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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第四章 World War Ⅱ(第二次世界大戦)
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歓喜

夜が明けた。雪が()んだ。出発の時が来た。


「お世話になりました。本当にありがとうございました。改めてお礼にお伺いします」


俺は助けてくれた二人に頭を深く下げ、感謝の意を伝える。


「来なくていい。下手に来られて遭難でもされたら、いい迷惑。少なくとも雪が残っている間は、来るんじゃない!」


きつい口調で優しい心を(くる)み、つっけんどんに女の子は言う。


「ちょっとそこまで行く用事があるから、途中まで送ってあげる」


送るついでに用事をするの間違いじゃないだろうか。

そう指摘したかったが彼女の虚勢がいじらしく、『それは助かる』と厚意を素直に受け入れる。

寒いはずなのに彼女の頬は、ほんのりと色づいていた。



昨日の荒れた天気が嘘のように、空は雲一つなく澄みわたっていた。

眩しい光を浴び、雪がきらきらと輝いている。

ザクッザクッと新雪を踏みしめ、俺たちは山道を進む。



昨日出会ったお地蔵様のところまで来た。


「最後にもう一度、拝んでいこう」


彼女はお地蔵様に降り積もった雪を優しく払い除け、その正面に僅かな空間を空けてしゃがみ込む。

俺は彼女に(なら)い、お地蔵様に向かい合う。


「「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」」


二人の声は重なり合った。昨日より深く、強く、分かちがたく。




「さあ行こうか。あの丘まで付いてってあげる」


彼女はそう言い、立ち上がろうとする。

俺は彼女の腕を握り、それを推し止めようとする。


「なにしてんの?」


彼女は怪訝な顔をする。


「まだお祈りは終っていない」


立ち上がった彼女を見上げながら、低い声を投げかける。


「小母さんの名前、教えてくれるか」


俺の言葉に、彼女は大きく目を見開く。


「なんで……そんな事を聞くの?」


そんな筈はない。期待するな。そんな彼女の気持ちが、ありありと見てとれた。


「知らなきゃ、お祈りのしようがないだろう」


どこかで聞いた台詞を吐く。


「いいのよ、気を遣わなくて」


私の大切な人のために、社交辞令ではなく、心から一緒に祈ってくれる人がいる。そんな事があり得るのだろうか? 認めるな。もし認めたら、もう後には引き返せない。幸せの後の不幸ほど、人の温かさに触れた後の孤独ほど、耐え難いものはない。


「勘違いするなよ。俺がしたいからするんだ。借りっぱなしなのは、(おさ)まりが悪い。自分のために、少しずつ借りを返していくんだ」


誰かさんの言い方を、俺は真似る。

少しずつ、一回だけではない、この先ずっとだという意を込めて。


彼女はその意味を解し、へたり込む。

虚勢の鎧が剝がれてゆく。

愛を求めて止まぬ幼子(おさなご)が、顔を覗かせていた。


「『(しずか)』――お母さんの名前は、『静』よ。『迂闊に私たちの名を教えるんじゃない』って育てられてきた。そんな風に身構えて生きてきた。でも、いいの。どんな結果になっても、きっと後悔はしない」


彼女が差し出したのは名前ではなく、信頼だった。

俺はそのおもい荷物を受け取った。



俺は彼女を引き寄せる。彼女の瞳をじっと見つめる。

その碧い瞳は、雲一つない紺碧の空のようだった。

俺たちは寄り添うみたいに並んで座る。


「「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」」


二人の声が再び重なった。

彼女の願いが空を走る。

彼女の母が(すこ)やかであらんことを。




長い黙祷のあと、隣の彼女に視線を移す。

彼女はじっと俺を見つめていた。


「…………で」


俺は彼女に問いかける


「ん?…………」


何のことやらと云った顔で、彼女はすっとぼける。


「分かってんだろう。お前の名前も教えろと言ってるんだ」


俺はこれまで小母さんの名前もだが、彼女の名前も耳にしなかった。

小母さんの場合は理解できる。彼女は小母さんを『お母さん』と呼んでいた。名前が出ないのも合点がいく。だが彼女の名前が出なかったのは、奇異に思えた。小母さんは彼女と話す時は『あなた』と呼び、俺との会話で彼女を指す時は『あの子』『この子』と呼んでいた。一度も名前が出なかった。これは不自然としか言いようがない。意識しない限り、一度ぐらいは名前が出るはずだ。俺はその理由が知りたかった。


