グラン・マ
「初めまして。桐生 明日香と申します。『阿川 玖璃珠』の名前でミステリー小説を書いています」
明日香が伯父さん達に挨拶をする。流石に「『上江洲 麻瑚都』の名前でBL小説も書いてます」とは言わなかった。
「お初にお目にかかります。新開 鈴でございます。本日は急な来訪を受け入れて頂き、誠にありがとうございます。ご親族が闘病なされている時にご迷惑かとは存じましたが、悠真さんのお婆さまにお目通り願いたいという気持ちを抑えられず、こうしてまかりこした次第でございます」
……こいつ、誰だ? 鈴のこんな物言い、聞いた事ないぞ。
天真爛漫でやりたい放題の駄々っ子は、どこにいった。
……そうか、おべ爺は職人だが、町工場の経営者でもあったんだ。
鈴はその工場を継ぐつもりだったんだ。こういう社会スキルを身につけていても不思議はない。
「これはつまらぬ物ですが、どうぞご笑納ください」
そう言うと鈴は大きい紙袋の中から何かを取り出す。有名パティスリーの名前の入った包みだった。
「都内でも名前の通ったパティスリーのロールケーキです。お口に合えばよろしいのですが」
やったーと美海ちゃんが万歳をしている。
しまったと、明日香が慌てた顔をする。
「こ、これもよろしければお納めください。つまらない物ですが!」
明日香も自分の紙袋から土産を取り出す。
『東京ば〇奈』と書かれていた。
……いや、悪くはないよ。美味しいし、人気だし、老若男女誰からも愛される優しい味。東京土産の定番、王道だ。
だけどレア度がねぇ。伯父さん、造り酒屋をしているから東京の業者との付き合いがある。年間どの位これをもらっていることやら。美海ちゃんの反応もいまいちだ。
くっ、と明日香は唇を噛む。ふふんと鈴は勝ち誇った顔をする。
まあ、これは当然の結果といえる。
これまで人とのかかわり合いから距離を取っていた明日香。
祖父の許で営業のやり方を学んできた鈴。
差は歴然だ。
……ドンマイ、明日香。お前はこれからだ。
そしてお前は、お前のやれることをやれ。
実際、そこからは明日香の独壇場だった。
如何に俺のことを想っているか。色々な語彙を駆使して、情緒豊かに語った。まるでひとつの詩を詠みあげるように。……こっぱずかしい。
その詩に出て来るのは何処のどいつだとツッコミを入れたくなった。
完璧に美化されている。当社比200%だ。
鈴は『うんうん』と頷いている。
凪紗は『恋は盲目とはこの事か――』と白けた顔をしている。
俺は伯父さんたちから好奇の眼差しを浴びせられ、針の筵に座っていた。
一時間に渡るプレゼンの結果、伯父さんは首を縦に振った。
お婆ちゃんが了承すれば、面会を認めると。
「みんな、乗ったかい。出発するよ」
伯父さん夫妻、美海ちゃん、凪紗、そして俺が車に乗り込んだ。
「じゃあね、ユマ。しっかりお婆さん孝行をしてきてね」
「私たちの事は気にしないで、お婆さまとの思い出を作ってきてね。無理に私たちのお見舞いの話はしなくていいのよ」
鈴と明日香が、車の外から言葉をかける。
分かっている、こいつらの求める物が。
自分たちが何をしたいかではない。何が出来るのかを求めているのだ。
「……行って来る」
そして俺も、何が出来るのかを考える。お婆ちゃんのために、彼女たちのために…………。
◇◇◇◇◇
「遠いところよく来たね、悠真、凪紗。二人ともすっかり大人っぽくなったじゃないか。凪紗はえらい別嬪さんになって」
久しぶりにあったお婆ちゃんは、相変わらずハキハキと喋り、姿勢はしゃんと伸び、声に張りがあり、そして……やつれていた。元気そうに振舞うだけに、その姿は痛々しかった。
「ふっふっ。この凪紗ちゃんの魅力が分かるとは、流石だね~紬ばあちゃん」
そんな紬ばあちゃんの様子に誰よりも敏感に気付きながら、それをおくびにも出さず、凪紗は軽口を叩く。この場の重い雰囲気を薙ぎ払うように。
「ねぶた祭りを観に来たんだって。ゆっくり楽しんでおゆき」
表向きはそういう事になっている。お婆ちゃんの容態が思わしくなく、生きているうちに顔を見せに来たなどと、死んでも口に出来ない。
紬ばあちゃんはベットの横の引き出しから何かを取り出し、それを俺たちに手渡す。
「これでなにか、美味しい物でもお食べ」
茶色い封筒だった。中身は何か、言うまでもないだろう。
見舞いに来て、こんな物を貰っていいのだろうか。俺は躊躇した。思わず返そうとした。
凪紗はそんな俺を片腕で押し留め、紬ばあちゃんの前に出る。
「ありがとう、紬ばあちゃん。遠慮なく頂きます。さ~何を食べようかな――。『十和田バラ焼き』か『貝焼き味噌』か『津軽そば』か、う~迷うな――。あとでどんなだったか、報告するからね……紬ばあちゃん!」
凪紗は無邪気に言う。そんな凪紗を、紬ばあちゃんはニコニコと笑って見ている。ああ、これが正しい孫としての振舞いなんだ。遠慮する事ではない、喜ばせてあげる事が正解なんだと思い知らされた。……妹に、教えられた。
談笑が続き、なごやかな空気が流れていた。
久々に集まった肉親たちが醸し出す、独特の雰囲気だった。
そんな雰囲気な中、恐る恐る幸太郎伯父さんが話を切り出した。
「母さん、前にも言ったけど、個室に移らないかい。お金のことは心配いらないから。静かな環境でゆっくりと治療して欲しいんだ」
