オシラアソバセ
7月23日――殿倉の屋敷に来て、初めての朝を迎えた。
『来て』と云うのが適切なのかは分からない。
俺と紬は、本来ここに住んでいる事になっている。
両親を亡くし未成年の俺たちは、表向き “殿倉 主馬 “を保護者としているからだ。
元主家の子ども達をほったらかしにするのは、家臣連たちにとって体裁が悪い。
俺たちも子どもだけで生きるのは何かと不都合がある。
そこで形式上、殿倉の家の庇護を受けている――と云う形にした。
実際は『大道寺の所領を見て回る』といって、大道寺の旧宅やあちこちの持ち家を渡り歩いていた。
その多くは飛鳥山の小屋に入り浸っていたのだが……。
とにかくこれまでは自由に行動が出来た。だが今回ここに帰って来て、様相が変わっていた。門には衛兵が配置され、出入りは厳しく制限されている。9日前の蒼函連絡船空襲で街が混乱しているからと云うのが、その理由だ。
俺たちには貴人を迎え入れる “東の離れ“ があてがわれ、一見下にも置かない扱いだ。
だが現実は、見張りを立てられ邸内を自由に歩き回れない、軟禁状態に近い物だった。
「どうしたもんかね~。取りあえず静さんとメアちゃんの居場所を掴まないと。……私がコソッと探ってこようか?」
紬が沢庵をボリボリと食べながら呟く。
俺以外には聴こえない小さな声で。
密着して会話するには、このシチュエーションは最適だ。
「……必要ない。メアたちは北にある “八の倉“ に居る。居住用に改造して、そんなに悪い環境ではなさそうだ」
俺の言葉に紬は目を細める。
「どうやって情報を入手したかは聞かないけど…………無理はしないでよ……」
紬は心配そうに語りかける。
本当にこいつは、いい子だ。
聞きたい気持ちは山ほどあるだろう。それを抑え、ただ人を思いやる。本当に、いい子だ。
静に、黙々と、俺たちは朝食を口に運んだ。
朝食が終わった頃を見計らい、女中が膳を下げに来た。
二人だった。昨日は一人だったのに。
一人が膳を下げ、退室する。
もう一人は、居座ったままだ。
彼女は俺に躙り寄り、呼びかけてきた。
「相馬さまが、お話があるそうです。ご足労願えますか」
俺の返事はもとより聞く気はなさそうだ。
質問の形はとっているが、これは命令に他ならない。
『やれやれ』と俺は立ち上がる。
紬は心配そうな顔をしている。
俺は紬の頭をポンと叩く。
「行って来る。帰ったら肩でも揉んでくれ」
そう言って離れを後にした。
母屋は相変わらず荘厳だった。
寝殿造を簡略化した武家屋敷。質素だが使われている木材は上質で、欄間などには凝った意匠が施されている。
俺は女中に先導され、よく手入れされた廊下を歩く。
屋敷の奥の、日当たりの良い部屋に案内された。
女中はその部屋の前まで来ると跪座をして、部屋の中に声をかけた。
「失礼致します。勇哉さまをお連れしました」
女中の呼び掛けに、『お入りください』と聞き覚えのある声がした。
女中は引手に手をかけ、三回に分けて、少しずつ襖を開いた。……よく教育されている。
部屋の奥に、相馬 聡美がいた。
「ご苦労様。貴方はもう下がっていいわ」
聡美の言葉に、女中は作法に従い襖を閉めて去って行く。
部屋には、聡美以外に誰も居なかった。
「ご足労頂き、有り難うございます。立ったままではお話も出来ませんので、どうぞお座り下さい」
聡美は座布団を指し示し、座ることを促す。
俺は、少し驚いた。
聡美が勧めた席は、下座だったからだ。
俺が敬意を払われていないのは知っている。
だが、仮にも俺は “相馬 聡美の主人の元主家“ だ。
そんな相手にこんな態度をとれば、非難され不味い立場に立つのは、こいつだ。
そしてその非難は、こいつの主人にも波及する。
こいつがそんな事に考えが及ばないとは思えない。
無礼を働かれた事による怒りはこれっぽっちも無いが、戸惑いがあった。
「ああ、もしかして誤解されましたか。下座に座れと言われていると……。まいりましたね」
苦み走った物を口にしたように、聡美は思わず顔をしかめる。
「勇哉さんにその席を勧めたのは、単純にあなたより上位の方がここにいらっしゃるからです。他意はありません」
彼女の言う事が、さっぱり理解できなかった。
「 “オシラ様“ ですよ、ここにおられるのは」
聡美の手に、二体の人形があった。それに向かって彼女は呼びかける。
「 “オシラアソバセ“ をしてたんですよね~、私たち。ちょっと待ってて下さいね、オシラ様。すぐ終わらせますから……」
彼女は手に持つ人形に笑いかける。仲のいい子ども同士がするような、無垢な笑みだった。
“オシラアソバセ“ ――東北地方で信仰されている神様、 “オシラ様“ を祀る行事だ。
30センチの棒の先に男女の顔を書き、布きれで作った衣を着せたもの。それがご神体。
その “おしら様“ を手に取り、祭文を唱えながら踊らせるのが、 “オシラアソバセ“ 。
いま聡美は、その神事を行っているのか。――しかし――。
「 “オシラアソバセ“ は “イタコ“ じゃないと、してはいけないんじゃなかったのか」
俺は記憶の引き出しから知識を引っ張り出す。
「…… “イタコ“ ですよ、私は。ちゃんと免状も持っています。 “神憑けの儀式“ も成功させました」
聡美は少しむくれた表情をする。声もささくれ立っていた。俺は、何かに触れたようだ。彼女の尊厳に関わる物に。
部屋の空気が、変わった。硬く、張り詰めたものに。冬の朝のように、研ぎ澄まされてゆく。
ガタガタと、部屋中が軋み始めた。
柱が、床が、天井が、家具が、あらゆる物が悲鳴を上げた。
地震のような、叩きつけられる衝撃ではなかった。
心臓の中に居るような、鼓動する感情をぶつけられているみたいだった。
いったい、これは何だ!
