プレシャス・メモリーズ
俺たちは、暗い海を眺めていた。
沖合いで漁火が、猫目石のように揺らめきながら光っている。
周りの人混みが激しくなってきた。カップルの数が多い。
「ここ、デートスポットなんだよね。人が一杯だ――。 ん? 浴衣の人、多くない?」
気づいたか。俺は腕時計に目を落とす。そろそろだ。
ひゅるる――と、口笛みたいな音が鳴った。
続けてぱんっと爆ぜる音がする。
海の上で、夜空を覆いつくすように、赤、橙、緑、青、様々な光の粒が弾ける。
粒は柳のように垂れ下がり落ちてゆき、静かに消えていった。
まばゆい光を写していた海も、もとの漆黒へと帰ってゆく。
一睡の、夢みたいだった。
数舜の刻を置き、再び光が空を舞う。色とりどりの花が咲く。
おおっ――という歓声があがる。
みんな空を見上げ、夜空の芸術を楽しんでいた。
八月の祭り最終日に、最大規模の花火大会がある。
だが今日の花火も、それなりだ。
この花火大会を叔母さんに教えてもらい、こいつと一緒に来ようと決めていた。
きっと素敵な思い出になるだろう。
喜んでくれるだろうか。そう思いながら、メアの方を振り返る。
だがその想いは、ものの見事に打ち砕かれた。
そこには蹲り、肩を震わせ、恐怖に慄くメアがいた。
俺は屈み、メアの肩を抱き、擦り、問いかける。
「どうしたんだ! 大丈夫か!」
俺は狼狽した。なんでこんな事になっている。
「……ごめん、大丈夫。ちょっと吃驚しただけ。けど、ここから離れたい。この地面が揺れるみたいな音と、刺すみたいな光と、硝煙の匂いがしない所に」
蒼白な顔でメアは訴える。
俺は彼女を抱きかかえ、陸へと向かっていった。
「ごめんね、せっかくの花火を台無しにして。悠真、楽しみにしてたんでしょう……」
メアは俺に抱かれながら、申し訳なさそうに呟く。
「それは……違うぞ。花火なんか、楽しみにしていない。お前と一緒に観る花火を、楽しみにしてたんだ」
伝わってくれ、俺の想い。
「お前の花火を観て喜ぶ姿を――見たかったんだ。お前と一緒に観たかったんだ。お前がいないなら、こんなもんに何の価値も無い」
俺は本気でそう思った。
「……だめだよ」
メアは顔を顰め、哀しそうに零す。
「そんなこと言っては、いけないよ。私なんかに囚われないで」
俺の腕の中で、メアは掠れるような声で呻く。
「私の幸せなんか求めないで。もっと自分自身の幸せを求めて…………」
顔をしかめ、つらそうに、まるで何かを諦めるみたいに。
海から離れた公園までやって来た。ここなら花火の影は薄い。
芝生の上に俺のシャツを敷き、その上にメアを寝かせる。
メアは少し落ち着き、頬に紅が戻ってきた。
「花火に、退魔の効果とかがあるのか?」
今後の事もある。俺は恐る恐る尋ねる。
「ないよ、そんな物。これは私だけに起きた、特殊な例。間違っても他の幽霊に、花火とか、ぶちかまさないでね」
心配する小さな子を諭す母ように、メアは言う。その声は弱々しかった。
「悠真、お願いがあるの」
母の顔から、縋りつくような子どもの顔に変わる。
「今日の思い出を、これで終わらせたくないの。今日という日は、私にとって忘れられない日になる」
寝ころびながら、遠い星を見上げながら、メアは訴える。
「それを……こんな形で終わらせたくない。ささやかな、ほんのちょっぴりでいいの。私の最後を飾る、思い出が欲しい……」
その声は、涙に色づいているみたいだった。
「少し待ってろ。すぐ帰って来る!」
俺はメアの望みを叶えるべく、夜の街を走る。
ペットボトルの水、バケツ、ライター、蝋燭、――そして…………。
呪文のように、何度も何度もその言葉を頭の中で唱えた。
「お待……た……せ……」
息も切れ切れに、メアに帰還の言葉をかける。
