飯盒炊爨(はんごうすいさん)
「始めちょろちょろ中ぱっぱ、じゅうじゅう吹いたら火を引いて、ひと握りのワラ燃やし、赤子泣いても蓋取るな~」
鈴が屈託のない無邪気な声で歌っている。
「なんか、長くないか?」
「うん、これフルバージョン。みんなが知っているの、最後の仕上げが欠けているんだよね――」
よくご存じで。
「あと大切なのは、事前と事後だからね。炊く前にお米を研いでから30分吸水をしっかりして、お米に水分を吸収させる。炊き終わったら15分蒸らす。出来たら新聞紙で飯盒を新聞紙で包んであげて。えっちと一緒だよ、前戯と後戯が大切!」
俺はポカンと鈴の頭を叩く。女の子が大声でそんなこと言っちゃいけません。
「いったぁー。私はSM担じゃないからね! そっちは江角さんとでもやって!」
やらねえわ! 目覚めてねえからな、そっちに。
江角がハアハア言いながら近寄って来る。
「夢宮くん、あっちにいい場所があったんだけど。死角になって、誰の目にも付かないトコ。……行かない?」
行かねえよ! うるうるした目をするんじゃねぇよ!
俺たちは今、昼食を作るべく、炊事棟へと向かっていた。
これから班ごとに、自分たちの昼食を作る。
女子は食材を持ち寄り、調理の準備をする。
男子は飯盒と薪を受け取りに行き、お米を研ぎ、焚き火台の準備をする。
「いい、成否の鍵は時間配分にあり! 限られた時間の中で、如何に下ごしらえをするかにかかっています。明日香、江角さん、料理の経験は?」
「「まったくありません!」」
鈴の元気のいい声に、残り二人の女子は声を揃え、はっきりと答える。いっそ清々しいほどに。
鈴の呼び方が、いつの間にか『桐生さん』から『明日香』に変わっている。……仲がいいんだか悪いんだか。
「よろしい! ではノウハウのある私の指示に従ってもらいます。幸いここにはダッチオーブンがあります。鍋に厚みがありフタが重く、ムラなく鍋全体が均一の温度となって密閉性が高い優れもの。水蒸気が逃げにくく圧力鍋と同様になるので、『無水調理』が可能です。これを使って我が班は、『無水カレー』に挑みます!」
おおっと班員からどよめきが起こる。
「やる事はシンプル。決められた流れを、決められた時間に沿って行うだけ。問題はそれを如何に無駄なく、正確に行うか。化学の実験と同じです。決められた数式は決められた結果を導きます。私たち人間はその自然の摂理に沿って行動し、その恩恵を享受するだけ。……いいか、野郎ども! Ready to go――!」
うおっ――――と歓声があがる。
飯盒炊爨だよな、これ。
「じゃーん! 完成です。新開家秘伝、無水カレー!」
鈴が誇らし気に胸を張る。
トマトや玉ねぎの食材から出る水分で作る、水を使わないカレーだ。
他の班は水加減を間違い、しゃばしゃばのカレーとなる班が続出した。
我が班は……大成功だった。
「すごいですね、これは。『ダッチオーブン、借りられますか?』って聞かれた時は何事かと思いましたが…………いや、凄い。長年林間学校を引率してきましたが、ここまでの物にお目にかかったのは、初めてですよ!」
学年主任の先生が俺たちの料理を見て感嘆の声をあげる。
「化学の、勝利です!」
鈴はVサインを掲げる。
「料理ではなく?」
先生は怪訝な顔をする。
「料理は化学です!」
ま―合っていると云えば合ってるけどね。
「いっただきまーす」
鈴の号令に続き、俺たちはカレーを食す。
美味い! 隠し味に、すりおろし生姜とコーヒーが入れてある。味に深みが出ている。
「ほい。飯盒ひとつ余っていたから、これも作ってみた。付け合わせにどーぞ」
鈴がもう一品出してきた。……ほうれん草のおひたしだった。
「野菜もしっかり取らないとねっ」
鈴はお日様みたいに笑いかける。
その笑顔に、ほうれん草のおひたしをよそう姿に、もう一つの顔が重なった。
俺は貪るように、ほうれん草を食べる。
「あーあ、ユマ。バランスよく食べなくちゃ駄目だよ。ほら、カレーも一緒に食べて」
鈴は呆れたように声を掛ける。
そんな声は俺の耳には入らなかった。
ひたすら食べ、その味を比べる。あの日あさりのお味噌汁と一緒に食べた、あの味と。
俺は、箸を置いた。
「……この料理、誰から教わったんだ?」
大切なことだ。俺は慎重に訊ねた。
「う~ん、基本は千多お婆ちゃんかな。それに私のアレンジを加えて変えているけど。どうしたの、ユマ? そんなにこの味気に入ったの? なんなら一生作ってあげようか。どっかの家事の出来ない大先生とは違って、私、女子力高いですから!」
煽るように隣の明日香を見る。明日香はギリギリと歯噛みをする。
「鈴! この料理はみんなで強力して作った物でしょう。手柄を独り占めするのは感心しないわ。私だって手伝ったんだから。人参の飾り切りだって頑張ったのよ。…………ちょっと不格好になったけど」
最後は尻すぼみに声が小さくなりながら、明日香は主張する。
俺はカレーに入った人参を見る。
一緒だった。
あの日のひじきの煮物に入った人参と、切り口が。
「そうだね、私が悪かった。味付けは私がしたけど、これはみんなで作った料理。ごめんね、みんな」
鈴は素直に謝り、ぺこりと頭を下げる。
明日香は不承不承怒りを収め、他のみんなはやれやれと云った顔をしている。
俺は、それどころではなかった。混乱していた。そして、一つの仮説が浮かび上がってきた。
そうなのか! 明日香! 鈴!
「ごちそうさまでした」
俺たちは手を合わせ、食事を終える。
「さっ、あと片づけしよ。片付けるまでが、食事です」
鈴の声に『仕方ないわね』と言いながら、明日香はゆっくりと立ち上がる。
「洗い物はあの二人に任せて、僕たちは焚き火台の片づけをしようか」
歩の言葉に、俺たちは外へと向かう。
流しで洗い物をする、二人の後ろ姿を見やる。
なぜだか、裸エプロンで家事をする、金髪の少女の姿が重なった。
飯盒炊爨、楽しいですよね。何であんなに美味しく感じるのでしょう。……不思議です。
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