こたえてくれ……
二人は寝ころびながら、満天の星空を見上げていた。
「すごいわね、この星空。街中では決してお目にかかれない。これだけでも来た甲斐があるわ」
江角は感嘆の声をあげる。
「七夕に織姫と彦星を一緒に見たカップルは結ばれるって云う伝説、なかったっけ?」
「ねえよ、そんなもん。勝手に作るな!」
「伝説とは、こうやって出来て行くものなのだよ、ワトソンくん! 定理が最初に有るのではない。起こった事柄に、後から理由をくっつけて行くのだよ。私たち二人が一緒に星を見た、結ばれた。それが成り立てば、定理に、伝説へとなって行くんだよ。……一緒に伝説作ろうか」
まあ、言わんとすることは分かるがな。そんな伝説作りの片棒を担ぐつもりは毛頭ない。
「馬鹿なこと言ってないで、そろそろ帰るぞ。あんまり遅いと、心配をかける」
「そうね、今日はこの位にしておくわ。あんまり一遍にしちゃうと、一つ一つの印象が薄れちゃうからね。小出しにして行きましょう」
よいしょっと江角は立ち上がる。こいつも喰えない奴だな。
俺も立ち上がろうとする。その時だった。異変が生じた。
風が凪いだ。
蛍が何かに怯えるように乱れ飛び始めた。
俺の躰に、冷たいものが走った。
「ちょっ、ちょっと夢宮。なんか、おかしいよ。空気が変だよ!」
江角は怯え、声を張り上げる。
だが俺は、それどころではなかった。
「来たっ!」
俺は心で歓喜の声を上げる。
待ち望んでいたものだ。
周りの闇が深くなる。ねっとりと、ねばり気がある。
ぽっぽっと、紅い玉が浮かんできた。
光を放たず、ただそこで輝いている。その周囲は昏いままだ。
「でた――――――――!」
江角は絶叫する。白目を剥き、失神する。
俺は慌てて江角を抱える。そしてすぐさま大地に寝かす。
急げ、時間がない。もうじきこんな事も出来なくなる。
俺は乱暴に江角を寝かせる。ごちんと江角の頭が地面にぶつかった。
……この位は勘弁してくれ。
心で謝罪の言葉を述べた時だった。
躰に、電流が走った。
全身を隈なく走り、痺れた。躰の自由が効かなくなった。
待ちわびた、瞬間だった。
俺は、自分の下腹部に視線を移す。
俺のパンツから、金色の髪が現れた。
涙が出た。とめどなく。
にゅっと、形のいい頭が現れる。
頭の正面は、俺の躰を向いている。
その頭が後ろに反り返り、その顔が俺の目に映った。
夢に見た顔だった。
煌びやかな金髪がさらさらと流れている。
その隙間から、硝子玉のように丸くきらきらと光る、碧い瞳が覗いている。
血の色をそこだけに集めたような紅い唇が、白い肌の上で一層引き立っていた。
その唇から、愛しい声が洩れる。
「会いたかった、悠真…………」
澄みきった笛のような声で、彼女はささやく。
俺は我慢できず、金縛りを引き千切り、彼女を引き上げる。
「おそいんだよ、おまえは……」
引き上げた彼女を胸元で抱きしめ、俺の切ない気持ちをぶつける。
涙が、堰を切ったように流れてきた。抑えることは出来なかった。
「泣き虫だね、悠真は……」
彼女は俺の胸に顔を埋め、愛しそうに頬ずりした。
夏の夜、星々だけが俺たちを見つめていた。
全身を抜け出したメアが、俺の横に座っている。俺が着ていたジャージを羽織っている。下半身はその、あれだ。……何も着ていない。俺のジャージの下を着せるか、江角のを脱がせて着せようかと思ったが、断念した。もし江角が目を覚ましたら、言い訳のしようもない。
メアはクンクンとジャージを嗅いでいる。「悠真の匂いだ」と言っている。……臭くないよな。
「悠真、やせた……?」
メアは頭を傾げ、上目遣いに不安気に訊ねてくる。
「ああ、痩せた。……おまえのせいだ」
俺は言葉を飾らず、ぶっきらぼうに答える。
少し、怒っているんだからな。
「私、ここんとこ、こっちに来てないよ……」
メアは「心外だ」ともいわん表情で反論してくる。
「……だからだよ」
メアは俺の言葉に、はっとした顔をする。
そして哀しそうな顔をして、答えた。
「……そっか。ごめんね、さびしい想いをさせて」
切ない、申し訳ない、やりきれない。そんな感情が詰まった声だった。
「わかったなら、二度とこんな真似するな」
メアは俺の瞳をじっと見つめる。
その気持ちを見落とさず、こぼれ落とさないようにと。
「俺から離れるな。いつも俺を見ていろ。黙っていなくなるな。…………俺をひとりにしないでくれ」
俺をまっすぐに見つめ、言葉の一つ一つに頷き、飲み込み、深く深く刻み込んでいた。
