告白
俺たちがいる小屋は、周りの世界と違う時間に在るようだった。
騒がしく鳴く蝉の声も、吹き荒ぶ風の音も聴こえなかった。
ただ過去を語る静さんの、滑るように流れる声だけが聴こえていた。
「これが、私たちがこの山に来た経緯。……よくある、話でしょ」
敷かれた布団の上に行儀よく座り、掛布団を膝にかぶせ、静さんは重い荷物を降ろしたようにスッキリとした表情で、物語を締めた。
どこがだ! ちょっとした朝ドラか大河ドラマじゃねぇか!
俺は横のメアを見る。彼女は心を囚われたように、じっと静さんを見つめていた。
「……この事、メアは知っていたんですか?」
これは、メアの根幹に関わる事だ。自己否定、自己肯定、どちらに転ぶかを決める重要な要素だ。もし知らなかったとしたら、それは不憫すぎる。俺は非難の眼差しで、静さんを見た。
「言えるわけ、ないじゃない!」
静さんは『ふざけんな、この野郎!』という顔で、俺を睨む。
「五、六歳の頃に『わたしのお父さんは、なんでここにいないの?』って訊かれた事があったわ。けど、言える? 五、六歳児に、こんな話を。『赤ちゃんはどこから来るの?』って訊かれて、コウノトリやキャベツ畑を引き合いに出すような年頃よ。こんなドロッドロの話、聞かせられる訳ないでしょう。それに子どもが出来た事を理解させる為には、性教育もしなければいけない……。先送りしても、しょうがないでしょう。勇哉だってこの話、紬ちゃんに説明できる?」
無理だ――――。あの大人以上に物事を知っている紬でさえ、『子どもを望む二人が一緒の布団に寝て手を繋げば、神様がクジ引きで子どもを授ける』と言っていた。いずれ知る時は来るが、いま『それは違うよ』と真実を語るのは――無理だ。
「けどその辺りは削って、あらましだけ伝えれば……」
俺はなおも食い下がる。横には顔を真っ赤にしたメアがいた。
「それは私も考えた。けど、穴あきの継ぎ接ぎだらけの物語だと、意味が違って聞こえるの。最初の印象って、大切よ。後で『真実はこうだった』と言っても、手遅れ。だったらこの物語を聞かせられる年齢になるまで待とうと、騙し騙しここまで来た。そういう次第です!」
静さんは開き直った。『文句あっか、このヤロー』と云う顔だ。
もう俺は、何も言えなかった。
「私……『罪の子』じゃなかったのね。……愛されて、望まれて、生まれてきたのね……」
ぽたっぽたっとメアの頬から流れる涙の糸が、床を濡らしてゆく。
静さんに問い掛ける声は、いまを盛りと咲く花のように、喜びの薫りを放っていた。
「……あなたは私の、宝物よ。そしてあの人にとっても、憧れた、夢の結晶……」
静さんは迷いの無い、澄んだ声で応える。
「…………よかった」
メアの言葉には、万感の思いが込められていた。
俺はそっとメアの肩を抱く。
メアはわんわんと泣き続けた。
「それでこれから、どうするつもりです?」
俺はようやく泣き止んだメアの涙を拭いながら、静さんに問いかける。
「どう、とは?」
「大人しく殿倉の家に帰るか、……逃げるか、です」
静さんは溜息をつく。肺の中すべてを吐き出すような、深い溜息を。
「私は、戻るわ。殿倉の家に。……それ以外の選択肢はない。この身体では、逃げ切れない……」
哀しそうに、諦めたように、零す。
「でもね、あなた達は私に付き合う必要はないわ。私に縛られず、好きなようにして。子どもの足手纏いになるのは、親としては何より辛いのよ。頼むから私を、そんな目に遭わせないで」
菩薩のような貌で、静さんは微笑んだ。
「それに殿倉の家に帰るのは、そんなに悪い事じゃないの。……私はもう、長くない」
場が、凍った。
「誤魔化しや、慰めは必要ないわ。ちょっと前までは割り切れなかったけど、今はもう受け入れている。穏やかなものよ、今の気持ちは」
切ない、やりきれない気持ちが押し寄せて来る。そんな平穏は、哀しすぎる。
「そうなるとね、小さい頃が思い出されてくるの。お父様やお母様がいて、まだお兄様が優しかった頃。幼い私が世のしがらみを知らず、無邪気に走り回っていた殿倉の家での事を、思い出すの」
静さんは遠い目をしている。
