買い食い
「攻めがスパダリ、受けがノンケと云うのはまだいい。一種の様式美だ。文章表現も耽美で、世界観にマッチしている。だが……心理描写がいかん。ジレジレが、キュンキュンが足りない。嫉妬で身を焦がすとか、すれ違いで歯車が噛み合わないをもっとぶち込んで欲しい。キレイな流れなんだけど、ツルッとして引っ掛かりが無い!」
「擬音語が多いわね、夢宮くんは――。ゴツゴツして流れが悪いよりいいじゃない。それに『ヴァン・ダインの二十則』で『不必要なラブロマンスを付け加えて、知的な物語の展開を混乱させてはいけない』ってのがあるのよ」
「それは推理小説についてだろ。BLにそれを持ち込んでどうする。メインカップル以外との絡みも奥行きを持たせると思うぞ」
ある初夏の昼休み、高校の屋上で、うら若い男女が、熱く語り合っていた。……BLについて。
「やるわね、あんた。『なんで男を好きになったんだろう』って戸惑いを良く理解している」
「お前もな。『惹かれつつも、相手の幸せの為にって身を引く切なさ』に気づくとは」
…………青春の無駄使いである。
熱い討論を一旦休止し、俺は癒し成分を補給する。
スマホを取り出しタッチする。
押しの写真が現れた。
「なにデレデレ見てるの。アイドルの写真? エロ写真?」
桐生はニヤニヤしながら俺のスマホを覗き込む。
「ちょっとあなた、その写真――」
スマホの画面を見た瞬間、桐生は驚き大声をあげる。
「美人さんだろ。『クロエ』っていうんだ」
俺は自慢するように画面の写真を桐生に見せる。
俺のお気に入りの一枚だ。
「それ、『エジプシャン・マウ』でしょう。なんであなたが一緒に写っているのよ」
『エジプシャン・マウ』――『エジプトの猫』と云う意味の猫。
古代エジプトの壁画にも描かれていた、太古から存在する品種。
「よく知っているな。こいつは行きつけの猫カフェの看板娘だ。珍しい品種らしいな」
さすが作家。こんな事まで知ってるなんて。
「滅多にお目にかかれない猫よ。けれど人見知りで警戒心が強いから、不特定多数の人が出入りする猫カフェには向かないと思うんだけど」
「ああ、だから一見さんの相手はしない。店が認めた、常連の中の一部しか相手しないんだ」
「猫カフェ界の花魁さまね」
言い得て妙な表現だな。
「けど本当によく知っているな。姿形だけでなく、性格まで」
「今度の小説で、ギミックの一部として使おうと思って調べていたの」
猫がカラクリの一部なんて、どんなトリックだ。天才さまの考える事は、よく解らん。
「ねえ、あなたがこの猫に会えるという事は、あなたと一緒に行けば、私もこの子に会えるのかしら?」
「まあ、お触りとかは出来ないけど、近くで見るくらいなら」
「ね~え~夢宮く~ん。お願いがあるんだけど~」
猫なで声ですり寄って来る。気持ちわるっ!
放課後俺たちは連れ添って、『義勇が丘』の駅に降り立った。
ここに例の猫カフェがある。桐生に押し切られ、来てしまった。
駅から出て、目的地へと向かう。
途中、ヨーロッパの街並みみたいな施設が見えてくる。
レンガ造りの洋館の間に、小さな運河があった。
川にはゴンドラが浮かんでいる。
水の都『ベネチア』を模した施設だ。
「ちょっと見てっていい?」
桐生は、その中にある雑貨屋に引き寄せられてゆく。南仏プロヴァンス地方のカントリーハウスをイメージした店構えで、アンティークな家具が置かれている。
「俺も近くで買いたい物があるから、ここでゆっくり見てってくれ。10分ぐらいで戻ってくる」
桐生を残し俺は店を離れる。彼女は夢心地で店内を眺めていた。
「お待たせ。もう少し見ていくか?」
「ううん、もういい。なに買ってきたの?」
桐生は名残惜しそうに、それでも踏ん切るみたいに首を振る。そして俺が買ってきた紙袋に目をやる。
「ちょっとな。あっちで食べよう」
俺たちは立ち並ぶショップに挟まれた遊歩道、そこに道なりに置かれたベンチへと向かった。
遊歩道は人で一杯だった。
買い物客だけでなく、ペットを散歩さす人、散歩中の老夫婦、雑談をする学生……。色々な人たちがいた。だがみんな均しく、幸せそうだった。
「あそこが空いている」
街路樹の下のベンチへと向かう。
初夏の日差しを樹々が遮ってくれていた。
ベンチに腰かけ、さっき買ってきた物を取り出す。
バニラビーンズが多く使われたシュー・ア・ラ・クレーム。
ここはスイーツの街。味は保証付きだ。
一口頬張る。美味い。
「桐生の分もあるぞ」
シュー・ア・ラ・クレームの入った袋を手渡す。
桐生は戸惑った表情をする。
「もしかして苦手だったか、これ」
失敗したかな。先に食べられるか訊いておけばよかった。
