祈り
火の神が現れた。純白のギリシャのキトンみたいな衣装を身に着け、草冠をかぶっている。
俗世から離れ、穢れなどとは無縁の清らか存在に思えた。
亜麻色のふわふわした髪、硝子のような透き通った瞳、精霊そのものだった。
彼女の名は『新開 鈴』、『フェアリー・クイーン』『ティンカー・ベル』の二つ名を持つ。
「人の子たちよ。いま私は貴方たちに、この火を与えにやってきました」
鈴が点火の言葉を、おごそかに述べる。
様になってやがる。ぴったりだ。さすが満場一致で火の神に押されただけのことはある。
「暗闇を照らす炎。それは美しく、あたたかく、恩恵を授けてくれます。……しかし災厄をも一緒にもたらします。強い力は、守る力にもなれば、滅ぼす力にもなるのです。貴方たちは律しなければいけません。その力を、鋼の意思で。それを成し得るのは、人への慈しみです。自分と同じ人間なんだと、敬う心です」
いつもの愛らしい雰囲気ではなく、荘厳なオーラを纏っている。
「古来、人は争ってきました。その多くは、異なるものから仲間を守るために行われたことです。人種、信条、信仰……いろいろなことで争ってきました。その争いに火が使われ、被害は拡大していきました。私は悲しみました、火がそのように使われることに」
嘆き悲しむ気持ちが、ひしひしと伝わってくる。
「皆さんはこの二日間、色々な人に接してわかったのではないでしょうか。みんな同じ人間なんだと。あの取っつきにくかった人も、ちょっと恐そうな人も、同じようなことで悩み、苦しみ、喜ぶ、自分と同じ人間なんだと。そして人間は、助け合わないと生きていけないということを。……この世を天国とするか地獄に変えるか、皆さん次第です。願わくは楽園であらんことを。…………点火」
みんな神妙な面持ちで聴いていた。
これが先生なんかが言ったら「偉そうに」と反感をかったかもしれないが、鈴が言うと心に響くものがあった。哀しい気持ちが伝わってきた。あいつ、本当は前世が妖精だったんじゃないか。
火の粉が舞い上がる。風に乗ってパチパチと爆ぜる音と、射るような熱が伝わって来た。
少し冷え始めた高原の夜に、心地良い温かさをもたらした。
「新開嬢、やるじゃないか。立派な名演説だ」
炎に照らされた横顔が映る。香坂が感慨深げに炎を見つめていた。
「あたたかい、いい炎だな」
ぼそっと香坂は静かに呟く。誰かに聴かせようという思惑はないように。
「炎にあったかいとか冷たいとかあるのか?」
俺はからかうように問いかける。
「……あるよ。ねばつくような悪魔の舌みたいな赤い炎とか、すべてを焼き尽くし凍りつかせる氷地獄のみたいな青い炎とか、色々ある」
随分と詩的なことを言いやがる。
「言葉と一緒だよ。同じ音韻、声調、アクセント、イントネーションで語られても、そこに含まれる心が違えばまるで別物だ。さっきの新開の演説みたいにな」
言いたいことは伝わってきた。たとえ全てを語らなくとも。
「ユマ、どうだった? 私の『火の神さま』!」
ギリシャ神話の女神みたいな鈴が駆けて来た。ご褒美を期待する子犬のように。
「最高だった。これ以外に言葉はないな。他の誰にも出来ない、最高の『火の神』だった。それ以上は、蛇足だろう」
俺の言葉に、鈴は満面の笑みを浮かべる。
「じゃあちょっと着替えてくるね。さすがにこの服でフォークダンスは出来ないもんね!」
鈴は走って宿泊施設に向かう。そんな俺たちを眺めながら、香坂はニヤニヤしていた。
「だとよ、大将。どうするんだ? どっちと踊るんだ? フェアリー・クイーン陛下? ミステリーの女王様? ファイナルアンサーは迫っているぞ」
焚き火台の周りを、生徒が男女ペアとなって取り囲み始めた。準備係が音楽を流す用意を始めた。みんな、そわそわとしている。もうじき、フォークダンスが始まる。