「俺の名前は教えた。妹の名前も教えた。そして小母さんの名前を教えてもらった。……自分の名前だけ隠すのは、ちょっとズルいんじゃないか」


「うぐっ!」


彼女は胸を押え、口を真一文字に結ぶ。


「どうしても嫌だと言うなら、無理強いはしない。だが出来るなら教えて欲しい。それを知ることで、少し近づける気がするんだ」



俺の偽らざる言葉に、彼女は『はぁ』と大きな息を吐く。

そして観念したかのように、口を開く。



「アメリア……。それが私の名前」


小さく、頼りない声で真名を告げる。


「アメリカ? 敵の国名じゃないか!」


「アメリ()じゃなくて、アメリ()! 『カ』じゃなくて『ア』! ……これだから言いたくなかったのよ」


まくし立てる様にしゃべり、次第に風船がしぼむみたいに意気消沈してゆく。


「そりゃ……『飛鳥(あすか)山の鬼』と呼ばれる訳だ。(ちまた)じゃ『鬼畜米英(きちくべいえい)』って言葉が飛び交っているからな」


「……知っている。だから親戚から、その名前は使うな、違う名前を名乗れって言われている」


哀しそうに俯いて話す。


「まあ、分からなくもない。特高に目をつけられたら、洒落にならないからな」


俺は先日街で聞いた会話を思い出す。




『おい聞いたか。北海道帝国大学の学生が、軍機保護法違反罪で捕まったんだとよ』


『ああ、一緒に北大の外国人教師夫婦も捕まったそうだな。敵国に軍事情報を流したってことで。けどな、どうやら冤罪みたいだぞ、こりゃ』


『そうなのかい。動かぬ証拠があると聞いたが』


『それが曲者なのよ。流した情報ってのが『根室第一飛行場』の事とか、俺たちでも知っているような事ばっかなんだよ。それを旅の土産話として話したのが、機密の漏洩(ろうえい)だとさ。要は軍が機密だと言えば、猫の喧嘩も機密になるんだよ』


『おっかねぇな、そりゃ。俺たちも精々用心しようぜ』


『くわばら、くわばら』


そんな会話が交わされていた。

疑わしきは罰せよ。それを是とする風潮なのだ、いまは。





「で、なんて名前なんだ。その親戚から付けられた名前は?」


「『月子(つきこ)』。……正直好きじゃない、この名前」


「なんで? いい名前じゃないか」


「……お母さんには絶対言わないでね。親戚が喋っているのを偶然聞いたんだ、この名前の由来を……」


彼女はすうっと息を吸う。そして目を瞑り、ごくっと喉を鳴らし、意を決して告白する。


「『(つみ)の子』だって。それをもじって付けたんだって。穢れた血に、お似合いの名だって」


「なっ!」


俺は言葉を失う。名前は愛情を込めて、祈りを込めて付けられるものだと思っていた。またそうあるべきだとも。だが彼女の話は、そういう事じゃない。それはもはや、呪いだ。


「まあ、気持ちはわかるけど、流石にそれを直接聞かせられるとね……」


こいつはどんな気持ちでそれを聞いていたのだろう。

どんな気持ちでそれを言い返さず、黙って耐えたのだろう。

……泣きそうになった。




こいつの髪、瞳、いまの日本で生きるには苛酷すぎる。

もっと幸せに生きるのに、適した世界があるんじゃないだろうか。


「『戦時交換船』と云って、戦争しているお互いの国に取り残された人を帰国させる船を出そうって話しがあると聞いた。それに乗ってあっちに渡るっていうのは、考えないのか?」


日本が好きなら、戦争が終わってから帰って来てもいい。

何の罪もないのに迫害を受ける。正直、よい環境とは言い難い。


「私、あっちの国籍がないの。お父さんに、認知されていないの」


俺の問いに、彼女は寂しそうに答える。


「お母さんの私生児扱いなのよ、私……」


俺は馬鹿か。なんてことを言わせたんだ。少し考えれば予想できた筈だろうに。

自分の不甲斐なさに、(いきどお)りを覚えた。


「それに向こうは向こうで、日系人の立ち退き命令や、強制収容所への収容があるみたい。どっちもどっちよ。私の居場所なんてない。……鬼子なのよ、私は。どっちにとっても」


なんでこいつがこんな思いをしなけりゃいけないんだ。

こいつのお父さんとお母さんが結ばれた事が、そんなにいけない事なのか。

仮に悪いとしても、そのツケをこいつに支払わせるのは、どう考えてもおかしい。

俺はこの不条理に、思わず拳を握りしめていた。




「俺になにか……出来る事はあるか?」


焦燥感に駆られ、問いかける。

このまま見過ごすのは、耐え難い。


「ひとつだけ、お願いがあるの。……私に、名前を頂戴!」


縋るような目つきで、懇願してきた。


「『アメリア』って名前は使えない。『月子』って名前は使いたくない。けど自分で名付けるのは、なんか違う。その人を想い、その気持ちを込めて付けるもんでしょ、名前って」