「……………………うん」
そう答えるメアはどこか哀しげで、はかない蜉蝣のようだった。
「いつまでも一緒だ…………」
俺はメアを抱き寄せる。
メアの温もりを感じる。
こいつはここに居るんだ。幽霊だって何だって構わない。俺の寿命が欲しいなら持っていけ。
その代わり、誰にも邪魔をさせない。メアと俺との時間を。死ぬまで一緒だ。
「私が消えるまで、どこにも行かない。…………約束する」
俺の腕をぎゅっと両手で抱きしめ、顔を埋めてメアは誓った。
蛍が、俺たち二人の周りを飛び回っている。
魂の化身か妖精か、この世の者ではない奴らが祝福しているようだった。
幸せな刻が流れていった。
空を見る。天の川が流れている。怖いくらいに綺麗だ。さざめく星々が、空いっぱいに輝いていた。俺はその河に隔たられた二つの星を見る。
「七夕の思し召しなのかな、これ」
今日この日、メアに会えたことに感謝を示したい気分になった。
「……人の願う心の、奇跡だよ」
メアは言った。これは貴方の強い想いが起こした奇跡だと。俺は少し誇らしい気分になった。
俺たちは楽園にいた。愛と幸せだけの永遠の國に。
だが、それに浸っているだけではいけない。俺にはどうしても確かめなければいけない事があった。
「メア、訊きたいことがある。正直に話してくれ。どうしても答えられないなら、それでもいい。出来る範囲で答えてくれ」
メアは不安気な顔で俺を見る。本当ならこんな質問をしたくない。しかしこれからずっと一緒にいる上で、はっきりさせておかなければいけない事なのだ。
「おまえは、明日香か鈴のどちらかの魂が抜け出たもの。または、その二人の抜け出た魂が融合したもの。……そうだろう」
俺は、確信をもって問うた。
最初会った時にこいつは言っていた。『右腕に小学校の頃犬に噛まれた傷跡がある。異世界転生小説に嵌まっている』……あの二人しか知らないことだ。
そしてメアが現れた土曜の昼、あいつらは眠っていた。
駄目押しは今日の料理だ。あの味付け、あの切り口、あの二人に違いない。
俺はじっとメアを見つめる。彼女のすべての表情を見落とさないように。
メアは困ったような顔をしていた。噓をつこうと云う顔ではない。元々こいつはそんな奴ではない。素直な、誠実な奴だ。ただ、どう言ったらいいのだろうと、言葉を選びかねているようだった。
「…………違うよ。まるで違う。……いい所は突いてるよ。けど、根本的な所が間違えている」
長い沈黙のあと、メアは言った。静かに、冷静に、……哀しそうに。
メアはじっと俺の目を見つめている。涙を湛えた、その瞳で。
「考えても無駄だよ。真実に辿り着くには、材料が揃ってない。プールで釣り糸を垂らすようなもの。正解を手にすることは、出来ない…………」
なんでこいつはこんな哀しそうな顔をするんだ。
「もう、行くね。また会えるから…………」
メアは唇をきゅっと噛み、何かを抑えるかのように声を振り絞った。
彼女の躰が、光の粒になってゆく。あの日と一緒だ。
「行くんじゃない、メア――!」
俺は叫び声をあげる。焦燥感に駆られ、恐怖に駆られ。
「大丈夫だよ、悠真。すぐ帰ってくるから。『さよなら』じゃない『またね』だから」
メアは幼子をあやすみたいに、優しく語りかける。
光が段々か細くなってゆく。そして完全に消え去ったとき、俺は暗闇に一人残された。
涙を流す俺に、風が優しく頬を撫でた。
どのくらい時間が経ったのだろう。立ちつくす俺に、風に乗って声が届いてきた。
「おーい、夢宮。どこに居るんだ。返事をしろー。無事かー」
香坂の声だった。
「あっちに誰かいるわ。ライトを向けて!」
鈴の張り上げる声が聴こえる。
光の帯が俺に向けられた。
「いた――――!」
明日香の絶叫が木霊する。
鈴が一目散に駆け出し、俺の胸に飛び込んで来た。
「ユマ――、ユマ――、ユマ――」
ただ俺の名前を連呼する。泣きながら、迷子が親に巡り会えたように、ほっとしたように。
「悠真、大丈夫? 怪我とかしてない? 江角さんはどうしたの?」
明日香が、俺と横たわる江角を見ながら、問いかけてくる。
不安で押しつぶされそうで、涙の混じった声だった。
「ごめん、心配かけて。俺は何ともない。ちょっとここで休んでいただけ……。江角は……。そう!こいつ俺の悲鳴に感じすぎて、その、……イッちゃたんだ……」
うわっ……。歩と香坂の、完全に引いた低い声が漏れる。……江角、スマン!