「お前の期待しているような展開にはならんよ」
俺は素っ気なく答え、その場を後にする。
香坂は肩をすくめ、両手の掌を上に向け、あららと嘆息していた。
薄暗い物陰に入ったときだった。
「どこに行くのかしら?」
ゆらりと物陰から誰かが出て来る。
幽鬼のような蒼い炎がゆらめいていた。
確かめるまでもない。誰か決まっている。
「明日香…………。悪い、ちょっと……」
「好きな人のところに、行くのね…………」
すべてお見通しみたいだ。さあ、どう言い訳しようか。
「いいのよ、行ってらっしゃい。鈴のことは心配いらないわ。私が誤魔化しておいてあげる。……楽しんでらっしゃい」
俺の心配は肩透かしを食らう。
「いいのか? 止めないのか?」
思わず確認の言葉をかける。言った後で後悔した。明日香の気が変わったらどうするんだ。
「私が? なぜ?」
あにはからんや、明日香は何故そんな事を言うのかと、きょとんとした顔をしていた。
「前にも言ったでしょう。『あなたは私の太陽。私はあなたに真っ直ぐに向かう向日葵。陽が射さなくとも、私があなたを見失うことはない。例えあなたが他の人を愛し、私に愛を与えてくれなくとも』と。……いつか私のこと、好きになってくれたら言うこと無いんだけどね」
揺るぎない、力強い声で明日香は語る。
その声に、俺は誠実に応えるべきだと思った。
「お前のことは、好きだよ。愛しく想っている。けどそれ以上に、好きなやつがいるんだ。俺の全存在を賭けて、愛したいような。……ごめん」
飾らず、誤魔化さず、正直な気持ちを伝えた。
「謝ることはないわ。私のこと、『好き』って言ってくれるのよね。うれしいわ、強がりじゃなく。……いまはそれで十分」
聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。
「幸せになって。それだけが私の願い」
澄んだ、余分な物が一切ない、純粋な愛情が流れてきた。
俺は堪らず、明日香に近づき、心のままに抱きしめた。俺の目からは、涙が流れていた。
「ふふっ。小さな子どもみたい。仕方ないわね、悠真ったら。……いつでも帰ってらっしゃい。この胸の中で、なぐさめてあげる」
明日香はよしよしと俺の頭を撫でる。
……本当にお前は、いい女だよ。
明日香と別れ、人気のない場所へと来た。
遠くで焚き火の明りと、人のざわめきと音楽がしている。
昨日もこのぐらいの時刻だった。願うならば、いまか。
俺は星空を見上げる。
頼む! 願いを聞き届けてくれ!
星に、祈りを捧げた。
躰がぞわぞわし始めた。電流が走る。躰の自由が効かなくなる。……始まった。
下腹部から、黄金の頭が現れた。俺は縛めを引き千切り、力を振り絞って彼女を引き上げる。
愛しい声が俺に問いかけてきた。
「……待った?」
「今来たところだ……」
恋人たちみたいな会話を交わす。
「よろしい! デートのやり方、ちゃんと復習してたんだね」
「おまえに嫌われたくなかったからな」
駆け引きなしに、心の内を素直に伝える。
変な小細工は、誠意を濁らすだけだ。
「そこまでの返し方、教えてないよ……」
「予習した。喜んでもらいたくて」
お前を喜ばすためなら、なんだってやる。嘘偽りのない気持ちだ。
「…………ばか……」
メアの頬は、ほんのり赤く色づいていた。
光の欠片を貼り付けたような星が、空いっぱいに広がっている。
星はやさしく瞬いていた。
小さな恋人たちを見つめるように。
ヒロインたち、みんな大好きです。皆さんはどの娘がお好きですか? よろしければご意見お聞かせください。
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