多分、これまで何度も提案してきたのだろう。そして拒絶されてきたに違いない。紬ばあちゃんが機嫌のいい今、俺たちが居てなごやか雰囲気の今、千載一遇の機会と思い、切り出したのだろう。……だがその思惑通りに、事は運ばなかった。
「いやだべ、個室だきゃ。すげねぐで、死んでまらぁ」
紬ばあちゃんが叫び声を上げた。切り口を触られ、悲鳴を発するみたいに。
「おっといけない。これじゃあ悠真や凪紗には伝わらないよね。津軽弁は分かりづらいからね」
紬ばあちゃんは、おどけてその気持ちを誤魔化そうとする。
「でもね、この大部屋で皆さんとお話するのが、何よりの薬なんだよ。個室で後生大事に飾られていたら、根腐れしてしまう。気持ちはありがたいんだけど、私のやりたいようにさせておくれ……」
哀しそうに紬ばあちゃんは零す。
「だめだね、こんな狭い所に籠っていたら、気持ちまで塞いでしまう。……広い所へ行こうか」
俺たちはそういって、屋上の空中庭園へと向かった。
入院患者は基本的に外出は出来ない。
バーコードのある柔らかいブレスレットを腕に付けられ、入院中はそれをずっとしている。
外出許可が下りた時だけ外され、帰ってきたらまた付けられる。
勝手に院外に出ようとすると、入口のセンサーが作動する。
入院患者の管理の為にはやむを得ないのかもしれないが、閉塞感は溜まる。
それを少しでも緩和する為に、空中庭園が設けられていた。
チーンという音と共に、エリベーターの扉が開く。最上階に到着した。
ここは展望室と、あとの大部分は屋上庭園となっている。
「さ、行こう。ゆっくりでいいからね」
俺は紬ばあちゃんの手を引き、一緒に歩く。
骨張った、痩せた指だった。
幼い頃、綾とりをする時に見た、細くしなやかな指とは違っていた。
針のように鋭い淋しさが押し寄せてきた。
重い空中庭園への扉を開く。
むわっとする葉の匂いが漂ってきた。
俺と紬ばあちゃんは、庭園へと足を踏み入れる。
ゆっくり、ゆっくりと、歩調を併せて歩く。
世界が、緩やかに流れていった。
すると、見えなかった物が見えてきた。
草木が、しっかりと見えてきた。鋸のような形をした葉。その色は、深い緑、明るい緑、葉に白い縁取りをした緑、様々だった。そこに咲く花は、まるで破裂したみたいに四方八方に飛び出し、
花弁も三枚、四枚、五枚と多種多様であった。
急ぎ足で歩く俺には、何も見えてなかった。
こうやってゆっくりと歩く事で、本当の姿が見えてきた。
紬ばあちゃんは今、こんな世界に生きているんだな。
空中庭園からは、街の風景が一望できた。
眼下に、金粉を塗したみたいな夏の日差しを浴びる蒼森の街が広がっている。
その向こうに、キラキラと鏡のように輝く陸奥湾が見える。
疲れた鳥が羽を休めるみたいに、船が群がる蒼森港がぱっくりと口を開けていた。
「綺麗だろう。あんた達の名前は、この海から付けられたんだよ」
紬ばあちゃんは目を細め、遠いところを眺めている。
「この蒼く美しい海、穏やかに凪いだ透き通った海、悠久の時を経ても変わらぬ海。そんな海の様にあって欲しいと名付けられたんだよ、あんた達は」
どこか切なく、空にとけるみたいな声だった。
「この海も、ずっと綺麗なままだった訳じゃない。……血が流れ、地獄みたいな時もあった。恨みに塗れた時もあった」
えも言われぬ迫力があった。辛酸を嘗めた者だけが持つ、独特の。
「けれど海はそれを洗い流してくれる。恨みは何時までも続かない。続けちゃいけないんだ。……あんた達には、そうあって欲しいんだ」
紬ばあちゃんは孫三人を見つめる。祈るように。
海は静かに輝いていた。
「悠真は私に、なにか言いたいことがあったんじゃないのかい?」
紬ばあちゃんは、見透かすような瞳で問いかけてきた。
身体は弱っても、その眼はすべてをお見通しのようだ。
「俺の友達が蒼森に来ているんだ。紬ばあちゃんのお見舞いをしたいと言っている。……会ってもらえるかな」
事実だけを、偽らずに述べた。
「納得いかないね。ただの友達が、そんな事を言うかい?」
嘘を言っているとは思っていない。だが、合点がいかないようだ。
「一生一緒にいると誓った娘だ」
ああ、そういう事かい、と紬ばあちゃんは目を細める。
「凪紗は知っているのかい、その娘のことを」
紬ばあちゃんの問いに、凪紗は『うん!』と答え、先程幸太郎伯父さんにしたのと同じ説明をした。
紬ばあちゃんの表情は、みるみるうちに曇っていった。
「二人……なのかい。……悠真、二股は、いけないよ。昔は沢山の女の人を囲う事もあった。けれど今はそんなご時世じゃない。ハーレムエンドとか云うのは、ギャルゲーの中だけにしておきな。現実でやろうとするのは、馬鹿か鬼のやる事だよ」
現代風にアレンジされた、ご尤もな意見を頂いた。
けど紬ばあちゃん、ギャルゲーとか知っているんだ。
「入院中はヒマだからね、同室の子に教えてもらって、アイドル育成シミュレーションゲームをしてるんだよ。消灯があるから、夜はログイン出来ないけどね。いや、この年齢になって、こんな楽しい物があるとは思わなかったよ」
なにをやっているの、お婆ちゃん!
思っていたのと違う世界の扉を開きかけている!
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