聖誕祭
1927年12月。
高等女学校五年となり、卒業まであと僅かとなった。
12歳でこの学園の門をくぐり、はや5年。あっという間だった。色々な事があった……。
「……なんですか? 人の顔をジロジロ見て。何か私の顔に付いていますか?」
相変わらずの強面で、それでいて優しい顔で彼が尋ねて来る。
「べつに――。この顔も見納めかと思うと、ちょっと感じるものがありまして」
「名残惜しく、思ってくれるのですか?」
ちょっと嬉しそうに、期待に満ちた子犬のような瞳で訊ねて来る。
「ええ、心残りですとも。華の高等女学高生活で、一番見たのがこの顔だと思うと、残念無念に決まっているじゃないですか。出来るのなら5年前に戻り、初めて学園の門をくぐる自分を蹴とばしてやりたい!」
「そこまで言わなくてもいいじゃないですか――」
本当に、あの日の自分を蹴とばしてやりたい。
あんな無様をしでかした自分を。
あの日の事を後悔はしていない。あれでお互い仮面を外し、真実の姿を見せ合う事が出来たのだから。
だが、それはそれである。
自分の綺麗な姿を見せたいと思うのは、当然の心理である。……好きな人には……。
「それよりこんな所で油売っていていいんですか? クリスマスですよ、書き入れ時ですよ、信者獲得のチャンスですよ。支部や教区、忙しいんじゃないですか?」
クリスマスは教会にとって、信者でない人間に足を運んでもらえる、またとない機会だ。
12月24日、25日のミサは、気合を入れている。
おまけに去年、大正天皇が崩御なされた。
それが12月25日、クリスマスの日だ。
よって今年から、亡くなられた12月25日が “大正天皇崩御日“ として祭日に定められた。
クリスマスが、かってない盛り上がりを見せている。
「忙しいですよ、支部や教区は。でも、私はヒマです。私の担当はこの学園。25日が祭日になったんで、学園は明日25日から冬休み。寮も閉鎖。さっきのミサが、私の今年の御用納めでした。年が明けて三学期が始まるまで、やる事がありません」
なるほど。昨年までは24~25日の二日に渡って聖誕祭を行ってきたが、今年は24日だけになった。学園が休みである以上、それに付随する行事も消滅してしまう。
「そんなに暇なら、他の教区にお手伝いに行かれては如何です?」
私の言葉に、彼は苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「……打診しましたが、やんわり断られました。『関東大震災の英雄にお越し頂くのは恐れ多い』――と」
「……ああ――」
私は納得した。
関東大震災の時、教会は両国公園で接待部、人事相談部、診療部、伝道部を設けて救援活動を行った。
そこで常に話題にあがったのが、帝国ホテルでの彼の活躍だった。
暗い悲惨な状況の中、彼のエピソードはそれを忘れさせてくれる、雨の中の晴れ間のようだった。
だが、光が強ければ影もまた濃い。
称賛は、嫉妬を連れて来る。
彼は同業の聖職者から、妬みを買う事となった。
とはいっても、そこは “嫉妬“ を七つの大罪とする聖職者の方々、あからさまな嫌がらせをする事はない。敬して遠ざける。そんな態度をとられていた。
「殿倉さんも、明日蒼森のお家に帰られるんですよね?」
「ええ、寮も閉められることですし、正月くらい親に顔を見せないと」
「……そうですか」
彼は見捨てられた子犬みたいな顔をする。しおれた尻尾が見えるようだ。
「あと3か月で卒業ですね。……さみしくなりますね、もう……お会い出来ないんですね」
彼の言葉に、私の胸はドクッドクッと鼓動を速めた。
顔が熱く燃え、胃の辺りから幸せな感情が込み上げて来た。
「なに言ってんですか。ここの系列の女子専門学校に進学するつもりなんですよ、私。厄介払いしないで下さい。それとも受験に失敗するとでも、仰りたいのですか? 喧嘩なら買いますよ」
私は早鐘のような胸の音や、笑うまいと強張る頬を気取られないように、捲し立てるようにようにがなり立てた。
「そうなんですか! じゃあまた春からお会いできますね!」
彼はそんな私の心を知らず、とろけるみたいな笑顔を浮かべる。
私は体中の端々まで、幸福感が流れて行くのを感じた。
幸せな、刻だった。
「なんですか、この封筒?」
私はそんな気持ちを誤魔化すように、違う話題を探した。
テーブルに置かれた封筒には、 “帝国ホテル“ と送り主の名が記されていた。
「ああ、それですか。毎年なにがしらかの贈り物が送られてくるんですよ、あれ以来。あの時のお礼だと言って。『そんな事されなくても結構です』と申し上げているんですが、『せめて七回忌まではさせて下さい』と言ってきかないのですよ。まあ、これも供養だと思って頂いています」
律儀な事だ。後ろめたい気持ちが、あるのかもしれない。すぐ近くで多くの命が失われたのに、自分たちが生き延びた事に。
「中身は、なんですか?」
私は封入された物を取り出す。 “帝国ホテル クリスマス・ダンスパーティーご招待券“ 、 “帝国ホテル 無料宿泊券“ と記された紙が出て来た。
「なんです、これ――――!」
疑問ではなく、驚きの声をあげる。
「明日開催されるダンスパーティのお誘いと、その晩使える宿泊券です。いや、クリスマス繋がりとはいえ、神職にこれはどうなんでしょうかね」
ほとほと閉口したような口調で、彼は零す。
そんな彼の言葉は、私の耳には入らなかった。
「行きましょう! これ、ペア招待券でしょう。先生、明日ヒマなんでしょう。やる事ないんでしょう。現代クリスマスの市場調査を兼ねて、一緒に行きましょう!」
私は肩で息をしながら、彼に詰め寄る。興奮が、抑えきれない。
彼と一緒に過ごすクリスマスの夜、なんと甘美な事だろう。
「どうどう。殿倉さん、落ち着いて。目が血走っていますよ。怖い怖い!」
近づく私に、彼は思わず後ずさりをする。
「これが落ち着いておらりょうか。帝国ホテルのクリスマス・ダンスパーティーですよ。モボやモガが集う、垂涎のプラチナチケットですよ。使わないという選択肢はありません。それは、神もを畏れぬ所業です!」
神の使徒相手に、私は何を口走っているのだ?
