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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第四章 World War Ⅱ(第二次世界大戦)
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イエスタデイ・ワンス・モア

7月16日。俺たちがこの世界に来てから、青函連絡船空襲があってから、三日目の朝が来た。


一番奥に雄兵郎(おべろう)爺ちゃんと千多(ちた)婆ちゃんを寝かせ、その前を遮るように俺が布団も掛けずに寝た。万が一の用心の為だ。メアと静さんには、入口に近い所に寝てもらった。


雄兵郎爺ちゃんはゴウゴウと、風が唸るような(いびき)をかいていた。

口から一筋の涎が垂れている。

そんな天下泰平な片割れを、千多(ちた)婆ちゃんは何とも言えない面持ちで見下ろしていた。


「……なんか、すいません。脳天気な奴で」


申し訳なさそうにお詫びの言葉を述べ、ぺちっと鼾の発生源の頭を叩く。

雄兵郎爺ちゃんは意に介さず、その鼾はなおも高らかに鳴り響く。


「いや、こういう人だって、よく知っているから……」


昔おべ爺の家に泊まった時、鼾で眠れなかった事を思い出す。


「何処かでお会いしたこと、ありましたっけ?」


不審な顔で尋ねてくる。そんな覚えはないと。

そりゃそうだ。まだ会った事は無いんだ。この時間では。


「……これから君たちは、どうするつもりだ? 蒼森の街に帰るのか? もしそうなら、保護してくれる所を探してあげるけど」


俺は問いに答えず、逆に質問を投げかける。

千多婆ちゃんは目尻を下げ、困った顔をした。


「どうしましょう……。どうすればいいのか、分かりません。アタシたちの願いはただ一つ、 ”死にたくない” ――それだけです」


シンプルな、明快な答えだった。茅崎で空襲に遭い、蒼森の地で再び遭った者としての。

そしてそれは、俺の願いとも一致した。



『鈴のお祖父さまとお祖母さまの、命を救って。鈴の存在を、消さないで』


明日香の昨夜の言葉は、今でも俺の耳に残っている。


そして明日香の予言を思い返す。


『7月28日、 “蒼森大空襲” がある。死者は千人、市街地の九割が焼け野原となる』


……思わず身震いする。

俺にそれを防ぐ手立てはない。

だが、それから遠ざける事は出来る。


(しばら)く、この山に居るといい。この小屋も狭いけど、あと二人ぐらいならなんとか暮らせる。食料も人手が増えれば、その分沢山とれるだろう」


「いいんですか!」


俺の提案に千多婆ちゃん――いや、千多ちゃんが目を見開く。

それは暗闇の中で護ってくれる人を見つけた、幼子の目だった。


「もちろん食べる分は働いてもらう。この太平楽(たいへいらく)にもな!」


俺はポカリと、へそを出してボリボリと掻いている奴の頭を叩く。

千多ちゃんがふふっと微笑い、『思いっ切り、こき使って下さい』と言った。

その身を己の預かり知らぬ所で処せられたとは夢にも思わず、雄兵郎爺ちゃんは鼻ちょうちんを呑気に膨らませていた。


入口から、布団が擦れる音がする。

起き出したメアの、優しそうに俺たちを見つめる顔があった。

親指を立て、腕を伸ばし、笑いながらサムズアップの合図を送って来た。


「さ~朝ごはんにしよっか。昨日獲れたワカサギの吸い物だよ。さっさと起きた、起きた!」


そう言うとメアは、右足で雄兵郎爺ちゃん――いや雄兵郎をドカッと蹴り上げる。

ぐうむむ―と呻きながら、ようやっと雄兵郎は目を覚ます。


そんな二人を見ながら、俺と千多ちゃんは大声で笑い合う。

日が昇り小屋の中を、暖かい光がひたひたと満たしていった。






朝食を終え、メアと千多ちゃんは昨日獲れた魚の燻製(くんせい)作りに、俺と雄兵郎は農作業に(いそ)しんだ。俺たちは切り取って乾燥させていた竹を納屋から取り出し、畑に運ぶ。そしてそれを(うね)の横にグイグイと突き刺してゆく。


