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まれびと

山は爽やかな木々の匂いと、甘い人の思いやりに満ちた薫りに包まれていた。

純然たる愛念の世界。

強すぎる日差し、濃すぎる緑、それらが柱となり、この完璧な世界を造り上げていた。

いまその世界が、崩れようとしていた。




7月19日、雲一つない陽光の中を、一人の少女が走っていた。

街を見下ろす丘から、千多ちゃんが全力で駆けて来る。

「街から誰かがやって来ます!」――そう叫びながら。


昨日から交代で、街へと繋がる道を見張って貰っていた。

あって欲しくはないが、この様な事態が予見されたからだ。



「行列を組んでやって来ます。中央に二人の男が担いだ駕籠(かご)があって、その前を三人、後ろを三人で守るみたいにして、一列になってやって来ます」


千多ちゃんが息を切らしながら報告する。

なんだ、そりゃ。

焼き出され、喰い詰めた奴らがやって来ると云うのなら分かる。

だがそんなお大尽さま一行が、こんな所に何の用だ。

俺や紬が狙いなら、この様な目立つ真似はしない筈だ。

どうにも意図を測りかねる。



「紬、雄兵郎、千多ちゃんは洞窟に避難しろ。俺とメアで対応する」


俺はみんなに指示を出す。

以前見つけた洞窟を、避難場所に仕上げていた。

入口を(つた)で覆い周りと同化させ、ぱっと見には分からないように偽装している。

水や非常食も常備し、数日間は籠ることが可能だ。

そこに幼年組を避難さす事にした。


だが紬は『自分もお兄ちゃんと一緒にいる』とぐずった。

まるでここで手を離すと、一生会えなくなると思い込んでいるかのように。

紬に何かあれば、俺は耐えられない。そしてそれを庇おうとすれば、その行動は俺を窮地に(おとしい)れる。それはお前も同じだ。幸い俺とお前は別行動をしていると思われている。ならばここは離れておく事が、お互いに生き延びる可能性が高まる。――そう説得した。

ならばメアちゃんはどうなの? と反論された。

メアがここに居ることは、おそらくバレている。隠れたところで、探し出される。ならば正面から対峙した方が得策だ。――そう説明した。

紬は納得はしなかったが、不承不承受け入れた。





俺とメアは小屋の前で並んで立ち、待ち受けた。

小屋の中には、動けない静さんがいる。

逃げ場はないのだ。

メアは俺の手をぎゅっと握りしめる。

彼女の手は震えている。

『大丈夫だ。俺が必ず守る』

俺はメアを安心さすように、自分を鼓舞するように言った。


行列が、丘の上に現われた。


憲法黒(けんぽうぐろ)の羽織を纏った男たちが、まず姿を見せた。

黒塗りの網代笠(あじろがさ)目深(まぶか)にかぶり、ただ黙々と歩いていた。


続いて二人の男に担がれた、漆黒の駕籠が出現する。

いわゆる “宝泉寺(ほうせんじ)駕籠(かご)“ だ。

側面の小窓には竹簾がかけられ、どのような者が乗っているのか窺い知れない。

ただ周囲の木枠や屋根に塗られた黒い(うるし)が妖しく光り、陽光の中に夜が仕舞われた(はこ)を思わせた。


まるで葬列みたいだった。駕籠が(ひつぎ)に見えた。

駕籠の中に死体が乗っていると言われても、『ああ、そうなんですね』と納得してしまいそうだった。

蟻が亡骸を運んでいる光景が頭に浮かんだ。




行列の中から、一人の影が抜け出して来た。

暗黒色(あんこくしょく)の着物を纏った、若い女性だった。

笠で(かんばせ)は見えない。

ただその足取りは速く、力強く、怒りを感じさせた。


女性は行列を置き去りにし、俺たちにどんどんと近づいて来る。

黄金色の光を背に、挑むように迫って来る。

その躰から、冷ややかな感情が放たれていた。



女性は俺たちの3メートル手前まで来ると、歩みをぴたりと止めた。

そして笠で顔の上半分を見せぬまま、露わとなった口から言葉を発した。


「こんな所にいたんですか、勇哉さん。空襲後の蒼森から逃げ出して、呑気なものですね」


底冷えのする、木枯らしのような声だった。

それは聞き覚えのある声だった。

遠い昔、どこかで聞いた……。


女性は笠を縛り付けていたあご紐を、シュルシュルとはずす。

パサリと髪がこぼれる。長い髪が波打ち漂う。

笠が持ち上げられ、鷲のような目が現れる。

獲物を見定める鋭い目だった。

俺はその顔を見て、思わず声をあげた。



「え……す……み?」


その姿は、見知ったものだった。

江角(えすみ) 未沙都(みさと)――俺の未来でのクラスメイト、江角だった。



「えすみ? 誰と間違えているんです。聡美(さとみ)です。相馬(そうま)家の。お忘れですか?」


相馬(そうま) 聡美(さとみ)? ――思い出した。


殿倉(とのくら)の家に仕える、相馬家の娘だ。小さい頃に会った事がある。

だが五年前、聡美の父は東京の殿倉邸で働く事となり、彼女も付いていった。それ以来、会っていない。

聡美は当時十歳。今とは面立ちが違う。だから今まで気づかなかった。

けれど、成長した今なら分かる。こいつは “江角 未沙都“ だ。間違いない。



だが、どういう事だ? 紬やおべ爺みたいに年老いて未来に存在する訳ではない。

どうやって、過去と未来に存在し得たのだ?


