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祝福

幸せと云う言葉が、二人をだんだん染めていった。

夢のような時間だった。

願わくはこの瞬間を凍らせ、永劫の世界に身を置きたかった。


だが、時間は留まらない。

幸福な瞬間も、悪夢みたいな瞬間も、同じように駆け足で過ぎ去って行く。

その後ろ姿だけが、いつまでも心に残る。




「よっしゃ、でかした、メアちゃんをゲット~! そうと決まれば、祝言だね。メアちゃんの気が変わらないうちに、逃げられないうちに、さっさと囲い込もう―――」


紬は高々と拳を突き上げる。ちょっと聞き捨てならぬ言葉が混じっている。


「言っておくが、ここに居られるのはあと数日だからな。……紬、俺たちの話、どこから聞いていた?」


俺が紬の孫である事、雄兵郎と千多ちゃんの間に “鈴” という孫が生まれる事、これらは知られる訳にはいかない。知られる事によって、歴史が変わる可能性があるから――。


「『アメリアさんを、僕にください!』ってところかな。いや、よかったよ。お兄ちゃんのプロポーズを生で聞けて。うぷぷぷぷ――――」


よかった、肝心のところは聞かれなかったようだ。


俺は()(つま)んで、殿倉(とのくら) 亜夢美(あゆみ)が来た事、彼女が突きつけた要求について説明した。


「やっぱり。静さんとメアちゃん、殿倉家の人間だったんだ……」


「……気づいていたのか?」


「薄々はね。この山の登記簿謄本(とうきぼとうほん)を閲覧すると殿倉家になってるし、静さんは殿倉(とのくら) 主馬(かずま)の面影があるし、そうじゃないかな――って」


やっぱりこいつは侮れない。


「私が殿倉の血縁なの、抵抗ない?」


メアがおずおずと尋ねてくる。


「ぜ――んぜん! だってメアちゃんはメアちゃんでしょ。ちょっと抜けてて、とっても可愛いくて優しい、メアちゃん。どんなラベルが付いたって、中身は変わらないよ」


俺はお前の兄で、孫で、よかった。それは、とても誇らしい。


「で、どうするの。その要求に従うの? 逃げるの?」


俺と同じような質問をしてきた。


「あいつらの要求に従い山を下り、殿倉の家に入り、そして――逃げる!」


俺の返答を聞き、紬は一瞬『ん?』って顔をして、そして全てを心得たかのような表情をし、晴れ晴れした顔で言った。


「いいじゃん、いいじゃん。随分と柔軟性が出て来たじゃん。勝利を確信した奴にかかせる()(づら)ほど、痛快な物はないからね」


一を聞いて十を知る。紬の能力の一端を見た。


「あの二人はどうするの? 一緒に殿倉の家に連れて行く? それともどっか面倒をみてくれる所を紹介する?」


紬は、雄兵郎(おべろう)千多(ちた)ちゃんに視線を向ける。

出会って三日だが、この三人は随分と打ち解けた関係となった。


紬に同年代の友達はいない。昔から続く名家の子。しかしその勢いは右肩下がりだ。下手に関わって、次代の権力者に睨まれては敵わない。そう親たちが思い、子どもを近づけないようにしていた。『そんな奴らと仲良くしたくもない。都合が悪くなったら見捨てるような奴ら、どうせ何時か裏切るんだから』、そう言っていつも一人だった。淋しくない筈がない。紬はいつも俺に纏わりついた。それが淋しさだとは気付かずに。


そんな事情を、頓着しない奴らが現れた。雄兵郎と千多ちゃんだ。実に新鮮だったに違いない。

雄兵郎とは出会った瞬間に殴り合いをするし、千多ちゃんは千多ちゃんで『手足の二三本は犠牲にしても、敵に一太刀(ひとたち)入れよ』と檄を飛ばす “修羅の国の女“ だ。遠慮会釈なしにぶつかって来る二人に、紬は年相応の貌をするようになった。


