タイムライン
暗闇の中、俺は懐かしい人たちと対峙していた。
だがその関係性は、昔とはかけ離れたものだった。
「ごめんなさい。昨日から何も食べてなくて、悪いとは知りながら、つい。――ごめんなさい!」
七歳ぐらいの千多婆ちゃんが跪き、地面に両手を突き、額を擦りつけ、涙声で謝っていた。
「オレが悪いんだ。オレが盗もうって言ったんだ。こいつはオレに無理やり付き合わされたんだ。こいつは見逃してくれ。オレはどうなってもいいから。頼む、こいつだけは助けてくれ!」
雄兵郎爺ちゃんが幼いにも拘わらず、漢気を見せる。
……やめてくれ。まるでこっちが悪者じゃないか。
この人たちを害する気は、毛頭ない。
「喰うんなら、オレだけにしてくれ。こいつは細っこくて、骨ばっかで、肉はあんまりないぞ」
うん? なにを言ってやがる?
「あんた、 ”飛鳥山の鬼” なんだろう。子どもを喰らって、生き血を吸って、永い時を生きるって云う。だから千里眼で、オレたちの名前や、茅崎に居た事も知っていたんだろう?」
どこの都市伝説だ。この類は伝言ゲームで、訳の分からん変貌を遂げるが、それにしても――ひどすぎる!
それとお前たちの素性を知っていたのは、そんなチート能力を発動したからじゃないからな。ただの経験から来る物だ。まあ、ただの――と云うには時系列が滅茶苦茶だが、それはそれである。
「いえ、喰らうならアタシにして。こいつは筋張っていて、臭くて、きっと不味いわ。アタシの方が柔らかくてトロトロで、美味しいはずよ!」
やめてくれ! 本当にやめてくれ!
おぞましいプレゼンテーションをするんじゃない。
……このご時世、洒落にならん。
「取りあえず、小屋まで来い。そこで話を聞く」
俺はそう言って雄兵郎爺ちゃんの足を繋ぎ止めている紐を木から解き、それを右手で掴む。
そして左手で千多婆ちゃんの手を掴み、引きずるように二人を連れて行く。
二人は抵抗しなかった。逃亡しようともしなかった。
もし自分が逃げれば、残された者はどうなるか分からない。
その恐怖が、二人から抵抗心を削いでいった。
月が、三つの影を落とす。
中央の大きな影と、その両横の小さな二つの影。
両横の大きな影に手を引かれた、小さな影であった頃を思い出す。
小さな影は、その両手から流れて来る温かさが好きだった。
今の俺の両手は、冷たく、寒い。
「こっちだ」
俺は小さな二つの影を冷徹に導く。
そこには絶望しか無く、かっての優しさに満ちた空気は無かった。
……遠い昔の、未来の話だ。
「畑泥棒を捕まえてきた。子ども二人だ」
小屋に帰った俺は開口一番、簡潔に伝えた。
土間で雄兵郎爺ちゃんと千多婆ちゃんが決まり悪そうにしている。
そんな二人を見ながら、静さんは優しそうに問いかける。
「お名前は? おいくつ?」
まるで迷子に語りかけるようだった。
「新開……雄兵郎。……七歳」
「古月 千多。七歳――」
雄兵郎爺ちゃんは戸惑いながら、千多婆ちゃんはきっぱりと答えた。
「そう。紬ちゃんと同い年ね……。どうしてこんな山の中へ来たの? お父さんとお母さんはどうしたの?」
責めるのではなく、本当に心配するかのような口ぶりで静さんは聞く。
彼らは唇を噛みしめ、口ごもる。
幾ばくかの沈黙のあと、重い口を開いたのは雄兵郎爺ちゃんだった。
「……死んだ。四月の茅崎大空襲で、二人とも。こいつのとこも、お父さんもお母さんも亡くなった。俺たちは知り合いの、蒼森の小父さんの家に引き取られた。……そして昨日、空襲があって、小父さんも小母さんも亡くなった。家も燃えた。近所の人も自分たちの家が燃えて、俺たちに構う余裕がなかった。そもそも、たった三か月しか住んでいないよそ者だもん、親身になってくれる筈がない。この山しか……来る所がなかった」
そういう経緯か。
当時の茅崎は一大軍需工場地帯で、再び空襲される可能性があった。
疎開が進んでいたこの頃ならば、蒼森に避難しようと考えるのは当然だろう。
だが如何に空襲で混乱していたといえど、焼き出された幼い身寄りのない子どもを、放り出すものだろうか?