「なんですか、幽霊にでも出会ったみたいな顔をして」


まさしく亡霊だ。

だが、どちらが? こいつが? それとも未来の江角が?



「……ここに、何をしに来た? 俺を連れ戻しに来たのか?」


俺は喫緊の課題から先に片付ける事にした。


「用があるのは貴方じゃありません。目的は、そちらです」


聡美は顔をメアに向け、冷たい視線を投げかける。


「メアに何の用だ」


俺は庇うようにメアの前に立ち、聡美の視線を遮る。

メアに手出しはさせない。俺の頭の中にあるのは、それだけだった。



「……私がそれを言うのは越権行為です。間もなく主人が参ります。主人からお話をさせて頂きます」


主人? 殿倉か。あいつがあの駕籠に乗っているのか。

俺は黒塗りの駕籠を見やる。


殿倉(とのくら) 主馬(かずま)――殿倉家当主。あいつがあの中に……。

俺は手汗が滲むのを感じた。




緊張の中、ぎいっと軋む音を立てて小屋の扉が開く。


「どうしたの、騒がしいみたいだけど」


よろよろと、静さんが出て来た。

この数か月で、かなり痩せ細った痛々しい姿だ。

医薬品や食料が不足する現状、闘病生活は苦難を強いられていた。


静さんは俺たち三人を見て、続いてやって来る行列に視線を移す。


「あのは駕籠は――」


その中央に在る駕籠を見た瞬間、静さんは全てを悟ったような顔をした。




駕籠はどんどんと近づいて来る。

そしてその姿がはっきりと見て取れるようになった。



正面に、家紋が見えた。

揚羽(アゲハ)(チョウ)“ に見立てて描いた “(ひいらぎ)(ちょう)(もん)“ ――殿倉の家紋だった。



駕籠は俺たちの前まで来ると、ゆっくりと地面に降ろされた。

『到着いたしました』と聡美が側まで近寄り、声を掛け、厳かに扉を開ける。

中から一人の人間が出て来た。


美しい少女だった。


その髪は、一筋一筋がこの上なく細い、絹のようだった。

長い睫毛は濡れ、したたるような大きな目が凛々(りんりん)としていた。

美しさの中に、強い意志を感じさせる姿だった。


「お疲れ様です、亜夢美(あゆみ)お嬢さま」


聡美がうやうやしく呼びかける。


殿倉(とのくら) 亜夢美(あゆみ)――殿倉 主馬の一人娘。

そして、相馬 聡美の主人。


そうだった。相馬 聡美は同い年の亜夢美に仕え、亜夢美の東京の女学校入学に従い、東京へと行ったのだった。聡美の父親の東京行きは、それに付随したものだった。



俺は驚愕の瞳で亜夢美を見る。

父親だと思っていたのが娘だったからでは無い。

その姿に、驚愕させられた。


それは、俺のよく知っている姿だった。

俺の未来の親友、 “姫川(ひめかわ)  (あゆむ)“ がそこにいた。



時を超え、性別を超え――――無二の親友が、俺の前に姿を現した。




「お久しぶりですね、(しずか)叔母(おば)さま。そして初めまして、従姉妹(いとこ)どの」


亜夢美は抑揚のない、静かな声音(こわね)で語りかけた。

いまこいつは、何と言った。 “叔母さま“ “従姉妹どの“ ?

ならばメアたちは……。



「 “アメリア“ さんと呼ぶのは(はばか)られるわね。 “月子(つきこ)“ さんと呼ばせて頂くわ」


メアが親戚に付けられたという、 “罪の子“ をもじった忌まわしい名で呼ぶ。

そうか。……そうだったのか。


メアは、殿倉の一族。

俺は振り返り、彼女を見る。


メアはつらそうな、申し訳なさそうな顔をしていた。


決して隠していた訳ではないのだろう。

俺たちを騙そうとしていたとも思えない。

ただこの関係を、壊したくなかったんだ。




歴史の川は、曲がりながら進む。

先の見えない、曲がりくねった道(ワインディングロード)のように。

『第五章 パラダイス・ロスト』が始まりました。江角さん、歩くんも再登場です。

物語をどんどんと盛り上げてくれます。


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