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ラブ・アンド・ピース

「羨ましいわ~、新開さんみたいにスッキリとした胸。いや—私くらいあると肩が凝って凝って、も—大変。そんな悩みなんて無縁なんでしょうね、新開さんは。あ—羨ましい――」


「うふふ、桐生さんにそう言って頂けるなんて、光栄ですわ。昼休み、ぽつんと一人で食事しているボッチ……いえ孤高の桐生さんにそう言って頂けるなんて。私なんか色んな人にお誘いを受けて、御一緒出来ない方にお断りするのが心苦しくて、つらいんですよ。いいですね――そんな悩みがちーとも無くて~」


「あはは――」


「うふふ~」



……こえ—よ―。女子こえ――。

笑顔と云う凶器を振りかざし、女の闘いが繰り広げられていた。


「何してんの、悠真。行くよ」


恐怖に立ちすくむ俺に、歩は席に戻れと(うなが)す。


「お前、恐ろしくはないのか。あそこは、修羅の国だ。悪意と狂気が渦巻き、相手の手足を()ぎ、急所を(えぐ)る。そんな闘いが繰り広げられている、修羅の国だ」


俺は躰を(おのの)かせながら歩に言う。


「何言ってんの。学校一二の美女が談笑する麗しい場面じゃない。男子連中が見たら、感涙ものだよ」


「馬鹿なっ! お前には見えないのか、あの禍々(まがまが)しいオーラがっ!」


「……悠真、(つか)れているんだね。さあ行こう。ほら、みんながこっちを見てるよ」


闘いを繰り広げていた二人が俺に気付き、臨戦態勢のまま相手を牽制しながら俺に近づいて来る。



「さみしかったよ~、ユマ。さっ、席に戻ってお喋りしよっ。パックがね~昨日こんな事をしたんだよ――」


「ありがとう。私の好きな飲み物、覚えてくれていて。コーヒー×ミルク×ココア、あなたが教えてくれた味よ。新開さんのは……。くすっ、なんの変哲もないオレンジジュース。ごめんなさいね――『フェアリー・クイーン』さまにはこんな思い出がなくて。見せつけるみたいで、ごめんなさいね――」


「あはは――」


「うふふ~」



……もう、いいよ。




()かれているな、夢宮。羨ましい限りだ」


ニヤニヤしながら、訳知り顔で香坂が語りかけてくる。

()かれいるの間違いじゃないのか。


「お前になにが分かる!」


譲れるものならこの苦労を譲ってやりたい。


「まあここまでじゃあないが、俺も似た様なことは経験している。少しは分かるよ。あと俺に分かる事といえば……」


香坂は目を細め、思いついたように離れた席にいる男性を見詰め、言った。


「あそこの席に座っている男が、区役所に勤めていて、最近子どもが出来て、昇進試験を控えている、そんな事ぐらいかな」


こいつは何を言いだすんだ。


「知ってる人なの?」


興味深げに桐生が問う。


「いや、まったく。初めて見る人だ」


「なんでそう思ったの?」


桐生はさらに問いかける。


「あの男の靴、赤っぽい土が付いている。この辺りの関東地方は『黒ボク土』の黒い土だ、あの土じゃない。あの土は『赤黄色土』、静岡の茶畑とかの土だ。あの土が使われているのは、この近くに一か所しかない。区役所だ。多分そこに勤めているんだろう。

そしてシャツの袖に黄ばみがある。あの汚れ方は、乳幼児のミルクの吐き戻しによるものだ。そして目の下に隈がある。夜泣きも激しいんだろう。昇進試験を控えていると言ったのは、そんな状況で家に直帰せず、何故こんな場所にいるかを考えたからだ。普通に考えれば一刻も早く帰り、我が子の顔を見たいはずだ。それをしないのは何故か。自宅では出来ない事をここでしたいからだ。彼は手に参考書みたいな物を持っている。自宅では勉強もままならないんだろう。そして愛しい我が子より優先させる勉強なんぞ限られている。昇進試験でもなければ、後回しにするはずだ。……こんな所かな、聞いてみれば何てことないだろう」