「ううん。好きか嫌いかと云えば、『大好き』になるんだけど、こんな風に買い食いするのは慣れてなくて……」
ああ、そういうこと。
「いただきます」
桐生は意を決し、合掌とお辞儀をし、袋から取り出し、パクリと頬張る。
「――美味しい」
そうだろう、そうだろう。
桐生はパクパクと口に運び、あっという間に平らげた。
ふうっと大きな息を、彼女は吐く。
「飲み物、紅茶でよかったか、アールグレイだ」
俺はペットボトルを手渡す。
「ありがとう」
彼女は受け取り、口に運ぶ。
ゴクゴクと音をたて、一飲みごとに喉が蠢く。淫靡な蟲が這うように。
俺はつい見入ってしまった。
「どうしたの? クリームついてる?」
ゴシゴシと口元を手でぬぐう。
ちろりと赤い舌が唇を舐める。
「いや、こうやって外で食べるのに慣れていないのかと思って」
少し赤い顔で俺は答える。
「…………小学一年以来かな。生まれて二回目」
思ってもいない答えだった。
いくら学校で禁止されたとしても、子どものことだ、守れるはずが無い。
よっぽど家が厳しかったのか、本人が真面目だったのか。
「意外って顔ね。家はちょっと特殊だから。その一回が特別だったのよ」
どこか投げやりな表情で桐生は言う。
「……聞いてもいいか。その話」
どこまで踏み込んでいいのか、判断しかねた。
「そんなに大層な話じゃないわよ。虐待とか育児放棄とかじゃないから。単なる家庭環境の違い」
桐生はハハッと乾いた笑いをする。
「私ね、高校にあがるまで、車で送り迎えしてもらっていたの、お手伝いさんに。学校で私だけだったわ、そんなの」
遠い目で桐生は話す。在りし日を思い出すように。
「学校が終わって、私だけハイ、サヨナラ。皆はその後色々楽しんで、私だけ仲間はずれ。次の日、その後あった事を聞かされるのが、辛かった。あんな遊びをした、誰々がこんな事をした、同じ空間に居るのに違う世界に居るように感じた。羨ましかった、妬ましかった、……情けなかった」
クスンと少し鼻を鳴らす。
「その中で一番光り輝いていたのが、帰り道での冒険、『買い食い』。一応学校では禁止されていたわ。でも見つかってもそれ程強い罰は無いし、バレるリスクも少ない。イケナイことをしているという背徳感と、もしバレたらというスリルが、ドーナツをアイスを一層甘美なものにしていた。友達の語る話は、甘い蜜に包まれていたわ。……私は我慢できなかった。そしてある日爆発した。お手伝いさんに言ったの、帰り道に。『ドーナツ買ってくれなきゃ家出してやる』と。……ほんと、ガキ」
周りが聞けば他愛もない笑い話だ。だが当人にとっては疎外感、自分に巣食う悪への憧憬を叩きつけられた出来事だったに違いない。
「楽しかったわ、美味しかった、何だったんだろうね、アレ。口に入れるモノは変わらないのに」
俺に対して問いかけているのか。自分の内に問いかけているのか。……答えなど求めていないのか。
「今となってはいい思い出だろ。幼いころのちょっとしたオイタじゃねえか」
なに深刻になってやがる。真剣に聞いて損した。馬鹿馬鹿しい。
「……そこで終わっていればね。それが原因でお手伝いさんがクビになったの。私を危険に晒した責任を問われて」
は?
「なんでそうなる。たかが買い食いじゃねえか」
話の辻褄が合わなくなってきた。
「タイミングが悪かったのよ。……覚えてる? 10年前、有名小説家の子どもが誘拐された事件があったでしょう。あの小説家、父の友人なの」
10年前、確かにあった、そんな事件が。
俺たちの同年代の子どもが被害にあったという事で、集団登下校で保護者が付き添っていた時期があったのを思い出した。
「あの時なのよ、私がしたのは。父は当時すでに有名だった。私が狙われるリスクも非常に高かった。だからお手伝いさんに送迎させていたの。友人の子どもみたいな被害に遭わないように、外部との接触を排除するよう念押しして。……私がそれをぶち壊したの」
言葉が出なかった。
誰の行動も悪くない。桐生のお父さんも、お手伝いさんも、そして桐生自身も。
「お手伝いさんが去って行った時の顔が忘れられない。『明日香ちゃんは何も悪くないのよ。神さまがちょっと意地悪だっただけ』と哀しそうに笑った顔を」
そういう桐生も、哀しそうな顔をしていた。
そして呟く。
「神さまって、底意地の悪い子どもに違いないわね。だから私は決まりを逸脱しない。神さまにつけ込まれないように……………………」
ここに出て来る『義勇が丘』は架空の街です、フィクションです。ですので地図的矛盾があってもご容赦ください。
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