憑依
アメリカとの戦争が始まり、3年半が過ぎた。
戦況は悪化の一途を辿っている。
物資は不足し、配給も滞っていった。
コメを口にするのも困難となり、色々な物でカサ増しをして誤魔化していた。
ほとんど野菜だけの『雑炊』。
小麦や雑穀をひいた粉を水でこね、だんご状にして汁で煮た『すいとん』。
味は論外、ただ腹を満たすだけの物。
それも十分に食べることが出来ず、何時もひもじい思いをしていた。
紙幣は今や価値を持たない。買い物をしようにも品物がない。
あるとしてもヤミ市で、コメなど公定価格の40倍だ。
幸い俺には、父親が残してくれた財産があった。
着物などを田舎に持ち寄り、こっそり食料に替える。
俺と紬は、逞しく生きていた。
今日も蒼森市内の病院に、横流しの薬を受取りに来ていた。静さんの薬だ。
こんな状況では、病気が良くなる筈がない。
今やこの薬は、静さんの命綱だ。手放す訳にはいかない。
どんな手を使っても、俺たちは生き延びるんだ。
取引を終え、帰ろうとする。
『御手洗に行くから、ちょっと待ってて』 そう言いって紬は病院の中に消えてゆく。
俺は蒼森港が見下ろせる丘に立ち、ぼおっと早朝の海を眺めていた。
霧雨も晴れ、夏の眩しい光が差してきた。
線香花火を写したみたいに、光の粒が水面ではじけていた。
思わずメアの黄金の髪が頭に浮かぶ。
早く薬を持って、飛鳥山に行こう。
メアも静さんも、喜んでくれるだろう。
そう考えるだけで、俺は顔がほころんだ。
悪魔とは、甘い蜜にたかる生き物のようだ。
幸せの頂にある人間を、絶望の谷に突き落とす。
それを生業とする者だったのだ。
東の空から、低く空気を切り裂く音がする。
俺の背筋は凍る。怯える心を奮い起こし、音の方向を見る。
死神が、列をなして近づいていた。
俺は驚愕した。
その存在ではなく、その数に。
100機は優に超えている。
これから何が繰り広げられるのか、それは容易く想像がついた。
そしてそれは現実となってゆく。
港にいる連絡船が獲物だった。
爆撃機が急降下し、精密爆撃を行なう。
雷撃機が、航空魚雷で水平攻撃をする。
満足な迎撃武器を持たない連絡船は、格好の的だった。
墜とされる心配のない敵機は、悠々と攻撃を加えてゆく。
爆撃され、機銃掃射され、煙をあげ、沈んでいった。
投げ出された乗組員を助けに行くことも出来ない。
機銃の雨が降っていたからだ。
動くものすべてに、銃弾が降り注いだ。
なぶり殺しだった。
地獄の獄卒が亡者を甚振るようだった。
この世のものとは思えなかった。
これは、現実なのか?
俺は神に問いかけた。
「ここは1945年7月14日……蒼函連絡船空襲の日よ」
少女の声が聴こえてきた。
誰だ、どこにいる。周りを見渡すが、どこにもその姿が見えない。
「この日、陸奥湾にいた蒼函連絡船12隻がアメリカ軍の空襲を受け全滅、352人が死亡したわ」
いま起こっている事を、確定事項みたいに語っている。
「1944年になると蒼函連絡船には、300万トンの石炭輸送が課せられるようになったわ。当時石油を輸入出来ない日本は、石炭で軍需物資を作っていた。米軍が狙うのも、当たり前でしょう。軍事継続能力を潰そうとしたのよ」
何を言っている。何でそんな事を知っている。
神の予言みたいに、言葉が頭に響く。
この声の主は、いったい何者だ?
