帰郷
「そこまで。後ろから答案用紙を集めて」
先生の試験終了の合図が発せられた。
「終わったー」「ヤマはずれたー」などの喚声があがる。
期末テストが終了した。
「どうだった悠真? 私たちの勉強会は役に立った?」
明日香が俺の席に近づいて来る。
「物理の問題、私の言ったところがバッチリ出たでしょ!」
鈴が自慢げに言ってきた。
この二人には感謝しかない。
文系を明日香、理系を鈴に教えてもらった。おかげで過去最高の点数を取ることが出来た。
「このお礼はどうやって返してもらおうかな~。もうすぐ夏休みだし、海? プール? 花火? 野外フェス? どうしよーかなー」
キラキラした瞳で鈴が迫ってくる。
俺は、期末テスト以上の難問に直面していた。
「それなんだがな…………」
俺は昨日の夜の出来事を二人に打ち明ける。
◇◇◇◇◇
「悠真、ちょっといいか。大事な話がある」
階下から俺を呼ぶ父の声がする。
いやに真剣な声だ。
期末テスト期間中な事は親父も知っているはずだ。
それにもかかわらずする話だ、よっぽどの事なんだろう。
一階に降りると両親と妹が、沈んだ面持ちでテーブルについていた。
俺は空いている席に掛ける。
「……蒼森のおばあちゃん、危ないみたいなんだ」
父は机の上に両肘を立て、両手を顔の前で組みながら、沈痛な声で語る。
「一か月前にお母さんと一緒にお見舞いに行った時も大分悪かったが、最近さらに悪くなったみたいなんだ。……この夏を越すのは、難しいかもしれない」
二人がお見舞いに行った時――メアが初めてやって来た時のことだ。心配かけまいと、今まで言わなかったんだな。
「夏休みになったら、二人で蒼森に行ってくれるか。元気な内に、お前たちの顔を見せてあげたい」
ここ数年、コロナの事もあって帰省できなかった。最後に会ったのは、小学六年の時か。
「俺たちも仕事の合間を見つけて、出来るだけ顔を出す。……おばあちゃんに思い出を作ってあげてくれ」
親父も今プロジェクトを抱えていて忙しいはずだ。明日からも出張で地方に行くと言っていた。明日の期末テスト終了を待たずに話をしたのも、仕方がないな。
「分かった。夏休みになったら、すぐ行くよ」
最優先事項だ。議論の余地はない。
「お兄ちゃん、いいの? 友達とか、彼女さんとか…………。夏休み会えなくて、大丈夫なの? これを逃したら、どっちも一生出来ないかもしれないよ!」
妹よ、お前は兄を、そんなボッチ野郎だと思っていたのか! ……お兄ちゃん、悲しい。
でも、そうなんだよな――。あいつら、夏休みを楽しみにしてるんだよな――。
…………どうしよう。
◇◇◇◇◇
「…………という訳で、夏休みになったら蒼森に行かないといけない事になったんだ」
俺は言葉を選び、明日香と鈴に説明する。
二人の顔を見るのが恐い。そこにあるのは般若の面か、鬼の面か。
俺は恐る恐る顔を上げる。すべての責め苦を受け入れるつもりで。
期末テストの勉強をみてもらう埋め合わせは、夏休みに必ずすると約束した。
その約束を違えるのだ、どんな誹りも甘んじて受けるしかない。
「ごめん、約束を守れなくて。本当に、ごめん!」
俺は深く頭を下げる。
言い訳なんかするつもりはない。身内の不幸を免罪符にするつもりもない。
こいつ等との約束を破ったという事実の前には、関係ないことだ。すべて俺の事情だ。
これまで人とのかかわり合いに怯えていた明日香。
進む道を見失い、孤独感や無力感に襲われていた鈴。
そんな彼女たちの期待を裏切るのだ。そのリアクションが怖ろしい。
怒りとかなら、まだいい。一番怖ろしいのは、『自分は後まわしにされる、取るに足らない存在だ』と思われる事だ。絶望感や虚無感に襲われる事だ。無条件の愛情を信じる、その気持ちを失わないで欲しい。夜叉に堕ちるのなら、何としてもすくい上げてやる。
俺は顔を上げる。般若も鬼も受け止めるつもりで。
だがそこに居たのは、悪鬼羅刹ではなかった。菩薩さまが降臨していた。
「いいのよ悠真、私たちのことは。おばあ様を大切にしてあげて。私たちのことは気にしないで」
「そうだよ、ユマ。おじいちゃん、おばあちゃんは大事にしなくちゃ。そうじゃなければ、ユマじゃないよ」
二人が慈愛に満ちた笑顔を向ける。
あれ、予想していたのと違うぞ?