出来るのなら、一緒に居させてやりたい。


俺にだけ見える亜麻色の髪の少女が、不安そうにじっとこちらを見ている。

俺の行動ひとつが、彼女の存在の有無を大きく左右する。

だが鈴は何も言わない。

すべてを俺に委ねている。


俺は雄兵郎と千多ちゃんの前に行き、話しかける。


「俺たちは三日後、7月22日、この山を出る。この小屋は取り壊される。お前たちは、どうする? 一緒に来るか? なんならお前たちの面倒をみてくれる家を探してやる」


運命は、その本人に選ばさせなければいけない。


「だが、蒼森市に行くのは、お勧めできない」


俺は秘密を打ち明ける。


「ここだけの話だが、九日後、7月28日に蒼森市で空襲があるとの情報を入手した。五日前の蒼函(せいかん)連絡船空襲以上の大規模なものだ」


横で聞いていた紬の眉が、ぴくっと上がる。目が鋭くなる。


「どうしたい?」


俺は、彼らの意思を尊重する。


「俺は……茅崎(かやさき)に帰りたい……。どうせ、どこにいたって、空襲はある。だったら、死ぬなら、茅崎で死にたい。茅崎の、土に還りたい…………」


「…………そうか」


俺はその答えに、胸をほっと撫でおろす。


「私も、茅崎に帰ります。雄兵郎だけだと茅崎まで辿り着けず、仙台辺りの土に還るのが関の山です。私がキッチリ茅崎の土に還してやります」


「そ、そうか」


俺はその答えに、胸がざわつく恐怖を感じた。



亜麻色の髪の少女は、緊張の糸がほどけたように息を大きく吐いた。

そして、愛おしそうに幼い二人をじっと見つめていた。



「兄ちゃん達、祝言を挙げるんだよな」


不意に雄兵郎が呼びかけて来た。


「オレたちも、祝言に参列させてくれないか。メア姉ちゃんの花嫁姿、見てみたいんだ」


俺は胸が熱くなるのを感じた。

俺たちの式に参列して祝ってもらうのに、雄兵郎たち以上に喜ばしい者はいないからだ。


「いいよ、参列してよ。その代わり、働いてもらうからね!」


横から、俺の代わりに紬が答えた。


「メアちゃんの親族代表が静さん。お兄ちゃんの親族代表が私。雄兵郎と千多ちゃんには媒酌人(ばいしゃくにん)を頼むわ」


さらっと重大任務を振り当てる。まあ、人がいないから仕方ないが、七歳児の媒酌人か――。


「媒酌人って、何すればいいんだ?」


雄兵郎が不安そうに尋ねてくる。


「かんたん、かんたん。司会進行するだけ。流れを紙に書いといてあげるから、それを読み上げるだけでいいよ」


ホントはそれだけじゃないんだけどね。ま、七歳児に “月下氷人(げっかひょうじん)“ の役割を求めるのが無茶と云うものだ。雄兵郎は、ほっとした顔をする。千多ちゃんは……顔を引き攣らせている。これは、分かっているな。


「さあ、大道寺家サイドの打ち合わせをしようか。お兄ちゃん、ちょ――っといい?」


紬は俺の手を引き、外へ連れ出した。




「なんで……九日後に空襲がある事を知っているの?」


先程までと打って変わった低い声で、俺の目をじっと見つめ、尋ねてきた。


「そんなこと、空襲するアメリカ軍自体が知らないはずよ。だって、まだ作戦立案の段階でしょうから」


嘘を許さない、鋭い目付きが投げかけられた。


「いまは…………言えない」


そう答えるのが、精一杯だった。嘘をつきたくなかった。この眼の前では。


「そっ、わかった」


紬はあっさりと引き下がった。


「ずいぶんと、物わかりがいいな」


拍子抜けした俺は、思わず呟いた。


「わかったって言ったでしょ。…………私の為なんでしょ、言わないの。それが、わかったと言ったのよ」


思わぬ言葉に、俺はたじろぐ。


「だってお兄ちゃん、同じ目をしてるんだもの。『人参(にんじん)を食べなさい』とか『もう寝ないと、明日起きれないぞ』とか『病気で食欲ないけど、無理してでも食べろ』とか言う時と同じ目。辛そうで、でも信念と愛情に溢れた目。ごめんね、そんな目をさせて」


紬は人の悪意には敏感だが、それ以上に善意には鋭敏である。

渇いた人間が、水の匂いに鋭敏なように。

そして、その有難みもよく知っている。


「さてっと、家に帰って祝言用の道具を持ってくるか。メアちゃんの一世一代の晴れ舞台だもね。紬ちゃんがしっかりプロデュースしてあげなくっちゃ」


紬は両手を重ね、頭上に持ち上げ、『う~ん』と伸びをする。


「無理しなくていいぞ。簡単なもので」


俺の言葉に、紬は目を吊り上げ、振り向いた。


「お兄ちゃん、解ってない。なんで祝言を華やかにするか、まるで解っていない!」


紬は人差し指を俺に向け、にじり寄って来る。


「いい、これから結婚生活を送っていたら、つらい事、苦しい事がいっぱい有ります」


「はいっ」


紬先生の講義に、俺は勢いよく応答する。


「カチンとくる時も、『このヤロー!』と思う時もあります」


「はいっ」


身につまされる講義は続く。


「そんな時支えになる、拠り所になるのは何か? 一番輝かしい思い出、幸せだったと感じる思い出です。それがあれば、多少の苦しみは堪えられます」


なんとなく、分かってきた。


「その思い出を何度も何度も取りだして、『ああ、私は幸せなんだ。この苦しみは一時的な物なんだ。偶に訪れる災害みたいな物なんだ』、そう言ってやり過ごすんです。幸せMAXのイベントが必要なんです」


