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幽霊となったクラスの女子が、僕のパンツから這い出て来た  作者: 相沢 真琴
第四章 World War Ⅱ(第二次世界大戦)
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お人好しの鬼

草木が鬱蒼(うっそう)と生い茂る山の中、異端な空間があった。

植物は刈り取られ、地面は綺麗に(なら)され、かと言って建物がある訳ではない。

ただ小さな像があるだけだった。

自然の浸食も、人の営みも拒んでいた。

冬のピンと張りつめた空気と相まって、そこは一種の神域のように見えた。

その中心に、巫女のように無垢な少女がいた。

少女は(おごそ)かに口を開く。


「お祈りする時は、清らかな心じゃないといけないのよ。そんなギスギスした心だと、お地蔵様は聞く耳を持たないわよ」


少女は優しく(さと)すように言う。

そこに怒りの感情は、欠片もなかった。


「その通りだ。悪かった。ごめん」


俺は素直に頭を下げる。


そうだ、俺はお参りに来たんだ。伝言や報告に来たんじゃない。

清らかな心で、真剣にお願いしないといけないんだ。

神さまの心を動かして、紬を助けてもらわないといけないんだ。


その事に気づかせてくれた女の子に、俺は感謝した。



「分かればよろしい! ……で、何をお祈りに来たの?」


女の子は偉そうに腕組みをして問いかけてきた。


「妹が……病気なんだ」


沈痛な面持ちで答える。


「悪いの?」


彼女は眉を寄せ、問いを重ねる。


「肺炎で、熱が下がらない。もう三日もだ。意識もはっきりしない……」


頭の中に、ハァハァと、息も絶え絶えに苦しみもがく紬の姿が浮かんできた。


「……なん歳?」


唇を噛みしめ、痛ましそうに問い続ける。


「三つ。……まだ、生まれて何もしていないんだ。ここで死んだら、なんの為に生まれて来たんだ……」


抑えていた感情が溢れるみたいに言葉が出た。

認めたくない、見たくないと目を背けていた事実に、心が耐えかねていた。


「お名前は?」


皮をむかれた白兎を見詰めるように、痛ましい目で問うてくる。


(つむぎ)。……なんでそんな事を聞く?」


重ねられる質問に、こいつは何を知りたいんだ? 何がしたいんだと疑念が湧いてきた。


「具体的に知らなきゃ、お祈りしようがないでしょ。『この人の妹を助けてください』ってふわっとした頼みだと、お地蔵様だって困るわよ。手間暇(てまひま)省いてあげた方が、お願いを聞き届けてくれ易くなるんじゃない」


思ってもみなかった返答だった。


「お祈りしてくれるのか、紬のために」


俺たち兄弟に関心を持つ者はいない。それが宇宙の定理だと信じていた俺には、その言葉は驚きだった。


「ついでよ、ついで。一人より二人のほうが、声が大きくなって届きやすいでしょ。『ここのお地蔵様、ご利益(ごりやく)なかった』ってケチつけられるの、嫌だからね」


『邪魔だからこの荷物どけるね』みたいに、いかにも自分の都合だと言わんばかりに事もなげに言う。だがその声は、不思議なほど俺の心に染みてきた。暖かな春の日差しのように。


「さあやるよ。手を合わせて、声を併せて、『オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ』って!」


彼女はお地蔵様の前に向かい、しゃがみ込む。横に人一人分の空間を空けて。そして俺を見つめ、その目で(いざな)う。俺はその導きに従い、彼女の横にしゃがむ。彼女はにっと笑い、小さく頭を上下に振る。その『せーの』という合図と共に、俺たちは声を発する。


「「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」」


二人の声は重なり、絡み合い、冬の空へと溶けていった。

この祈りは届く筈だ。

俺たちは神に近い場所にいた。





青かった空が、どんよりと曇ってきた。

雪がぱらついてきた。

明るい西洋画の世界が、くすんだ墨絵の世界へと変わってゆく。


「やばいわね、これ。あなたこの山、何回ぐらい来たことあるの?」


彼女は顔をしかめ訊いてくる。


「初めてだ、これが」


俺の返答に彼女は眉をひそめ、口を横に広げる。


「話にならない。このままだとあなた、妹さんより先にあの世に行くわよ」


とんでもないことを言いだした。


「大丈夫だ、来た道は覚えている。時間はかかるけど、帰るのに問題はない」


俺は自信を持って答えた。


「そんな台詞を吐くこと自体、間違っているのよ。40年前の八甲田山(はっこうださん)の遭難事件を聞いたことないの。訓練を重ねて装備を整えた兵隊さんでも、一歩間違えたら命を落とすのよ。そんな『かんじき』も用意していないど素人が、なにぬかしてんの。雪山を舐めんじゃない!」


目を血走り、鬼の形相で詰め寄ってくる。

言葉もない。俺はなんの反論も出来なかった。


「あー、もう」と、彼女は頭巾の上から頭を掻く。


「しょうがない、今夜は私の家に泊まりなさい。明日の朝になったらこの雪も(おさ)まっているから、それから帰りなさい」


はぁと大きく溜息をつき、ぶっきらぼうに彼女は言い放つ。


「妹が心配なんだ。すぐにでも帰る」


俺は急き立てられる気持ちを抑えきれず、彼女の言葉に異を唱える。


「『田走るより畔走れ』って云うでしょう。このまま雪山突っ切ったら、魂だけは妹さんの許に帰れるかもしれないけど、その身体は春先までこの山で野ざらしよ」


ろくでもない予言をしやがった。しかも妙に現実味を帯びている。


「私だって迷惑なのよ、あなたを泊めるなんて。でも、ここで死なれたら捜索隊とか出て、もっと面倒なことになる。お互い災難だと思って、あきらめなさい」


ぞんざいな言葉遣いは、俺の心の負担を減らそうという思いやりに満ちていた。



日が陰り、暗くなってきた。

風も強まり、(こずえ)を揺らす。

雪が降り積もり、土が段々と隠れてゆく。

白と黒のまだらな世界に変わっていった。


「吹雪になる前に帰るわよ。ついて来なさい」


そう言うと山の奥に向かい、歩を進める。


「う~、しゃっこい(冷たい)


彼女はそう呟くと肩をすぼめ、ザクッザクッと新雪に足跡を刻んでゆく。

俺はその後を黙ってついて行く。

彼女は何も言わず、時折心配そうに振り返り、俺を見ては安堵の息を漏らす。


飛鳥山の鬼は、ずいぶんとお人好しな鬼のようだ。

俺の考えが伝わったのか、彼女はむぅっと口を尖らす。




雪の帽子をかぶったお地蔵様が、優しい顔で俺たちを見送っていた。

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