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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第六章 燎原之火(りょうげん の ひ)
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ブリーフィング

やられた。こてんぱんに。完膚なきまでに叩きのめされた。

俺は敗北の味を噛みしめる。


よく言われるように、苦く、飲み込み難い物だった。

だがそれ以上に、堪え難い物があった。

ふつふつと心の底から、天に、人に、己に対する憎悪の念が湧き上がる。

沈んでいた昏い汚物が浮き上がり、心を濁らせていった。

こんな自分、認めたくは無かった。




勝利を収めた聡美は余裕の面持ちだった。


「お話はそれだけです。もう結構ですよ。お帰り下さい」


そう言って退室を促す。

その目には、もう俺たちに対する警戒の色は無かった。


唇を噛みしめ、部屋を出る。

俺たちはそのまま帰る気にならず、裏の林に足を踏み入れた。

そこで、みんなが感情を爆発させた。



「なんなの、あれ! おかしいでしょ。理屈に合わないでしょ。物理法則を無視している!」


50歩100歩の理系怪異が自分を棚に上げて声を荒げる。

『お前が言うな』 俺はそんな顔をした。

そんな俺の感想を察したように、文系怪異が口を開く。


「悠真の言いたい事は分かるけど、鈴の言っているのはあながち間違いじゃない……。私たちとアレとは、根本的に違う」


彼女は淡々と、自分の考えを纏めるように言う。


「私たちは、肉体から精神が切り離された存在。水を電気分解して酸素と水素になったようなもの。イオン化みたいなもので、その存在は物性物理学の範疇を超えない。……けどアレは、出自からして違う。アレはどこから生まれて来たの。肉体から()がれ落ちたモノとは違う。無から発生した、いわば虚数みたいな存在……」


明日香の言わんとする事が、なんとなく理解出来た。


「だから、その力は底なしよ。言葉通り、底が見えない」


「俺たちに、打つ手はないのか……」


昏い絶望の穴が、ぽっかりと口を空けていた。


「そうでもないわ。相馬(そうま) 聡美(さとみ)が何であんな脅しをかけたか、よく考えてみて」


明日香はにっこりと、希望の明かりを灯すように笑いかける。


「俺たちが邸内を動き回らないように、牽制したんだろ。好き勝手動かれたら目障りだから」


俺は素直な感想を述べる。だが言った後で、違和感を感じた。なにか、おかしい。


「それは、悪手だと思う。ほったらかしにして好き勝手にさせる方が、私たちの狙いが掴み易い、作戦を見抜き易い、妨害がやり易い。私たちの行動が筒抜けなのを知られたら、亀の様に頭を引っ込められて、対策が立て辛くなる」


言われてみればその通りだ。俺たちがその現状を認識するのは、あいつらにとってアドバンテージを失う事に(ほか)ならない。


「それでも敢えて、その事実を伝えてきた。それには理由がある筈よ」


明日香は、分厚い包囲網に綻びを見つけた戦人(いくさびと)のような目をしていた。


「一つは広範囲に力を振るう事が出来ないという事。考えてみればあんな巨大な力だもの、全方位に振るうなんて不可能よ。射程距離は短いはず。そこから外れれば、無効化できる。いわゆる『当たらなければどうという事はない』というやつよ」


敵の限界を見切った。そんな歴戦の猛者(もさ)の貌だ。


「そしてもう一つは、異能を持つ人間は多くないという事。沢山いるなら、射程距離の短さを数でカバー出来る。けどそれが出来ないから、私たちの動きを抑えに来た。もしかして聡美しか能力者はいないのかもしれない。ならばこちらは彼女をマークしておけば、恐れるものは何もない。雌雄を決す戦いをする訳じゃないのよ。馬鹿正直に正面から敵の主力に突っ込むなんて、()骨頂(こっちょう)


