こんなはずでは……
「俺の友達が、おばあちゃんのお見舞いに行きたがっているんだけど」
食事のあと、落ち着いたところで、俺は神妙な面持ちで語りかけた。
俺の言葉に、伯父さん夫妻は当惑の表情を浮べる。
当然だろう。これまで縁もゆかりもなかった赤の他人が、入院患者を見舞いたいと言ってきたのだ。そしてその患者は、余命いくばくもない自分の母親だ。如何に身内の友人とはいえ、安易な気持ちで近づいて欲しくない。そう思うのが当然だ。さて、どう説明しようかと思い悩んでいた時である。妹が横から助け船を出してきた。
「その友達っていうのはね、お兄ちゃんの将来の奥さんなの!」
叔父さんたちは『ああ、そういう事なの』、と納得したような顔をした。
俺は『そうだったの?』、と当惑した表情を浮べる。
妹は『いけなーい、言っちゃった』、という『てへぺろ』顔をする。……この確信犯め。
「その人ね、家族をすごく大切にする人なの。お兄ちゃんからおばあちゃんの話を聞いて、自分の本当のおばあちゃんみたいに思っていると言っていた。だから一度おばあちゃんに会って、ご挨拶したいって。……この人は私を照らす太陽です、私を導く北極星です。私の一生の宝物です。ずっと一緒にいます。ありがとうございます、こんな素敵な人に巡り会わせてくれて。……そうお礼を言いたいって。決しておばあちゃんを悲しませることはしないって。……ダメかな」
切なげに妹は語る。
事情を知っているはずの俺でも心に響くものがある。
ましてや初見の伯父さん夫婦はひとたまりも無く、目を潤ませている。
勝負あった。妹の前では伯父さんたちは、赤子同然である。
「そうか、悠真くんもそんな人が出来る年頃になったんだ。僕も年を取る訳だ。それでどんな人なの、悠真くんの将来のお嫁さんは」
おい、何時からあいつらは俺の将来のお嫁さんになったんだ。そう反論したいとこだが、話の流れ上否定する事も出来ない。これ、外堀を埋められてないか?
「えーとね、妖精さんみたいに清らかで可愛くて、澄んだ鈴の音みたいな人」
会ってまだ半日なのに、すっかり魅了されているようだ。
「もう一人は優しくて知的で包容力があって、母性の塊みたいな人」
ちょっと待て、説明がおかしいぞ。
「えっと、ごめん凪紗ちゃん。その言い方だと、お嫁さんが二人いるように聞こえるんだけど」
伯父さんは『言い間違いだよね』、『聞き間違いだよね』、『そんな事ある筈がないよね』、『僕の甥っ子は、そんな鬼畜じゃないよね』と救いを求める声をあげる。
「うん、そうだよ。二人だよ。どっちも素敵な人」
妹の言葉に、伯父さんは思わず俺の方を振り向く。批難のまなざしを添えて。
「叔父さん、今は多様化の時代だよ。ハーレムエンドは当たり前。もっとフレキシブルにいかなきゃ」
伯父さんは、ふむと考え込む。
騙されちゃいけないよ。それ、ギャルゲーの世界の話だから。普通に重婚は犯罪だから。
「そうか、悠真くんはそう云う道を往くのか。けど大変だよ、それだとそれなりに稼がないとやっていけないよ」
伯父さん、前向きに考えないで下さい。その道は、『外道』といいます。
多様化を便利に使ってはいけません。
「心配ご無用、伯父さん。お嫁さんは『阿川 玖璃珠』だから」
こいつ、何を暴露してやがる。こんな事がばれたら、明日香に迷惑がかかるじゃねえか。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。明日香さんから言っても構わないって許可を貰ってる。むしろバンバン広めて、外堀を埋めてくれって言われている」
妹は俺の表情を見て、『お兄ちゃんも大変な人に捕まったね』と言わんばかりに、ニコッと微笑む。
俺は身体中に絡みついた投げ網を感じた。
「ごめん、凪紗ちゃん。意味が分からないんだけど、『阿川 玖璃珠だから』ってどういう事なの。『阿川 玖璃珠』ってあれだよね、ミステリー作家の。なんかの比喩かな?」
まあ、そうなるよな。ダイレクトに受け止める事なんて出来ないよな。
「そのままの意味だよ。比喩とかじゃなくて、言葉通りの意味。お兄ちゃんの未来のお嫁さんは、『阿川 玖璃珠』その人なんだよ」
ぴしっと指を立てて言い放つ。鼻息荒く、どや顔をしている。
伯父さんは、ぽかーんとした顔をしている。
……頭が痛ぇ。
「それと小説のネタにされるかもって心配は、いらないよ。言ってたから、少なくともおばあちゃんが生きているうちは小説に書かないって。将来書く事があっても、その時は遺族に了承をもらう。何なら誓約書を書いてもいい。そう言ってたから」
う~むと伯父さんは唸る。
自分の母親に安らかに最後の時を過ごしてもらいたい。そして同時に思い出を作ってあげたい。それも未来に繋がる、優しい思い出を。
目を瞑り、しばらく逡巡した後、伯父さんは重い口を開いた。
「わかった、友達を連れておいで。一度会って、人となりを見させてもらい、それから返事をしよう。そして問題が無いと判断したら、おばあちゃんが会ってくれるか聞いてみる。……おばあちゃんの気持ちが最優先だからね」
伯父さんは快い微笑を浮べていた。それは、とっくに許しを決めた顔だった。
「それで何時ごろ会えるのかな。8月になると祭りで忙しくなるから、出来れば7月中ならありがたいんだけど」
「ちょっと待ってて、今連絡してみる」
俺は急いでメッセージを送る。間髪入れず返信が来た。
「……あと10分で着くって」
「は?……………………」
伯父さんが間抜けな声をあげる。
「……一緒の新幹線で来てたんだ。今タクシー捕まえて、こっちに向かってるって」
伯父さんと叔母さんが顔を見合わせる。
そして弾かれたように叔母さんが飛び出し、伯父さんに言う。
「大変――――。あなた、丹後ちりめんのお客さま用座布団持ってきて! 私は最高級のお茶とお茶菓子を用意するから! 美海、テーブルの上片付けて、キレイキレイして! へんなこと書かれたら、末代までの恥よ! わ――時間がない!」
居間は、戦場となった。
そんな中、俺たち兄妹はぽつんと座っていた。
「……お兄ちゃん、訪問アポを取るのはホストに余裕を持たせるように。『善は急げ』じゃないんだよ」
おっしゃる通りでございます。俺は妹の叱責に、ただただ平伏した。
表で車が止まる音がする。
若い女性の話し声がする。
合戦の合図の、鏑矢が放たれた音のように聞こえた。
『タイム・イズ・マネー』じゃないですよね。時によりけりです。
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