ぐうの音も出なかった。


「いいんですか、そんな物がなくて? 何かあったら、一巻の終わりですよ」


「……お願いします。立派な式にしてください」


それ以外の回答はなかった。


「雄兵郎を連れてくね。荷物持ちが必要だから」


紬はそう言って、雄兵郎をお供に山を下りて行った。明日には帰ると言い残して。




◇◇◇◇◇




「いいのか、保護してくれる家を紹介しなくても」


「動かないでください。耳を切り落としても、知りませんよ」


俺の問いに、千多ちゃんは物騒な返答をする。


「刃物を持った人間の扱いを誤ると、血を見ますよ……」


千多ちゃんは、静かに刃先を俺に近づける。

冷たい刃先が、俺の身体の先に触れた。

そして、じょきりと切り落とした。


「揉み上げの長さはこれ位でいいですか? もう少し切ります?」


「お任せします……」


「は――い。次は襟足を切りますね!」


『このボサボサ頭を、式までになんとかして』と紬に任務を仰せつかった千多ちゃんは、忠実に職務を遂行していた。



「保護して頂く家は、必要ありません。出て来る時、『なにかあったら何時(いつ)でも帰っておいで』って言われてましたから。蒼森に来たのも、父と雄兵郎のお父さんの職人仲間を頼って来たんです。茅崎でも面倒みてくれるって家はあったんですよ。だけどまた空襲があったらいけないという事で蒼森に来たんです。……結局、どこに行っても同じなんですね」


千多ちゃんはチョキチョキと俺の髪を切りながら、落ち着いて、哀しそうに言った。


「……もうじき終わるよ、こんな事」


俺は願いを込めて、確定された事実を言う。


「なぜでしょうかね。勇哉さんが言うと、まるでそれが事実みたいに聞こえます。疑いの微塵もない言い方ですからね」


彼女も聡い子だ。きっと何かを感じているのだろう。僅かな言動から真実への糸筋を辿るように。


「それで、あとどの位で終わると思います?」


“考え” ではなく “事実” を尋ねるみたいな口ぶりだった。


「あと一か月」


「……そうですか。あとちょっとですね」


羅針盤片手に海図を見る航海士が語っているようだった。




俺は千多ちゃんの奏でる(はさみ)の音色に耳を傾ける。

生まれ出ずるものは、創造した者の性格を色濃く残す。

その音色は漂泊の人が詠む詩のように、物哀しかった。


それを聴いていると、どうしても我慢出来なくなった。


「なにがあっても、広島と長崎には行くな。……戦争が終わるまで」


思わず口にしてしまった。

鈴の事とか、悠真の恩義とか関係なく、この少女が災禍に見舞われるのが許せなかった。


「なにか、あるんですか?」


探るように彼女は問う。


「なんにも……。単なる、勘だ」


俺は惨劇の映像を思い出す。俺にそれを止める手立ては無い。

勝手かもしれないが、その惨劇の中に二人をやりたくは無かった。


「勘……ですか。それは、(あだ)(おろそ)かに出来ませんね」


千多ちゃんは、全てを心得たかのように呟く。

その声は、刻む鋏の音にかき消される位に小さかった。




「戦争が終わったら、やってみたい事、ある?」


俺は雰囲気を変えようと、違う話題を振る。


「そうですね。犬を、飼ってみたいです」


「犬を?」


「ええ。大きな、手間が掛かる犬を」


俺は未来の茅崎に住む、毛むくじゃらの友人を思い浮かべた。


「なんでまた?」


「私が死んだら、連れ合いがその面倒を見るの、大変じゃないですか」


繋がりが、よく分からなかった。


「そうすれば、私が死んだ悲しみに暮れる暇もない。生きる事に日々精一杯で、哀しみに圧し潰される事もない。そうしている内に新しい生活に慣れて、私のいない人生に踏み出せる。……そうでもしなければ、おちおち成仏も出来ないじゃないですか、心配で」


繋がった。千多ちゃんの生き方と、繋がった。


「……幸せ者だな、その連れ合いは。そんなに愛されて」


俺は、心の底からそう思った。


「多分、その事に気が付かないと思いますよ、一生。でも、それでいいんです。だって、気が付かれたら台無しじゃないですか、色々と」


千多ちゃんはふふっと微笑む。

修羅の仮面の下に、菩薩の貌があった。


「私は、フゥフゥ言いながら犬に引きずられる連れ合いの姿を、空の上から眺めるんです。そして、『ちったあ私の苦労が分かったか!』と言いながら旅立つんです。そんな最期を、迎えたいんです。それが……私の望みです」




空を見上げる。雲ひとつない、真っ青な空が広がっていた。

人の営みなど一顧だにしない、冷厳さを湛えていた。

この存在の前では、俺たちの思いは無に等しい。


だがその取るに足らない小さな者の、思い遣る・支え合う・与え合う・美しい気持ちが、たとえようもなく、愛おしかった。

今年最後の投稿です。投稿を初めて最初の一年で、皆さまの閲覧数やブックマークに一喜一憂する毎日でした。とても充実して楽しかったです。

来年も少しでも面白いお話をお届け出来るよう頑張ります。

お正月にも投稿するので、是非ご覧下さい。


今年一年閲覧いただき、誠にありがとうございました。それでは皆さま、よいお年を!

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