だが、この昂る想いを抑えることが出来なかった。
帝国ホテルが云々ではない。彼と一緒に過ごすクリスマスの夜。その幻想に、私は酔いしれた。
「わ、わかりました。御一緒します。こんな興奮した貴方を一人で行かせたら、何をしでかすか分かりませんからね。お目付け役として同伴します。待ち合わせ場所は、有楽町でいいですか」
いいね、いいね、デートっぽい。
これぞ私が求めていた至高のクリスマス!
そうと決まれば、こうしちゃいられない。
「それでは私はこれで! 明日の準備があるので失礼します!」
そう言うと、私は一目散に駆けて行く。衣装の準備、化粧品のチェック、肌のお手入れ、やる事は山積みだ。睡眠もしっかり取らなければいけない。
「女の子ですね~殿倉さんも」
分かったような、ちょっと的外れな彼の台詞が、背後から聞こえた。
「髪型よし! 化粧よし! 衣装よし! いざ、帝国ホテル!」
私は有楽町のショーウインドウに写る自分を眺め、最終チェックをする。
「……随分と早いですね。まだ待ち合わせの一時間前ですよ」
彼が呆れたような顔で近づいて来る。貴方も十分早いですけどね。
「クリスマスの街並みを見るのも、楽しいですからね。決して貴方と会うのが待ち遠しくて、二時間前に来たとかじゃありませんからね。勘違いしないで下さいね!」
……私は何を言っているのだろう。
「分っていますよ。この帝都で一番華やかな場所ですもの。年頃の娘さんの浮き立つ気持ちも、解ります」
解っていない! こいつ乙女心を、ちーとも解っていない!
……まあ、いいか。そんな奴だから、好きになったのだ。
「じゃあ時間まで、銀座をブラブラしましょう。街が赤と緑のクリスマス色に染まり、綺麗ですよ」
私は彼の腕に自分の腕を絡め、提案する。
「この恰好で?」
彼はいつもの黒いカソック(司祭平服)を纏っていた。
「大丈夫です。さっきからサンタクロースやトナカイが行き交っています。神父さんもチラホラいましたよ。誰も本物だとは思いません。先生は普段から、そのいかつい顔のせいで偽物扱いされがちじゃありませんか。今日だとそれは、ひとしおですよ」
彼はしょんぼりと肩を落とす。……しまった!
「いや、クリスマスで神父さんは大忙しじゃないですか。本物がこんな街中を出歩いていないというか」
「どうせ私は要らない子ですよ……」
あーあ、拗ねちゃった。
「私にとって貴方の傍が、神様に一番近い場所です」
彼の腕をぎゅっと握りしめ、嘘偽りのない気持ちを伝える。
「……行きましょう」
彼は顔を赤らめ、一言だけ呟き、クリスマスの街並みを歩き始めた。
私はその腕に摑まり、街を漂う。
陽が急ぎ足で隠れようとしていた。
世界が赤い光に覆われてゆく。
私たちの仄かな熱情の残滓が、隠されてゆく。
長い並木道が真っ直ぐに伸びていた。
街灯に灯りがともる。
まるで飛行場の滑走路みたいに、灯りが延々と続いていた。
その先に、昇り始めた月が見えた。
私たちは、月までも飛んで行ける気がした。
世のクリスマスムードに流され、この様な物語となりました。この続きは、明日12月24日に投稿します。出来ればクリスマスムードが溶けない内に、是非ご覧ください。
『ブックマーク』、『星評価』、『いいね』をお願いします。下段のマークをポチっとして頂くだけです。それが執筆の何よりの糧となります。……筆者の切なるお願いです。