「もちろんこの飛鳥山も私にとって大切な場所よ。アメリアと過ごしたかけがえのない場所。けどね、生き物には本能があるの。……カエルが何でカエルと呼ばれるか、知ってる? どんなに離れた場所で生きようと、必ず産まれた場所に “帰る” からよ。眠くなれば、起きている事は出来ない。お腹が空けば、食べずにはいられない。あなた達は、こんなものに付き合う必要はないのよ」
静さんの言葉には、有無を言わさぬものがあった。
死を覚悟した者にしか言えぬものがあった。
「わかりました。でも俺の話を聞いてください。……その上で、判断してください」
俺は、決意した。真実を、述べる決意を。
「今から九日後、7月28日、蒼森は大規模な空襲に遭います。市街地の九割が焼失する、大空襲です」
言ってしまった。もう後戻りは、出来ない。
俺は恐る恐る二人の顔を見る。
二人共ぽかんと、呆けた貌をしていた。
「なんで勇哉がそんな事を知っているの? 軍の諜報機関でも知る筈もない軍事機密よ、それ」
訳が分からない。そんな表情でメアが訊いて来た。
「そうよ、納得行く説明をして頂戴。千里眼が有るとか、言わせないわよ」
冷えた声で静さんが問い詰めて来た。
俺はごくっと喉を鳴らす。
口の中はカラカラに乾いている。
逃げ出したい。だがこれは、やらなければならない事だ。
「……千里眼はありません。でも俺には、未来の記憶があります。……俺の中には八十年後の日本で生きる、 “夢宮 悠真” の記憶があります…………」
俺の告白に、二人は一層呆然とした。
「夢宮って、油川にある造り酒屋の?」
静さんが記憶をさらい、問いかけて来た。
「はい、そこの子孫です。そして俺の祖母は…………紬です」
『『はあっ――――?』』と二人の声が重なった。
混乱の坩堝と化した。
「待て待て待てっ。紬ちゃんの孫ってどういうこと? 勇哉は紬ちゃんのお兄ちゃんなの? 孫なの?」
メアが左手の指をおでこに当て、顔をしかめながら訊いて来る。
う~ん、難しい命題だ。
「勇哉は紬の兄で、悠真は紬の孫だ。俺の中で、その二人が混ざり合っている」
「兄でもあり、孫でもあるの? 訳わかんない!」
メアは頭痛に堪えるような顔で言い捨てる。
うん、そうだね。俺も訳わかんない。
「爆弾ぶっこんできたわね。まだ千里眼とか言われた方が、納得できた」
静さんが恨めしそうに言う。
「事実だから、仕方ありません」
俺のせいでは、ありません。
「信じられると思う? そんな話」
静さんは、怪訝な顔をしている。
「……証明する方法は有ります。空襲の前日、7月27日、アメリカ軍は空襲予告のビラを、飛行機から6万枚撒きます。内容はこうです『日本國民に告ぐ あなたは自分の親兄弟や友達を助けようと思ひませんか。助けたければこのビラをよく讀んでください。數日の内に裏面の都市の内全部、若くは若干の都市にある軍事施設を米空軍は爆撃します――――』」
俺は朗々と読み上げる。二人の顔は、強張り始めた。
「――――以上、です。もしこれが現実に撒かれたとしたら、俺の話が本当だと云う証明になりませんか」
俺の主張に静さんは腕組みをして、『う~ん』と唸る。
「勇哉のいう事は分かった。嘘をついているとも思えない。けどね、思い違い、幻想を現実だと思い込んでいる可能性もある。こんな極限状態が続いていたら、夢の世界に救いを求めたとしても、何ら恥ずべき事じゃない。……私は関東大震災の時、そんな人たちを沢山見てきた」
……仕方がない。もう一つの切り札を出すか。
「未来からやってきたのは、俺一人じゃないんです。二人の仲間と一緒にやってきました。……紹介します。 明日香! 鈴!」
俺は合図を送る。
建物が、揺れ始めた。
柱が揺れ、天井が軋みだした。
「地震?」
メアが身構える。
「いえ、違う。地面が揺れていない。こんな地震は、有り得ない」
さすが静さん。地震についてよく知っている。ご指摘の通り、これは地震ではない。
今度はちゃぶ台が宙に浮いた。ピアノ線に引っ張られるみたいに、縦横無尽に飛び回る。
「「ポルターガイスト!」」
はい、正解!
