アウェイ戦
江角一派の土下座騒動から、俺の学校生活は一変した。
彼女たちの俺に対する扱いが、下にも置かぬものになったのだ。
俺が席に着こうとすると椅子を引いてエスコートし、俺が教室から出ようとすると戸を引いて一礼し『行ってらっしゃいませ』とのたまう。……ここは、ホテルか!
だが細かな嫌がらせも、欠かさない。
折に触れ、胸を押し付け、パンチラや胸チラを見せつけてくる。中には俺の目の前で『いったぁーい』とすっ転び、スカート全開とする猛者もいた。女子の股間や胸元に、なんど顔を埋めたことか……。堪ったもんじゃない! 俺は顔をしかめ、目を逸らす。彼女たちはその俺の嫌そうな顔を眺め、ハァハァと息を荒げる。……責め方を、変えてきやがった。自分たちの身を切り、実を得る方向にシフトしてきやがった。こちらにはある意味ご褒美なので、抗議もしづらい。周囲の男子も、『うらやまけしからん』と血涙を流す。『ラッキースケベ野郎』の二つ名も賜った。……俺に、味方はいなかった。
疲れ果てた俺はやっと一週間を乗り切り、休息の時を迎える。
だがそれは、真の安寧ではなかった。
俺は新たな試練に立ち向かう。
土曜日の朝、俺は『兎越木』の駅に来ていた。
二週間振りだ。今では遠い昔に思える。
「お—い、ここだよ—。ユマ――!」
日傘をさし、呼びかけてくる少女がいる。
満面の笑みで、彼女は俺の胸に飛び込んでくる。
日傘が、はらりと落ちた。
「ありがとうユマ、来てくれて。無理言ってゴメンね。けど、ホントに楽しみにしてたんだ。昨日も興奮して、二時まで寝付けなかった!」
嬉しそうに、顔を俺の胸にこすり付ける。
そんな彼女を引き剥がすほど俺は鬼ではないし、その気もなかった。
通行人から生温かい視線を投げかけられたが、恥かしくはなかった。むしろ、誇らしい気持ちだった。
「お楽しみの所申し訳ないが、日傘が飛んで行くと危ないぞ。ちゃんと持っててくれないかな、夢宮」
ガシャンガシャンと金属音を響かせながら、鈴が落とした日傘を拾い、俺に差し出す奴がいた。
フルアーマーの甲冑に身を包む、青騎士がそこに居た。
鈴は理屈の合わない物理法則を目の当たりにしたような目で、青騎士を見詰める。
「この変態、ユマの知り合いなの?」
鈴のなかでは、こいつは変態枠のようだ。
「ああ。そして残念なことに、お前の知り合いでもある……」
えっ、と鈴は意外な顔をする。
「香坂だよ。あの人気ナンバーワン男子の!」
ええぇ――っ、と苦虫を潰したような貌をする。
「はっはっ、奇遇だな! 夢宮! 新開! お前たちも一緒にゴミ拾いをしないか?」
青騎士は、火ばさみをカチカチと打ち鳴らす。
「なにをどう拗らせると、こうなるの?」
モテ過ぎるとこうなるみたいです。お前も気を付けような。
「これからデートか。いいね—、青春だ!」
カラカラと豪快に笑う。
「残念ながらデートじゃない。……三者面談だ。俺と、鈴と、……鈴のお父さんとの……」
口ごもる俺に、青騎士は全てを察したようだった。
「……それはそれは。おめでとうと言うべきか、ご愁傷さまと言うべきか……」
お祝いとお悔やみを一遍に貰った。
「お前、代わりに行ってくれないか。その鎧なら中身が誰かは分らんだろう」
青騎士さんは、困った者の味方だろう。どうかこの哀れな仔羊を助けてくれませんか。
「……まず間違いなく、入口で不審者チェックに引っかかり、摘まみだされるな」
自覚はあるんだ。
「ま、観念して挨拶してくるんだな。『娘さんをくださいっ』て言いに行く訳じゃあないんだろう。むこうも、お前の人となりを見たいだけだと思う。取って食ったりせんよ」
なんか、こっちの事情はお見通しって感じだな。
「さあ行くよ、ユマ。香坂もゴミ拾い頑張ってね~」