言い終わると香坂は、ジンジャーエールをずずっと啜った。


「ほえ—」と江角は間抜けな声を出す。鈴と歩は値踏みするような視線を向ける。そして桐生は……。


「大した名探偵ね」


素直な感嘆の声をあげた。


「『ミステリーの女王』さまにそう言われると、むず痒いものがあるな。君ならこれくらい、お見通しだろう」


「私は事象から事実をでっち上げるのは得意でも、現象から真実を読み解くのは苦手よ。ベクトルが違うわ。……貴方、どうやってそんな眼力を身に着けたの?」


桐生の作家魂に火がついたのだろう。興味津々で質問する。


「俺な……休日には鎧を(かぶ)って過ごしているんだ」


「「はっ?」」


当惑の声があがる。


こいつ何を言っているんだ。何かの比喩か。俺以外のみんなが、そんな顔をしていた。

だが俺は知っている。比喩なんかじゃない、言葉通りの意味だ。

香坂は、なおも続ける。


「ヘルムを通して見ていると、色んな物が見えてくる。狭められた視界では、物事が深く浮き彫りとなる。……顔全体を見ず、口元だけを、目元だけを見る。そうすると、雄弁に語り掛けてくる。それぞれのパーツが、色鮮やかに!」


香坂の台詞に熱がこもる。こいつはいま、心の深いところをさらけ出している、


「それは俺に真実を告げてくれる。着飾った言葉や表情とはまるで違う真実を。……俺は嘘に包まれた言動が、大っ嫌いでね」


おべっか、追従、媚びへつらい。そういったものに、うんざりしているのだろう。


「あなたをモデルに作品を書くのも、面白いかもしれないわね」


「是非お願いする。俺の住んでる所が『日本のベーカー街』とでも呼ばれたら、町おこしにもなる。『青騎士探偵は好かれない』とかどうだ?」


なんかこいつの求める、人との距離感が伺えるタイトルだな。

桐生はげんなりとした顔をしている。この作品が世に出ることは無いだろう。




香坂のショーは終わり、俺たちは席に着く。

名探偵に触発された訳でもないが、俺も素人探偵を演じる事とする。



「おととい、土曜日、夕方まで、何をしていた?」


俺は両隣に座る二人に尋ねる。


「新作の執筆を金曜の夜までしていたから、泥の様に眠っていたわ。目が覚めたら、夕日が沈んでるとこだった。久々ね、あそこまで眠ったのは」


桐生はふぅと溜息を付きながら答える。

あれだけの大作を仕上げたのだ、その疲れは尋常なものでは無かったのだろう。


「私はユマと抱き合った温もりを思い出しながらベットに入ったわ。……ユマのいない寂しさを紛らわせながら。あんまり捗るもんだから体力使い果たして、夕方まで夢の世界にいたわ。ユマと一緒に。……ユマって、あんな所が好きなのね」


ホントにナニをしていたんでしょうね、このお嬢さんは!

その世界のボクは、どんな所が好きだったのでしょうねっ!



「結論から言うと、お前たち二人は金曜の夜から土曜の夕方まで、眠っていたんだな」


二人はコクリと頷く。



……そうか。



「ユマは何をしていたの?」


鈴が無邪気に訊いてくる。


「『お家デート』をして、『お買い物デート』をしていた……」


俺は週末の宝物のような思い出を取り出し、遠い昔を思い返すみたいに答えた。


「「はあぁ――――」」


二人の語尾の上がる声が重なる。


「相手はだれ? どこのどいつよっ!」


鈴が血走った目で俺の胸ぐらを掴む。


「知らん。何処にいるのか。本当の名前も……」


向かいの席に名探偵がいるんだ、下手な嘘はつけない。


「ナンパ……?」


ゆらゆらと幽気を漂わせながら、裂けんばかりに目を見開き、言葉少なく静かに怖ろしく、桐生が問うてくる。


「だったらまだ手掛かりもあるんだがな。深夜に、俺の部屋に突然現われた」


「「ストーカーじゃん(じゃない)!」」


二人の声が、再び重なる。


「まあ、似たようなものかな」



二人は席を離れ、向かい合い、お互いの両肩に両腕を乗せ、円陣を組む。

ヒソヒソ声が、漏れ聞こえてきた。


「警察に……」「……規制法では……」「街頭防犯カメラをハッキングすれば手掛かりが……」

物騒な単語が飛び交っている。


さっきまでのいがみ合いが噓みたいに、戦友のように仲良く話をしている。


「……一時休戦……」「……敵の敵は味方……」

何やら、平和の鳩が飛び立つ音が聴こえる。


やっぱり、綺麗な女の子が和気あいあいとするのは、いいものだ。




ラブ・アンド・ピース


この言葉は、金言である。

『ラブ・アンド・ピース』――いろんな意味がありますよねっ!


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