ノーサイド
憤怒のような激しい夏の日差しが降り注いでいる。
その日差しを払いのけるように少女は手を振り上げ、高らかに声を放つ。
「そこまで!」
試合終了を知らせるメアの声が、夏の空に響き渡る。
「ちっくしょう! 仕留めきれなかった!」
紬がハアハアと息を荒げながら地面に大の字に寝ころび、空に向かって悔しそうに叫ぶ。
「どうだ千多、負けなかったぞ!」
雄兵郎が潰された蛙みたいにうつ伏せに倒れ、頬を地面につけながら言う。
……勝ってもいないけどな。
けどまあ雄兵郎にとっては最後まで戦いきった、それこそが勝利なのだろう。
生き延びれば、次がある。戦い続ければ、いつか勝利する。
そんな考えに違いない。
「さあ、判定といこうか」
俺はメアと千多ちゃんに呼びかける。
各ラウンド10点満点で、3ラウンドの合計で勝敗を決める。
「29-28で紬ちゃん!」
メアが熱っぽい、興奮した声で叫ぶ。二人の熱戦に中てられたようだ。
有効打は紬が多かったので、まあ妥当な判定と言える。
「28-27で雄兵郎! 2ラウンドのダウンを重視しました」
千多ちゃんが判定を読み上げる。
このあたりは、考え方の違いだ。
雄兵郎はどんなに攻められてもダウンしなかった。
倒されて寝技に持ち込まれても、 “参った“ をしなかった。
紬はそのまま攻め続ければ、失神させたり、骨を折ったりして、勝利する事も可能だった。
だが紬は、それを良しとしなかった。
情けをかけたとか、傷つける事を躊躇ったとかではない。
雄兵郎の “心“ を折りたかったのだ。
負けを認めさせないまま勝負を終わらす事が、我慢ならなかった。
己の非力さを痛感させ、敗北の涙を味わわせたかったのだ。
勝ち方に拘った、強者の驕りとも言える。
その心の隙を、突かれた。
紬が腕挫十字固を極めていた2ラウンド終盤の事である。
紬の両脚に挟まれた雄兵郎の右腕は伸び切り、肘は悲鳴を上げ、靭帯を断裂しそうであった。
それでも雄兵郎は降参しない。紬は攻めあぐね、仕切り直しをしようと押さえていた脚の力を緩めた。
そこを雄兵郎は見逃さなかった。
挟まれていた右腕を解放さすのではなく、自由を得た体勢で、残された左腕で殴りかかった。
狂気の沙汰である。
後に『何であんな真似をしたのか?』と雄兵郎に尋ねたところ、『あのまま終わったら、千多にもっとひどい目に遭わされるから』と言っていた。…………どんまい。
雄兵郎の左拳が紬に迫る。紬はそれを避けようとする。
だがそれが最悪の結果を招いた。
雄兵郎の拳が紬の顎先を掠める。
脳が揺れ、紬はぐらりと倒れ、起き上がれない。
俺はダウンをとり、カウントを始めた。
紬は歯を食いしばり、カウント8で立ち上がる。
だがダメージは深刻で、足はガクガクと震え、残り30秒をなんとか逃げ切るのが精一杯だった。
「もしラウンド間の休憩が無ければ、紬さんは負けていました。勿論そういう決まりで戦ったのだから、タラレバを言うつもりはありません。ですが、これが実戦ならば紬さんは死んでいました。これは見逃せない、大きな減点です。 “死して屍拾う者なし。死んでも生き残れ。生き残った奴こそが勝者だ“ ――これはアタシ達が小さい頃から叩き込まれる原則です。死んだら負けです。終わりです。0点です。……紬さんは雄兵郎を殺す事が出来たのに、それをしなかった。殺せる時に殺せ。それを怠った紬さんに、勝者の資格はありません」
どこの闇の組織だ、そんな標語を使うのは。
こうなると、昨日千多ちゃんが言っていた『死にたくない』という望みが、まるで違う物に聞こえてくる。 “修羅の国“ の女、こえ~。
「アタシの採点結果に不服がありますか?」
千多ちゃんの問いかけに、紬はぐっと唇を噛みしめる。
「文句は――ない」
震える声で紬は答える。
