ラ・ブロード
『お婆ちゃんから、お見舞いのOKもらった』
『明日、14時に三号館一階受付に集合』
メッセージを送信する。
『りょ』
『おつかれさま。明日を楽しみにしてるわ』
秒で既読がつき、返信が来た。
こっちはこれでよし。……さて。
妹はお風呂に入っている。今だ!
「ちょっと出かけてきます。帰りはちょっと遅くなるかもしれません。帰ったら電話をしますんで、鍵を開けてもらえますか」
俺は伯母さんに、こっそりと言う。
伯母さんは『はは~ん』という顔をして、『ちょっと待ってて』と引き止める。そして俺の手に何かを握らせる。
「はい、合鍵。こっちにいる間、自由に使ってね。逢引きするのを一々知られるのは嫌でしょう。好きに出入りしていいから。但し二つ約束して。一つは『十二時までには帰って来ること』」
まあ妥当と云うか、かなり寛容な方だな。条例で未成年の夜十一時以降の外出は禁じられている。帰って来る時間を加味しての門限だろう。
「そしてもう一つは『美海に手を出さないこと』。いや、親の欲目かもしれないけど、うちの子、滅茶苦茶可愛いじゃない。惚れない訳ないじゃない。もうちょっと大きくなったらお付き合いに口を挟むつもりは無いけど、流石に小学一年生じゃねぇ~」
誰が手を出すか! ロリコンじゃねぇ! この伯母さん、恋愛に関して寛容過ぎる!
『いってらっしゃーい』と伯母さんに見送られながら玄関を後にする。『どっちの娘かな? それともダブル?』……後ろでキャッキャいう声と共に、不穏な台詞が聴こえて来る。あの人の脳内では、俺はどんな人間に映っているのだろう。
目立たぬように帽子を奥深にかぶり、駅の近くにある神社に入る。
一対の狛犬の間をぬけ、朱色の鳥居をくぐり、お堂を前にし、目を瞑り、祈りの言葉を頭の中で捧げる。
『すいません、ちょっと場所をお借りします。理に反する事をするかもしれませんが、どうかお目こぼし下さい』
神さまに断りを入れた後、返事が無いのをいい事に、木々が立ち並ぶ奥へと向かう。
奥は静まり返っていた。人のざわめきも、虫の鳴く声もない。ただ静寂だけがあり、木々の隙間から星の光る音だけがしていた。
来い! 俺は星に祈る。
躰から、熱いものがみなぎってきた。
下腹部から熱が立ち昇ってくる。
熱は形となり、黄金の光が這いあがってきた。
「……なんて場所に召喚すんの」
メアは周りを見渡し、ここが何処かを理解し、遺憾の意を述べる。
「しょうがないだろ。人目につかない場所なんぞ、ここしか思いつかなかった。それともトイレとかの方がよかったか?」
「……それはそれでイヤだ」
メアは一層顔をしかめ、不満を露わにする。
「神域とかは、駄目だったのか? 存在がかき消されるとか?」
こいつが消滅させられるとかは防がなければならない。
「そういう訳じゃないけど、なんて言うか、私って神さまに喧嘩売ってるみたいな存在じゃない。目ざわりだから、見つかったら丸めた新聞紙で叩き潰されると言うか……」
まるで自分を『黒い悪魔』みたいに卑下する。
「心配すんな。その時は俺が前に出て庇ってやる。そしてお前がどんな存在か、弁護してやる。どんだけ思い遣りがあり、どんだけ純粋で、どんだけ可愛いか、力説してやる!」
「神さまもいい迷惑だね。とんでもないアホな惚気を聞かされて……」
メアは呆れた口調で、それでも顔はにやけたまま、砂糖菓子みたいな表情をしていた。
「取りあえず、服を着ようか。真っ裸のままだと、別の意味で怒りを買いそうだ」
神さまも恐いが、人の目の方がもっと恐い。
ここは伯父さんの家のすぐ近くだ。もし真っ裸の女の子と一緒のところを見られたら、解釈は一択だ。青姦野郎、それも神域で行う不埒者のレッテルは待ったなしだ。伯父さん家を追い出されるのは、火も見るより明らかだ。
俺は持ってきたバックから、先日買った新しい服を取り出す。
白い角衿に、胸元に黒いリボンが付いた、水色のワンピースだ。いわゆるレトロガーリー。
可愛い服にメアは頬をゆるめ、嬉々として着る。
眼を大きく見開き、自分が着た服を見おろす。
にこっと顔をほころばせ、たんっと地面を蹴る。
くるりと一回転する。優雅に滑らかに、清水が流れるが如く。
「どう? 似合ってる?」
満面の笑顔で問いかけてくる。
「この上もなく――」
言葉が自然に紡がれた。
神々よ、ご照覧あれ。
これが俺の愛しい人だ。清らかで、美しく、優しい存在だ。決して邪なものではない。どうか消さないで下さい。……俺は心の底から、祈った。
俺たちは電車に乗り、蒼森港へと向かう。
地元では誰に見つかるか分からない。ここを離れ、人混みに紛れる事にした。
黒い絨毯のような夜の海。その上を漂う星の雫。闇と光が溶けあっている。
俺たちはその海の上を歩いて行く。
湾の上を結ぶ海上遊歩道、『ラ・ブロード』の上にいた。
真上に、この遊歩道と並走する斜張橋――『ガルフ・ブリッジ』が見える。主塔が緑色に鮮やかにライトアップされている。俺たちが歩いている遊歩道も蒼色にライトアップされ、光の道となっていた。たくさんのカップルが行きかっている。
「私たちも恋人同士に見えるのかな?」
メアはふざけるみたいに聞いてきた。
「もしそう見えないとしたら、そいつの目は節穴だ」
メアは少し照れた顔をした。
周りがざわめきだした。みんな沖合いを見ている。
ばしゃんと水しぶきが上がっている。
一頭のイルカが泳いでいた。
横向きの尾びれを力強く叩き、ぐんぐんと水を切るように進んでゆく。
みんな、嬉しそうに見つめていた。
そんな中、メアは哀しそうな表情を浮べていた。
「あの子、置いてけぼりになったのかな……」
切なそうに見つめていた。
「陸奥湾はイルカたちが沢山やってくる、世界でも珍しい場所なんだよ。イワシが日本海から海流に乗ってやって来て、それを追いかけてイルカがやって来るの。それにここはイルカの天敵であるサメやシャチがいないから、天国なの。イルカたちはここで群れをなして生活するの。だけどそれは四月から六月にかけて。今はもう七月。……あの子、たった一人でここで生きているのかな。来年まで仲間がやって来るのを待っているのかな」
何かと重ねるみたいに、沖合いを見ていた。
波しぶきが、もの悲しく見えた。
俺はそっと肩を抱きしめる。
言葉は、いらない。
伝わるといいな、俺の気持ちが。
このみっともない執着心が。
ちょっと季節外れですが、過ぎ去った夏を思い返しながらお読み下さい。
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