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ホーリーナイト

パーティーの開始時刻となり、私たちは入場する。


無数の蛍が止まったように、電飾で光るクリスマスツリー。

流れて来るジャズ、スウィングする音の海。

ベルガモットの、爽やかで、それでいて甘く気品のある香水の香り。

みんな、思い思いの衣装を身に着けていた。


日常から逸脱した空間・時間が、そこにあった。

まるで仮面舞踏会に迷い込んだようだった。



彼は呆気にとられていた。

私はくすりと笑い、彼の手を引きホール中央へ向かう。

みなが道を開けてくれ、私たちは中央に着いた。


「踊りましょう、すべてを忘れて……」


床から湧き出してくるような熱情にあてられ、私は踊り始めた。

スカートを(ひるが)し、軽やかにステップを踏み、陰鬱な心を吹き飛ばすみたいに、躍り続けた。


ここで私は、一人の人間であり、一人の女であった。

何のしがらみも無い、自由な存在だった。


青いゆらめきのような感情だけが、私の支配者だった。

私は心の赴くまま、ただ踊り続けた。

どうしてこんなに幸せなのだろう。

私はその喜びに、慄然とした。


(とき)が、滔々(とうとう)と流れていった。





「貴様ら、何をしておる。この不心得もの!」


幸せな時間を壊す乱入者が現れた。


「大正天皇陛下を(いた)む日に、こんな乱痴気騒ぎをしおって。陛下に対して追悼の意はないのか!」


ああ、そういう輩か。

最近、こういう愛国を盾にのさばる奴らが増えてきた。

私はうんざりした気分になる。


「これは異なことを。わたくし共は陛下を哀悼しているのですよ」


仕立ての良い黒い三つ揃えを着た、40歳ぐらいの男性が前に出て来た。


「この馬鹿騒ぎに、どこに哀悼の感情がある!」


乱入してきた男は激昂する。

そりゃそうだ。男の言う通りだ。


「いけませんな。仮にも国士(こくし)を名乗るなら、日の本の風習に精通せねば。……古来日の本では、歌い、踊り、死者を供養する風習がございます。空也(くうや)上人(しょうにん)が興され、一遍(いっぺん)上人(しょうにん)が広めし念仏踊り。いわゆる盆踊りですな。大正天皇陛下はきさくな方で、西洋好みでいらっしゃいました。これは陛下好みに改良した、わたくし共なりの追悼式なのですよ」


「屁理屈ぬかすな――! 貴様に陛下の、何がわかる――!」


いや、全くもって、その通り。これはどこからどう見ても、立派な屁理屈だ。

だが男の怒りはどこ吹く風で、三つ揃えの紳士は飄々(ひょうひょう)としている。


「分りますとも、少なくとも貴方よりは。何しろ長年、お隣さまとしてお付き合いさせて頂きましたからな」


天皇陛下とお隣さま?


「申し遅れました。わたくし当帝国ホテル支配人、獅子丸(ししまる) (とおる)と申します。以後、お見知りおきを」


そう言うと三つ揃えの紳士、いや支配人は左手を腹部に当て、右脚を後ろに引き、優雅に一礼をする。

その礼は恫喝する類の物ではないのに、居並んだ者は皆圧倒された。格が違うと思い知らされた。




「なっなっ、ならば、こいつはどう説明する。この異人に、陛下への哀悼の意があるとでも()かすか――」


男は目ざとくカソック姿の彼を見つけ、指差す。

人の粗を探す、ハイエナのような卑しい目をしていた。

外国人の彼なら、大正天皇陛下の事をよく知らないだろうと云う思惑が透けて見えた。


「それに、なんだ、若い女を侍らせて。異人に(こび)なぞ売りおって、この売女(ばいた)め」


調子に乗った男が、矛先を私に向けて来た。

その瞬間である。彼が――キレた。


「おいキサマ。今、なんちゅうた。こん人んことば、売女やと。ふざけんじゃなか。くらっすぞ、こら!」


私の聖騎士(ホーリーナイト)が、雄叫びをあげる。


男は、ビビった。顔面傷だらけで190センチ越えの大男が、外国人なのに博多弁で啖呵(たんか)を切ってきたのだ。そりゃあビビる。それにカソック(司祭平服)を着ているのを見て、非暴力――反撃してこない、攻撃し放題の奴とイメージしていたみたいだ。そういう相手には一気に責め立てて来る。実に人品骨柄(じんぴんこつがら)卑しき振舞いである。



私は彼に、こんな下卑た男と同じ高さまで降りて欲しくなかった。

いつまでも高く輝く星で在って欲しい。

私は不安に駆られ、ぎゅっと彼の手を握りしめる。

彼はふっと微笑い、私の手を握り返し、『大丈夫ですよ』と囁いた。

それは私に神託のように響き、綺麗に不安が消え去ってゆく。

彼は、乱入者に対峙した。




「夜 艨艟(もうどう)()して遠州を過ぐ(夜に軍艦に乗って遠州沖を過ぎる)」


彼は朗々(ろうろう)と詠みあげる。

ホール中が、キョトンとした。


「大正天皇陛下がお作りになられた詩です。皆さんご存知ですよね。有名な詩ですから。陛下を敬愛する者なら、知って然るべき詩です。さあ、あなた。詩の続きを詠んで下さい。」