「何やってんだ、これ?」


自分が何をしているのか見当もつかない雄兵郎が聞いてきた。


「 “支柱立て“ をしてるんだ。 “誘引(ゆういん)“ をする為にな」


キュウリの(つる)を絡ます支柱を立てる。

二本の支柱を斜めに交差するように挿して固定する、合掌型(がっしょうがた)だ。

それに伸びた(くき)(つる)を誘導さす作業、 “誘引“ をする。

誘引する事により間隔が空き、まんべんなく日が当たるようになる。

光合成ができて栄養も行き渡り、実をたくさんつける。

そして風通しがよくなり、病気になりにくく、害虫もつきにくくなる。


面倒だが、農作業で手間を惜しむと後で痛い目に遭うのは自分自身だ。



「他にも敷きワラ・整枝・摘芯・摘葉・下葉かき・追肥……やる事は、いっぱいあるぞ」


「うへぇ――」


雄兵郎がうんざりとした顔をする。

その声は気乗りがしないというより、どこか憎悪のこもった物だった。



俺たちは黙々と作業を続ける。

真夏の陽射しが、そんな俺たちの足もとにくっきりとした影を落とす。

影は同じ方向を向いている筈なのに、まるで向い合せに映っているようだった。


そんな二人を、少し離れた所から二つの人影が見つめていた。

雄兵郎には見えない、俺だけに見える幻影だ。


亜麻色の髪の少女は、じっと俺たちを見つめていた。

身じろぎもせず、顔の表情を一切変えず、全身全霊で見つめていた。

黒髪の少女はその横に立ち、泣きそうな顔で傍らの少女の手をしっかりと握りしめていた。


……切なかった。




天候が(にわ)かに変貌した。

泥を投げつけたような雲が湧きたち、空が暗くなってきた。

雲は急流の如き雨を叩きつけ、立ちすくむ俺たちを殴りつける。

地面から跳ね返る雨滴(うてき)が白く(くすぶ)り、湯気のように立ち昇ってゆく。


俺たちは大きな木の下に避難する。

濡れて貼り付いたシャツが気持ち悪い。

引きちぎるように脱ぎ、雑巾みたいに絞る。ざあっと水が流れ落ちた。

体を手ぬぐいで拭き、雨の雫を払う。

やっと人心地ついた。


「雨が止むまで一休みだ」


俺はそう言って腰掛ける。雄兵郎も俺に(なら)う。


二つの人影は(けぶ)るような雨の中じっと佇み、そんな俺たちを見ていた。



俺はふぅっと息を漏らし、隣の雄兵郎に呼び掛けた。


「農作業、そんなに嫌か?」


俺の問いに、雄兵郎は顔をしかめる。


「嫌って訳じゃない。生きるのに欠かせない事も分かっている。ただ……父ちゃんの事が思い返されるんだ」


親父(おやじ)さん、空襲で亡くなったんだっけ……」


俺の言葉に、雄兵郎は泣きそうな顔をする。


「ああ、可哀想な……人生だった」


ぽつりぽつりと、心を吐き出し始めた。


「父ちゃんな、板金工だったんだ。そりゃあ格好よかったんだぜ。薄くて平らな金属の板を、ぐにゅって曲げて火花を散らしてくっつけて、何かを作ってゆく。まるで魔法使いみたいだった。すごく格好よかった。オレも父ちゃんみたいになりたいって思っていた」


雄兵郎は瞳を輝かせ、虚空に在りし日を思い浮かべる。


「けどな、父ちゃん、その魔法を取り上げられた」


唇を噛みしめ、悔しそうに言う。


「戦争で資材が手に入らなくなり、仕事が無くなった。いつか動かせる日が来ることを夢見て、毎日機械を磨いていた。……寂しそうに」


雄兵郎が見つめる虚空に、その光景が映し出されているようだった。


「けれどその夢は叶わなかった。使わない機械なら、国に差し出せと言ってきた。お国に逆らえる筈もなく機械はみんな持っていかれ、後に残ったのは空っぽの工場だった」


戦争も末期になると、資源は枯渇した。

元々資源が無く輸入に頼っていた日本では、制海権を失うとその輸入ルートも途絶えた。

やむを得ず “国家総動員法“ を発令し、民間にある金属を根こそぎ集めた。お寺の釣り鐘さえ徴収したそうだ。


「空っぽになった工場で、父ちゃんは呆然としていた。それでもなんとか気を取り直し、『しゃあんめ、お国の非常時だ。きっといつかもう一度、この工場で機械を動かしてやる』――そう言って自分を慰めていた」


雄兵郎の手はぎゅっと握られ、震えていた。


「けど、それで終わりじゃなかった。今度は町内会の奴らが、『こんな広い土地を遊ばせているのは勿体ない。潰して畑にしろ』と言ってきた」


食料難のこの時代、都市部では少しの土地でも活用して菜園を作っていた。


「ふざけるな!と思ったよ。好きこのんで空っぽの工場にした訳じゃない。それを今度は畑にしろだと。大人しい父ちゃんも怒ったよ。けど町内会の奴らに(さと)され、『村八分にしてやる』と言われたら、従うしかなかった……」


どちらの言い分もよく分かる。みんな生きるのに、必死なんだ。


「町内会総出で工場を解体していったよ。あれよあれよとという間にな。余韻に浸る暇もなかった」


雄兵郎は苦笑を浮べる。


「それでも父ちゃんは『しゃあんめ、お国の非常時だ。きっといつかもう一度、ここに工場を建ててやる』――そう言って笑ってた」


雄兵郎は涙ぐみ始めた。


「オレは言ったんだ、『オレも手伝う。絶対ここにもう一度、工場を建ててやる』って。父ちゃんはそんなオレの頭を撫でながら、『おう、頼んだぞ。いつか一緒に建てような。そしてそれを継いで、立派にしてくれ』――そう言ったんだ。久しぶりに、嬉しそうに。そしてその日から、父ちゃんは農作業に(いそ)しんだ。いつか叶える夢のために」