そうだ、どちらが強いかを競う戦いじゃないんだ。ならば――やり様はある。


「…………いい顔に戻ったわね。それでなくちゃ、悠真じゃないっ!」


明日香は弾むような声を上げる。俺たちの周りに生気が甦った。まだ、負けちゃいない。


「そして最後にもう一つ。これが敵にとって、大きな足枷になるかもしれない。……あいつらは、 “大道寺(だいどうじ) 勇哉(ゆうや)“ を取り込もうとしている」


その事実は認識している。だがそれが、何故あいつらにとって足枷になるんだ。


「あいつらの狙いが “大道寺“ の血なのか、 “勇哉“ 自身なのかは分からない。けど間違いなく、その価値を損なう事なく手中に収めようとしている。これは奴らにとって、意味のある事かもしれない。けれどその戦略方針は、戦術に大きな制限をかける事になる。あなたを毀損(きそん)する事が許されないのよ、彼らには」


なるほどな。だからあんな心を挫くような真似をしたのか。




「あいつらの抱えている弱みは分かったわ。それを踏まえた上で、聞きたいんだけど……」


丁寧でありながら鋭い口調で、鈴が横から声を掛けて来た。


「紬ちゃんには、どこまで話すの?」


これは難しい問題だった。紬は貴重な戦力だ。また行動を共にする上で、判断材料となる情報は伝えなければならない。だが……。


「全部は話せないよね。下手すると、ユマの存在が危うくなる」


タイムパラドックス、バタフライエフェクト……そんな言葉が頭をよぎる。

色々な考えに縛られ、俺と明日香は答える事が出来ない。


「未来の人間が自分の都合で、過去の人間の人生を好き勝手にいじってはならないと、私は思う」


透明な眼差しは確固とした信念を帯び、俺と明日香は見蕩れた。


「過去の人間に幸せになって欲しい、そんな気持ちに基づく物でなければ、過去の改変はやっちゃいけない…………」


鈴の言葉には実感がこもっていた。彼女も昨日まで、歴史の改変に思い悩んでいたのだから。


「紬ちゃんを戦力として扱うのは反対しない。けど真摯に、誠実に向かい合って。未来の損得勘定に心を奪われ、今の幸せを(ないがし)ろにするのは、やめて」


言わんとする事は分かる。現在を犠牲にして未来の幸せを掴むのは、なにか違う。

俺と明日香は、小さく頷く。鈴は、ほっとした顔をした。




「 “紬おばあ様“ から兄弟の事―― “お兄さん“ の事、聞いた事ある?」


鈴はさらに質問を重ねる。この問いは、重要な意味を持つ。 “勇哉“ の生死にかかわる答えになり得るのだ。俺は記憶の隅々まで洗い出し、そして――(かぶり)を振った。


「……大道寺の事は?」


「一切聞いた事がない。俺の親族は、夢宮家だけだと思っていた」


『そう』と鈴は静に呟く。俺の答えは、戦後に紬が “大道寺“ や “勇哉“ との繋がりが切れる事を意味する。


「明日香、戦中・戦後の大道寺や殿倉について、何か資料は無かった?」


鈴は何故そうなったのか、その原因と経緯を探ろうと相方に問う。


「終戦間近までは頻繁に出て来たわ。勇哉のお父様 “大道寺(だいどうじ) 直輝(なおき)“ が戦争に行くまでは大道寺家が、それ以降は殿倉家が蒼森県政に介入していた。けど不思議な事に、終戦を機に両家はぷっつりと表舞台から姿を消したの。国の体制が変わったんだからそんなものかと考えていたけど、今思えばあまりにも不自然だわ。これだけの名家よ、多少は影響力を残す筈なのに」


探るべきもの自体が消えていた。どういう事だ? 敗れた陣営が姿を消すというのなら話は分かる。だが、両方が消えると云うのは、合点がいかない。


「打つ手なしか…………。でも、手掛かりは掴めた。これはそんなに悪い未来じゃない」


明日香の答えに、鈴は一瞬沈んだ表情となる。しかし何かに思い至り、すぐさま夕立の後の晴れ間みたいな清々しい顔をした。


「殿倉が消える、これはOKよね」


言うまでもない。俺と明日香は頷く。


「そして大道寺が消える。これもそんなに悪くない」


なぜ? 俺は怪訝な表情を浮べる。


「だって “勇哉“ にとって、大道寺の存続はそんなに大切じゃないんでしょう。それよりも紬ちゃんの幸せが大切。だったら大道寺を切って紬ちゃんを選んだとしたら、それは悪い選択じゃない。大道寺が消えるものだと割り切っていたら、決断もやり易いんじゃないかな」


