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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第四章 World War Ⅱ(第二次世界大戦)
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思惑

桶に溜められた水を柄杓(ひしゃく)で掬い、冷たい水を口に含む。

日の出前に、一番遠く、一番清らかな泉まで行って、メアが汲んで来た水だ。


若水(わかみず)(正月の早朝に汲む水で、邪気を祓い、生命を再生させる水)じゃないけど、この辺りで一番綺麗な水だよ。昨日、人が死ぬ所に沢山出くわしたんだよね。勇哉に何か悪いものが憑りついていても、これが祓ってくれるから」


そういって日もまだ暗い内に、遠くまで行き、一杯に汲んだ重い桶を担ぎ、運んでくれた水だ。ご利益が無いはずがない。神は、その心に宿るんだ。


俺は清水を、愛情を、飲み干す。

(よこしま)な気持ちが消え失せてゆく。

メアの清らかさが、俺を天界へと導く。



「おはよう、お兄ちゃん。よく眠れた?」


土間にいる俺に、板の間から紬が呼びかける。

ふかした芋を右手に持ち、モグモグと頬張っていた。

『食べながら喋るんじゃありません!』 そう叱責すると、『いいじゃん、急いでいるんだから』と流された。『こんな山奥で、何を急ぐ?』と訊くと、『ちょっと街まで行って来る。すぐ帰ってくるから、お留守番よろしく』と返された。――なんだって?




「どういう事だ? 昨日の今日で街に行くなんて。また空襲があるかもしれないんだぞ」


俺は紬を小屋の外に連れ出し、問い詰める。メアや静さんには聞かせたくない。


「それは大丈夫だと思う。敵の狙いは青函連絡船。それは昨日あらまし片付いた。後は逃げのびた船を探して沈めるくらい。海に近づかなければ、そんなに危険はない。それよりも危惧するのは、私たちが死んだ事になってないか、だよ」


紬は真顔で、予想外の事を言ってきた。


「もし私たちが死んだという噂が流れたら、残っていた数少ない味方があっちに付くかもしれない。急いで私たちの安否を知らせなければいけないの」


成程。今でこそ父さん達への義理でこちらに付いているが、その子どもである俺たちがいなくなれば、雪崩を打って敵に付くだろう。一度敵に付いたら、こちらに引き戻すのは難しい。


「だから、私が行く。行って、お兄ちゃんと私の無事を伝える」


口を真一文字に結び、強い意志を込めて紬は言った。


「だったら、俺も一緒に行く。一緒に行って、お前を守る!」


メアも大切だが、紬も俺のかけがえのない家族だ。


「お兄ちゃんは、ここにいて。ここでメアさんと静さんを守ってあげて。……ここは、街より危険かもしれない」


紬は思いがけない事を言ってきた。


「なんでだ? こんな山の中、爆撃される事は無いだろう。帰還する飛行機が、飛行するのに邪魔になった爆弾を捨てる事はあるかもしれないが、可能性は低い。街より危険は少ない筈だ」


紬の言う意味が分からなかった。


「……だからこそ、だよ。ここは、街より爆撃の可能性は低い。ならば、焼け出された人や避難しようとする人が押し寄せて来るかもしれない。そんな人たちは家族や家を失い、気が立っている、怒りに燃えている。警察の目の届かないここでは、そんな気持ちに歯止めがかからない。……何をしでかすか、分からない」


言われて初めて気が付いた。確かにそうだ。安全地帯こそ、危険地帯なのだ。


「それに今の街は、お兄ちゃんにとっては危険かもしれない。爆撃真っ只中(まっただなか)だった昨日よりも」


……また訳の分からん事を言いだした。


「お兄ちゃんも薄々気が付いていると思うけど、街にはお兄ちゃんに亡くなって欲しいと思う人が、ごまんといるのよ」


俺、そんなに嫌われていたっけ?


「お兄ちゃん本人がどうこうじゃないよ。 “大道寺(だいどうじ) 本家当主” のお兄ちゃんに、亡くなって欲しいの」


父が亡くなり、取りあえず俺が “大道寺 本家当主” を引き継いだ。

だがそれは仮で、後見人である殿倉(とのくら)に実権は握られている。


「仮とは云え、大道寺の当主。(あだ)(おろそ)かに出来ない。そしてお兄ちゃんが成長すれば、大道寺を盛り返す可能性がある。……そんな芽は、摘みたくなるもんじゃない?」


人の思惑を見通すような、鋭い目をしていた。


「そして今はそれを行う絶好の機会。『木を隠すなら森の中』、『死体を隠すなら戦場の中』――今その森が現れたのよ、期間限定で!」


事もなげに、人の世の闇を紬は語る。……七歳児が。


「けどそれなら、お前も一緒だろう。俺が亡くなったら、お前が次期当主だ。お前だって狙われる事になる」


大道寺本家の直系は、俺たち二人のみ。後は分家の、血の薄まった一族だけだ。


「お兄ちゃんと私は違うよ。私は所詮、女なの。当主に祭り上げるには不適当。多分どっかの男に嫁がせて、そいつに当主代理をさせて、その男との間に出来た子どもに跡を継がせるでしょうね。勿論その “どっかの男” は、誰かさんの息が掛かった奴。昔からよく使われてきた手じゃない、お(いえ)を乗っ取るのに。……だから私は殺されない。苗床を潰す馬鹿はいないでしょう」


