ミラージュ
「悠真ってば、そんなに怒らないでよ――」
早足にランジェリーショップから立ち去ろうとする俺を、メアが追いかけて来る。
「怒ってんじゃねぇ。この場から一刻も早く逃げたいだけだ!」
俺は癇癪声をはりあげた。
「やっぱ怒ってんじゃん。そんなにあの場所にいるのが嫌だったの?」
首をコテンと横に傾け、無垢な笑顔で訊ねてくる。
こいつ、やっぱ解っていねえ。
「……あそこに居させられた事については怒っていない。自分で納得してやった事だ。怒っているのは、お前と店員さんとのやり取りにだよ!」
「私、なにかしたっけ?」
本当にわからない、そんな顔をしてやがる。……この野郎!
「『……え。下着、着けてないんですか?』って店員さんが訊いてきたよな。お前、なんて答えた」
「『あはは、彼氏の方針で』って答えたかな。間違ってないよね」
ああ、間違ってないよ。そう答えたよ。その内容も間違ってないよ。だがな、店員さん、間違って捉えたじゃねえか。
「それ聞いて店員さん、『そういうプレイなんですか? 大丈夫ですか? DVとかされてません?』って言ってきたよな、俺をクズを見るような目で睨みつけながら」
「ああ――」とメアは、ぽんと手を叩く。
「その後お前、なんて言った……」
「『大丈夫ですよ。この人案外、ノーマル寄りなんで』……かな?」
「『ノーマル寄り』ってなんだ! どノーマルだわ!」
絶対俺、特殊性癖持ちとして認定されてしまった。
「ちっちっちっ。浅いね、考え方が。雑草と云う草が無いように、ノーマルと云う人間は居ないのだよ」
知ったようなこと言うんじゃねぇ!
おまけにこいつ、帰り際に『よかったら、ここに連絡してみて。色んな相談に乗ってくれるから。一人で悩まないでね』って電話番号書いた紙を渡されやがった。『命の電話』と書かれていた。『命の電話』に相談する幽霊なんて、シャレにもなんねえ。
「ところで悠真。さっきお姉さんに渡された、この紙なに?」
メアは紙をひらひらさせながら訊いてくる。
……説明をしたくもない……。
俺たちは、有名セレクトショップの前に立っていた。
「いいか、ここでは大人しくしていろよ。言葉は出す前によく考えて、誤解を招く言動は慎むように」
「は――い」
……返事はいいんだよな。悪意もない。いかんせん、とんでもない天然だからな。
俺は平穏を神に祈りながら入店する。
「いらっしゃいませ~。夏物をお探しですか?」
店員のお姉さんが寄ってくる。
「はい。こいつに似合う物を一式見繕ってください」
俺はプロに丸投げする。
「マニッシュな服装をされていますが、そういうのがお好みですか?」
店員さんが嗜好を知ろうと訊ねてくる。
いまメアが着ているのは俺の服だ。
シンプルな無地のTシャツに黒いカーデガンを羽織り、下はデニムをロールアップしている。
ブカブカだが、オーバー気味に着る昨今ではおかしくは無いだろう。
「これは私のじゃなく、彼のなんです。昨日彼の家に泊まったんですけど、着る物がなくて借りていて……」
俺は慌ててメアの口を塞ぐ。
店員さんは「ほほぅ――」とニヤニヤしながら俺たちを見つめている。
……これぐらいは我慢するか。
「オフホワイトのシフォンブラウスに、Aラインスカートはどうでしょう。フェミニンでシンプルだから、着回しもやり易いですよ」
俺たちは店員さんお勧めの服を次々に試着していた。
「悠馬、どうかなこれ!」
はしゃぎながらメアは訊いてくる。俺は感想の語彙が尽きかけていた。
デートって、国語だったんだ。
嬉しそうに試着を重ねるが、メアはどれにするか決めかねていた。
そんな彼女が、店の隅にあった一着に、視線が釘付けとなる。
「あれ、気になります?」
そう言って店員さんは、その服を持ってきてくれた。
白い、ワンピースだった。
腕を思いっきり出した、ふわふわとしたギャザーが付いた、クラシカルなワンピースだった。
先週、鈴が着ていた服にどこか似ていた。
「うーん。これも悪くはないけど、お客さまスタイルがいいから……。胸が大きいと高いトップの位置から布が落ちて、せっかくの引き締まったウエストが隠れちゃうんですよね」
