理系の一族
「ただいま――。ユマ、連れてきたよ――」
鈴が指紋認証でドアを開け、玄関に入る。
大理石の高級感溢れる造りだ。
廊下を抜け、リビングに入る。
真っ先に、広い青空が飛び込んできた。
リビングは20畳あり、広々として天井も高い。
その広い空間一面に、大きな窓が設けられている。
紺碧の空と、悠々と流れる多奈川が、この部屋と一体となっていた。
なんという贅沢な眺望。俺は目を奪われる。
「なんか新鮮だね、そんな反応。こんな景色、三日も住めば慣れちゃった」
……さいですか。そんなもんですか。……贅沢な。
「いらっしゃい~。あなたが悠真くんね。お会いしたかったわ」
鈴によく似た女性が歩み寄って来る。
髪は幾分長く、背も少し高いが、ふわふわとした亜麻色の髪や浮世離れした雰囲気は同じだった。
「初めまして、夢宮 悠真です。雄兵郎さんや千多さんには昔からお世話になっています。その縁で鈴さんとも親しくさせて頂きました」
俺は姿勢を正し、勢いよくお辞儀をする。
「あらあら、ご丁寧に。鈴の母親の凛です。よろしくね、悠真くん!」
「お母さまですか。お姉さまかと思いました」
俺はベタなやり取りをする。
「お上手ね――。タラシって云うのは本当だったのね、鈴!」
おいっ! どんな説明をしてやがる。
大体いまのセリフ、おべっかじゃなくて客観的事実だからな。
本当に若く見える。20代後半でも通用するだろう。
そんな俺たちのやり取りを見ていた大柄な男性が、ソファーから立ち上がり、俺たちの許へやって来た。
「鈴の父の鉄郎だ。父と鈴が世話になったね。改めてお礼を申し上げる」
男性はそう言って、俺の前に右手を差し出す。
俺はそれに応え、右手を伸ばす。
二人の手が、重なる。
いってぇ――――――――。手に激痛が走る。こいつ、やりやがった。
鉄郎さんは、ニコニコと微笑みを湛えている。腕は筋肉が盛り上がり、ピクピクしている。上等だ、やったろうじゃねえか。
「ははっ。鉄郎さん、立派な身体をされているんですね。スパコン関係のお仕事をされているとお伺いしていたんで、もっとほっそりとしたお方を想像していたんですがっねっっ!」
俺は渾身の力を込め、鉄郎さんの手を握り返す。
「そりゃどうもっ。この仕事も体力勝負のところがあるからね。トレーニングも欠かさないよっとぅ!」
震える声で、鉄郎さんも力を乗せてくる。まるで万力だ。大人げね――。
「あらら、随分と仲良くなったのね~。やっぱり男の人同士っていいわね~」
呑気な顔で凛さんが感嘆の声をあげる。
そー見えますか。テーブルの下では蹴り合っているんですがねっ。
冷戦は、続いてゆく。
「悠真くん、お昼まだでしょう。今作るからちょっと待っててね。リビングでお父さんとお話でもしててね」
力比べを終え、手をさする俺に凛さんが呼びかけてきた。
「鈴、料理をするわよ。エプロン持ってきて」
鈴は「はーい」と言って白いエプロンを手渡し、自分も身に着ける。
ん? 何かおかしい。俺は彼女たちをじっくりと見つめる。
「どう、ユマ。似合っている?」
エプロンを身に着けた鈴がくるっと一周し、自慢げに見せつける。
エプロンじゃねぇ――。白衣じゃねえか。それも調理用白衣じゃない、医療・研究用の『ラボラトリー・コート』じゃねえか。
「そんなモン着て料理する奴があるか――!」
心の底から叫ぶ。
「あれ? おかしいのかな? ウチはいっつもコレだよ。薬品や火にも耐性があるし、何より気が引き締まる。ユマも一度使ってみて、結構いいよ」
この理系バカが――! 調理師さんとかなら見たことあるが、家庭で使う奴、初めて見たわ。
「そうよね、これ着るとピリッとするものね。ちゃんと仕事用と使い分けしているし」
凛さんがまたおかしな事を言う。……ん? ちょっと待て。いま仕事用って言ったか?