……ホントにこいつ七歳児か? 性教育も、裏の社会教育も、バッチリじゃねえか。

俺は好奇心で下衆な質問をする。


「子どもって、どうやったら出来るのか知っているのか?」


俺の質問に、紬はフフンと鼻を鳴らす。


「当たり前じゃない! 子どもを望む二人が一緒の布団に寝て、手とかどっかを繋げて、一心不乱に “この人と一体になりたい” と行動すれば、創造の神様がクジ引きで子どもを授けるんでしょう?」


自信満々に、胸を張って答える。

……うん、間違ってはいないよ、ある意味。でも多分こいつ、間違って解釈してる。

俺はちょっとホッとした。子どもには、知らないでいい事がある。






俺は丘の上から、山を下る紬に、姿が見えなくなるまで手を振った。紬も手を振り返す。

やがて山腹を回り込み、紬の姿が見えなくなった。


「しっかりしてるわね、紬ちゃん。凪紗(なぎさ)ちゃんもそうだったけど、ユマがお兄ちゃんだと妹はしっかりするのかな?」


それは『上が頼りないと、下がしっかりする』と言いたいのかな? 鈴さんや。

そんな俺の気持ちを察してか、鈴はへへっと笑う。

俺と鈴は、お互いの顔を見合わせ、ふふっと笑い声を漏らした。



その横で、明日香が一人浮かない顔をしていた。


「悠真に言っておきたい事があるの……」


沈痛な面持ちで、明日香が静かに語りかけてきた。俺は思わず身構える。


「これから二週間、蒼森の街に行っては駄目! 何があろうと、この山から下りないで!」


反論を許さない、思いつめた顔で明日香が言う。


「なにか、あるのか?……」


こいつがこんな顔をするのは、よっぽどの事だ。何か理由がある筈だ。


「昨日の蒼函(せいかん)連絡船空襲ね、あれは前奏曲(プレリュード)にすぎないの。真の地獄は、これから始まるの……」


「なっ!」


俺は言葉がなかった。あの惨劇が、前奏曲(プレリュード)だと。


「真の地獄、 “蒼森大空襲” が、これから始まるの。今から二週間後の7月28日深夜、幕が開く。死者は千人ほど。罹災者は七万人余り。焼失家屋一万八千戸。市街地の九割が焼け野原となる……」


背筋が凍った。蒼森の街が、全壊だ。


「そしてこの空襲のひどい所はね、事前に避難する事が許されなかったのよ」


避難が許されない? どういう事だ。


「蒼函連絡船空襲から4日後、7月18日に蒼森県知事が声明を出したの。『一部に家を空っぽにして逃げたり、田畑を捨てて山中に小屋を建てて出てこないといふ者があるそうだが、もっての外である。こんな者は防空法によって処罰できるのであるから断固たる措置をとる』と。新聞を通じて警告を発したわ。そして蒼森市もこの命令を徹底するため、『7月28日までに帰らなければ食糧や物資の配給を停止する』と、新聞を通じて発表したの。ほんと、帰宅期限が空襲の当日なんて、なんの冗談かしら」


運命の皮肉か、神の悪戯か。


「選択の余地はなかった。この食糧難で配給を止められる事は、死を意味する。そしてみんな、帰らざるを得なくなった。……やがて地獄と化す街に」


予言の巫女は哀しそうに言う。

運命を知りながら、それに抗えない自分を呪うように。


「なんでそんな馬鹿な声明を出したんだ。危険から退避するのを(さまた)げるみたいな――」


俺にはその思惑が理解出来なかった。


「空襲下での消火活動をするのに、人手が減るのを恐れたからよ。……ほんと、馬鹿な事よ。蒼森大空襲で使われるのは新型の焼夷弾で、人力による消火活動なんて、何の役にも立たないのに。……鈴、その焼夷弾のこと、知っているわね?」


鈴はコクリと頷く。


「 “M74焼夷弾” の事だよね。従来型に黄燐を入れ威力を高めた、大戦末期に使用された焼夷弾。黄燐は空気に触れると発火する性質を持ち、水をかけても飛散してしまう。従来の消火活動は意味をなさない。ただ(いたずら)に被害者を増やすだけ……」


脳裏に、これから繰り広げられる地獄絵図が浮かんだ。


超空の要塞(スーパーフォートレス)から投下される、おびただしい数の爆弾。

空中で花火のように弾け、無数の火の玉が地上へと降り注ぐ。

それは建物へと降り立つと紅蓮の炎となり、狂ったように燃え広がってゆく。

火の嵐が吹き荒れ、夜空はまるで昼間のように煌々と輝く。

炎に巻かれ、人々が逃げ惑う。

肉の焼き(ただ)れた臭いが漂ってゆく。


これは幻想ではなく、二週間後に訪れる現実だ。



「回避することは出来ないのか? 被害を減らす為に、少しでも多くの人に呼び掛けるとか!」


お上の戯れ言(ざれごと)に付き合っていられない。少しでも多くの命を救わなければ。


「……それが、出来ない状況なのよ。実は空襲の前日7月27日、B-29が蒼森市上空に来て6万枚のビラを撒いたの。ビラの内容はこうよ」


明日香は俺の提案に、苦々しそうに答える。


「『 “日本國民に告ぐ”

