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ゲート

昼過ぎの病院受付。面会時間が始まり、見舞客が続々と入って来た。

見舞客らしく大人しい服装ばかりの人混みの中、一際輝く二人連れがいた。


二人ともベージュを基調とした露出を抑えたワンピースだ。

亜麻色のフワフワした髪の少女は、ワンピースと同系色のカーディガンを羽織っている。

艶やかな黒髪の少女は、生成りのサマージャケットを着ている。

そして両者とも、長い髪を一つに纏めていた。


見舞いに対する敬意が感じられた。



「今日はありがとうな。お婆ちゃんも楽しみにしてるって言ってた」


俺は手を挙げ、彼女たちと合流する。

亜麻色の髪の少女はぶんむくれ、黒髪の少女は顔を引き攣らせていた。

……なにかあったのか?



「……ユマ……昨日の夜……どこに行ってたの? 凪紗ちゃんから、『お兄ちゃん、家にいないんですけど、デートですか?』ってメッセージがあったんだけど、どういう事かな? 教えて欲しいなぁ――」


鈴の瞳からハイライトが消えている。――やばい。


凪紗――! 『私はお邪魔だろうから、今日は行かないよ』って言ってたが、こういう事かよ! 燃料だけ投下して、自分は高みの見物かよっ! あのやろう――!


俺は窮地に立たされた。

そんな俺のもと、着信の知らせがあった。


「ちょっと、ごめん」


俺は時間稼ぎをすべく、携帯を見る。


『“想像にまかせる“って言って、誤魔化しときなさい』


『そう言っておけば、私と会っていたと誤解して、怒りはするけど納得はするわ』


『その時間、私も取材で外出していたの』


『ラ・ブロードにいたの』


『そこでちょっとしたドラマがあってね。倒れた女の子をお姫様だっこして運ぶカップルがいたそうよ』


『私はその場に居なかったんだけど、聞いた話によるとその男の子の風貌、すごい既視感があるのよね』


『……貸し、ひとつよ』


怒りに燃える鈴の横で、明日香がにっこりと微笑んでいた。




……全部、ばれてる。


明日香は満面の笑みを浮かべている。

母親のように、獲物を捕らえた猟師のように。



無力な俺は、天の声に従った。

神さまの言うとおり、鈴は怒りながらもその感情を段々と鎮めていく。

危機は、去った。



胸を撫でおろす俺の耳もとで、天の声、もとい明日香が呟いた。


「お姫さまは、お婆さまのお見舞いには来ないのかしら?」


「……なんの事か分からんが、お見舞いに来るのはお前たちだけだ」


「そう……」


明日香は俺の言葉から、なにかを読みとったようだった。



実は昨日、メアにもお見舞いに行かないか、もちろんあの二人とは別にと誘った。

だがメアはそれをきっぱりと断った。


「実のお婆さんに、幽霊を引き合わせようというの。ふてえ孫だ」


まあ、言われてみればそうなんだが……。


「……それに私は、あの人に会っちゃいけないの。交わってはいけない存在なのよ、私は」


そう零すメアは、どこか淋しそうだった。






「遠いところ、よく来てくれたね。悠真と仲良くしてくれてるんだって。ありがとう……」


紬ばあちゃんはベットの上で、背筋をしゃんと伸ばして二人を出迎えた。

初めまして、と二人は挨拶をする。

そして『つまらないものですが』と見舞いの品を渡す。

二人の共同の品だ。流石に病人相手に角突き合わすような真似はしないみたいだ。



「桐生 明日香と申します」


まずは明日香から挨拶する。

ふ~んと、紬ばあちゃんは明日香の顔を見ながら呟く。

なにか? と明日香は訝し気に訊ねる。


「いやね、えらい作家先生が来るって聞いていたから、どんな気難しい娘が来るんだろうと思っていたんだよ。……いい娘じゃないか、雰囲気でわかる。不器用で、人とのかかわり合いが苦手そうだけど、思いやりがあって、優しそうな娘だ」


明日香の瞳をじっと見詰めながら言う。

そんな……と、明日香は思いがけない言葉に戸惑う。


「けどね、気をつけないといけない。貴方はとてもいい女だけど、男をダメにしやすい女でもある」


明日香は目を引ん剝く。婆ちゃん、なに言ってんの。


「貴方は優しすぎる。愛する者に尽くしすぎる。それは尽くされる人をダメにする。……人は弱いもんだよ。与えられるばかりだと、自分でやろうとしなくなる。そりゃそうだろう、何もしなくても色んなものが降ってくるんだから。動く必要がないんだから」


