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華燭の典

祝言の直前、俺は暗い洞窟にいた。

避難場所として住環境を改良していた例の場所だ。


小屋を新婦側――メア達女性陣の控室とし、ここを新郎側――男性陣の控室とした。

昼なお暗い洞窟の中で、行灯(あんどん)の灯りを頼りに着替えを進める。

黒の紋付(もんつき)羽織(はおり)(はかま)が用意されていた。


一瞬、この衣装を手に取るのが躊躇(ためら)われた。

祝言に思うところがある訳ではない。

メアとの結婚は、待ち望んでいた事だ。


だがその夢が手に届く所へ来ると、訪れた感情は “興奮“ ではなく “怖れ“ だった

血が湧きたつような激情ではなく、総身が引きつるような緊張だった。

メアの幸せを、自分という凡夫(ぼんぷ)が壊してしまわないかという恐怖だった。

その責任の重さを考えると、手は震え、足は竦み、身動きが出来なくなっていた。

俺はただ、ぼうっと周りを眺める事しか出来なかった。


横を見ると、雄兵郎が着替えを終えていた。

神主が着る白い “斎服(さいふく)“ を身に着けている。

これから雄兵郎は、式の進行をつとめる神職―― “斎主(さいしゅ)“ を務める事となっている。

媒酌人と一人二役、大忙しだ。


「掛けまくも畏き神の大前に恐み恐みも白さく、八十日は有れども今日を生日の足日と選定めて…………」


雄兵郎は、俺以上に緊張した面持ちで台詞の練習をする。

紙に書いたものを読み上げるだけと言われていたが、こんな言葉スラスラと言える訳がない。

雄兵郎は顔面を蒼白にしながら、それでも必死に唱えていた。


俺はふっと笑った。

愚かしかった。自分の考えが。

眩しかった。雄兵郎の単純さが。


俺は何も考えず、雄兵郎を見ていた。



誰かがやって来た。

洞窟の入口に視線を向ける。

来訪者は俺と同じように、雄兵郎をじっと見ていた。


「無様を晒したら――殴る。グーで、思いっきり、顔面を!」


来訪者は静かな声で言った。

白い小袖に緋袴といった巫女装束の、小屋から俺たちを呼びに来た千多ちゃんだった。


句切られた一言一言が不穏で、リアルで、怖ろしかった。

脅しではなく、厳然たる決意だった。

雄兵郎は、身震いした。



「お待たせしました。準備が整いました。」


千多ちゃんの言葉に、俺と雄兵郎は小屋へと向かう。

小屋の入口に、水を溜めた桶と柄杓(ひしゃく)があった。


「 “手水(ちょうず)の儀“ です。これで身を清めて、お入りください」


千多ちゃんの言葉に従い俺たちは穢れをはらい、小屋へ入った。



小屋の中は、別世界になっていた。

紅白の幕が張られ、立派な宴席となっていた。

几帳(きちょう)が立てられ、金色の布の(とばり)が掛けられている。

金屛風(きんびょうぶ)の代わりとして立てたのだろう。

その前に綿帽子を被り、白無垢を着た美しい女性がいた。


その豪奢な黄金の髪は、後ろの金色の帳に溶け込んでいた。

碧い瞳は穢れを知らぬ清らかさで、 “純潔“ を意味する白無垢を一層引き立てていた。

そして彼女はにっこりと笑う。

待ちわびていたかのように。

何を? 俺か? この瞬間か?