俺は鈴に引きずられるように、駅を後にする。
「グッドラック!」
青騎士は親指を突き立て、俺たちを見送ってくれた。
俺は空にそびえる白亜の城を見上げる。
巨大なタワマンだった。
「何階?」
「45階」
そ—ですか。
この質問は青騎士はキライだと言っていたが、この状況なら訊かないほうが不自然だろう。
……45階ですか――。
俺たちはエントランスを抜け、エレベーターホールへと向かう。
「けっこう大変なんだよ。降りるのに、下手したら5分かかるし。朝の通勤通学時はエレベーター混雑して、も—最悪! お蔭で出不精になっちゃった」
「10分位かかるとか聞いた事があるが、そんなものなのか?」
「ああ、それ都市伝説。一階ずつ止まって、時間が掛かるってやつでしょ。今時そんなエレベーターないって。ちゃんと高層階用、中層階用、低層階用って別れていて、私の乗るエレベーターは低中層階はノンストップ。低中層階の人と一緒になる事なんて無いわ。エレベーターの階数ボタンを押す時にマウント取られるなんて、昔の話よ」
聞いてみないと分かんないもんだな。
「けどね—、降りてみるまで雨が降っているのか降っていないのか分かんないってのがあるよ。雲が部屋の下にあるからね。だから、鞄の中にいつも折り畳み傘を入れている。こんど相合い傘をしよ—ね—」
話をしているうちにエレベーターが到着した。
45階のボタンを押し、上へと引き上げられる。
スピードが速い。見る見るうちに昇ってゆく。
「速いでしょう。このエレベーター、分速180m、秒速3mなの。階高(1階当たりの高さ)3mとして、45階で距離135m。停止しない直行運転と仮定すると所要時間45秒。他の階で停止した場合、停止した回数ごとにプラス10~20秒。けれど利用者がエレベーターホールの操作パネルで目的階を事前に入力することで、最適なエレベーターを割り当ててくれるデスティネーションコールシステムを使っているから停止階数が減少して、大体1分半で着くからね」
鈴は一気にまくし立てる。理路整然と簡潔に。俺は呆然とした。
「ん、どうしたのユマ。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
「いや、なんなの、その無駄に詳しい知識」
ああぁ――、しまった――、といった顔を鈴はする。
「やっちゃたかな。ホームということで、つい気が抜けてちゃった。……こんな技術系に詳しい女の子、可愛くないよね」
しゅんと落ち込んだ表情で鈴は呟く。
「可愛くは、ないな……」
俺の言葉に、鈴の表情が曇る。
エレベーターの中は重い沈黙に包まれる。
昇って行く箱が、沈んで行くかに感じられた。
「……だが、かっこいい」
再び箱は浮上を始める。天に昇るかの如く。
「魅力的で、輝いていて、……なんて言うか、心惹かれる」
鈴の顔が、ぱぁっと明るく晴れる。
「ウソじゃないよね。慰めとかじゃないよね」
「ああ、俺はお前に対して嘘はつかない。胸を張れ。お前は、とびっきりだ!」
「もう――。胸のことは言いっこなし!」
鈴は俺の胸をぽかぽかと叩く。ちっとも痛くない。
チ――ン。45階に到着した。
「さて行くか。お父さんにご挨拶しなきゃな」
「そっ。これから長い付き合いになるんだからね」
「……やめてくれ」
俺たちは並んで45階の廊下を歩く。
床には赤い絨毯が敷かれていた。
「バージンロードみたいだねっ!」
「……勘弁してくれ」
鈴はすっと俺の左側に立ち、右腕を俺の方に伸ばす。
俺はその手をそっと掴む。
俺たちは笑い合い、手を繋ぎ、赤い道を進んだ。
鈴ちゃん、抜けてるみたいに見えますが、バリバリの理系です。
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