……後でフォローしておくか。同年代の奴にここまでやり込められるのは、初めての経験だろう。
「さて、最後に俺だな」
メアと千多ちゃんの採点合計は全くの五分。俺の判定で勝敗が決まる。
俺の口元にみんなの視線が集まる。
ふうっと俺は大きく息を吐く。
「判定は…………」
全員がごくりと唾を飲む。
「…………26-26、引き分け!」
『ええ――――』と、落胆とも驚愕ともつかない声があがる。
勝敗の結果よりも、その低い点数が意外だったようだ。
「言っておくが、お前ら失点だらけだぞ。紬に関しては千多ちゃんが言ったから、もうこれ以上は言わんが、雄兵郎、お前も褒められたモンじゃない」
「なぜです? 雄兵郎は全力を出して戦ったじゃないですか」
千多ちゃんは雄兵郎の代わりに、納得できないと声をあげる。
「戦いの中で全力を尽くした、それは認める。だが “戦いの前“ はどうだった?」
『えっ?』と思いがけない質問に、千多ちゃんは戸惑いの声を出す。
「日々鍛錬を積み、己を高めたか? 限界まで」
俺の言葉に千多ちゃんは考え込む。
「もしそれをしていたら、紬との力量差はここまでで開かなかった筈だ。死に物狂いでやるのはいいが、それが戦い本番だけなら意味がない。 “怠け者の節句働き“ だ、それじゃあ。戦いは、その事前準備を含めてのものだろう」
千多ちゃんはぐうの音も出ない。普段から雄兵郎を見ているだけに、行っているとは言えないのだろう。
「まあ、それを求めるのは酷だとは思う。だが紬はそれをやっていた、日々怠らず。ならばその紬を抑え、10点満点を雄兵郎に付ける事は出来ない。だから二人とも減点で、この点数だ。雄兵郎は試合前に、紬は試合中に驕りがあった。よって、引き分け!」
勝負はついた。もうこれでいいだろう。どっちが勝ったかとかなったら、またややこしい事になる。
「分かったわ、お兄ちゃん。もう油断はしない。もう私に死角はない。次は完膚なきまでに叩きのめしてやる!」
紬は爛々と燃える瞳で決意を表す。
「それはこっちの台詞だ。これからのオレの伸びしろはスゲエぞ。あっという間に追いついて、お前を叩きのめす!」
雄兵郎も負けじと気を吐く。
「あ”ぁ”――」
「やんのか、ゴラァ!」
二人は近づき、睨み合いを始める。
こいつらにノーサイドの精神はないのか。
俺は二人の間に割って入り、引き剥がす。
「3ラウンドだけの約束だったろう。延長戦は認めない!」
二人はフゥーフゥーと唸りながら、ようやっと離れる。
まるで猫の喧嘩だ。
二人の興奮が収まった頃、少し離れた所から視線を感じた。
俺はその視線の源を一瞥する。
楡の木の下で、亜麻色の髪の少女がこちらを見ていた。
昨日の泣きそうな顔ではなく、笑顔を浮かべていた。
雄兵郎を、優しそうな瞳で見つめていた。
俺は、少しほっとした。
悲しい顔を見せられると、心が締めつけられる。
待ってろよ、お前たちも必ず元に戻してやる。
俺の気持ちが通じたのか、鈴はにっこりと笑う。
鈴の笑顔が呼び水となり、ひとつの光景が頭に浮かんだ。
こちらの世界にくる直前に、 “紬ばあちゃん“ が見せた姿だ。
あの時紬ばあちゃんは鈴の顔を見て、『雄兵郎さん……千多さん……』と言った。
その声は、懐旧と親愛の情に溢れていた。
あの人たちは、ここで出逢っていたんだ。
ここで、どんな縁を結んでいったのだろう。
これから、どんな物語を紡いでいくのだろう。
俺は未来へと、思いを巡らす。
仲睦まじく、じゃれ合う、三人の姿が朧気に見えた。
幼年組というか老年組というか、三人組の物語でした。
過去である “未来“ は動きませんが、未来である “過去“ が、これから動いて行きます。
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