「まったく、人をなんだと思っているのよ」
箪笥や柱を両手でガタガタと揺すりながら、明日香が不満を零す。
「せめて可愛らしく、 “妖精” にして欲しかったな――」
鈴はそう言いながらちゃぶ台を担ぎ、ドタドタと小屋の中を走り回る。
見えていないメアと静さんにとってはホラーだが、見えている俺にとってはコメディだ。
「「この貸しは、高く付くからねっ!」」
二人のコメディアンは、口を揃えて言った。
「俺たち三人は八十年後の世界から、この世界にやって来ました。五日前のことです。……蒼函連絡船空襲の日です」
二人は真剣に、俺の言葉を一言一句聞き洩らさないようにしている。
先程までの疑念が、きれいに吹き飛んでいた。
「俺―― “悠真” はその時、 “勇哉” と混ざり合いました。憑りついたとか云うのとは、ちょっと違います。なんというか、元あった場所に収まったというか、本来の姿になったというか、そんな感じなんです」
もどかしい。自分の事なのに、上手く説明できない。
「俺は実体化出来ましたが、明日香と鈴は霊体のままです。彼女たちは、最初は物体に触れる事も出来ませんでした。けれど二日前から、干渉出来るようになりました」
『うりゃー、動けこの野郎!』――そう言いながら二人は必死に特訓した。
原理は解らないが、何時か究明して、論文として発表してやると、鈴は息巻いている。
――そうでもしないと、やってられなかったのだろう。
元の時代に、元の躰に還れるか、杳として知れないこの現状では。
「ついでに言うと、 “鈴” は “雄兵郎” と “千多ちゃん” の孫です」
追い打ちの爆弾を投下する。
「えっ、なになに。あの二人そうなの、そうなるの、うっわ――」
メアは何やら興奮している。
超常現象より、この手の話の方が琴線に触れるようだ。
「……なるほどね、合点がいったわ。雄兵郎くん、『兄ちゃん、オレたちの名前や、茅崎から来た事を知っていた。なんでだ?』って言ってた。そういう事だったのね」
静さんはフムフムと頷きながら言葉を零す。
「それでなぜ、 “悠真” は実体化でき、明日香さんと鈴さんは出来なかったの。その違いは、何なの?」
「わかりません。ですが、仮説は立てられます」
俺は明日香が語った説を述べる。
「『魂の双子』って、聞いた事ありますか?」
『魂の双子』――元々一つだった魂が、二つに分かれたもう一人の自分。過去世の魂が現世で分裂したものと云われている。だが過去世、現世とは何ぞや。
時間とは、同一座標軸上にあるものではない。ゆがみ、たわみ、湾曲した空間において、時の流れはあやふやだ。ならば魂の片割れが時を隔てて存在しても、不思議はない。
“悠真” と “勇哉” は、そのような存在ではないだろうか。だからこそ呼び合い、融合したのではないのだろうか。それが時を超えた一因ではないだろうかと。
――ひとつの、仮説である。
「う~ん。その考えは分らなくもない。日本には昔から、『分け御霊』って概念があるからね。だから依代が有る “悠真” は実体化し、無かった明日香さんと鈴さんは霊体となった、と。……でもその理論でいくと、明日香さんと鈴さんは悠真に巻き込まれてこの時代に来たって事にならない? とんだもらい事故ね」
言っちゃった。あえて触れなかった事を、静さん言っちゃった。
俺は、明日香と鈴から目を逸らす。