真理だ。名前は、贈り物なんだ。




彼女は期待に満ちた目で、静かに佇んでいる。

俺はその気持ちに応えようと、無い知恵を働かせる。



「『リア』って名前はどうだ?」


「家族に裏切られて国を失いそうだから、イヤ」


……どこの王様だ、おまえ。


「『アメ』じゃモロあの国だし……『アリ』は?」


「私、虫じゃない……」


これはあれか? 『なに食べる?」って訊いて、『なんでもいい』って返事があって、『じゃあ中華にしよう』って言ったら、『え~。中華って気分じゃない』って云う、あれか?



「ホントはね、なんでもいいのよ、あなたが付けてくれる名前なら。優しい思いに()るものなら。『リア』でも『アリ』でも『トメ』でもいい。けどね、あなたがステキだって思える名前をつけて。あなたがときめくような、とびっきりのなのを。一生懸命考えて。……そうやって出て来た名前なら、それは何だって最高なの!」


ある意味、最高に難しい注文だ。こんなこと言われていい加減な名前を付けるなんて、出来っこないじゃないか。



「『メア』…………。『メア』はどうだろう。『アメリア』って名前を完全に捨てるのは良くないと思う。お前のお母さんが付けてくれた名前だ。きっと色々考えて、愛情を込めて付けてくれた名前だ。今は名乗るのは難しいが、捨てて欲しくない」


0から名づけるのは簡単だ。だがこれまで生きてきた彼女を否定したくない。彼女のお母さんの想いを踏み(にじ)りたくない。


「だから、そこからちょっと変えて『メア』にした。『メア』は、『メアリー』の略だ。『メアリー』って『マリア』と同じ意味なんだろう。『マリア』――『マリアさま』、『聖母さま』だ。お前にピッタリじゃないか!」


「私が――『マリアさま』? 『飛鳥山の鬼』の、この私が?」


彼女は目を見開き、驚愕の表情を浮べる。


「こんなみっともない、色の抜けた髪の私が?」


俺は何も言わず、只にっこりと微笑んだ。


「あんた、本気で言っているのね。…………馬鹿なやつ。見る目ないわ、ほんとに」


ぐすんと鼻を鳴らし、嬉しそうな涙を浮かべ、彼女は言う。

その後は、どちらも言葉を発しなかった。その思いだけを噛みしめた。




幾ばくかの沈黙がすぎ、彼女が口を開く。


「メア?……」


不安そうに、壊れものに触れるみたいに、恐る恐るその名を呼ぶ。

顔が段々とほころんでゆく。


「メアっ!」


嬉しそうに、宝ものを見つけたみたいに、弾んだ声でその名を叫ぶ。

瞳がキラキラと輝いている。


「メア――――――っ」


歓喜の雄叫びをあげる。満ち溢れる喜びを抑えきれないように。

両手を高く掲げ、幸せそうな顔をしていた。



よかった、喜んでくれて。






「じゃあ、ここで。送ってくれてありがとう」


メアは峠まで送ってくれた。


「気をつけて。ここまで来て、遭難するんじゃないわよ」


相変わらずのビター&スイートだ。

俺たちは手を振って別れ、それぞれの道を行った。




「春になったら、雪が融けたら、また来よう。おみやげを持って」


俺は待ち遠しい未来を思い浮かべる。


「クッキーがいいかな、チョコレートにしようか。服も持っていかなくっちゃ。あの店のショーウインドーに、可愛いお嬢さま風の白いワンピースがあったな。きっとメアによく似合う」


大切な人が喜んでくれる。それを思い浮かべるのがこんなに幸せな気持ちになることを、俺は生まれて初めて知った。




「マリアさまか――。この私が」


メアは込み上げてくる幸せを抑えきれないみたいに、笑う。


「ホントあいつ、いかれているわ」


その悪態をつく顔は、この上ない喜びに満ちていた。


「春になったら、山女魚(ヤマメ)の塩焼きを食べさせてあげよう。獲れたてなのは、最高なんだから。……あと、この口の悪いのをなんとかしなけりゃね。このままじゃあ勇哉に愛想を尽かされてしまう。よし、『可愛い女の子になる』――これが私の今年の目標だ!」




二人は、違う方向に歩いていた。

だがその魂は、同じ未来に向かって進んでいた。

山はそんな二人を、温かく見守っていた。

二人の出会い編でした。

勇哉とメアの物語は、もう少し続きます。


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