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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第四章 World War Ⅱ(第二次世界大戦)
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抱擁

お地蔵様を覗いた瞬間、恐ろしい程大量の情報が流れてきた。

まるで二つのフォルダーを一つに纏めるみたいに。

脳が焼き付くみたいだ。眩暈がする。

俺はその衝撃に耐えかね、膝を突いた。


「ユマ、どうしたの?」 (うずくま)る俺に、鈴が心配そうに声をかける。

横には、俺の右手を両手でぎゅっと握りしめ、不安そうに見つめる明日香がいた。


優しさが、身体中に染みてきた。

鈴……。明日香……。俺の大切な人……。


『へぇー、鈴と明日香っていうんだ』


まるで洞窟で喋っているみたいな、低く(こも)った声が頭に響く。


誰だ、お前? 俺は虚空に問いかける。

誰も、応える者はいなかった。



「お兄ちゃん、大丈夫?」


先行していた紬が引き返してきた。

短い手足を小型犬みたいに力一杯振り、全力で走って来る。

まるで転がりゆく宝物を掴まえるような、必死な形相(ぎょうそう)をしていた。


『紬ばあちゃん』は、毅然とした、揺るぎない大木という印象だった。

だがこの『紬』は違う。幼く頼りないが、真っ直ぐで、若木のようにしなやかだった。


一歩一歩の積み重ねが、この若木を大木へと成長させるのだろう。

俺は、その歩みを知っていた。


紬は産まれてすぐ母に先立たれた。物心がつく前に父が戦地に赴き、両親からの愛情を知らずに育った。

周りの大人たちは “名家の子女“ ということで、 “敬して遠ざける“ 態度をとっていた。

そして子供たちも、そんな大人たちの態度に(なら)う。

紬が何をしても唯唯諾諾(いいだくだく)と従い、間違いを(ただ)そうとしなかった。

そして影で嘲笑(あざわら)う。『大道寺も落ちぶれたものだ。跡を継ぐのがあれでは、長くはないだろう』と。

紬は孤独だった。進むべき道標(みちしるべ)を見失っていた。

そんな環境であれば、己を縛るものが無いのだから、欲望のままに傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に振る舞っても不思議はない。だが紬はそうはならなかった。


紬は、(さと)い子だった。

(かしこ)い“ と云うのではなく、 “感覚が鋭い“ 子どもだった。

悪意や(あざけ)りをいち早く嗅ぎ分け、小さな感嘆の声を聴き洩らさなかった。

そして紬はそれを指標として自分を律し、正しい道へと進んで行った。


一度紬に聞いたことがある。『なんでそんなに妥協をしないのか』と。

紬は答えた。『だってイヤな子になってたら、お父さん悲しむでしょ。 “自分がいなかったせいで、こうなってしまった“ とか、 “こんな子、俺の子じゃない“ とか言われるの、嫌だもの』と。