 あなたは自分の親兄弟や友達を助けようと思()ませんか。助けたければこのビラをよく()んでください。

 數日(すうじつ)の内に裏面の都市の内全部、(もし)くは若干の都市にある軍事施設を米空軍は爆撃します。

 この都市には軍事施設や軍需品を製造する工場があります。軍部がこの勝目のない戦争を長引かせる為に使()兵器を米空軍は全部破壊します。けれども爆弾には眼がありませんから、どこに落ちるか分りません。御承知のように、人道主義のアメリカは罪のない人達を傷つけたくはありません。ですから裏に書いてある都市から避難して下さい。

 アメリカの敵はあなた方ではありません。あなた方を戦争に引っ張り込んで()る軍部こそ敵です。アメリカの考()()る平和とい()のは、たゞ(ただ)軍部の壓迫(あっぱく)からあなた方を解放することです。()うすればもっとよい新日本が出来上るんです。

 戦争を止める様な新指導者を()てて、平和を恢復(かいふく)したらどうですか。

 この裏に書いてある都市でなくても爆撃されるかも知れませんが、少なくともこの裏に書いてある都市の内、必ず四つは爆撃します。

 (あらかじ)め注意しておきますから、裏にかいてある都市から避難して下さい』

――こう書かれていたわ」


空襲は予告されていたのか。

あちら(アメリカ)は、少しでも被害を軽減しようとしていたのか。


「まあ向こう(アメリカ)の言い分も、噴飯(ふんぱん)ものだけどね。爆撃されたのは、工場でもなんでもない民間の住居。帝国陸軍に接収され、陸軍飛行場となった “油川(あぶらかわ)飛行場” は大した被害を受けなかった。蒼函連絡船空襲の時に戦闘機を出さずに大人しくしていたせいかしら。どっちにしろあっち(アメリカ)の狙いは軍事目標ではなく国民に戦意を失わせる事で、その為なら一般市民の被害はお構いなしと云う思惑が透けて見えるわ」


正義の使者を騙る者の、その姿が(すす)けて見えた。


「このビラも、民間人を対象とした無差別爆撃を正当化する為のアリバイ作り。『我々の任務は、主要な軍事、工業目標に対して精密爆撃を行うことで、市街地への焼夷弾攻撃は承服しがたい』と言って更迭された前任者を見ていた空爆の指揮官は、『B-29で結果を出せ。結果が出なかったら、君はクビだ』『結果が出なかったら、最終的に大規模な日本上陸侵攻になり、さらに50万人のアメリカ人の命が犠牲になるかも知れんのだ』と上官から脅されていたそうよ。保身からか、犠牲を少なくしようと云う考えかは知らないけれど、彼は悪魔に魂を売り渡した。その後ろめたさが有ったのでしょうね」


明日香は冷たく言い放つ。


「……上に立つと空ばっかりを見て、足元の命を見なくなるものね。洋の東西を問わず」




人の思惑というのは、本来幸せを願う心から産まれている。

だがそれは、成長する過程で歪み、穢れ、なんと醜悪に育ってゆくのだろう。




(ばか)の考えはいい。問題は、なんで命の危険に晒されていた市民が逃げなかったかだ。なんでこんな重要な情報がありながら、それが活かされなかったんだ」


俺にはそれが理解出来なかった。


「伝わらなかった、いえ “伝えられなかった” のよ、このビラの事を――」


明日香は哀しそうに、語る。


「憲兵隊や警察にビラは回収され、所持や口外する事を禁止されたの。違反する者は最大で “懲役3か月” と定められていて、 “非国民” と罵られる未来が待っていたわ」


非常な現実が、突きつけられた。


「もしあなたが空襲の事を触れ回ったら、面倒な事になる。特にビラが撒かれる前から言っていた事がバレたら、敵に内通している疑いで特高に捕まってしまう。そうなったら、おしまいよ」


……八方塞がりじゃないか。どうやって救えばいいんだ。


「割り切って。あなたの手は――短い。すべての人を救う事は出来ないの。せめて、身近な、大切な人だけにその手を差し伸べて。欲張ると、その人たちも救えなくなる……」


呻くような、悲哀に満ちた明日香の叫びだった。

俺と鈴は何も言えず、ただ佇んでいた。




山から風が降りて来た。風は優しく俺たちの頬を撫でる。


無力感に苛まれる俺たちを慰めるように。

青森大空襲の史実に沿うように書いています。ビラも、なるべく原文のまま、旧仮名遣いを交えて、全文で書いています。割愛するのは気が引け、ちょっと長目になりました。ご容赦下さい。このビラの文は、捕虜となった日本兵によって書かれたそうです。……どんな気持ちでこの文を書いたのでしょう。


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