人にどんな事言われても、気にならないんだけどね。なんかアイツに言われると、聞き流せないのよ」
『好きの反対は無関心』と云うが、この二人はそういう冷めた関係じゃないという事か。
「さてっと。次こそあいつに吠え面かかせてやる!」
休息を終えた戦士は、戦場へと戻る。
西の稜線から、太陽の光が突き上げてきた。
雲は下から伸びる赤い光に色づき、上は灰色に黒ずんで行く。
うだるような暑さも、足早に去って行く。
一日が、終わりを迎えようとしていた。
母屋から、女中が一人やって来た。
「旦那様がお帰りになられました。勇哉さまと紬さまにお会いしたいとの事です。申し訳ございませんが、母屋にお越し下さいませ」
女中の語る内容に、みんな沈黙する。
敵の首魁との対面。それはどんな意味を持つのか。
この段階で会うのは、吉と出るか凶と出るか。
だが、逃げる訳には行かない。
「衣服を整えますので、10分後に参りますとお伝え下さい」
俺の返答に、女中はしずしずと下がる。
紬も、明日香も、鈴も、誰も何も言わなかった。
ひぐらしの声だけが、夕焼けに溶けていった。
俺と紬は、母屋へと向かう。
明日香と鈴には遠慮してもらった。
あいつらの存在を感知出来る奴がいる以上、こちらの手の内を見せ、敵を刺激するのは、得策ではない。
紬は俺の腕をギュッと抱きしめる。
『大丈夫だ、俺がついている』 俺は目で語りかける。
母屋に到着する。入口では女中が待ち構えていた。
女中の案内で、俺たちは屋敷奥へと進む。
質素な造りでありながら、重厚感があり、凝った意匠の部屋の前まで来た。
「勇哉さま、紬さまが参られました」
女中は廊下に跪き、部屋に向かって呼び掛ける。
「お入り頂きなさい」
低く落ち着いた声が返って来た。
女中が作法に従い、襖を開ける。
中に、壮年の男が座っていた。
ギリシャ彫刻みたいに彫の深い顔だった。
そこから生じる陰影が複雑な表情を纏い、彼を思慮深く見せた。
その輪郭はハッキリと浮かび上がり、存在感を引き立たせた。
いわゆる見るもの全てを魅了する、『華のある』顔であった。
彼は入口から向かって左側に、身体を横向け水平に座っていた。
俺と紬が部屋に入ると立ち上がり、敬礼をする。
「そちらにお座り下さい」
静かに上品に力強く、彼の席と同じ位の奥に置かれた、対面にある座布団を指した。
その席は上位下位のない、彼と同格の席だった。
これは最大限の敬意だった。
もし上座を勧められたら、俺は固辞して下座に座るざるを得なかっただろう。
そのまま上座に座れば、年長者に敬意を持たぬ傲慢な若造との誹りを受けるだろうから。
そして下座に座ったと云う事実は、彼を上と認めた事となる。
殿倉 主馬はそれをしなかった。
彼の狙いは、那辺にあるのか。
俺たちが席に着くまで、能面のように血の通わぬ微笑を浮かべ、立ったままじっと見つめていた。
背筋がぞくりとした。
紬もさっき迄の無邪気な様子は鳴りを潜め、鉄面皮の余所行きの貌となっていた。
「こうやって話すのは久しぶりだね。私も忙しかったし、君もあちこち飛び回っていたからね」
実際会うのは、半年ぶりだろう。
「お父様に、似て来たね……」
主馬はしんみりとした声で、俺の顔を見ながら零す。
「君たちのお父様、直輝さんは立派な方だった……」
遠い目をし、悼むような表情をする。
「清廉で気高く、皆の憧れだった」
それは主馬にとって、都合の悪い事実だったに違いない。
殿倉の勢力を拡大するのに、優秀な主人は目障り以外の何者でもない。
彼らが父の死に関与したとは思わないが、少なくともその早逝を歓迎した筈だ。
「直輝さんは悪徳とは無縁の、神様みたいな人だった。精進して善行を積むとかではなく、そもそも善の要素だけで創られた人だった」
随分と持ち上げる。そうやって俺たちを懐柔するつもりか。
「心根だけでなく、その姿も美しかった。柔らかく、棘の無い輪郭の顔。引き締まった理知的な唇。強い意志を宿した、鋼のように光る瞳。初めて見た時、彼は月明かりの下に居た。それは儚く、幻想的で、天女のような高雅な美を醸し出した」
……うん?
「その手の動きは洗練され、一つの無駄もなかった。なのにそれは艶めかしく、まるで愛撫するかのように私の気持ちを昂らせた」
おい!
「彼の一挙手一投足が、既に一編の詩だった。私はそれに喜悦し、果てた」
おい、おい、おい、おい、おい‼
「私は悟った。これこそが原初の神。そして私が仕える神だと」
そう言うと主馬はすくっと立ち上がり、奥へと進む。
そして奥の壁を押すと、ギィと音を立てて動き、隠し扉が開いた。
奥から微かにランプの灯りが零れる。
ひんやりとした冷気が、奥の部屋から流れて来た。
「君たちに見てもらいたいものがある……」
それだけを言うと、主馬は奥の部屋に入っていった。
俺と紬は見つめ合い、お互いに問う。
ついて行くべきか、逃げるべきか。
答えは、決まっていた。
いずれは乗り越えなければならない壁。残された時間も、少ない。
ならば躊躇すべきではない。
俺と紬は、奥の部屋に足を踏み入れた。
一番奥に、大きな祭壇があった。
八畳の部屋半分を占める、大きなものだ。
ゆらゆらと揺れるランプの灯りに照らされ、そこに祀られているものが姿を現した。
「あそこに祀られているの、お兄ちゃん?」
紬が思わず声を上げる。
俺とよく似た顔の写真が飾られていた。
それは、若かりし頃の父さんの写真だった。
祭壇の下段に、下の方に子どもの頃の写真。
そこから段を上がるごとに、年齢を重ねた父さんの写真が飾られていた。
写真は背景などは切り取られ、父さんの姿だけが写し出されていた。
躍動的な、動きのある写真が。
それを体の線に沿って湾曲した外枠で作られた、ガラスの専用写真立てで飾っている。
俺は既視感を覚える。どっかで見た事があるぞ、これ。
…………アクリルキャラスタンドじゃねえか。押し活の祭壇かよ。
そして祭壇の横にはマネキンを置き、色々な服が着せられていた。
スーツ、浴衣、水着、……学生服もあった。どれもこれも、写真に写っている服だ。
…………ステージ衣装かよ。
「この学生服、手に入れるのに苦労してね。直輝さんが後輩に譲ったのを、その後輩を拝み倒して手に入れたんだ。いや、大変だったんだよ。新しい学生服を直輝さんのとそっくりに仕上げて、同じように擦り切らせて。勿論その後輩には色を付けて、口止めしてね。けど苦労した甲斐があった。直輝さんの青春の汗と涙が染み込んだ聖衣が手に入ったんだから」
主馬はとろんとした目付きで、得意気に早口で話す。これは、アレだ。コレクターが自分のコレクションを自慢する時の、アレだ。喋りたくてウズウズしている。こういった奴の話を、遮ってはならない。お祈りを途中で止めさせるようなものだ。
「お兄ちゃん、コイツ怖い!」
紬は怯えた表情をする。
理解の及ばぬ業の深さに、底知れぬ闇を感じて。
俺たちは、未知の恐怖に戦慄した。
ギャグ風味ではありますが、これも一種のホラーです。
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