確かにこいつと鈴とでは標高が違うからな。
「そうですか……」 メアは哀しそうな顔をする。 ……そんな顔をするな。
「何とかなりません? 小物でカバーするとか」
俺は店員さんに救いを求める。
店員さんは口に手を当て考え込む。
そしてハッとした表情を浮べ、言った。
「ちょっと待って下さい、もしかしてアレなら……」
店員さんは慌てて奥へと走って行った。
「悠真……」
不安そうな面持ちで、メアは俺に呼びかける。
「心配するな、なんとかなる」
俺はメアの曇った表情を吹き飛ばしたかった。
「お待たせしました。今日入荷したばかりの新作です。さっきのだと膨張して見えるけど、こっちのウエストが締まったエンパイアラインなら、シュッと見える筈です。着てみてください!」
店員さんが興奮した表情で帰って来た。手には白いワンピースが抱えられている。
メアと俺は、顔を見合わせ、笑った。
「どう、悠真……おかしく、ないかな……」
試着したメアは、おずおずと心細げに尋ねてきた。
俺は、全力で答える。
「似合っている! お前の金色の髪と、その純白の服は、えも言われぬ清楚さを引き出している。ふわふわと風にたなびく様子は涼し気で澄んでいて、お前の持つ清涼感にマッチしている。開かれた首元から出た細い鎖骨は、華奢で滑らかで、魅力的だ。……よく……似合っている……」
俺は、ありったけの言葉を紡ぐ。
「……ありがと……」
嬉しそうに言葉を返してくる。
……伝わったかな?
店員さんが、微笑ましそうに見守っていた。
買い物を終え、ショッピングモールを後にした俺たちは、多奈川公園に来ていた。メアが『この服に似合う場所に行きたい』と言ったからだ。いま彼女は、先程買った純白のワンピースを着ていた。
「気持ちいいね、悠真!」
彼女は風にはためく麦わら帽子を抑え、そう言った。
『その服に、これ似合いますよ』と店員さんに勧められ、まとめ買いした物だ。
川から吹いて来る爽やかな風が、俺たちの頬を撫でる。
俺たちは今、池に渡された木道の上に立っていた。『水生植物園』の池の上だ。
足もとの水面には睡蓮が生い茂り、その下を鯉が悠々と泳いでいた。
のどかな時間が流れてゆく。
彼女はしゃがみ、じっと水面を見つめる。そよぐ波紋を飽きもせずに。
どの位そうしていたのだろう。彼女は水面を見つめながら俺に話しかけてきた。
「平和だね。幸せだね。……贅沢だね、こんな何にもない時間なんて」
幸せを喜ぶと云うより、切なく振り絞るような声で語りかけてきた。
「悠真は幸せ? ……いま」
誤魔化しを許さないような、真剣な瞳で訊ねてきた。
俺は真摯に答えた。
「……幸せだ。そりゃ色んな物を抱えているから、不安や不満はある。けど今この瞬間、この場所で、俺は幸せを感じている」
迷いもなく俺はそう言った。これは、嘘じゃない。
「そう、よかった……………………」
静かに、メアは呟く。心の内から零すみたいに。
風がやさしく吹いていた。
道に惑う幼子をあやす母の手のように。
二人は風の中、じっと水面をながめていた。
「そろそろ、行くね……」
メアはそう言うと、すくっと立ち上がった。
俺もつられて立ち上がる。
メアは俺の正面に立ち、俺の顔を見上げ、静かに話しかける。
「忘れないで。私は何時でもあなたの傍にいる。あなたを守ってあげる。あなたは、一人じゃない」
メアは言い終わると、俺の胸に飛び込み、ぎゅっと抱きしめてきた。
「愛してる…………」
メアは、輝き始めた。
黄金の光を放ち、キラキラと輝きながら、段々と霞んでいった。
「………………………………」
メアが何かを言っている。だがその言葉は聴こえない。
彼女は少し困った顔をして、…………消えていった。
俺の腕にはさっき迄彼女が着ていた白いワンピースが、抜け殻のように残っていた。
また、会えるよな…………。
俺は風に問いかけた。
ちょっと切ないテイストとなりました。出来れば皆さまのご感想をお聞かせください。
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