氷の天使
江角 未沙都は葛藤していた。二つのうち、どちらを手に取るか。
『快楽に溺れ、アヘ顔を晒した間抜けな女王様』か『お化けにビビり、ガキみたいにちびったチキン』か。……どちらにしろ、ろくなもんじゃねぇ。だが彼女はそのどちらかを選ばなければならなかった。
「夢宮の、ぶぁっか野郎――――!」
彼女は叫ぶ。この台詞を叫ぶのは、もう何度目だろう。
この医務室に運ばれ、意識を取り戻し、言の顛末を聞かせられ、初めて発した言葉がこれだった。
もう少し、やりようがあっただろうが。素直に『お化けに怯えて失神した』と言わなかったのは褒めてやる。しかし『俺の悲鳴に感じすぎてイッちゃた』はないだろう。他に言いようがあっただろうが。またその嘘が私の『いかにもやりそう』ってのにマッチしているから始末に悪い。妙なリアリティがあった。私の性癖をどうこう言うのは構わない。事実だから。それを恥じる事はない。だが、『アヘ顔晒して失神した』はない。これでも私は乙女なのだ。……それは、なんか、恥かしい。けれど『チキン野郎』と呼ばれるのも我慢できない。私は女王様なのだ。……どうすればいい。……みんな夢宮のせいだ。
「夢宮の、ぶぁっか野郎――――!」
……………………………………
「夢宮の、ぶぁっか野郎――――!」
……………………………………
かくて江角は無限ループに陥る。
コンコンとドアを叩く音がする。
まずい、うるさかったか。
ここは医務室。本来静かにしなければいけない場所だ。
カチャッという音がして、ドアが開く。
恐い生活指導の熊川じゃありませんように。江角は祈る。
祈りは届いた。……最悪な方向に。
「やあ江角さん、気分はどうかな?」
にこにこと天使の微笑みを貼り付けた、どす黒い悪魔がやってきた。『姫川 歩』という名の。
「ひえっ!」 江角は悲鳴をあげる。
「……ずいぶんと、お楽しみだったようだね」
眼が座っていた。
アカン。こいつキレてる。江角の本能が警笛を鳴らす。
「滅相もございません。姫川さまの言い付けを守り、夢宮くんにはちょっかいをかけていません。ちょこっとお話をしただけでございます。決して苛めたりはしておりません!」
寝ていたベットから飛び起き、そのシーツの上で土下座し、震えながら弁明する。
「……へ~え」
冷たい声が投げかけられる。
首筋がぞくりとする。ギロチンの幻が見えた。
「私が夢宮くんの悲鳴に絶頂したというのは誤解です。私は……幽霊にビビリ、ちびったんです!」
自分を飾ろうという気持ちは、ものの見事に消え去っていた。
あるのは『死にたくない』という気持ちだけだった。
こいつに嘘や誤魔化しは禁物だ。もしバレたら、身の破滅だ。見栄もへったくれもない。命あっての物種だ。
「嘘じゃなさそうだね。……詳しく聞かせてくれるかな」
そんな私を見て、姫川は納得した面持ちで語りかける。
私は一切飾らず、全てを話した。
「なるほど。霊気を感じて気を失い、その後のことは一切分らないと。…………役立たず」
へへ――、と私は平伏する。おっしゃる通りでございます。
「まあいいや。悠真の置かれた立場もなんとなく分ったし。……よからぬものが憑りついているなら、僕が退魔してあげる」
こいつの退魔か――。おっかないんだろうな。
「今夜はこの医務室で休むといい。先生には僕から言っといてあげる。ただしっ! 今言った事は誰にも言わないように! 特に桐生さんと新開さんには」
いや、私もう『チキン野郎』を受け入れるつもりだったんだけど、なんでまた?
「悠真に変な噂を立てられたくない。……それに、ちょっと気になる事がある」
姫川は爪を噛み、何か考え込んでいる。
遠い遠い、ここではない、遥か彼方を見つめながら。
「僕の言う事に逆らうんじゃないよ。…………いい子だから」
その青い炎のような瞳で見つめられると、私は抗うことが出来なかった。
姫宮は持ってきた袋から何かを取り出す。
『氷』だ。熱冷まし用のブロック氷だ。
姫川はその細い指で氷を一つ摘まむ。
そして私に近づき、ばたんとベットに仰向けに寝かせた。
両手を頭の上に上げさせ、姫川の片手がそれを押える。
馬乗りとなり、私を上から見下ろした。
何をする気なの?
姫川は氷を持った手を、ゆっくりと私に近づけてきた。氷は私の首筋に当てられる。
ヒヤッとした感触がした。そこだけに身体中の神経が集まっているようだった。
ジンジンするような、チリチリするような、鋭い痛みが襲ってきた。
「やめて」と私は身悶える。
姫川はニコニコと笑いながら氷を離す。
私は、ほうっと息をつく。すると冷えた首筋を擦りたいという欲求が湧き起こった。
手を動かそうとする。しかし私の両手は姫川にがっしりと押さえられている。
この悪魔! 思わず顔をしかめる。
そんな私を一顧だにせず、姫川は私に顔を近づけてきた。
その愛らしい顔から赤い舌を出し、私の首筋をぺろりと舐めた。温かい舌が、冷えた首筋を慰めた。
ぞくっとした。じゅわっとした。快感の波が押し寄せてきた。私は身をよじり、脚を擦り合わせた。
快感に身をゆだねていると、今度は鎖骨に氷が押し当てられた。
先程までの流れが繰り返される。
そしてそれは段々と下がって行き、ついに双房の麓までやってきた。
このまま頂まで踏破して欲しい。そう懇願しそうになった。
突然氷が離された。私は泣きそうになった。
姫川は微笑みながら、持っていた氷を自分の口に含んだ。
もう、……終わり? 私は、失望した。
姫川の顔が私の顔に近づいてきた。
まつ毛長いなーと呑気に思っていた。
柔らかい、濡れた唇が重ねられた。
私の口は押し広げられ、冷たい氷と熱い舌が入ってきた。
もう、ぐちゃぐちゃだった。私の口の中も、頭の中も。みんな、ぐちゃぐちゃだった。
「いい子にしてなよ。そうすれば、もっと可愛がってあげる……」
姫川はそう言い残すと、ドアを閉め、去って行った。
後に残されたのは、力尽きた私だった。
「悪魔……………………」
怨みの声か、恋慕の声か。どちらか分らない私の声が、夜の闇に溶けていった。
ちょっとアレな内容となってしまいました。言っておきますが、筆者はこんな事したことありませんからね。そしてこれはエッチなしです。R15です。キス止まりのじゃれ合いです。
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