「俺の存在云々は、後回しにしましょう。今決めなければいけないのは、俺たちがこれからどうするかです。このまま蒼森に行くのは、命の危険があります。静さんは自分の命が長くないと自暴自棄になっていますが、事態は大きく変わる可能性があります。あと27日後、8月15日に戦争は終わります。……日本の降伏で」
俺はもう一つの歴史的事実を述べる。
毒を食らわば皿まで。構うものか。
「戦後の混乱はありますが、アメリカの占領政策は決して非人道的な物ではありません。医療体制の改善も見込めます。希望を……捨てないでください。決して……諦めないでください……」
俺は静さんの手を握り、涙を零した。
この人は、俺のもう一人の母ともいえる人だ。
俺の手の温もりが、冷たい静さんの手に伝わって行った。
「分かったわ、勇哉。希望は、捨てない!」
静さんの顔に、輝きが甦った。……よかった。
「でも、殿倉の家に行くというのは変わらないわ」
「どうしてです。その危険性は理解した筈でしょう」
それでも帰巣本能には、抗えないのか。
「なにも殿倉の家に行って、ずっとそこに居るとは言ってないでしょう。殿倉の助けで下山して、空襲の前に逃げ出せばいいじゃない。今から逃げ出して山の中を九日間逃げ回るのと、一日だけ蒼森市街から逃げ出すのと、どっちが難易度高いかな~」
静さんはニコッと笑う。
「戦いは、勝つ条件を整えてから、行うのよ。『度(戦場の状態・地形)』、『量(戦いに必要な物量)』、『数(必要な兵力)』、『称(敵味方の戦力比)』、『勝(勝敗予測)』を分析してね」
「……なんです、それ?」
「孫氏の兵法、形篇。アメリアの父親に教えてもらったの」
「……メアのお父さん、神父さまじゃなかったんですか?」
「戦士でもあったのよ。とびっきりのね」
メアのお父さん、あなた女学高生に何を教えていたんですか。
「孫氏はこうも言っているわ。『始めは処女の如く、後は脱兎の如し』――油断させて、逃げ出しましょう」
“悠真” と “勇哉” の生きて来た年月を合わせれば、静さんに並ぶと思っていた。だが、まだまだだと思い知らされた。
「今後の方針は、こんな所でいいかな。それじゃあ紬ちゃん達を迎えに行こうか。あの子達、きっと心配しているわよ」
静さんの言葉にメアが立ち上がり、外に出ようとする。
俺はそんなメアの腕を掴み、横に座らせる。
まだだ。まだ、今日一番のハードミッションが残っている。
「静さん、メア、大切な話があります」
俺はこれ以上ないというくらい真剣な表情で、二人に呼びかける。
「家の事とか、しがらみとか、全部とっぱらって、フラットな気持ちで聞いてください」
居ずまいを正し、両手をつき、額を床に押し当てる。
自分の震える手が、横目に見えた。
全身から脂汗が吹き出している。
暑いのか寒いのか、今が夏なのか冬なのか、分からなくなった。
極限の緊張の中、俺は声を振り絞り、言った。
「アメリアさんを、僕にください! 結婚を、お許しください! ここで祝言を挙げさせてください! 絶対に、幸せにします! お願いします!」
俺は、一世一代のプロポーズをした。
これほど緊張したことは、後にも先にも無かった。
「「「「ええ――――――――!!」」」」
メア、静さん、明日香、鈴が大声をあげる。
小屋に、今日一番の驚きの声が響き渡った。
遂に悠真、覚悟を決めました。自分が超常の存在と明かすのと、プロポーズをするの、どっちがハードル高いんでしょうかね。
『ブックマーク』、『星評価』、『いいね』をお願いします。下段のマークをポチっとして頂くだけです。それが執筆の何よりの糧となります。……筆者の切なるお願いです。