指名された乱入者の男は、顔を青くする。

どう見ても、詩歌などを嗜むようには見えない。

彼、分かった上でやってるな。


「た、たまたま貴様がそれを知っているだけだろう。誰もが知っているなどと、いい加減な事を()かすな!」


ああ、やっぱり知らないんだ。だがそれを認めると、陛下への忠誠心が疑われる。

男と彼は、睨み合う。



「満天の明月 思ひ悠悠(夜空一杯に明るく照らす月を見上げれば、思いは遥か彼方まで駆け巡る)」


入口のドア辺りから、低く、墨のように重厚な声が響いて来た。


「確かに有名な詩じゃ。武辺一辺倒で無骨なおいでん、こん詩ぐれは知っちょる」


海軍の軍服を着た、40歳ぐらいの薩摩弁の男だった。

周りの人達も、似たような服を着ている。士官クラスばかりに見える。あれ、仮装じゃなくて、本物だ。


「さあ、続きを詠みやんせ。知らんとは言わさんど」


海軍将校は有無を言わせぬ強い口調で迫る。

男は『次の句だけ、ど忘れして』などと、往生際悪く言い逃れをしようとする。



(いず)れの時にか()平生(へいぜい)の志を遂げ(いつの日か、常日頃の志を果たし)」


ホールの奥の席から、陶器が鳴るような涼やかな声が聞こえて来た。


「ええ詩じゃ。田舎者の儂でも、こん良さは分かるっちゃ。卑しくも国士を名乗る者で、この詩を知らん者がおったら、コンクリートの靴を履かせ、その身を海に沈めちゃる」


海軍将校の服を着た山口弁の男が、丸テーブルに置かれたワインをぐびっと飲み干し、言い放つ。月の光のように青白い眼光は、その言葉は比喩や冗談ではなく、『実際やるぞ』と物語っていた。言われた男は、がたがたと膝を震わせていた。


