ディスカッション
「…………それでお兄ちゃんは、その悪霊に憑りつかれたと」
「いや、こいつらは俺の仲間で、悪霊という訳では……」
「だまらっしゃい! メアちゃん以外でお兄ちゃんに取り付くのは、すべて悪と決まっている。私がそう決めた!」
紬は、おかんむりだった。どうやらこいつは、霊に憑りつかれたのを憤慨しているのではなく、メア以外の女が俺にくっついているのを怒っているようだ。
「で、そいつらの名前は?」
「 “アース“ と “ベール“ って名前だ」
紬は『なんじゃそれは』という顔をする。そうなるよな――。
この名前にしようと提案したのは、明日香だった。
◇◇◇◇◇
「私たちの名前を、紬ちゃんに教えないで欲しいの」
「なんでまた?」
『あの子は、賢い子よ。一を聞いて十を知る。私たちの名前を知れば、未来で、私たちがこの時代に来る前に、 “桐生 明日香“ と “新開 鈴“ が過去を訪れる存在だと気づく可能性がある。これでも私は有名人なの。紬おばあ様と出会う事が無くても、その真実が露見する恐れがある。それは、とっても不味いのよ。私たちは歴史の改変をするつもりだけど、あんまりやり過ぎると歴史の修正力を招いてしまうかもしれない」
「お前たちの名を呼ぶなと……」
「名前が何も無いのは、それはそれで不自然でしょ。私のことは “アース“ と呼んで」
「はいはいっ! それなら私は “ベール“ ! いっぺん呼ばれてみたかったんだ、この名前」
“明日香“ が “アース“ 。 “鈴“ が “ベール“ 。いいのか、これで。まんまじゃないか。
明日香は俺の表情から言いたいことを読み取り、ふふっと笑う。
「いいのよ、これで。日本語ってね、 “表音文字“ じゃなくて “表意文字“ なの。 “音“ ではなく “意“ 。発音が似ていても、その意味が違うものを示せば、認識は阻害されるのよ。不思議なもんね」
俺は言葉の専門家の言う事に、従う事にした。
◇◇◇◇◇
「 “アース“ と “ベール“ ね……。ま、いいけど」
紬は胡散臭そうに俺を見る。偽名なのは、バレバレのようだ。
「そいつらを使って、メアちゃん達の居場所を特定した、と」
俺は力強く頷く。
「そしてそれが、相馬 聡美にバレた、と」
俺は肩をすくめ、ちょこんと頷く。
「……なにやってんの」
紬の呆れた声に、『面目ない!』と深く頭を下げる。兄の威厳が台無しだ。
「まあ、起きた事は仕方がない。考えようによっては、バレる前にメアちゃん達の居場所が掴めたのは、良かったのかもしれない。けどこれからは、慎重に行かないとね」
紬は冷静に現状を分析する。
「蒼森大空襲があるのが、五日後、7月28日深夜。私たちがやらなければならないのは、『メアちゃんと静さんの居場所の確認』。今いる場所から移される可能性があるからね。そして『逃走経路の確保』。特に静さんの逃走手段を考えなければならない。お兄ちゃんが担いで逃げるという手もあるけど、それだと移動スピードは鈍るし、距離も稼げない。リヤカーが一番有効だけど、目立ってしまう。どうしたものか……」
むむっと紬は顔に皺を刻む。
「こういう物を使うつもりだ」
俺は荷物から小箱を取り出す。中には砂が敷き詰められていた。
砂の上に指で絵を描く。
情報伝達の為に用意した物だ。
声を出さずに会話したい時、絵などを描いて説明したい時、役に立つ。
紙に書けば事足りるが、それだと証拠が残る。
破いても復元される恐れがあるし、燃やすのも一苦労で時間もかかる。
その点これなら、砂をささっと均すだけで済む。
俺はそれを使い、紬に説明する。
「こういうのは、どうだろう」
そこに描かれたのは、 “布担架“ だった。
乗る人の場所に、途中で角度が付けられ、座って運ぶように出来ている。
左右両方に取っ手が二つずつ、合計四つ付けられ、左右から二人が持って運ぶ作りだ。
長い棒に布を張って寝かせて運ぶ “棒担架“ と違い、小回りが利いて逃走に適している。