これでもかと云うぐらいのダッシュで帰ってきた。
「なに、それ?」
俺の手にある大荷物を見ながら、メアは尋ねる。
「花火セットだ。花火で負った傷なら、花火で癒すのが一番だ。あの派手な花火が駄目なんだよな。この小さい花火なら、どうだ? ……嫌な思い出を消し去ることは出来ない。けれど、優しい思い出で上書きすることは出来る。お前の心に傷を残したくない」
俺は何をするのかではなく、何をしたいのかを伝えたかった。
「それとも、これも恐いか? 線香花火、ススキ花火、スパーク花火……色々用意したけど、無理なら無理と、遠慮せずに言ってくれ。これが駄目なら、お前が喜びそうな物をなんでも用意してやる」
俺の目的は、お前に喜んでもらう事だけだ。笑って貰いたいだけだ。それだけを伝えたかった。
「十分よ……もう十分。私が喜ぶ物を、あなたはもう十分くれたわ……」
メアは指で涙を拭いながら、嬉しそうに言う。
「ばっか野郎! お楽しみはこれからだ!」
泣くんじゃねえ、笑うんだ! それが俺の願いだ!
蝋燭を立て、ライターで火をつける。穏やかな、赤い火が灯った。
「さあ、やるぞ。トップバッターはこいつだ!」
俺とメアは手にしたススキ花火の先端にある『花びら紙』を切り取り、鉛筆の芯みたいな火薬部分を剝き出しにする。その部分を蝋燭に近づけ、火を移す。花火の先端が燃え始めた。さーっという音と共に、桜色の光が吹き出す。そしてそれは藤紫色へと変化する。檸檬色、千草色、瑠璃色、さまざまな色に変化してゆく。
「きれいだね……」
メアはしゃがみ、放たれる光を見詰めながら呟く。
「ああ、きれいだ……」
俺はその横で、変わりゆく光に照らされ、万華鏡のように表情を変化させるメアの横顔を見詰めながら答えた。それは姿形が美しいのではなく、内から放たれる存在の美しさだった。邪な心を濾した、澄んだ光のようだった。俺はその姿に――見蕩れた。
ぱちぱちと、星火花が飛び散る。火花が、止めどもなく溢れだす。
眩しく激しく――俺たちの気持ちのように。
幸せな時間が流れていった。
優しく、儚く、頼りない時間だった。ただ、幸せだった。この一瞬が、絶頂だった。
「締めはやっぱり、線香花火よね……」
名残惜しそうにメアは呟く。
公園ではあまり遅くまで花火は出来ない。そろそろお終いだ。
水を張ったバケツの中に、沢山の使い終えた花火が入れられている。
喜びと哀しさが、詰まっていた。
最後の花火に火をつける。
玉のような火種から、雪の結晶みたいな火花が弾ける。
火花は少しづつ大きくなり、四方八方に飛び散ってゆく。
若々しく、生命にあふれた光だった。
だが光は段々と小さくなり、柳のように細く垂れ下がっていく。
咲いた花が、一枚一枚散ってゆく。その生に満足したかのように潔く。
そして、終わりを迎えた。
光は消え、闇に覆われた。
青白い月明かりの中、メアは細い声を流す。
「すてきな、時間だったわ。宝物みたいな。……これで私は、迷いなく……いける。――ありがとう」
メアは光の粒へとなってゆく。
揺らぎ、朧げになり、霞むみたいに消えてゆく。
「心配しないで、お別れじゃないわ。まだ、いなくならないから」
優しく、なだめるみたいにメアは語る。
「じゃあね、悠真。……またね」
メアは最初に会った時の、別れの言葉を投げかける。
『またね』――この言葉には、どれだけの想いが詰まっているのだろう。
微かな火薬の匂いがする夜の中、俺はいつまでも立ちすくんでいた。
この幸せで切ない思い出を抱えながら。
皆さんの、忘れられない思い出はなんですか?
切ない気持ちを、思い出してください。
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