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女王巡行

「奇跡って、本当にあるんだね」


隣に座る歩が、信じられないものを見る目で俺に話しかける。


「ああ、神さまの悪戯か悪魔の企みかは知らないが、これはまさしく――奇跡だ」


答える俺も、前の席で繰り広げられる奇跡を呆然と見つめていた。



「…………あいこでしょ、あいこでしょ、あいこでしょ…………」


桐生と鈴が、髪を振り乱し必死の形相で拳を繰り出していた。


「これで『あいこ』、何回目?」


歩が呆れた顔で俺に問いかけてくる


「300回は越えたと思う」


「これだけ『あいこ』が続くの、確率的にどのくらいなんだろうね」


「少なくとも、宝くじの一等が当たる確率より低いだろうな」



俺たちは今、林間学校へと向かうバスの中にいた。

その中で桐生と鈴は隣りの席に座り、延々とジャンケンをしている。

どちらが俺の隣りに座るかを決める争いだ。

出発前の10分前から始め、30分経った今なお勝負がついていない。

3回勝負とか5回勝負とかではない。1回勝負で決着がついてないのだ。

つまり彼女たちはこの30分、ずっと同じ手を出しているのだ。

仲いいな、おまえら!



「凄いな、女王様たち。台本があっても、こうまで続けられないぞ」


俺たちの後ろの席から、香坂が感嘆の声をあげる。その横で、江角が恐る恐る顔を覗かせていた。


当初二人の決着がつくまで、香坂が俺の隣りに座る予定だった。だがその予定は(くつがえ)った。






「お願いです、香坂くん! 後生ですから、隣りに座らせて!」


俺と香坂が隣り合わせて座ろうとした時、両手を合わせ、瞳を潤ませ、江角が懇願してきたのだ。


「へぇ――。江角さん、そんなに香坂の隣がいいんだ」


にこやかに歩が話しかける。

江角はひっと呻き声を漏らし、膝をがくがくと震わせる。


「ふ~ん…………」


香坂はそんな二人を交互に見やり、口に手を添え何やら思案する。

そして暫く目を瞑り、「なるほどね――」と面白いおもちゃを見つけた子どものような顔をする。


「OK、江角さん。俺の隣においで。姫川は夢宮の隣。……姫川もそれで文句ないよな」


見透かすような目をしながら香坂は言う。


「江角さんと、ゆ~くりお話したかったんだけど、まあいいか。悠真とも話をしたかったし。じゃあまた今度お話しようね、江角さん。楽しみにしてるよ……」


江角は濡れた手で背中をなぞられたみたいに、恐怖と恍惚を混ぜ合わせた淫靡な表情を浮かべる。


「……やべぇな、こいつら……」


そんな二人を見ながら、香坂はボソッと呟く。





「当分決着はつききそうもないよ。あっちは放っておいて、腹ごしらえでもしよう。悠真、朝ご飯は?」


「時間が無くて、食べてない……」


「だと思った。はい、サンドイッチ。ハム、タマゴ、アボカド、タンドリーチキン、どれがいいい?」


鳥が歌う様なはずむ声で、歩は問いかけてくる。

歩の手元には、パンに挟まれた色鮮やかな具材があった。どれも美味しそうだ。


「『あ~ん』してあげようか?」


悪戯っぽく笑いかけてくる。

やめろ! 周りの女子が、一斉に携帯を向けてきたじゃねぇか!

歩はクスクス笑っている。……こいつ、わかってやってやがるな。


ひときわ鋭い視線が突き刺さる。

前の席から、二人の女王が身を乗り出して見詰めていた。


「「トンビに油揚げさらわれた――」」


血涙を流しながら、そう叫ぶ。


……知らんがな。






サービスエリアでの休憩を終え、バスは再び発車する。

俺の隣の席替えも完了した。

結局延々と『あいこ』は続き、勝負の形式はコイントスに変更された。勝負は一瞬でついた。

最初っからそうすればよかったのに……。


「あ――腕がつりそう。腱鞘炎(けんしょうえん)になったらどうしよう」


コイントスの勝者、桐生が呟く。


「作家なら腱鞘炎は職業病なんじゃないか?」


「まあ、タイピング腱鞘炎は職業病かもね。けど理想の手首ポジションを見つけて最近はそうでもないわ。どっちかというと辛いのは、肩こりね。……ちょっと揉んでくれる?」


そう言うと、桐生はおもむろに肩をはだける。

ジャケットを脱ぎ、インナーだけとなり、それをずり下げる。

白い肌が顕わとなる。ほっそりとした華奢な肩は、その白い肌によく似合っていた。

バスがトンネルに入った。

灰暗(ほのぐら)い車内でオレンジ色のライトを浴びる。

艶めかしくも清らかに、その肌は非日常の輝きを放っていた。

この世のものとは思えぬ美しさだった。

桐生は俺の胸に飛び込んできた。


「この躰、好きにしていいのよ……。どこを揉んでもいいのよ……」


濁音を帯びる粘っこい声で、上目づかいで語りかける。

つんっと張った弾力性のある胸が、俺の躰に押しつけられる。


はしゃぎ疲れたのか、周りはみんな眠りこけている。誰も見ていない。


「思い出、つくろ…………」


逆らい難い、甘美な誘惑だった。

流されてもいいかな……。そんな考えが、頭をよぎる。

手を伸ばしかけた時だった。

一人の少女が語りかけてきた。



「よかったね、悠真! 幸せになってね!」


風の中、黄金の髪をなびかせて、大きな瞳を潤ませた少女が祝福してきた。

俺の身体に、電流が走った。


違う、そうじゃない! 俺が求めるのは、そうじゃない!



「桐生、悪い! いまの俺には、お前の想いに応えることは……出来ない」


俺は桐生の白い肩を掴み、引き剥がす。

桐生はふうっと溜息を漏らす。


「……そう、残念ね。でも構わないわ。“いまは“ 駄目なんでしょう。別にいいのよ、10年後でも20年後でも30年後でも、いつか結ばれれば。……私けっこう、待つの好きなの」


輝く笑顔で桐生は俺を見つめた。強がりや虚飾のない、本心からの言葉だった。


「けれど、乙女の純真を跳ね飛ばした償いだけはして貰おうかしら」


桐生は口に人差し指を当て、にこっと笑う。


「これから私のこと、『明日香(あすか)』って呼んで。私も『悠真』って呼ぶから。……だってズルいじゃない。新開さんだけ『鈴』呼びで、不公平だわ!」


桐生はぷいっと口を尖らせる。


「いや、それはあそこん()とはお爺ちゃんお婆ちゃんとの家族ぐるみの付き合いだから。みんな『新開さん』だと収拾つかないだろ」


「それを言ったら私もこの間親族に紹介したんだから、一緒よね」


こいつ、ご先祖さまと生きてる家族を一緒にしやがった。

無理筋を承知のうえでゴリ押ししてきやがった。

してやったりと云う顔をしている。


「わかったよ、『明日香』! ……これでいいか」


ぱぁっと花が咲いたような笑顔を、明日香は浮かべる。


「え~、よく聞こえなかったな~。もう一度言ってくれる?」


「うっせい! 見え透いた手を使うんじゃねぇ…………明日香」


満足気な笑顔を浮かべ、明日香は俺の腕に自分の腕を絡める。


「ずっと一緒だよ。…………悠真」


幸せそうに明日香は呟く。






長いトンネルを抜け、眩しい光が射してきた。

夏が、始まっていた。

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