「まあ、この変態は置いといて……心配したんだからね……」
明日香は目に涙を浮かべている。鈴はずっと俺の胸で泣きじゃくっている。
「悪かった、反省してる」
彼女たちの心配と愛情がひしひしと伝わってきた。
俺は心から、すまない、と思った。
「さあ、帰ろう。先生たちも心配してるぞ。大事になる前に戻ろう」
香坂はぐずる俺たちに、まっとうな指示を出す。
感情的になっていた俺たちに冷静さを取り戻させた。
そしてそれは、俺にひとつの行動に移らせる。
俺には、どうしても確かめたいことがあった。
「ちょっと聞きたいことがある……。明日香と鈴、さっきまでずっと探してくれてたんだよな。……その、捜しに行く前に、疲れてうたた寝していたとかなかったか……」
これは、どうしても確かめなければいけない事だ。
あいつは嘘をつくような奴じゃあない。それは間違いない。
だが、あいつ自身が騙されている、勘違いをしている可能性も否めない。
ならばあいつの言葉の正しさを、実証しなければならない。
「悠真、その言い方はないよ。彼女達に失礼だよ。彼女達、予定時間過ぎて5分もしたらそわそわし始めて、『迎えに行く!』っていうのを僕と香坂で押し留めていたんだから。その前も、『あの女狐、悠真に手を出したら、ただじゃ置かん!』って般若の様相で、うたた寝するような呑気な状況じゃなかったんだから」
歩は前半は怒った表情で、後半はほとほと疲れた表情で語る。
その表情は、それが真実であると証明していた。
すなわち、『メアが現れていた時、明日香と鈴の意識はあった。魂は、抜け出ていなかった』と。
…………そういう事なのか。
「姫川くん、いいのよ。悠真が無事だったんですもの、もうそれでいいの。……それ以上のことは、望まないわ」
明日香が涙を拭いながら震える声で言う。
ごめん、明日香。
俺は色々な意味を乗せ、心の中で謝罪する。
「さあ、撤収だ。この女王様は俺が運ぶ」
香坂はひょいと江角を持ち上げ、スタスタと進む。
歩はそんな二人を携帯でパシャと撮る。
「江角さんが体調不良で、悠真がそれを介抱していた事にするよ。これはその証明写真。……まあ、後で色々使い道はありそうだけどね。お姫様抱っこをされる女王様。それを抱える騎士様。眠れる森の美女か、王子様に遺骸となって運ばれる白雪姫か。色んな要素がてんこ盛りで、お腹いっぱいだ」
にこにこと歩は無邪気な笑顔を浮かべている。
俺たちは帰路につく。
俺は胸に鈴を抱き、余った片手で明日香と手を握る。五本の指をしっかりと絡めながら。
俺は天を見上げる。
空には煌々と天の川が流れていた。
その対岸で二つの星が瞬いている。
星よ、教えておくれ。俺たちは、何者だ。
星は輝くだけで、俺の問いに応えてくれない。
あいつらも、自分たちの久々の逢瀬で忙しいんだな。
俺はふっと笑いを漏らす。
暇になったら返信してくれ。
そうメッセージを残しながら。
真打登場です。メアちゃんの正体は、追々と…………。
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