うっと明日香が呻く。心当たりがあり過ぎる。


「特に貴方は若くして、金も力も十二分にある。そしてそれを使って愛情を得ようと云う欲求に駆られても、なんの不思議もない」


見てきたかのような事を言う。実際その通りだ。こいつ、俺にデビットカードを渡そうとした事がある。


「『尽くす』ことと『甘やかす』ことは違うんだよ。相手が自分を頼ってくれたり、弱音を吐いてくれたりしたら、そりゃ気持ちいいさ。それでも嫌われてもいい、憎まれてもいい、相手の意に反することでもその人の為になるなら敢えて憎まれ役を買って出る、そうならなくちゃあいけない。相手を自己肯定感を得るための道具にしちゃいけないよ」


明日香がうぐっと胸を押える。なんか、いろいろ刺さっているようだ。


「私も、孫がダメ男になるのを見たかないからね」


歯切れのよい暖かみのある口調で、紬ばあちゃんは言い放つ。

明日香は、小さな子どもがするように、素直に力強くこくりと頷いた。




「さて、そちらの妖精さんみたいに可愛らしいお嬢さんは?」


鈴にお鉢が回って来た。


「は、初めまして。新開 鈴と申します」


鈴は少しビビッている。無理もない。どんな駄目だしがされるか、戦々恐々だろう。

だが紬ばあちゃんの反応は、予想したものと違っていた。



「しん……か……い?」


喉を詰まらせ、驚きの表情を浮べる。


「ちょっと、顔をよく見せてくれるかい!」


お互いの顔がぶつかる程の間近まで寄せ、鈴の顔をまじまじと見詰める。

鈴は訳が分からず、狼狽している。


雄兵郎(おべろう)さん……千多(ちた)さん……」


紬ばあちゃんの口から、思ってもみなかった言葉が零れる。


「――なんでお爺ちゃんとお婆ちゃんの名前を?」


鈴は当惑する。接点が、あるはずがない。


紬ばあちゃんは放心し、宙を見上げる。


「……そういう事かい、メアさん……」


今度はメアの名前が飛び出した。どうなっていやがる!


みんなが問いかけようとした、その時だった。

いきなり紬ばあちゃんがゲホッゲホッと嘔吐(えず)き始めた。

体中から冷や汗を流し、顔面は蒼白となっている。痙攣も始まった。ばたんと倒れ、意識も失った。


「どうしたの夢宮さん! しっかりして! いまナースコールを押すから!」


同室の患者さんが、慌てて呼びかける。

ナースコールが押され、すぐさま医療スタッフが駆けつけて来た。


「すぐICU(集中治療室)に運んで!」


医療スタッフの指示が飛ぶ。

ストレッチャーに乗せられ、紬ばあちゃんは運ばれてゆく。

ストレッチャーのガラガラという音が、死神の高笑いのように聴こえた。

ICUに吸い込まれ、紬ばあちゃんは消えてゆく。

俺たちは、呆然と見送るしかなかった。誰も言葉を発せれなかった。




「ごめん、私のせいだ。私が何かしちゃったんだ。私が何か、お婆さまを追い詰めることを、しちゃったんだ……」


鈴は(せき)を切ったように涙を流し、震えるように歯の間から声を()らし、泣き崩れた。

明日香はそんな鈴にそっと近寄り、何も言わず、ただ優しく抱きしめる。


うわぁ――と、鈴の(うめ)き声が響く。

口から生じる声ではなかった。躰の奥からひねり出されるような、悲鳴のような声だった。


俺は紬ばあちゃんが吸い込まれたICUと、深い悔恨に沈む二人を見ながら、冷たい廊下に立ちつくしていた。これは夢だ。目を開ければ、楽しそうに語らう紬ばあちゃんと、鈴と、明日香がいるはずだ。こんな事が、ある筈がない。あって堪るか! ……俺は現実を受け入れられないでいた。