いったいメアは、どんな想いでこれまで待っていたのだろう。


俺は誰に何を言われるまでもなく、自然に、水が低き所に流れるように、メアの隣に座った。


メアの微笑みは光を増した。

中天に昇る太陽の如く。


新郎側の参列席を見る。

振袖を着た紬が座っていた。

涙ぐんでいる。

そしてその膝には、写真立てが二つ、置かれていた。

父と、母の、写真だった。


いつもは年齢に似つかわしくない大人びた紬が、父と母の前で、幼子に返っていた。

紬はこれまで溜めていた、すべての感情を吐き出すように、泣いた。

写真の両親はそんな紬の膝の上で、俺の幸せを疑わないように、無邪気に笑っていた。

俺は、祝福されていた。




奥に神棚が(しつら)えていた。

雄兵郎がそれに向かい、祝詞(のりと)奏上(そうじょう)する。


間違えずに言えた。

ぱんぱんに膨らんだ緊張感が抜けてゆき、ネクタイを緩めたような安堵感に、雄兵郎は包まれる。

横目で千多ちゃんが雄兵郎をちらっと眺めている。誇らし気に笑い、嬉しそうだった。



式は粛々と進んで行く。


盃にお神酒(みき)(そそ)がれる。

俺とメアが、それを交互に飲み干す。

これからは苦しみも喜びも、一緒に分け合おう。

三献(さんこん)の儀“ が、交わされた。

これで俺たちは、夫婦となった。


俺は伴侶となった女性をじっと見る。

満ち足りた顔をしていた。

こんこんと湧き出る泉のように、メアの身体から幸せが溢れていた。

俺はその甘い幸せの薫りに、恍惚とした。


どうしてこんなにも深い幸せが存在するのだろう。

この薫りの前では、自分の生き死になぞ、ちっぽけな物に思えた。

俺は、幸福の本当の意味を知った。


隣の愛しい人から、目が離せずにいた。

彼女は笑う。そんな俺を見て、嬉しそうに。

歓喜が、身体中を駆け巡る。

この幸せを、もう誰にも邪魔はさせはしない。




「私共は今日を佳き日と選び、飛鳥山の神の大前(おおまえ)で、結婚の礼を行いました」


誓詞奏上(せいしそうじょう)を述べる。俺の決意を。

輝く、昏い、俺の決意を。


「私は身命を賭し、彼女を幸せにする事を誓います。これまでの苦難の人生で、与えられなかった分まで幸せにする事を誓います。彼女が『よき人生であった』と笑って終わらせる事が出来る様、全力を尽くす事を誓います」


それだけが、俺の望みだ。


何卒(なにとぞ)幾久(いくひさ)しくお守りください」


俺は神に祈った。

そして自分に誓った。必ず幸せにすると。

玉串と一緒に、この想いも奉納した。




千多ちゃんが神前に出て来た。

神楽舞(かぐらまい)奉納(ほうのう)を始めた。

皆が、祝ってくれていた。

静さんも、紬も、雄兵郎も、千多ちゃんも、……父さんも母さんも。

みんなが俺たちを祝ってくれた。



俺たちは、みんなに認められた夫婦となった。

世界中が祝福しているように思えた。






新開(しんかい) 雄兵郎(おべろう)様、古月(ふるつき) 千多(ちた)様、本日はひとかたならぬご尽力を頂き、深く御礼(おんれい)申し上げます。感謝の気持ちとして、こちらをご用意させて頂きました。些少ではございますが、どうかお収めください」


紬は畏まってそう言うと、袱紗(ふくさ)に包まれた厚い紙袋を取り出した。

かなり奮発したようだ。二人への茅崎(かやさき)までの足代にとの意味合いもあるのだろう。


「そしてこれも…………」


紬は横に置いていた、大シボ縮緬(ちりめん)の風呂敷を平包みにした物を前に差し出す。

そしてしずしずと、それを開く。そこから現れたのは、二枚の浴衣だった。

それは四日前、俺とメアが着ていた加賀(かが)友禅(ゆうぜん)の浴衣。

そして今から八十年後、俺と鈴が茅崎の地で着る浴衣だった。


「私の――感謝の気持ちです。どうぞ、お納めください」


紬が、何かを託すような貌で、言った。


繋がった。過去と未来が、繋がった。




「いや、貰えねえよ、こんな高い物!」


雄兵郎が困惑した声を上げる。

それを千多ちゃんが片手で制し、落ち着いた声で紬に尋ねた。


「紬ちゃん。こんな高価な、身に余る物を差し出した理由、教えてくれる?」


詰問と云うより、理解したいと云う気持ちが表れた声だった。


「理由は二つ。一つはお金などでは、あなた達の働きに(むく)う事が出来ないから。……明治の世となり、それまで発行されていた藩札の価値が暴落した事、聞いた事が有るよね。それと同じ様な事が、もうじき起きる」


「戦争が終わり、今のお金の価値が暴落する。所謂 “インフレーション“ と云うやつね。みんな闇市で高いお金を出して買い物をする様になる。今日10円で買えていた物が、明日は50円、明後日は100円と上がって行く。今渡した謝礼金も、一年後には紙くず同然よ」


紬の見立ては、正しい。そんな時代が、やって来る。


「そんな中で価値を失わない物。それは技術に裏打ちされた本物、この加賀友禅みたいな物よ。だから私は、あなた達への謝礼はこれこそが相応しいと思った。ついでに言うと、これから職人の道に進むあなた達に、良き道標(みちしるべ)になるかと思って。この職人の結晶が。これが一つ目の理由」


納得がゆく説明だった。謝意と職人の魂、それを二人に示したかったのだ。


「そしてもう一つの理由は、『これを灰にしたくなかった』から。私たちはこれから、空襲が待ち受ける地へと赴く。正直自分の身を守るのが精一杯。とてもじゃないけど、これを持って逃げるなんて出来ない。だからこれを、あなた達に託す」