「ここは過去なのか? それとも平行世界なのか?」
今度は俺の躰から声が飛び出した。
誰だ? 俺は何も言ってないぞ。
俺はキョロキョロと周りを見渡す。
すると、ぼおっと、おぼろげに、二つの人影が見えてきた。
ゆらゆらと揺れているが、どちらも16歳ぐらいの少女みたいだ。
黒髪の知的な少女と、小柄な妖精みたいな少女だった。
「『前上方背面垂直攻撃』、伝説の撃墜王、第343海軍航空隊所属、戦闘301飛行隊 隊長、『菅野 直』が考案した対大型爆撃機戦法だよ」
妖精みたいな少女が、鈴の音みたいな声で剣呑な言葉を発する。
「よく見て、飛行機の真上は死角なんだよ。そこから突っ込んで、なお且つ敵の主翼前方を狙って、機銃掃射しながら抜けようとしている。衝突を避けようと翼の無い尾部を通りたくなるけど、そこには銃座があって弾幕を張られる恐れがある。前方なら衝突の危険性は高いけど、上手くいけば戦果は絶大。まー並外れた反射神経と、恐怖心? なにそれ美味しいのっていうクソ度胸が無ければ出来ない変態技だけどね」
風貌に似合わぬ、専門家顔負けの戦闘解説がなされる。
俺は、どうかしてしまったのか。
栄養失調で、苛酷な日々に耐えかねて、精神に異常をきたしてしまったのか。
目の前で繰り広げられる惨劇を認めたくなくて、心が壊れてしまったのか。
頼む! 俺の心よ、負けないでくれ。
俺は紬を、メアを、守らないといけないんだ!
「お兄ちゃん、大丈夫だった? 怪我とかしていない?」
病院から紬が飛び出して来た。
大丈夫だ。紬のことが分かる。大切なものは見失ってない。俺はまだ、大丈夫だ。
『大丈夫!』俺は紬にそう告げようとした。
「凪紗、お前もこっちに来ていたのか。無事だったか」
俺の口から出たのは、意図していない言葉だった。
何を言っているんだ、俺は! 『凪紗』ってなんだ!
俺の躰がいう事を聞かない。勝手に動き、勝手に喋っている。
俺は恐怖した。得体の知れないモノが俺の躰を操っている。
そして俺は、それに対してなす術がない。
「待ってくれ。明日香と、鈴と、一緒に行かなきゃ。ほら、あそこにいる二人だよ」
俺の躰は、なおも暴走する。
蜃気楼みたいな二人の少女を指差し、紬に語りかける。
「お兄ちゃん、大丈夫? あそこには……誰もいないよ」
紬の答えは、衝撃を与えた。
紬に見えないという事は、やはりアレはこの世のモノではない。
ならば俺は? アレが見える俺は、その同類ではないのか?
俺もまた、この世の理から外れてしまったのか?
俺の躰を乗っ取ったモノは、紬と一緒に防空壕に避難し、爆撃を逃れる。
紬はそいつを俺と信じ、寄り添うように座っていた。
その光景を、俺は遠いところから眺めていた。
『そいつは俺じゃない。離れろ紬!』
何度も何度も、呼びかけた。
だが、俺の言葉は届かない。
段々と、俺の魂が躰から離れて行く。
このまま消えて逝くのか。もう紬やメアを守ることは出来ないのか。
俺は底知れぬ恐怖に襲われた。
肌に纏わりつく空気が、ニチャリとした湿気を帯びる。
すすり泣く声、衣擦れの音、爆撃音、あらゆる音が籠もり、角がとれ、埋もれてゆく。
感覚が鋭敏になり、遠のいていった。
ひたひたと、何かが近づいて来る。
それが何かは分からない。
だがそいつの前では俺は、今にも吹き消されるロウソクの灯火だった。
暗闇の中、一筋の光が射した。
黄金の髪の少女が現れ、挫けそうな俺を『がんばって!』と励ます。
――あきらめない。俺は俺の躰を取り戻す。
俺は心を奮い起こした。
舐めんじゃねえぞ、悪魔ども。俺は――負けない!
視点を変えると、違う景色が見えて来ます。異世界転生も、される方からすればホラーですよね。『デビ〇マン』における、『デー〇ン』に躰を乗っ取られる人類みたいな。異世界の精神体に自分の肉体を奪われるのは、こんな気持ちじゃないでしょうか。
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