「あら、言ってなかったかしら。私○化学研究所に勤めているの。この人と一緒にスパコン開発の仕事をしているわ」
お母様もバリバリの理系でしたか! お見それしました!
「ユマ、ちょっと待っててね。美味しいの作るから!」
そう言って二人はキッチンへと消えてゆく。
「鈴、みりんを35.7CC注入して。水分が気化し始めたら、塩コショウ8.2g投与!」
凛さんが鈴に指示する声が洩れ聴こえてくる。
……料理をしているんだよな?
「いいものだな。女性がエプロンをして台所に立って料理をする。実に家庭的でほのぼのとした光景だ」
鉄郎さんは目を細め俺に語りかける。
俺の目には、実験室で研究をしているようにしか見えないんですけどねっ。
「さて、悠真くん。君には色々訊きたいことがある。桐生 明日香さんのこととか、江角 未沙都さんのこととか……」
ホントに色々ご存知で……。
この高層マンションで、キッチンは実験室、リビングは取調室と化した。
おいしそうな匂いを漂わせながら、料理が運ばれてきた。二品あった。
「私と鈴とで、それぞれ作りました。お互い自分の大切な人の為を想いながら」
凛さんが切なげな表情で語りかける。
「どっちが私が作ったものか、分かるよね、ユマ!」
満面の笑みで鈴が訊ねてくる。
「貴方も分りますよね、どっちが私の料理か、鈴の料理か」
凛さんが、凍るような声で鉄郎さんに尋ねる。
鉄郎さんは、青い顔をしていた。
「悠真くん、君から答えなさい。僕が正解するのは分かりきっているんだから、君から答えるべきだと思うな」
きったね――。この親父、日和りやがった!
俺の答えが正解かどうか見極めて、それに乗っかかるつもりだ。
そうはさせるか。
「鉄郎さん、どうせなら『いっせーのーせー』でいきましょう。その方が盛り上がりますよ!」
一人で地獄に落ちてたまるか。お前も付き合え。
「そうね、その方が面白そうね」
凛さんの同意を得た。鉄郎さんは泣きそうになった。
「よく味わって食べてね♡」
鈴は天使の微笑みで語りかける。
味あわないでか! 隅々まで分析してやる!
俺は味覚を極限まで高めた。
……最後の晩餐は終った。審判の刻が来た。
「「わたし(鈴・凛)の料理は、ど――れだ?」」
試験官 兼 拷問官の二人が尋ねてくる。
ごくっと唾を飲みこむ。
「「これっ」」と俺と鉄郎さんは正解と思う皿を指差す。祈りを込めながら。
二人の指先の向きは、重なった。
俺たちは顔を見合わせる。ああ、無情。どちらか一人は、地獄行きだ。
俺たちは、女性陣の方を恐る恐る振り返る。
「あなた、ちょっとあっちでお話をしましょうか……」
ゴゴゴゴゴッという効果音をあげながら、凛さんの後ろに般若が出現していた。
「待ってくれ、凛。ごめんなさい!うわー」
悲鳴をあげながら、耳を摘ままれながら、鉄郎さんは奥の部屋へと連れて行かれる。
「ありがとっ、ユマ。私の料理、わかってくれて!」
鈴は嬉しそうに俺の腕に抱きついてくる。
俺は自分の幸運に感謝し、彼の不運に深く同情した。
20分ほどして、二人が奥の部屋から帰って来た。
鉄郎さんはげっそりとしていた。ナムナム……。
「コーヒーを淹れるわ。ゆっくりしててね」
凛さんは再びキッチンへと行く。
鉄郎さんはノートパソコンを持ってきて、何やら操作を始めた。
「お父さん、何してるの?」
鈴が訝し気に訊ねる。
コーヒーを運んできた凛さんも、興味深そうに見ている。
「……ちょっとした、プレゼンテーションだ」
鉄郎さんは静かに冷静に答え、黙々と作業を続ける。
なにか、嫌な予感がした。
「さあ、始めるぞ」
鉄郎さんの声と共に、リビングの大型テレビに文字が映し出された。
『夢宮 悠真の恋人となり得る者が存在する可能性についての考察』
モニターにでかでかと、そのタイトルが表示される。
なんじゃ、こりゃあぁ――――。
「イギリスのピーター・バッカス博士の論文、『なぜ僕には彼女が出来ないのか?』を踏襲して作成したものだ。『宇宙空間で知的生命体に遭遇する確率』を計算した『ドレイクの方程式』を応用している」
恋人が出来ないのと、宇宙文明が同列かよ…………。
「夢宮 悠真の恋人となり得る女性の人数:G=N×fw×fL×fA×fU×fB。これについて解説させて頂く」
鉄郎さんはスライドショーを展開させる。
「日本の人口が約1億2400万人。女性がその50%強の6300万人。その中の15歳から25歳が約10%の600万人。二股を許容するが15%で90万人。SMを受け入れるが…………」
俺のライフが削られるように、1億あった数がどんどんと減ってゆく。
えげつない攻撃だ。俺は状態異常を起こした。
「諸々を計算し『夢宮 悠真の恋人となり得る女性の人数』:Gは――0.72人だ!」
鉄郎さんは高らかに声を張り上げる。
すくね――。1.0を切っているじゃねえか! この日本に俺の恋人となる女性はいないってこと?
