求愛
小屋の中は静まり返っていた。
先程の揺るがすような大声のあと、音が力尽きたように静まり返っていた。
誰もが耳をすませた。告白の返事を求めて。
耳鳴りが聴こえるような静けさが漂っていた。
コトッ。
不作法な音が入口から聴こえた。
殿倉の手下たちか?
「誰だっ!」
勢いよく引き戸を開ける。
ドサドサっと戸にもたれ掛かっていた者が崩れ落ちてきた。
「……大人しく洞窟で待っていろと言ってただろう」
紬、雄兵郎、千多ちゃんだった。
「ごめん、お兄ちゃん。けど、あんまりにも遅いから気になって……。それにあいつらが帰って行くのが見えたから、大丈夫かなって…………」
紬がバツの悪そうな顔をして、申し訳なさそうに謝る。
しかたがない。もう限界だったのだろう。心配で心配で、仕方がなかったのだろう。
「……心配をかけたな。悪かった」
俺は跪き、紬に目線を合わせ語りかける。
紬はうっすらと涙を浮かべ、『うん!』と快活な声をあげ、ひしっと俺の背中を抱きしめた。
俺たちは互いの体温を、想いを、分け合った。
「それで、メアちゃんと結婚するの? メアちゃんが、私の本当のお姉ちゃんになるの? あ、メアちゃんの返事がまだだったよね」
紬は俺から離れ、メアの正面に立ち、真剣な表情で話しかける。
「メアちゃん、うちのお兄ちゃんは、朝寝坊で、寝言がうるさくて、気持ちを伝えるのが下手で、ロマンを解さない朴念仁だけど…………」
…………おい!
「それでも、誠実で、好きな人にはひたむきで、その人を幸せにする為ならどんな苦労も厭わない、愛情に溢れた人です」
…………おい…………。
「お願いです。お兄ちゃんのお嫁さんになってあげてください! お兄ちゃんはメアちゃんがいないと、幸せになれないんです! お願いします!」
紬は、深々とメアに頭を下げる。心を込めて、誠実に。
俺は心にジンと感じるものに酔いしれた。愛情と云う名の美酒に。
そんな俺とは裏腹に、メアは俯き、足下を見ていた。
腕を真っ直ぐ下に伸ばし、両手を強く握り、その拳はブルブルと震えていた。
「……そんな事、言わないで…………」
メアの洩れるような、か細い声が流れて来た。
「メア?」
俺は不審に思い、呼びかける。
「やっと、やっと諦められたんだよ……。なんで……。なんで、そんな残酷な事を言うのかな、勇哉も紬ちゃんも。……私の気持ちも知らないで。私がどれだけ勇哉を想い、どんな気持ちで諦めたと思っているの。私の心を、掻き乱さないで―――」
メアは金色の髪を振り乱し、涙を撒き散らしながら叫んだ。
「……ずっと、俺の傍に居てくれるんじゃなかったのか。俺の父さんが亡くなった時、『永遠に離れない』って言ってくれたじゃないか。あれは、嘘だったのか。それとも、もう俺のことが好きじゃなくなったのか?」
俺は宇宙の真理が覆されたような気がした。
あの初めての口づけが交わされて以来、俺を支えてきた物が取っ払われてしまった。
「好きよ、大好きよ。決まっているじゃない! ……あの日のことは、私の宝物よ。一生忘れないわ。けど、だからこそ、一緒になれないの……」
「なぜっ!」
「私が、殿倉 主馬の姪だから――」
俺は頭を打ちつけられたような気になった。
殿倉は殿倉、メアはメアと、分け隔たれて捉えていた。
メアと静さんは、こんなにも冷遇されているのだから。
「私と一緒になるのは、勇哉にとって負い目になる。一族の婚姻には、当主の裁可が必要だから。そしてこんな状況で、こんな私相手にそれを得るのは、勇哉が殿倉に大きな借りを作る事になる。それは、勇哉の自由を奪う事になる。私は勇哉の……足枷になりたくない」
メアの声は段々と小さくなる。
それと反対に、メアの流す涙はどんどん激しくなり、ぽたりぽたりと床を濡らしてゆく。
じわりじわりと染みが広がる。俺の心にも。
「やっぱり私は、お母さんの娘なのよ。お父さんの進む道の為に身を引いた、お母さんの娘なのよ。お母さんならこの私の気持ち、解ってくれるよね」
メアは奥の静さんを見つめる。静さんはメアの気持ちに共鳴したような、哀しい顔をしていた。
「私は勇哉とは一緒になれない。でも、心はいつも傍にいる。それで……我慢して……」
メアは手をぎゅっと握りしめる。血が吹き出す程に。その痛みで心の痛みを紛らわすように。
――場が、静まり返った。
「仕方がない。助け船を出しますか……」
俺にしか聞こえない、天の声がした。
「いい、私の言う通り、繰り返して言いなさい。リピート アフター ミー!」
明日香が優しく語りかけてきた。
俺は、彼女に続いた。
「もうじき、戦争は終る。そしてアメリカの統治が行われ、日本の構造が変わる。地主は、没落する」
俺の言葉に、みんなキョトンとした顔をする。俺は、構わず続ける。明日香に続いて。
「農地改革が行われる。地主から土地を強制的に召し上げ、小作人に農地を分け与える。これで、地主の影響力は削がれる。その一方で山林は農地改革の対象外となり、山林地主は存続される。これがどういう事か、分るか。殿倉の資産の多くは農地で、大道寺の資産の多くは山林だ。それ故この食糧難の時代、大道寺は殿倉に押されていた。それが、変わる。おまけに財閥の解体がある。殿倉の力の源泉は中央との結びつき、財閥の庇護による物だ。それが、失われる。力関係は、再び逆転する」
みんな、呆然としていた。
「お前の言う “借り” なんぞ、もう何の問題もないんだ……」
俺は優しい口調に変え、メアだけを見つめ、語りかける。
「本当なの……。私のせいで勇哉があいつらに膝を屈する事は、ないのね!」
メアは縋るような目で尋ねてきた。
「ああ。逆に、『伯父さま、うちの人に取りなして上げてもよろしくってよ。オホホホホ――』と言って跪かせてもいいくらいだ」
ま、こいつはそんな事絶対しないだろうがな。
うわぁぁぁぁぁぁぁ――――――――。
メアは号泣した。これまで溜め込んでいた物を吐き出すように。
俺はそんなメアをそっと抱きしめ、彼女の涙を受け止めた。
涙は温かく、優しい匂いがした。
ひとしきり泣き、ようやく落ち着いたメアの肩を抱き、彼女の目を見据え、言った。
「改めて申し込みます。アメリアさん、僕と結婚してください。僕の傍にずっと居てください。幸せにします。この命に代えても!」
俺は求愛の、誓いの言葉を立てた。
メアは涙を拭い、雨上がりのお日さまみたいな笑顔で言った。
「はい! 私を勇哉のお嫁さんにしてください。あなたの為に、一生尽くします!」
愛の言葉が交わされた。
長く、厳しい風雪にさらされた愛の花が、いま結実しようとしていた。
今年もあと僅かです。年末年始、頑張って投稿しましので、励ましの『ブックマーク』、『星評価』、『いいね』をお願いします。下段のマークをポチっとして頂くだけです。それが何よりの励みとなります。――お願いします。