紬はいつだって、父の自慢の子どもで在ろうとしていたのだ。

その父も、もういない……。


俺たちに残された家族は、もうあの人たちしかいなかった。




「大丈夫だ。早く行こう。メアに会いたい……一刻も早く」


俺は膝を押え、立ち上がり、歩き出す。

紬はそんな俺を見てほっと息を吐き、俺の手を握る。


「そうだね、早く行こう。メアさんも、きっと心配してる」


俺たちは手を繋ぎ、メアの許へ、家族の許へと向かった。





昼なお暗い林の中、縫うようにうねる、土が露出しただけの道を行く。

道の両側では草の葉が猛々しく生い茂り、侵入を拒んでいた。

横から伸びた鋭い葉が、小さな刃のように俺の身体を薄く刻んでゆく。

軽い痛みに耐えつつ、俺たちは歩を進める。


薄暗い林が、さらに闇を濃くし始めた。

日暮れか、雨か。山の天気は変わりやすい。

だが、そのどれでもなかった。

純粋な暗闇、光を一切排除した空間が降りて来た。

一寸先も見えない。


「紬、どこにいる。大丈夫か!」


俺は慌てて呼びかける。

返答はない。

意を決して再び呼びかける。


「明日香、鈴、いるんだろう。返事をしてくれ!」


紬に聞かれたら正気を疑われる台詞だが、そんな事を言っている場合ではない。

俺は耳を澄まし、返答を待つ。


だが、返答は無かった。

そこに、誰もいなかった。

ただ一人、俺だけが佇んでいた。




『どこに行こうとしている? 何を求めて進んでいる?』


先程聞こえていた低い声が、俺に語りかけてきた。


『お前の望むものは、何だ?』


山の精か、妖怪変化か。どちらにしろ、まともな生物(いきもの)ではなさそうだ。

この(たぐい)には、嘘や誤魔化しはしない方がいい。


「大切な、大事な人がこの山に住んでいる。その人に、会いに行くところだ」


隠すような事ではない。それに同じ山の住人ならば、多少のお目こぼしがあるかもしれない。


『……この先に住む、母と娘か』


やはり知っているようだ。知っていてあの二人を排除していないという事は、存在するのを認められているという事だろう。


『余程大事に見える。お前にとってそいつらは、どんな存在なんだ?』


何故そんな事を訊く? 超常の存在は、人の営みに無関心と聞く。何故そんな事に興味を持つ? こいつは人の世と近い所にいるのか?


『答えろ!』


叱責が飛ぶ。ええい、ままよ! 


「俺の生きる意味だ。メアを、あいつを幸せにする事が俺の望みだ。その望みの前では、唸るような財宝も、至尊の高い地位も、美女や美食の快楽も、クソ同然だ。それを得るためなら、俺の命など幾らでもくれてやる。……メアがいない世界など、生きたいとも思わん!」


俺は感情を込めて言い放つ。

そこに嘘は無かった。真実のみが持つ重みがあった。

それは、声の主に届いたに違いない。




比翼(ひよく)の鳥だな……』


声の主が、初めて意見を述べた。

『比翼の鳥』――目と翼が左右どちらしかなく、雄鳥と雌鳥が隣り合い、支え合いながら飛ぶという伝説の鳥。男女の仲が睦まじい事の例えともなっている。


『褒めているのではないぞ。比翼の鳥は、凶鳥でもある。この鳥が姿を見せる時、洪水が起こるとも言われている』


こいつは何を言っているのだ、何を言いたいのだ。


『お前たちは、人の世と隔たりがある。正直、人の世が滅んでも、それほど痛切を感じないだろう。人の世に恩義を覚えていないのだからな。その気持ちが災いを引き寄せ、人の世に害をなす』


言いたい事が見えて来た。そういう事か。


『恥じ()る事はない。群れに入れてもらえず、孤独な魂が、ようやっとその片割れに巡り会えたのだ。それ以外のものに頓着しないのは、自然な事だ』


超然とした、俺たちと同じく人の世を冷徹に見つめる者の発言だった。


『お前たちはオリンポスの神々のように睥睨(へいげい)し、人の世を離れた場所から眺めていればいい!』


神の視座を提唱してきた。実に魅力的な提案だ。……だがな。


「随分と、的外れな事を言うんだな」


俺はその提案を一蹴した。


「なるほど、俺についてはその通りかもしれない。だが、メアについては、とんだ見当違いだ」


俺は奴の間違いを糾す。


「あの馬鹿、救い難いお人好しだぞ」


俺は愛おしさを込めて、そう叫んだ。


「どんなに人から疎まれようと、どれだけ群れから突き放されようと、人に対する想いは少しもくすまない。いや、弾かれたからこそ、輪に入っていないからこそ、人の世に対する想いは募り、憧れは増し、神聖化してゆく。その実像がどうあろうと」


