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こころざし

林間学校二日目。この日は登山をすることとなっていた。


生徒が一列となって山頂目指して行く。

俺たちの班も、その中に混じり登って行った。

先頭は香坂・江角。二番目が俺。三番目と四番目が明日香と鈴。五番目が歩となっていた。

先頭が香坂・江角、二番目が俺、と言うのは間違ってはいない。香坂と江角は、一体であった。二つで一つであった。一心同体であった。


香坂は、荷物を運ぶ背負子(しょいこ)と呼ばれる物を背負っている。そのアルミニウム枠の下部にある『爪』と呼ばれる荷台に、江角が紐で括り付けられ、ちょこんと座っている。前を進む香坂の背中合わせに座っているのだから、次を進む俺と正面向いて目を合わせている。


……非常に気まずい。江角はガルルと唸りながら俺を睨みつけている。どうやら俺は、江角の怒りを買ったようだ。




この女王様、一晩医務室で過ごした後、目出たく班に復帰してきた。

大事を取って、登山は不参加として施設で休めと皆は言った。

それでもぐずる江角に、『心細いなら、僕が付いてて看病してあげる』と歩が優しく提案をした。

それを聞いた江角は『置いて行かないで――。見捨てないで――』と号泣した。

よっぽど登山をしたかったんだな。



だがまだ本調子ではなかったようだ。一時間ほど歩くと『ごめん、もう無理。歩けない。ここに置いて行って。帰りに拾ってくれればいいから』と、のたもうた。


「はっはっはっ。心配ご無用。こんな事もあろうかと、いい物を用意している」


そう言って香坂が、このアルミ製の背負子(しょいこ)を地面にどんっと置いた。


「これに乗りたまえ。耐荷重60キロ。腰の周りで固定できるヒップベルトがあるので、荷重が腰に分散され、肩に負担が集中するのを防ぐ事ができ、楽に運べる」


完璧な荷物扱いだ。ロマンの欠片もねえ。女子を女子とも思ってねえ。


「普通に背負うのは駄目なのか?」


頬を引き攣らせる江角の気持ちを代弁する。


「普通に背負うと、腕が疲れて数分で力が入らなくなるぞ。足よりも先に、腕がダメになる。山を舐めてはいけない」


まあ、これはこれで、男のロマンなのかな。


「さあ、ここに座って。コードで縛って、固定用フックピンに絡めて……」


手際よく香坂が作業を進めてゆく。

コードで縛られていくのに、ときおり江角が「あんっ」と声を漏らすが聞かなかったことにする。


「さあ、出発だ。俺の持っていた荷物は、夢宮、頼むな」


そう言って香坂は自分の荷物を俺に手渡し、固定された江角を背負い、ひょいと持ち上げる。

悲劇のヒロインではなく、運搬物として扱われた江角は、恨みがましい目で俺を見つめていた。


「香坂、大丈夫か?」


取りあえず江角のことは無視して、心配な香坂に声を掛ける。


「ははっ、心配ご無用。日頃から50キロの荷物を載せて鍛えている。それに比べたら江角サマは背負った感じ、よんじゅう……」


「わーわー。あんた、なに言うの。乙女のトップシークレットをばらすんじゃねぇ!」


荷台で江角が大声をあげ、暴れる。


なんでこう女子は、体重を隠したがるのかねぇ。

俺と香坂は肩をすくめた。




一時間ほど歩くと、頂上に到着した。

背負っていた香坂より、江角のほうがゼイゼイ言っている。


「帰りは、何が何でも自分で歩いて帰る!」


目を血走らせ、叫んでいる。……元気になったようだ。

俺は一番心配だった香坂を見やる。

香坂は山の峰に腰かけ、眼下を見下ろしていた。

俺は香坂に近づき「お疲れ様」と声を掛ける。


「おう。夢宮こそお疲れ様。ありがとな、荷物を持ってくれて」


「お前に比べたら、どうってことないよ。……随分と鍛えてるいるんだな」


「まあ、将来に備えてな」


「登山家にでもなるのか?」


「いや、医者だ。医学部志望」


なんか似合わないな。こいつはもっとロマンを求めた生き方をするかと思っていたのに。


「堅実で、立派な将来だな。親御さんも、さぞ喜んでいるだろう」


嫌味ではなく、素直にそう思った。親としては、大過なく幸せになって欲しいと願っているはずだ。


「いいや、大反対だ。今それで揉めている」


雲海を見ながら、香坂は寂しそうに零す。


「なんで? 立派な職業だろう、医者は。あれか? お父さんの会社を継げとか?」


そう言えばこいつはタワマンに住んでいると言っていた。学費の問題ではなさそうだ。親が会社経営で、その跡を継がなければいけないと云うのがありそうな線だ。


「うちは雇われサラリーマン。継ぐような会社は無いよ。……医者になる事自体には反対されていない。なってから後の、将来設計で反対されている」


どういう事だ?


「……俺な、『国境なき医師団』に入ろうと思っているんだ」



『国境なき医師団』――1971年にフランスの医師とジャーナリストのグループによって作られた非政府組織(NGO)。世界最大の国際的緊急医療団体。戦争や災害の犠牲者を支援する団体。


「特に戦争や内乱なんかの紛争地帯に行きたいと言ったら、烈火の如く怒られた」


それは……当然だろう。その志は気高い。だが自分の子どもがそこに行くと言ったら止めるだろう。親のエゴかもしれない。しかし、それを責める気にはなれない。


「親の言う事も分かるんだよ。愛情から言っている事も。だけど、駄目なんだ。この気持ちを抑えるのが」


切なそうに香坂は言う。


「理想を求めてとか、人の為にとかじゃないんだ。ちくちくと、責め立てられるんだ、自分の心が。なにやってんだ、そんな生ぬるい場所で安眠を貪っていていいのかって」


雲海を見下ろしていた目を上げ、天を仰ぐ。


「なんでこんな気持ちになるのか、俺にもわからん。ただわかるのは、そこに行かなければいけないと云う事だけだ……」


まるで告解室で司祭に罪を告白し、神の赦しを請う者のようだった。


「こんなこと話したの、両親以外では、お前が初めてだ」


淋しそうに香坂は笑う。


「なぜ俺に…………?」


「さあな、なんでだろ。……何故かお前には、伝えないといけない気がした」


香坂は重い荷物を降ろしたような、さっぱりとした顔をしていた。


「さあ、みんなの所に戻って食事にしよう。山頂で食べる飯は、十倍うまいぞ!」


香坂はにかっと笑い、立ち上がり、みんなの許へと歩み出す。

その姿は、日の光を浴びキラキラとしていた。

香坂くんがそう思う理由は、いずれまた……。


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