紬の表情から、悲痛な想いが滲み出ていた。


「これね、お父さんとお母さんの形見なの。あ、だから後生大事にしろとか言わないよ。何かあったら、お金や食料に替えて。ただ、灰にするのは忍びないの。何処かでこの形見の品が在り続ければ、それでいい。私の知らない所で灰となっても、それはそれでいいの」


雄兵郎と千多ちゃんが、紬の考えを推し測ねるような表情をした。


「昔、メアちゃんが言ったんだ。お父さんが亡くなって悲しむ私に、こう言ったんだ。『お父さんは死んでも、紬ちゃんの中では生き続けている。実際にお父さんが亡くなって、戦死の報が届くまで、紬ちゃんの中でお父さんは生き続けていたでしょ。ならば紬ちゃんがお父さんを忘れない限り、紬ちゃんの中でお父さんは生き続ける』って。……誤魔化しかもしれない。けれど、それは一つの真理なの!」


何となく、解った気がした。紬の想いが。


「わかった、ありがたく、頂く。苦しくなったら、金に替えさせてもらう」


雄兵郎の言葉に、千多ちゃんは驚き、止めようとする。


「だが、絶対、取り返す!」


雄兵郎は強い意志で、言い切った。


「一旦手放すとしても、必ず金を貯めて取り返す。そしていつの日かお前の子どもや孫に、この浴衣を着せてやる。そして『おめ(お前)母っちゃ(お母さん)ばっちゃ(お祖母さん)は、どうしょうもねじょっぱり(頑固者)でよ』と言ってやる!」



千多ちゃんは、止めようとした手を笑いながら引っ込める。

紬は、カラカラと愉快そうに哄笑(こうしょう)した。


俺は、この結末を知っている。

誓いは、守られた。






外から、眩い西日が差して来た。

メアはそれを見ると、切なさそうな顔をする。


「見に行こう。飛鳥山の夕日の、見納めよ」


そう言ってメアは、外に飛び出す。

俺は彼女の後を追いかける。

後ろでは、雄兵郎が続いて走り出そうとしていた。

紬がその雄兵郎の手を掴み、首を振って押し留めていた。

俺とメアだけが、外に出た。



美しい光景が広がっていた。

沈みゆく夕日が、飛鳥山の稜線を桜色に染め上げていた。

その上空は、深い藍色を(たた)えている

空は何層ものグラデーションを描いていた。

雲は下から照らされる光に染められ、複雑な色合いを醸し出していた。

色は、刻々と移り変わっていく。

光の芸術だった。一大スペクタルだった。

俺はその光景に心奪われた。




「……きれいでしょ。私はここで、育ったのよ」


メアは夕日に染まりながら呟いた。


「さっき、『これからは俺が幸せにする』って言ってくれたよね。……嬉しかった。でもね、勇哉は少し、思い違いをしている」


メアは振り返り、俺の目をじっと見つめる。


「『幸せにする』って言うけど、私は幸せだったんだよ」


強い意志を込め、メアは言った。


「綺麗な服を着て着飾ることも、美味しいご馳走を食べることも無かったかもしれない。けど、勇哉からもらった服が、一緒に食べた山女魚(やまめ)が、そんな物より何倍も私に幸せをくれたの。私はとっても幸せだったの。可哀想じゃなかったの」


メアが語る言葉から、これまでの楽しかった場面が甦って来た。


「勇哉の気持ちは嬉しいけど、そこは思い違いをしないで。私は、幸せだったの。勇哉に出会えて、この飛鳥山で、幸せだったの…………」



メアの顔が、夕日に染まる。

桜色の、上気したような顔だった。

幸せにのぼせた貌は、俺の思い上がりを正してくれた。



「ああ。 “これからも“ 、お前を幸せにする――」


俺の言葉に、メアはニコッと笑う。

そして再び夕日に顔を向け、すぅーと息を吸いこんだ。

目を瞑り、身体中に力を溜め込む。


「ありがとうございました――――! わたしは――、しあわせでした――――!」


口の周りを両手で囲い、メガホンみたいにして、山じゅうに届けと大声で叫んだ。


真っ直ぐな、澄んだ、心のこもった声だった。

その声は、きっと山の(ぬし)に、空の神に、川の精に届いたに違いない。



この雄大な自然に(はぐく)まれた御子は、こんなにも美しく、清らかに成長した。

俺は深く(こうべ)を垂れ、彼女を育てたものに、感謝をした。


ありがとうございました。これからも、俺が幸せにします。命に代えても。




赤く色づく飛鳥山が、嬉しそうに微笑んでいるように見えた。

遂に二人、結婚です。と言っても二人とも17歳、正式な結婚は勇哉が18歳にならないと出来ません。けど関係ないですよね、そんな事。


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