ミステリー・トレイン
夏休み最初の朝、俺と妹は東京駅にいた。
「お兄ちゃん、急いで急いで。新幹線出ちゃうよ」
俺はキャリーバックをガラガラ鳴らしながらホームを駆ける。
お前がお土産で悩んでいたのがギリギリになった原因だからな。
俺は言いたい台詞をぐっと飲み込む。
「8号車、8号車……。あった――!」
妹は勢いよく車両に飛び込む。俺もキャリーバックを持ち上げ、妹に続く。
……間にあった。俺はほっと息をつく。
「8号車、10のDとE~」
妹はチケットだけを持ち、軽々と進んで行く。
荷物は全部、俺持ちだ。……この野郎。
ゼイゼイ言いながら、座席に着く。
もうしばらくは動きたくない。
「席を回転させますよ」
座席に深く腰かけ目を瞑る俺に、前の座席から女性の綺麗な声が呼びかけてきた。
ん? 席を倒しますよ、の間違いじゃないのか?
「えっと、『倒しますよ』ですよね?」
俺はやんわりと間違いを正す。
「いいえ、『回転させますよ』で間違いないわ。ボックス席にして、蒼森までの旅をご一緒しましょ」
滑らかな、しっとりとした声が答える。
声の主はすくっと立ち上がる。その後ろ姿が目に映る。
均整のとれた、美しい姿だ。
そのスタイルの良さだけでなく、ピンと天から吊り上げられたみたいに真っ直ぐにのびた姿勢は、内からあふれ出る意思の強さを表していた。
「遅かったわね、発車5分前よ。もう少し時間に余裕を持たせなさい」
彼女は振り返る。見知った顔が、そこにあった。
「なんでお前がここいる、明日香!」
あり得ないことだ。こうならないように、細心の注意を払っていたのだから。
「取材旅行よ。今度『蒼函連絡船殺人事件』を執筆しようと思っているの。その取材旅行」
明日香は悪びれず、答える。
「なんだ、そのダサいタイトルは……。まあ、それが本当だったとしよう。だがなんでこの新幹線に、それも俺の前の席に座っているんだ」
親父の実家の住所は教えていない。蒼森とだけしか伝えていない。俺の乗る新幹線の時間、ましてや座席までも分かる筈がないんだ。俺はそれを誰にも教えていない。歩や香坂にも教えていない。わかる訳がないんだ。
「甘いのよ、あなたは。情報を遮断したいのなら、それを知っている人を徹底的にブロックしなければ。この席を知っているのは貴方だけじゃないでしょう」
どういう事だ。まさか…………。
「どもっ! 情報提供者ですっ!」
俺の横で妹がしゅっと手を挙げる。
てめぇか! 妹よっ!
「なんでお前らが繋がっている! 引き合わせた覚えはねぇぞ。どうやって知り合った! ご都合主義をぬかすんじゃねぇぞ!」
「どうやったも何も、必然だよ。お兄ちゃんが私たちを、引き合わせたんだよ」
妹が事もなげに答えてきた。俺が?……。
「私がしている投稿の感想フォームに、見覚えのあるコメントが送られてきたの。あなたが屋上で語ってくれたのと、まるっきり同じ内容。最初、あなたが女性の振りをして送ってきたのかと思ったわ。でもやり取りしていて分かったわ。これは間違いなく女性だと。ならば答えは決まっているでしょう。あなたがBLを語り合える女性、そんなの私以外に一人しかいないじゃない。……未来の義妹に、コンタクトをとる事にしたの」
その方面からか――。盲点だった。完璧に忘れていたわ、そんな設定。
「いや――、びっくりしたよ。いきなり『上江洲 麻瑚都』先生から返信があって。おまけにそれがお兄ちゃんの同級生で、更にはその正体が『ミステリーの女王』――『阿川 玖璃珠』先生なんて。腰が抜けるかと思ったわ」
妹は興奮した面持ちで、早口でまくし立てる。
「それ以来仲良くメッセージのやり取りをさせて貰っているの。だからあなたが蒼森に行く事、あなたが打ち明けてくれる前の夜から、つまりはお父様からお話があった夜から、妹さんから聞いて知っていたの。ごめんなさいね、あなたは意を決して話してくれたんだけど、その時すでに私は知っていたの。ホント、ごめんなさい!」
明日香はぺこりと頭を下げる。
俺は脱力感に襲われた。
どーりで俺の話を聞いても平然としていた訳だ。あの時の気構えは何だったんだろう。
「ま、そういう訳で、この新幹線のチケット、明日香さんに纏めて取ってもらったの。連番になった訳、納得いった?」
ああ、納得いったよ、いかされましたよ、ものの見事に。完敗ですよ。
俺は脱力し、ずるりと椅子からずれ落ちる。
そこで、ひとつの事に気が付いた。
「明日香、さっき『回転させますよ』――と言ったな。この新幹線は全席指定席だ。……その席に、誰かいるのか?」
俺の背後から、ラスボスが現れる効果音が流れてきた。
「あら、鋭いのね。今度の小説は連絡船が舞台だから、取材に当たって工学関係の有識者にアドバイザーを依頼したの。船舶のメカニックな事は、私よく分らないもの。プロペラボス比や、クランクシャフトの仕組みや、流体力学なんて専門外よ」
さっきのあれ、でまかせじゃなかったんだ。ほんとに書くんだ。
「紹介するわ、私の小説の工学監修をして頂く方よ」
明日香の横から、一人の人物が立ち上がる。
「どもっ、有識者です!」
栗色の髪の小柄な女性が、ぴしっと敬礼する。
やっぱりてめえか、鈴!
「きゃっーかわいい! この子、お持ち帰りしたい!」
妹がきゃっきゃとはしゃいでいる。
「ふっふっ、妹さんや。私とお兄ちゃんが結婚すれば、テイクアウト可ですぞ」
悪魔が囁いた。
「う~ん。明日香さんか、妖精さんか、それが問題だ……」
どこのハム〇ットだ。大体決めるのはお前じゃないからな。
明日香は自分たちの座席をくるりと回転させ、俺たちと向い合せに座る。
「さあ、蒼森までの3時間、列車の旅を楽しみましょう!」
明日香はにこやかに妹に呼びかける。
「明日香、妹さん……狙ってない?」
「当たり前でしょう。『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』――戦いの基本じゃない」
「負けね―からね。妹さんを堕とすのは、私だ!」
二人は火花を散らす。
「ここまで下心をあからさまだと、いっそ清々しいね……」
妹は目を細め、あきれた口調でつぶやく。
発車のベルが鳴り、列車は動き出す。
ビルの谷間を抜け、遮る物のない広い世界へと飛び出す。
真っ直ぐに、弾丸のように進んで行く。
その行く先は、だれも知らない。
前回の舞台裏、こういう事でした――。
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