お願い
窓の外を、建物が、木々が、田畑が、星のように流れていく。
空は高く、広い。遮るものは、何もない。
「高い建物がないと、本当に落ち着くわね。日本の原風景って感じ」
「近代建築物、特にビルやタワマンを否定すんのは止めてくれる。紐育の摩天楼を見て、『こんなもん、ぶち壊せ』って言う奴いないでしょう。これらも立派な人類の英知の結晶よ。自然の雄大さは認めるけど、未知に挑戦する先人達の努力を否定して欲しくはないな」
文系と理系が言い争っている。
その手には、あと数枚となったトランプが握られていた。
「よっしゃー! 『A』きたー! さあさ、明日香、その席を勝者に明け渡しなさい。ユマの隣りは私のものだ!」
鈴が中央に置いたバックの上に作った場の上に、『ハートのA』と『スベードのA』を叩きつける。
「ほざいてなさい。すぐ政権奪取してあげる。短い我が世の春を、精々楽しむがいいわ」
明日香が悔しそうに『ジョーカー』を場に投げ捨てる。
大層なことをほざいているが、やっている事は『ババ抜き』だ。
「高校生にもなって、こんなに『ババ抜き』に夢中になれるものなの?」
妹が若干引いた声で俺に耳打ちする。
「しっ! 言ってやるな。こいつらこれまで友達がいなくて、トランプとか数えるくらいしかやった事が無いそうなんだ」
ああ……、と妹は何かを察したようだ。
「あんまり綺麗とか可愛いとかだと、物怖じしちゃうもんね。ボッチはボッチを呼ぶか……。この二人がお兄ちゃんに惹かれたのは、そういう訳か」
おい! それは俺をデスっているのか。
列車は八戸を過ぎ、八甲田山が見えてきた。
大岳を主峰とし、きれいに裾を開いた山々が連なる雄大な景色。新蒼森駅まで、もうすぐだ。
鈴と妹は疲れ果て、寄り添うように眠っていた。
俺は車窓から山々を見つめる明日香に問いかける。
「そういえば宿は、どうなっているんだ? 時期的に予約は難しいと思うんだけど」
もうじき『ねぶた祭り』だ。宿を取るのも大変な筈だ。
俺たちは叔父さんの家に泊まるが、こいつらは大丈夫か。
「蒼森駅からすぐ近くのRホテルを取ったわ。あなたの言う通り、8月からは予約が一杯。だから7月中はデラックス・ツインにして、8月からはジュニア・スイート。」
金に物を言わせやがったな。
「……いくらするんだ?」
「まあ、それなりの値段。経費で落とすから問題ないわ。出した分は、がっぽりと稼がせてもらうから」
そう言えば蒼森を舞台に小説を書くと言っていたな。
「オーシャンビューのジュニア・スイートよ。もし一緒に泊まりたくなったら言ってね。宿泊人数の追加はOKだから。それに私たちのどちらかが邪魔なら、出ていく様に鈴と協定が結ばれているわ。もし二人同時がお好みなら、それはそれで対応させて頂きます」
どんな対応をする気なの? 俺の知らないところで、どんな話し合いがされていたの?
「……『ねぶたベイビー』って言葉、知ってる? 蒼森では『ねぶた祭り』の10か月後の出生率が、全国平均よりも高いそうよ。『ねぶた祭り』で盛り上がった男女が勢いに流され、その捲いた種が10か月後に実り、それを『ねぶたベイビー』と呼ぶと聞いたわ」
いやだー! もしその時期に産まれたら、そうじゃなくても、そんな風に思われるじゃないか。
「素敵じゃない。その子どもが大きくなって、一緒にこの祭りを見に来て、『ここでお前は誕生したんだよ』って教えてあげるの、素敵じゃない?」
もし俺がその子どもだったら、そんな記憶は抉り取りたいわ。両親の生々しい閨事なんぞ、トラウマもんだ。
「ところで、あなたにお願いがあるのだけれど……」
明日香は俯き、両手の人差し指を合わせ、もじもじと言ってきた。
こいつが言い淀むなんて、どんな事を言ってくるんだ。俺は身構え、衝撃に備える。
「あなたの御祖母様の、お見舞いに行かせて頂きたいの。身内でない私たちがお見舞いするのは、筋違いだとは分かってはいるの。でも、お見舞いしたいの、あなたの御祖母様に、元気な内に……。貴方のお孫さんはとっても素敵で、素晴らしくて、こんな人を世に送り出してくれてありがとうございます、って伝えたいの。私たちは一生の友達です、って伝えたいの。……鈴も同じ気持ちよ。……ダメかしら。御祖母様の病状は、絶対に悟られないようにするから」
消え入るような細い声で、明日香は言葉を紡ぐ。
肩は震え、手をぎゅっと握りしめ、いつもの自信満々な雰囲気は見る影もない。
迷子のような少女が、そこにいた。
「……伯父さんに聞いてみる。ばあちゃんの病状次第だな。今はなんとも言えん。後でメーセージを送る……」
俺も身内とは云え、同居している訳ではない。決定権は、俺には無い。今はここまでしか言えない。
「ええ、急がないわ。悠真がここに居る間は、私たちも滞在するから。夏休み中でも居るつもりよ。お金の事は心配しないで。これまでの貯えは、それなりに有るのよ。私けっこう、稼いでいるの。何か欲しい物があったら言ってね、買ってあげるから。あ、それとも共用のデビットカードを作ってあげましょうか? クレジットカードは18歳以上じゃないと駄目だけど、デビットカードは15歳以上ならOKよ。一々私に言わなくても、口座金額内なら好きに使っていいから」
明日香は嬉々として饒舌に話す。
「……ちょっとそこに座れ」
俺は明日香を座席の上に正座させ、懇々と説教した。
決してホストとかに貢ぐんじゃねえぞと。
こいつの将来が、心配だ…………。
明日香さん、少し残念なところがあります。暖かい目で見守ってください。
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