お礼参り
7月21日、早朝。
日が昇ると同時に起き、身を清めに泉へと向かった。
式の前に、穢れを祓う為だ。
昨日、20日午後に紬と雄兵郎が帰って来た。
山ほどの荷物を雄兵郎が背負って、僅かばかりの荷物を紬が抱えて。
雄兵郎の身体からは滝のような汗が、紬の口からは軽快な鼻歌が流れていた……。
二人は荷物を降ろすと、千多ちゃんを加えた三人で手際よく準備を進め始めた。俺とメアも手伝うと申し出たが、『当事者に手伝わせる等、プランナーの名折れ』と言って受け入れなかった。その代わり、『今日は早く寝て、明日早朝に身を清めて来い』と言われた。――そして今に至る。
早朝の空気は澄んでいた。
まだ目を覚まさぬ一日に穢されていない、まっさらな空気だった。
元旦の、初詣の空気に似ていた。
街は一時停止している。歩みを止めている。そんな中、人だけが行き交う。
集団・社会と云う殻は脱ぎ捨てながら、家族・恋人・親友と云った人の核となる結び付きは強める。
そんな原初の世界の中で、敬虔な気持ちで向かい合う、そんな刻に似ていた。
じゃりっじゃりっと土を踏みしめる音が鳴る。
思わず道の端に寄り、中央を空ける。そこは神さまが通る場所のような気がして。
昇り始めた太陽が、黄金の雨を降らす。まるで何千何万の吊り灯籠が空に掲げられているかのように。
目的の泉が近づいて来る。
俺の心も澄んで来る。
お参りの行列が進み、本殿が近づいて来た時の心持ちに似ていた。
『何を願おうか』 そう自分の心に問い掛けた時、邪な心は消えて行く。
そんな心で神さまに対峙するのは、とても不埒な事に思えて。
泉に到着する。服を脱ぎ、泉の水を汲み、頭から浴びる。
穢れは、祓われた。
清めが終わり、小屋に戻る。
「お帰りなさい!」
違う泉で清めを終え、一足早く帰っていたメアが出迎えてくれた。
メアは、白いワンピースを着ていた。
俺が初めてプレゼントした服だった。
初めて会ったあの冬の日から3か月後、改めてお礼に行った時にプレゼントした物だった。
可愛いお嬢さま風の白いワンピースで、メアはそれを大層喜んだ。
俺はそれをすっかり忘れていた。
仕方ない。男というのは、そういう事に疎いものなのだから。
だがその失念を、俺は大いに悔いた。
今になって思い出した。
それは、 “ララーラ茅崎“ で悠真が買ってあげた、あの服にそっくりだった。
俺は、呆然とした。そしてこんな大事な事を忘れていた自分を、呪った。
「……似合って……ない? やっぱりおかしいかな、私なんかがこんな可愛い服を着るの……」
メアは消え入るような小さな声で、悲しそうに聞いて来た。
「……違うよ。感動してたんだ。……それ、俺が初めてプレゼントした服だよな。大事に……してくれてたんだな」
これは、本心だった。驚きと後悔の後にやって来た、紛れもない本心だった。
「うん!」
メアは満面の笑みを浮かべる。
あの日の哀しみを帯びた笑みではなく、一点の曇りもない笑みを。
あの日のメアの気持ちが、偲ばれた。
「で、どうしたんだ、そんな服を着て。婚礼衣装に着替えなくていいのか?」
俺もよくは知らないが、女性の婚礼衣装を着るのは準備に時間が掛かると聞く。
「まだ大丈夫。……あのね、式の前に、挨拶回りに行きたいの。……一緒に……行ってくれる?」
「挨拶回り?」
俺は疑問の声をあげる。
こんな山の中、誰も住んでいないからだ。
「うん、あの勇哉と初めて会った、お地蔵様のところ」
『ああ――』と俺は納得の声を洩らす。
「そうだな。あのお地蔵様が、縁結びの神様みたいなもんだものな。お礼と挨拶に行くか」
メアは嬉しそうに俺の腕に手を回し、一つの影となって始まりの場所へと向かった。
「長らくお世話になりました。私たちは明日、この山を離れます」
俺たちは二人並んでお地蔵様に向かい合い、しゃがみ、手を合わせ、拝んでいた。
「お陰様でお母さんもここまで生きる事が出来ました。そして、私にも大切な人が出来ました」
メアは目を瞑り、お地蔵様に語りかける。
「優しくて、思いやりがあって、頼りがいがあって、カッコよくて……」
……その辺りで止めてくれません……。
「……王子さまみたいな人です!」
やめてくれ――――。
「私なんかに勿体ない人です。けど、その人が言うんです。『お前がいないと、幸せになれない』って。おかしいでしょ? 私にそんな価値がある訳ないのに、もっと相応しい人がいる筈なのに、そう言って聞かないんです。散々説得しました。でも駄目でした……」
メアは一瞬声を詰まらす。そしてすうっーと息を吸い、言葉を続ける。
「だから、私は考え方を変えました。私が相応しくないなら、相応しい人間になってやるって。あらゆる悪意や災いから彼を守れる、そんな人間になってやるって。……厚かましいお願いですが、お力をお貸しください。そんな人間になれるように、ご加護をください。お願いです! その為なら、この身を捧げても構いません!」
メアはぎゅっと強く目を瞑り、心の底から声を振り絞り、真剣に、切実に祈る。
その祈りに、誰も触れることは出来なかった。
メアは長い黙祷のあと、晴れ晴れとした顔で俺を見つめた。
「さっ、次行こうか! まだまだ回る所がいっぱいあるんだからね。兎岩の “ぴょん吉“ でしょう、一本杉の “すぎ爺“―― 挨拶する人、いっぱいいるんだから」
メアは俺の手を掴み、駆けだす。迷いも、恐れもなく。
俺は理解した。彼女はこの飛鳥山の結晶だ。
人の営みから発せられる瘴気を一切取り込まず、この山々の清らかな気だけで創られた聖なるものだと。
聖なる御子は、感謝の巡礼をする。己を創り、育てたものを訪ねて。
澄んだ清らかな空気の中、俺は巡礼の旅に同行した。
明けましておめでとうございます。
今年初めての投稿です。ちょっとお正月の雰囲気を入れて書いてみました。
これからも執筆頑張りますので、ご閲覧ください。
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