運ぶ者に負担が掛かるが、それは交代交代すればいい。俺、メア、明日香、鈴で。
明日香と鈴が運ぶと、担架と静さんが宙に浮かんでいる様に見えるので、シュールな光景となるかもしれないが。
そしてこの布担架の最大のメリットは、収納に場所を取らないという事だ。
制作途中で敵にばれたら元も子もない。これなら隠しておく事が可能だ。
「うん、よく出来ている。持つ人の力の配分も、乗る人の圧力の掛かり方も、よく計算されている」
それを見た紬は、感嘆の声を上げる。
『えへん』と、鈴が鼻高々に得意気にする。
これは鈴の監修だ。鈴が神戸に居た時に得た知識だった。
俺たちがいた時代から30年前、そこで大きな震災があった。
被害は甚大で、大きな傷跡を残した。そして災害に対し、真摯に臨む様になった。
そこで得た知識だった。
「布はあれを使って、持ち手を縫うのはあのやり方で……」
紬は頭の中に設計図を描く。
「うん、なんとかなりそう。後はどうやってメアちゃん達を奪うか、だよね」
それまで輝いていた紬の顔が、曇り始めた。
「正直、厳しい。昨日一日警備の様子を見たけど、隙が無いよ。正攻法では、無理かもしれない」
紬の声が、段々と沈んで行く。
「私が、囮になろうか…………」
思い詰めた表情で、紬は言う。
愛する者の為には、犠牲になってもいいと。
「メアちゃん・静さん二人と私一人。天秤がどっちに傾くか、言うまでもないでしょ。犠牲がゼロで何かを得ようなんて、虫のいい話は無いのよ」
部屋に沈黙が訪れる。重い空気が漂っていた。
カタン。机の上から物音がした。
砂の入った箱の蓋が持ち上げられた。
そして砂が入った箱に、字が浮かび上がって来た。
『ぷぷっ! 囮(笑)』
…………おい!
『なーに言ってんだか、このお嬢ちゃんは』
鈴が指で次々に字を書いて行く。
「あ”、て”めぇ、な”んつ”った!」
紬は箱に書かれる字を睨みつける。瞳は怒りに燃えている。
『まー沸点低いことで。あんたみたいな癇の強いガキは嫌われるよ』
鈴はさらに煽る、煽る、煽る。
『負ける理由を、後生大事に抱えるな。んなもん捨てて、奇跡の種でも捜して来い。ガキ!』
『あんた大人びているけど、つまんないトコまで大人の真似してる。 “最初っから諦める“ っていう、どーしょうもないトコまで』
『人間は、神サマには及ばない。うん、それは分かっている。けど、うだうだしてたら差は開く一方だよ。うなだれてるヒマ、あんの?』
『 “険しい道“ って云うのは、 “道がない“ って意味じゃない。障害を除けば、それは理想郷へのハイウェイになんのよ。生のまま食べられないからって、ご馳走を捨てちゃうの。ばっかじゃないの!』
次々と辛辣な言葉が浮かび上がる。…………容赦ない。
鈴は本気で潰しに来た。紬の後ろ向きな心を。
「てめえ、なにもんだ!」
紬は問う。そして鈴は答える。
『我が名は “ベール“ ! 三千世界の妖精を統べる者。至高の “フェアリー・クイーン“ 』
ノリノリである。中二病全開である。黒歴史まっただ中である。
紬は砂の箱をキッと睨みつけていた目を俺に向け、俺の胸に飛び込んで来た。
「うわ――ん。お兄ぢゃん、 『べー』がいぢめるぅ”――」
久しぶりに紬のギャン泣きを見た。
俺は紬を胸の中に収め、よしよしと頭を撫でる。
向こうでは、明日香が鈴の頭をポカリと殴っていた。『大人気ない真似すんな!』と声を荒げながら。
紬の、子どもらしい甲高い泣き声がワンワンと響く。
鈴の、しかめっ面の薄っすら涙を浮かべた表情が目に入って来る。
どちらも邪気がなく、微笑ましいものだった。
部屋の重い空気が、少し拭われた。
『明日香』⇒『アス』⇒『アース』。『鈴』⇒『ベル』⇒『ベール』です。念のため。
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