いじらしく、切なくなる。


「あいつは、人の世の不幸を望まない。人の(むくろ)の上に建てられた(やしろ)に、大人しく(まつ)られてくれるようなタマじゃないんだよ、あの女神さまは」


厄介な、始末に負えない、愛すべきマリア様の顔が浮かんだ。


「俺はメアの望みを叶える。人の世を見捨てたりしない。だがそれは奴らを救いたいからじゃない。メアを幸せにする手段なんだ。メアを幸せにする為なら、俺は仏にでもなってみせる!」


俺は不遜な決意を宣言する。


『 “悪魔“ じゃないのか、そこは……』


呆れたような声がした。


「俺にとっては、大差ない!」


はぁと溜息が聴こえた。


『わかった、好きにしろ。せいぜい頑張るがいい。……しあわせにな』


声は段々と小さくなり、消え入るように俺の心の奥へと入っていった。

納得したような心持ちが伝わってきた。




俺は最後の坂道を登っていた。

心は晴れ渡っていた。

先程の問答は、俺の心の霧を吹き飛ばしていた。

決意を促すための通過儀礼(イニシエーション)だったのかもしれない。




小高い丘を登る。ここを登り切れば、メアたちが住む小屋が見えてくる。

俺は(はや)る気持ちを抑えつつ、一歩ずつ確実に登ってゆく。


段々と空が近づいて来る。頂上まであと少しだ。

俺はぐっと足を踏みしめ、(いただき)に立った。



見えた! 小屋が見えた。異変はない。爆撃を受けた様子も荒れた様子もない。

俺はほっと胸をなでおろす。



俺が頂に立った瞬間、なにかがこちらに向かって来た。

黄金の光を撒き散らしながら近づいて来た。


メアだ。腕を思いきり振りながら、まっしぐらに走って来る。

俺が帰るのを待ちきれないようだ。

苦笑してしまった。その気持ちは、俺も一緒だ。

俺は自分の気持ちを解放した。


何かに追い立てられるように、何かに憑りつかれたように坂道を駆け降りた。

風のように走る。荒ぶる息を物ともせずに。

一目散に走る。目標に向かい脇目も振らず飛ぶ伝書鳩のように。




メアと俺の距離が段々と狭まって来る。その姿が徐々に大きくなる。




あと10メートル。――メアが心配顔で俺を見つめている。どこか怪我をしていないか、体の動きに異常はないか、ひとつも見落とさないぞと注ぐ視線に力を込める。それは真剣で、切実で、俺を居た堪れない心持ちにさせた。


あと5メートル。――メアが安堵の表情を浮べる。さっきまで(さいな)まれていた、息が詰まる程の恐ろしさから解放され、緊張の糸が(ゆる)むのが見て取れた。無事でよかったと……。


あと2メートル。――メアは喜びを顔にみなぎらせる。神に感謝し、世界に愛情を振り撒くような笑顔だった。 


あと1メートル。――メアは感極まり、涙を浮かべる。涙は止めどなく流れ、頬を伝う。名状しがたい叫び声をあげ、顔をくしゃくしゃにさせる。別嬪さんが台無しだ……。だがその姿は、この上なく美しかった。


あと50センチ。――もうメアしか見えない。世界は彼女で覆われていた。幸せに覆われていた。


ゼロ。――俺たちは強く抱き合う。一寸の隙間も許さないように。俺とメアは、一つとなった。片翼の鳥は一つとなり、大空へと羽ばたいていった。



「もう離さない――。神さまにだって、邪魔させない」




烈しい喜びがこみ上げてきた。世界がきらめいた。

俺にとってメアは、幸せそのものだった。

久々に “[日間] 現実世界〔恋愛〕“ にランキングされました。

びっくりしました。目を疑いました。……嬉しかったです。

皆さまの応援のお陰です。ブックマーク、星評価、ありがとうございました。

これからも皆さまに喜んで頂ける様、執筆に頑張ります。

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