「二人とも、怒ってないのか? 失望していないのか?」
どのような感情であれ、平静ではないだろうと思っていた。それなのに彼女たちは……いつも通りだ。
「心配しないで、私たちは私たちで夏休みの予定を立てているの。鈴と思いっきり楽しむつもりだから、悠真は心置きなくおばあ様の看病をしてあげて」
「そうそう。イベント情報とか見どころ情報とか、ばっちり仕入れて準備万端だから。明日香とのスケジュール調整も万全。完っ璧な夏休みにするつもりだから、心配ご無用!」
……いつの間に、そんなに仲良くなったんですか、お二人さん。
「まあ、二人がそれでいいんなら、いいんだが……」
俺は安堵感と、一抹の寂しさを感じた。
親離れをする子どもを持つ親の気持ちって、こんなものなんだろうか。
「「楽しみだね――」」
二人は正面から向き合い、両手の指を絡ませ、キャッキャしていた。
◇◇◇◇◇
「…………という訳で、夏休みになったら蒼森に行かないといけない事になったんだ」
俺はその日の深夜、もう一人の伝えるべき人間(?)に報告をしていた。
メアは静かに俺の話を聞いていた。その表情は、凍ったように何の表情も表さなかった。
「そっか……………………」
長い沈黙のあと、溜息みたいに一言だけ吐きだした。
もしかして、俺たちは会えなくなるのか? 不安に駆られ、メアに質問する。
「メアはここじゃなくても、蒼森でも……出て来ることは出来るのか?」
俺の問いに、メアはいつも通りの笑顔を浮かべ、答える。
「私は土地じゃなく、悠真と繋がっているからね。どこでも大丈夫だよ」
俺はほっと胸を撫でおろす。
そうだよな。じゃなければ、林間学校に現われることは出来なかったはずだ。
「昼間に現われることは、出来る?」
親戚の家に泊まるとなると、おいそれと夜一人になれないかもしれない。
「ちょっとエネルギーを使うけど、問題なし! 7時から19時は20%割増になるけど、多用しなければ問題ないよ」
タクシーの深夜料金かよ! まあ基本的に夜か早朝に会う様にしよう。
「気になっていたんだが、お前のエネルギー源はどうなっているんだ? エネルギーを使い果たしたら消滅するとか、ないよな?」
怖くて訊けなかった事を、この機会に訊く。
「……悠真から貰っている。あ、でも大丈夫だよ。悠真が食べた物を熱エネルギーに変換したのを貰っているだけだから。生命エネルギーが無くなったり、霊障が起きるとか無いから。私、そんな低級霊や悪霊じゃありませんので!」
「ここ最近、妙に食欲があるのは?」
「……私のせいです」
まあ、いいか。それくらいなら。ちょっとぐらいエンゲル係数が高くなるのは、我慢しよう。成長期で誤魔化せるだろう。
「ん、ちょっと待て。お前この間、レアチーズケーキ食べてたよな。あれ、食べた物、どうなっているんだ?」
「ギクッ!」
「……正直に話しなさい」
「メインのエネルギーは悠真からというのは本当だよ。ただ、食べた物をエネルギーに変える内燃機関もあるの。発進時や急加速時なんかの低回転時には十分なパワーが得られないから、もっぱら悠真から貰った精製されたエネルギーを使っている。内燃機関からのエネルギーを使うのは高回転時、トップスピードに乗った時にと、パラレル方式で使っているの」
ハイブリッドカーのシステムじゃねえか。こいつ本当に幽霊か?
「内燃機関は熱効率が悪く、有害排出物が出るのよ」
「つまり?」
「みなまで言わせないで。出るのよ、排出物が。そして……太るのよ、思った以上に!」
なるほどね――。痩せるためにダイエット運動にエネルギーを使ったら、本末転倒だもんな。
「乙女心にご理解頂ければ、幸いです……」
まあダイエットにいそしみ、ルームランナーで走る幽霊なんぞ、見たくはないからな。
「今度の休み、服を買いに行こう。一着だけの『着た切り雀』にはしたくないからな」
蒼森に行くにあたっての準備を提案する。
「…………私、新陳代謝しないから汚れないよ」
メアはぷくっと膨れ、不本意だと言わんばかりに反論する。
「そういう事じゃない。『今日はどの服にしようかな』――みたいな女の子らしい楽しみを味わって欲しいんだ、お前にも。無駄に思えるかもしれないが、とても素敵なことだと思うんだ」
正直、俺にはそんな気持ちはよく分らん。しかし休日出かける前に鏡の前でファッションショーを繰りひろげる妹を見ると、その楽しみをこいつにも味あわせてやりたいという気持ちになる。
そんな気持ちが通じたのか、メアは満面の笑みを浮かべ、はずむ声で言った。
「それはとても贅沢で、心惹かれる提案だね!」
さあ、夏休みはもうすぐだ。忙しくなるぞ!
横で俺の肩にもたれかかるメアの温かさを感じながら、これからの未来に思いを馳せた。
次回から『蒼森編』です。お楽しみに。
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