「近所の子ども達が、俺たちのことを ”死神” ”疫病神” って呼んでいた。『おめんどが来だはんで空襲さ遭ったんだ。父っちゃや母っちゃが死んだのは、おめんどのせいだ』って。……俺たちが、敵を引き寄せたのかな」
そんな訳がない! こんな小さな子どもの有無で、天下のアメリカ軍が攻撃目標を定める筈がない!
だがこいつ等は、そうは思わないのだろう。自分たちが不幸を連れて来た。そう自分を責め立てたのだろう。そうやってこの山にやって来たのだろう。もう誰も不幸に巻き込みたくない、そう思って。
奥で、メアがじっと二人を見つめていた。まるで自分自身を見るように。
苦しみから逃れるように、人里離れた山に救いを求める。
こいつらは違う道を辿ったとしても、向かう場所は一緒だった。
「ちょっと外を見て来る。他にも侵入者がいないか、見廻りして来る」
やり切れない思いに押し潰されそうな俺は、そう言って外に出た。
もうあの二人が逃げる恐れも、危害を加える恐れもない。
そんな人たちでない事は、この俺が十分知っている。
うだるような熱は去り、外は涼しい風が吹いていた。
山の夜は、いつも冷たい。
小屋の外で、二つの人影が蹲っていた。
影は、嗚咽を漏らしていた。
「会いたい! 会いたいよぉ~、お爺ちゃん、お婆ちゃん……。 帰りたいよぉ――――」
影は大地に両手をつけ、前かがみになり、これまで溜め込んでいた想いを吐き出すように泣きじゃくっていた。そんな鈴を、明日香が涙を浮かべながら、覆いかぶさるように抱きしめていた。
過去に飛ばされ、肉体を失い、どんなに心細かっただろう。
今までそれを必死に押さえつけていた。
俺を心配させないように、無理をして、やせ我慢をして。
だが今、そのタガが外れた。愛しい人たちの出現によって。
いま鈴は、祖父母の庇護を求める幼子となっていた。
そんな鈴を明日香は優しく抱きしめ、『私が付いているから』と慰める。
切なかった。泣きたい気持ちは、明日香も同じだろう。
だがそれを堪え、必死に慰めていた。
俺が慰めるのは、お門違いな気がした。
俺には肉体が、依り代があるのだから。メアが、紬が、静さんがいるのだから。
彼女たちにはそれが無く、愛しい人と語る事も触れる事も叶わない。
彼女たちの気持ちは推し測る事は出来るが、解る事は出来ないと思った。
解るというのは、傲慢だと思った。
ただじっと、二人を見守る事しか出来なかった。
月が、冴え冴えと光っていた。
冷たく、人の想いを歯牙にもかけないように。
「悠真にお願いがあるの。あの二人、鈴のお祖父さんとお祖母さんを助けてあげて」
やがて鈴が泣き止むと、背中越しに明日香が呼びかけてきた。
「助けるって云うのは、殺さないでって意味じゃないわ。何があろうと、その命を救ってあげてって事。……あの二人が死んだら、鈴の存在が消滅してしまうかもしれない」
――タイムパラドックス。そんな言葉が頭に浮かぶ。
「実際どうなるか分からない。この世界と私たちのいた世界が、どう繋がっているか分からないから。でも鈴が消滅する可能性があるなら、私はそれを見逃す事は出来ない。この世界で鈴が消えたら……もう私は耐えられない」
こいつらも、比翼の鳥になっているんだ。
一羽では、もう飛ぶ事は出来ない……。
人は寄り添い生きていると云うが……こんな世界は――あんまりだ!
俺は思いやりのない ”神” を呪う。
そいつ等の名こそ、 ”死神” や ”疫病神” に違いない。
人への想いと云うのは、切なく、苦しく、哀しいものだと思います。それが少しでもお伝えできればいいのですが……。
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