その瞬間は突然やって来た。地面が、大きく揺れた。

ドンと、突き立てるような揺れだった。

ゴウッと地鳴りみたいな音がする。

廊下は波打ち、バランスを崩し、手を地につける。

揺れは、なおも続いてゆく。


「――地震?」


明日香が呟く。

いや違う。これは地震なんかじゃない。

ゆらゆらと揺れる、規則正しいお上品な揺れではない。

縦横斜めと、訳の分からない揺れをしている。

こんなもん、自然現象じゃない。一体なにが起きている。



パリンと蛍光灯が割れる音がする。破片が上から降って来た。

壁がグニュグニュと(たわ)んでいる。



「ここは危険よ、避難しましょう!」


明日香の声が飛ぶ。


「ばあちゃん!」


俺は駆け出し、ICUの扉を思いっきり引き開ける。

治療中の部屋に入るのは厳禁だが、今はそれどころじゃない。

そこで俺は、絶句した。


そこには、何もなかった。

あの騒々しいバイタルサイン測定器も、仰々しいベットも、……紬ばあちゃんも存在しなかった。

ただ伽藍洞(がらんどう)の、何もない空間があるだけだった。


「紬ばあちゃん、どこだぁ――」


無人の部屋に、俺の叫びが木霊する。

明日香と鈴も、愕然(がくぜん)としていた。



「とにかく避難しましょう。ここにお婆さまはいない。これは事実よ。まごまごしていて命を落としたら、それこそお婆さまが悲しむわ」



明日香の落ち着いた声に、正気を取り戻した。


「行くぞ! 外に出る。建物の中は危険だ!」


俺は呆ける鈴を抱きかかえながら、廊下を走った。

そこで俺は、ひとつの事に気がついた。


おかしい。誰とも会わない。あんなに人がいたのに。みんな避難してしまったのか。

疑念を抱えながら、外へと向かう。

太陽の光が見えてきた。あと少しだ。

出入口のドアを蹴破るように開け、外へと飛び出す。

俺たちは、ほっと安堵の溜息をつく。

ゼイゼイと息を切らす俺と明日香の横で、鈴が目を引ん剝いて空を見上げていた。

その貌に、恐怖の光が灯っていた。




空からブロロォーという空気を切り裂くプロペラ音と、ゴゴッーという低く(うな)るエンジン音が聴こえる。俺は恐る恐る空を見上げる。空に銀色の怪鳥が、数え切れないほど空を覆い尽くすように飛んでいた。



「B-29!」


鈴が叫び声をあげる。

嘘でしょう? と、なんで? という神に問いかけるような叫びだった。


B-29、第二次世界大戦中の、米軍の大型戦略爆撃機だ。

ジュラルミンの銀色に輝く怪鳥、超空の要塞(スーパーフォートレス)

それが編隊を組んで飛んでいる。

……ありえない。



その編隊に対し、一直線に飛んでゆくものがあった。

濃い緑色の機体に、主翼と胴体に赤い日の丸が付いている。


紫電改(しでんかい)?」


鈴は再び戸惑いの声をあげる。

旧日本軍の戦闘機の名前だ。



「あのエンジン音は、18気筒複列星型エンジン『(ほまれ)』。確かに紫電改だわ……」


空を見ながらうわ言みたいに呟く。


「けれど、そんな馬鹿な! 世界に四機しか残ってなくて、国内には一機だけ。エンジンは死んでいて、飛行できる機体なんて存在しない!」


鈴は自分の考えを否定するみたいに叫ぶ。


「なんなの? これは!」


「冗談でしょう?」


「わたしは、狂ってしまったの?」


鈴は矢継ぎばやに悲鳴をあげる。




銀翼の怪鳥たちは、次々に黒い物体を落としてゆく。

落下した物体は轟音をあげ、地を揺らし、炎を吹き出してゆく。

大地が再び波打ち、その衝撃で俺たちは地に伏した。




これは一体、どうなっているんだ? なにが起こっているんだ?



俺たちは、とんでもない場所に放り出された。

次回から新章『World War Ⅱ(第二次世界大戦)』が始まります。

『蒼森編』が始まっても章が変わらなかったのも、第二章が『Love is War』、第三章が『七月戦争』となっていたのも、全てこの章のためでした。

これまでの登場人物たちの言動は、これから起こる事に起因しています。これまでのストーリーを思い返しながら、新章をご覧ください。最初見た時と違うものが見えてきます。

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