「もちろん集団母数を広げれれば、この数は増えるだろう。世界中を探し回るとか、コールドスリープして百年後に賭けるとか、方法はある」
……本気で言ってんだよな、このオッサン。
「いま鈴は、君に惹かれている。だがそれは一過性のものだ。じき冷める。この数式が、それを証明している。このデーターは信頼が置ける。わが社が社外モニターに依頼し、3千人から抽出したものだからな」
なにアホな研究してやがんだ。やる方もどうかしているが、付き合う方もイカレてやがる。
「そして正規分布の標準化を行い、確率変数Zの実現値Zを求め、検定の結論を出した。これはかなり正確なものと云えるだろう」
オイ、これネタ枠じゃないのかよ。もしかしてこの調査、論文として発表するつもりじゃないだろうな。
……あり得る。『なぜ僕には彼女が出来ないのか?』と云う論文が存在するくらいだ。十分あり得る。勘弁してくれ…………。
「お父さん、ユマがユマである限り、私の愛が消えることはない。仕事に就かず、パチ〇コ三昧で、子育てを手伝わなかったとしても、私のユマへの想いは揺らぐことはないっ!」
ちょっと待て。その気持ちはありがたいが、俺そんな事しねえからな!
「お父さんの主張しているのは、『ユマへの愛の生存時間解析』よね。ユマの駄目なところに愛想を尽かし、愛が冷めるという」
鈴さん、なにをおっしゃっているの?
「そのネガティブな感情をものともしない、無量大数の愛情が私にはある。見て、これが私の『カプラン=マイヤー曲線』よ!」
ホント、なにを言ってやがる!
鈴はパソコンのキーボードをカタカタと打ち込み、何やらグラフを作成する。
鉄郎さんと凛さんは、そんな鈴をじっと見つめている。
3分が過ぎた。鈴がふうっと大きく息を吐く。そして手を上に掲げ、人差し指を突き出し、大きくキーボードに打ち込む。
「いっけぇ――――」
エンターキーが打ち込まれた。
モニターに実線と点線の二つの階段状に右下がりとなる曲線が現れた。
縦線に最上部『100%』、最下部に『0%』と記入されたスケールが書かれている。
横線は『年』と書かれた100の目盛りがある。
二つの線は縦軸100%、横軸0年からスタートしていた。
点線は段ごとに大きく下がり、7年で0%となっていた。
それに対し実線は殆ど下がらず、100年経過した場所でも、97%の位置をキープしていた。
「この実線が私の気持ち。なにがあろうと愛する気持ちに変動はない。私のユマへの想いは、永遠に消えない!」
鈴は迷いのない、真っすぐな瞳で語りかける。
「鈴、そこまで想っているの…………」
凛さんは涙ぐんでいる。
鉄郎さんは宙を見つめ、涙を堪えている。
…………なにがどうなっているのか、さっぱりわからん。
この世界には、理系と云う別種族が存在することを、俺は初めて知った。
理系の人、尊敬してますよ。……ホントです。
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