そうだ。人は全てを掴もうと欲張る。だが、何かを手放さないといけない時は必ず来る。その時人は躊躇(ちゅうちょ)する。そしてその一瞬の決断の遅れが、全てを台無しにする。俺はいま、その黄金の一瞬を手に入れたのだ。


「よしっ! 分ったみたいね、私の言いたい事。優柔不断な男は、嫌われるんだよ」


太陽みたいな、すかっとした笑顔で鈴は言った。


「それに紬ちゃんと勇哉が切れていたとは限らない。裏でこっそり会っていたかもしれないしね」


暗に『死ぬとは決まっていない。希望は捨てるな』と、鈴は言っている。

そして祝言の夜、メアは言っていた。『私が死ぬとは決まっていない。50、70まで生きられるかもしれない。それは神様にとって、誤差の内に違いない』と。

諦めるのは、早すぎる。まだ、やり様はある。



「そして私たちには、まだアドバンテージがある。未来の知識という物が。これは、おっきいよ。先を読むとかじゃなく、リソースをどこに振り分けるかを判断できる。拡散された力と集約された力、どちらが強いかは言う迄もないでしょう。その気になれば、水は鉄だって斬れる!」


鈴らしい言い方だった。彼女の頭には、明確なイメージがあった。

それは俺と明日香に伝わり、希望は広がっていった。


「そうね、あいつらには “歩“ 三枚で詰まされる屈辱を味わってもらいましょう。ご自慢の大砲が死蔵されるのを眺めながら」


明日香が更に希望を広げる。

敵主力に能力を発揮する機会を与えず、置物に貶める未来像が映し出されていた。



立ち止まる時は終った。進むべき未来に、俺たちは足を踏み出す。




◇◇◇◇◇




「おかえり――。大変だったみたいだね。そして……ふっ切れたみたいだね」


紬は俺の顔色を見て、全てを察したようだった。


「では、肩でも揉んで進ぜよう。効くよ~。疲れもいっぺんに吹っ飛ぶから!」


紬は俺の背後に回り、肩を揉む。

それは、天にも昇る心地良さだった。

肩に届く刺激よりも、指から伝う優しさが、俺を天へと押し上げた。



昔、紬ばあちゃんの肩を揉んであげた事がある。

ばあちゃんは、本当に幸せそうだった。

その時の光景が、今の俺たちに重なった。



「紬…………」


「ん?」


「……愛してる」


ぶふぉ。紬がむせかえる。


「なに言ってんの、この男は!」


紬は珍しく狼狽する。



この後、紬に伝える事がいっぱいある。

だがそれはさておき、この言葉を最初に伝えようと思った。

それは、大切なことだ。


「お前の兄として生まれて、よかった。今度生まれ変わるなら、お前の子どもに生まれたい…………」


俺の真剣な口調に、これは冗談とかではなく真正面から受けとめる言葉だと、彼女は悟った。


「こっちこそ、ありがとうね。私のお兄ちゃんでいてくれて」


真摯な態度で言葉を返す。背中に居る紬の顔は見えないが、きっと畏まった表情をしているに違いない。


「けど、私の子どもはお断りだよ。お兄ちゃんには長生きして、ずっと私の傍に居てもらうんだから。いくら私でも、60、70で子どもは産めないからね」


少しおどけて紬は言う。


「仕方ないな。孫あたりで手を打つか」


俺はクスッと笑い、少し顔を上げ、背後の紬に言う。


「ならばよし!」


紬の肩を揉む手に力が入る。

心地良い、優しい痛みだった。幸せな気持ちが、全身に広がっていった。




今度は、お前の肩を揉んでやるからな。……何十年かけても。

俺はお前の兄であり、孫なのだから。

俺たちの戦いは、これからだ。悠真たちの逆襲が始まります。


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