雄兵郎の目から、ぼろぼろと涙が零れていた。


「けどあの日、茅崎(かやさき)大空襲の日、すべてが終わった。父ちゃんの夢も、命も。……父ちゃんの人生って、なんだったんだろうって気持ちになるんだ。農作業をしてると」


戦争が、あらゆる人の人生を狂わす。

人を守る筈の戦いが、人を蝕んでゆく。


「農作業をどうこう言うつもりはないよ。命の根っこになる、立派な仕事だ。尊敬している。……けどな、どうしても、やり切れない、引っかかるものがあるんだよ」


自分の心の内の、どうしょうもない想いを、雄兵郎は吐露した。






「メアのこと、どう思う?」


俺は唐突に、関係のない事を問うた。


「あの金髪の姉ちゃんか。どうもこうもねえ。世間知らずの怖いもの知らず、のほほんと生きている、お気楽娘ってとこかな」


その答えに、俺はハァっと息を吐く。


「…… “飛鳥山(あすかやま)の鬼“ ってな、メアのことなんだ」


「なっ――」


俺の言葉に、雄兵郎は驚きの声をあげる。


「あのポアポアした姉ちゃんが、子どもを喰らい生き血を吸う鬼? ありえねぇ!」


こいつならそう答えるのではないかと思っていた。


「お前は茅崎に住んでいたんだろう。だったらあんな金髪も、見た事があるよな?」


俺の問いに、雄兵郎は頷く。

茅崎の隣りは横浜だ。外国との玄関口であるそこでは、戦争中ではあるが多くの外国人が居住していた。


「だがここ蒼森では、外国人を見ることは(まれ)だ。 “鬼畜米英“ って叫ばれてる昨今では、 “鬼“ って呼ばれるんだよ、ここでは」


「それだけの事で?」


雄兵郎は衝撃を受けた顔をする。


「ああ、 “それだけの事で“ だ。 “それだけの事で“ 鬼と呼ばれ、疎まれる。あいつも好きこのんで、こんな山奥に住んでる訳じゃない」


雄兵郎のメアに対する印象が、ガラリと変わったようだった。


「あいつは人から疎まれれば疎まれる程、人の世から離れれば離れる程、清らかに、澄んでいった。淋しさが、悪意を消し去るように。井の中の(かわず)が高い空に憧れるように。何時かそこに辿り着ける日を夢見て。……お前の親父(おやじ)さんも、お前にそんな人間になって欲しかったんじゃないのかな。高く美しい空に舞い上がるような、憎しみの鎖に縛られないような人間に。何の仕事をするかは、些末な事だ」


雄兵郎はじっと黙り込む。


「そしてその想いは、親父さんからお前へ、お前からお前の子へ、お前の子からお前の孫へ、綿々と受け継がれてゆく。気高い、職人の魂だ。時代を超えて、引き継がれてゆく。それは、お前の親父さんが夢見ていたものの、本質じゃないかな」


雄兵郎の瞳に、光が灯った。顔を覆っていた暗雲が、吹き払われたようだった。


「お前がその想いを途切れさせるな、親父さんの希望の灯りを消すな。子どもたちに誇れる男になれ!」


俺は彼の父になり代わり、道を示す。それは、間違っていない筈だ。


「……そんな自慢に思ってもらえるジジイに、オレなれるかな?」


不安気に雄兵郎は尋ねてくる。


「きっと、なれるさ。俺が保証する!」


俺は言いきる。

ああ、間違いない。お前は偏屈で、融通の利かない、ちょっと強面の、愛すべき魔法使いになるんだ。

俺は、それを知っている。


「兄ちゃんのお墨付きなら、間違いないな!」


雄兵郎はニカッと笑う。


“俺“ のお墨付きじゃないぞ、 “歴史“ のお墨付きだぞ。

そう言いたいのを、ぐっとこらえた。


大きく、巌のような背中がぼうっと俺の前に現われた。

懐かしく、頼もしい背中だった。




俺は顔を上げ、じっと俺たちを見つめていた二つの人影に視線を向ける。


鈴は瞬きもせず、口を両手で押さえ、涙を流しながら見ていた。

その涙は昨日の悲哀に満ちたものではなく、喜びと感動の色を帯びていた。


明日香はそんな鈴の肩を抱きしめ、顔をくちゃくちゃにして泣いていた。


二人の涙は雨に混ざっていたが、明らかに違う輝きを放っていた。




俺は、あの夜を思い出す。

おべ爺と、千多婆ちゃんと、鈴と、俺と、みんなで花火をした、あの夜を。

真夏の夜の夢みたいな、あの夜を。



あの夜は、きっとまた来る。

第一章 第9話 『真夏の夜の夢』を思い返しながら書きました。よろしければ、そちらももう一度お読みください。


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