「さあ、最後の句じゃ。最も有名で、忘れたたぁ言わせん! いざ、詠め!」


海軍将校の詰問に、男はぐしゃりと膝をつく。もう意識さえも覚束ない。


「詠めんか。ならば儂が代わりに読んじゃろう。だがそりゃあ、貴様に国士たる資格が無い事の証左じゃ」


最後通牒を投げかける。海軍将校がすうっと息を吸い込み、最後の句を詠もうとした時だった。


「ちっくと待て、長州の。最後の句は、儂に詠ましてくれんかよ」


私たちの近くにいたサンタクロースだった。

豊かな白い髭を蓄えた、平和の権化がこの争いに参戦してきた。


「日清、日露戦争で数々の武勲をあげ、旅順攻囲戦で “白襷隊(しろだすきたい)“ を務めた、この『首狩り三田(さんた)』に任しとーせ」


ブラッディ・サンタが現れた。


「ずるいぞ、じっさん。それなら直近の武勲をあげた俺だ。この世界大戦の撃墜王、『紅華(あかはな)渡海(とかい)』に」


こんどはその横にいたトナカイが参戦してきた。


このダンス・ホールは、軍御用達(ごようたし)だったようだ。

『ずるいぞー。俺にやらせろー』『いや、俺だー』という声が次々にあがる。


「まあまあ。ここは皆で仲良う、ご斉唱しもんそ」


薩摩弁の海軍将校が提案する。皆それに同意する。


「さあ、じゃあいっど」


海軍将校の音頭で、皆が一斉に息を吸い込む、そしてホール中に響く大音量が轟いた。


「「「一躍 雄飛せん 五大洲(大きな志を抱き、世界に羽ばたいてみせる)」」」


ウオォ――という喚声があがる。そこら中で皆が抱き合って、喜びを分かち合っている。


そんな中、乱入して来た男は四つん這いになり、『うわぁぁ――』という悲鳴をあげながら、這いずりながら逃げて行った。


戦わずして勝つ。強者の戦いが、そこに在った。




「さあ、皆さん。陛下を明るくお送り致しましょう。あの方に相応しい葬送を。飲んで、歌ってください。私からもお酒を振る舞わせて頂きます」


邪魔者を追い出し、ご機嫌な支配人が大声で呼びかける。再び喚声が湧き上がった。

ホールは、妙な一体感に包まれていた。




「まあ、飲みやんせ。支配人の差し入れん、薩摩ん酒じゃ」


彼が持つ杯に、薩摩弁の陸軍将校がなみなみと注ぐ。


「あんた、司祭の服を着ちょるが、それ本物か?」


山口弁の海軍将校が、杯を呷りながら彼に訊ねる。


「ええ、私は紛れもなく神の使徒です。東京教区に属してます」


彼もつられるように、一気に杯を飲み干す。


「やけんどその身のこなし、素人やないきに。儂らと同じ匂いがしちゅう」


首狩り三田(さんた)が、彼の空いた杯に酒を注ぎながら言う。

三田の国では、杯を空にしたままで置くのは非礼だそうだ。……恐ろしい。


「世界大戦で、フランス軍に従軍していました。…… “ソンムの戦い“ にも参加しました」


彼が唇を噛みしめ、つらそうに零す。


「敵味方併せて100万人が亡くなった、 “世界大戦最大の戦い“ と云われるアレか」


紅華(あかはな)渡海(とかい)が立ち上がり、大声で叫ぶ。

洋の東西は違えど、同じ大戦に参加していたのだ。それがどういう意味か、よく理解しているのだろう。


「……飲め。飲んで、逝った戦友(とも)を送れ。わいが迷うちょっと、死んでしもたモンまで、迷う」


陸軍将校が天を仰ぎ、静かに杯を飲み干した。

他の人間も、それに倣った。

五人の男たちが車座となり、天に向かって杯を捧げた。



私は疎外感を感じた。

未成年で酒を飲めないというのもある。

だがそれ以上に、あの輪に入って行けなかった。

彼らの痛みを語るのが、おこがましい気がした。


酒宴か、葬送の儀か、聖なる夜(ホーリーナイト)は少し血の匂いがした。







「もう、こんなになるまで飲んで――」


私は酔い潰れた彼を、無料宿泊券で与えられた部屋まで運んだ。

ツインの部屋なので二人とも泊まれる。

他の部屋を手配しようとしたが、満室だった。

仕方が無い。……うん、仕方が無いんだ。


彼は崩れるようにベッドに倒れ込む。

私はコップに水を注ぎ、彼に手渡す。彼はゴクゴクと飲み干した。

そして切ない声で呟いた。


「楽し……かったん……ですよ。……戦友が……還ってきた……みたいで」


彼は途切れ途切れ話す。

私は胸がチクリと痛んだ。

隔てる距離がもどかしく、私は彼に近づいた。


「私では、駄目ですか? あなたの慰めには、なりませんか?」


私の問いに、彼は少し困った顔をした。


「……あなたは、私の憧れです。崇拝の対象と言ってもいい。あなたは、私の傍が神様に一番近い場所と仰っていましたが、とんでもない。あなたこそが、神に一番近い存在なんです」


この答えは意外だった。

彼にとって、神は絶対の存在だ。それを私などと比較の対象とするとは、思ってもみなかった。


「人を怨まず妬まず、慈愛を振り撒き生きている。生命力に溢れ、未来を切り開く。そんなあなたは……眩しすぎます。自分の闇がみすぼらしく情けなく思え、嫉妬の炎がチリチリと身を焦がすんです」


彼は右腕で止めどなく涙を流す目を覆い、嗚咽するように感情を吐き出す。

憧憬と妬みが入り混じった感情を。

私は彼にそっと近寄り、優しくその手を払いのけた。


「私はそんな立派な人間じゃありませんよ。あなたに求められ、愛されたい、……ただの愚かな女です」


二人の顔が近づいてゆく。

お互いの距離を埋めるように、近づいてゆく。

私たちの唇が重なる。

温かな熱と、撫でるような優しい唇の感触に、私は溺れた。


唇をずらし、彼の顔の傷を舐める。

愛おしかった。彼のすべてが、愛おしかった。

彼の全身の傷を、愛撫した。


そして私たちは――――――――結ばれた。





翌朝、私は日の出と共に目を覚ました。

隣には愛しい人が眠っている。


幸せだった。例えようもないくらい――――幸せだった。


私は起こさないように、彼の唇に口づけをする。

落とし切れていない私の口紅が、彼の唇に付く。

私は再び口づけをする。私の爪痕が、少しでも長く、深く、痕跡を残すように。


私は彼から離れ、鏡の中の自分の顔を見る。

薄く化粧の残った、幸せな笑みを浮かべる女がいた。



「恋の手習い、つい見習いて、誰に見しょとて紅鉄漿(べにかね)つきょぞ、みんな(ぬし)への心中(しんじゅ)立て……」


(誰のために美しく装っていると思うのですか。みんな恋しい貴方に、真心を伝えるためです)


私はそう呟き、最後にもう一度だけ、彼に口づけた。




「ありがとう。この思い出だけで、生きていけます…………」


私は起こさないように眠っている彼に語りかけ、静かにドアを閉じた。




東京駅から蒼森へ向かう列車の中で、私は泣いた。

幸せなのか、哀しかったのか、――――分からなかった。

静さんのクリスマスエピソードはこれで終わりです。しかしこの二人の物語は、まだ一話続きます。結末を、是非ご覧下さい。


それでは皆さま、 メリークリスマス!!

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