俺は答えを求めて仲間を見る。
そこには、恐怖に震える明日香と鈴がいた。
「わかんない。けどこれは私たちがやってた、ちゃちなポルターガイストもどきとは訳が違う。原理も理屈も分かんないけど、これは本物だよ!」
鈴が悲鳴のような声を上げる。その怯えた表情こそが、答えだった。
部屋は、煮立った鍋の中の様相を呈していた。
得体の知れない霊気が荒れ狂っていた。
ねっとりとした湿気が、沸き立つような熱が、身体中に纏わりついてきた。
本能が告げる。これは “人ならざるもの“ だと。
「あらあら。私の代わりに怒ってくれているんですね、ありがとうございます。でもその位にしておいて下さい。コレには、まだまだ役に立って貰わないといけないんです。オモチャは壊したら遊べませんよ」
先程までの憤りは綺麗に霧散し、蛙を甚振る子どものような残酷な笑顔で、聡美はコロコロと笑った。
部屋に、静寂が戻って来た。
物音さえ消滅した、死の世界のようだった。
明日香と鈴はへたり込み、呆然としていた。
力の差は、歴然だった。
俺たちは思い知らされた。自らの弱さを、敵の巨大さを。
「さて、そろそろ本題に入らさせて頂きます。今日お越し頂いたのは、お願いがあってご足労願いました」
聡美は居住まいを正し、かしこまった口調で言う。
「あまり勝手に、邸内をうろつかないで下さい」
ぴしゃりと、有無を言わせぬ強い口調だった。
「なんの事だ? 俺も紬も昨日は部屋から一歩も出てないぞ」
俺は精一杯の虚勢を張る。ここが踏ん張りどころだ。
「お連れ様の事です。黒髪の理知的な方と、亜麻色の髪の小柄な方。随分と自由気ままに散策されていらっしゃるようで……」
「……言ってる意味が、わからない」
俺はすっとぼける。一縷の望みを託して。
「その二人、飛鳥山からあなたに付いて来た方達じゃありませんか。仲睦まじく、寄り添うように、目と目で会話しながら」
不機嫌さを隠そうともしない、冷たい声で俺の主張を一蹴した。
「見えるのか?」
もう認めるしかなかった、この事実を。
「ええ。そことそこに――いらっしゃいますよね」
聡美は寸分違わず、明日香と鈴のいる場所を指差す。
疑う余地は、なかった。
思い上がりを打ち砕かれた。
俺たちにアドバンテージがあると思っていた。
明日香と鈴の姿は見えない。ならば二人に情報収集をしてもらい、あわよくば脱出の下準備もしてもらう。そう考えていた。だがそれは、大きな間違いだった。俺たちに、アドバンテージは無かったのだ。
「……ご理解頂けたようですね。何もあなた方をどうこうしようと思っていません。大人しくしていれば、何もしませんよ。あなたの大切な人を守るにはどうしたらいいか、賢いあなたには良くお分かりですよね」
優しく、諭すように、しんみりとした口調で聡美は言う。
「仲良くいたしましょう…………」
悪魔の囁きは、甘く蕩ける薫りがした。
それは俺の肌から身体中に染みわたり、反抗の心をざくざくと削いでいった。
イタコは普段、自分の町に住んでいます。恐山に行くのは夏と秋の大祭の時だけ。その目的はシェア拡大、有り体に言えばイベント出店です。……世知辛い。
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