デート指南
目的地であるショッピングモールは、大勢の人と幸せそうな笑顔で溢れていた。
家族連れ、カップル、友達同士、みんな輝いていた。
俺たちもその光の中にまぎれ、幸せを享受しようとしていた。
「さっ、ゆっくよ――」
メアはエスカレーターにぴょんと飛び乗る。
手すりに手を置き、階上をきゅっと見やる。
細長い長方形の建物は中央が巨大な吹き抜けになっていて、ショップはその外周に設置されていた。
エスカレーターはその吹き抜けに沿って設けられていて、見晴らしは抜群だ。
そのエスカレーターがゆっくりと、彼女を上へと昇らせてゆく。
「楽しいねっ、悠真!」
満面の笑みを俺に向ける。
幸せな気持ちが、メアから俺に、波のように押し寄せてきた。
俺はその様子に見蕩れる。
「ああ、思いっきり楽しもう!」
二階から三階に着いた。この階はカジュアルブランドが揃っていて、手頃な価格で買い物ができるフロアだ。さてどのショップから廻ろうか。そう思いを巡らしたが、メアはこの階で降りなかった。上がりのエスカレーターに再び乗る。四階に行くのか! あそこは少しお高いブランドの店だぞ。……仕方がない。俺は財布の中身を確認する。
「ラッラッラッラッラッラ、ララーラ、ルラ――!」
彼女はご機嫌で、訳の分からん歌を口ずさむ。
こんなに楽しそうなんだ、金の話をするのは野暮ってもんだ。
心ゆくまで楽しめ! あとの事は何とかしてやる。
四階に到着した。メアはショップには目もくれず、五階行きのエスカレーターに飛び乗る。
――?――。
……五階屋上広場に到着した。ここで一休みするのか?
と思いきや、彼女は四階行きの下りエスカレーターに乗り込んだ。
……そしてそのまま、一階まで降りていった。
…………………………。
「さあ、二週目行くよ――」
一階に着いたメアは、再び上りエスカレーターに乗ろうとする。
「ちょっと待て! なにやっとんじゃ!」
さすがに見かねて、首根っこを掴み、問い詰める。
「ゴメン! このアトラクション、回数制限があったの? いくら無料アトラクションとは云え、乗り過ぎたかな? このウィーンって上がっていく感じが面白くて、つい……」
メアは手を合わせ、涙目で謝ってくる。
エスカレーターはアトラクションじゃありません! きょうび、幼稚園児でもそんな遊び方せんわ。五十年前の大阪万博で『動く歩道』を初めて見た人かよ!
……そう言ってやりたかった。だが、さっき迄のこいつの楽しそうな顔、申し訳なさそうに俺を見上げる顔を思うと、なにも言えなくなった。
「……もう一周だけだぞ。買い物する時間が無くなっちまう」
メアの顔がぱあっと明るくなる。
「うん! ありがとう!」
彼女の笑顔と嬉しそうな言葉は、俺の心に染みてきた。
……俺も大概チョロイな……。
メアお気に入りのアトラクションもようやく終わり、ショッピング開始となった。
三階である。……よかった。
「ではこれから、買い物デートを始めます!」
メアが高らかに開会を宣言する。
「まず最初に、『買い物デート』は『買い物』に非ず! これを心得よ!」
なにか禅問答みたいな事を言い始めた。
「ぶっちゃけ、いい買い物をしたいなら、女友達と一緒に行ったほうが何倍もマシです。男子の情報収集能力は低いし、センスは壊滅的です!」
ぶっちゃけやがったな、こいつ。触れてはいけない事を言いやがった。
「……にも拘らず、世の女子は『買い物デート』をしたがる。これは何故か、答えなさい!」
「先生、さっぱり分かりません」
ここで知ったかぶりをすると、大やけどをする事を俺は知っている。
「うむ、然らば教えて進ぜよう。女子が求めているのは、『彼の好み』のリサーチである。言い換えれば、『彼の攻略マップ』の作製である」
身も蓋もねえな、おい!
「Love is War! 恋は戦争! 作戦目標を定め、作戦戦略に基づき作戦計画を練る。勿論それは、十分な作戦研究を経たものでなければならない。その為の情報収集なのである!」
きな臭さ過ぎる! ロマンチックの欠片もねえ。
男子なんて、そんなに深く考えてねえぞ。……あ――それで、『これだから男は』って言われるのか。
「よって『買い物デート』には禁忌項目が存在する」
メアがかっと目を見開く。
「一つ。『どっちがいい?』と聞かれたら、必ず自分の意見を述べる。『どっちも似合うよ』とか言うのは論外である!」
その意味、よく解りました。『買い物デート』の目的を聞かされた後では、そりゃその答えは無いよな。
「一つ。試着には必ず付き合う。試着室のすぐそばに居て、その都度感想を述べる!」
はい。『向こうで待ってるよ』とかは禁句ですね。
「一つ。さり気なく荷物を持ってあげる…………」
「一つ。適度に休憩を取る…………」
「一つ。…………」
世の彼女持ちは、皆こんな苦行をしているのか。俺は彼らに尊敬の念を抱いた。
「ざっとこんな所かな。あとは実地で教えていきます。さあ、訓練開始! 付いてきなさい!」
「イエス、マム!」
自然に敬礼で答えていた。
「さあ、この店から始めるわよ」
俺はメアに連れられ、ファーストステージの前に立っていた。
そこは、地獄の門だった。
入口には阿吽像よろしく、二体の像が鎮座していた。
一体は赤き衣を纏い、もう一体は黒き衣を纏っていた。
頭も腕も足もなく、胴体だけで、レースとフリルの布で覆われていた。
……パンツとブラが着せられた、トルソーだった。ランジェリーショップであった。
『ベルリンの壁』以上の高い壁に隔てられた、『鉄のカーテン』ならぬ『男女のカーテン』の向こう側だった。
「なんで初っ端からココ? チュートリアル終了後すぐにファイナルステージなんて、アホか!」
「さっき私、『相手のことをよく観察し、トラブルにすぐ対処する事』って言ったよね。……私いま、大変困っています。助けて欲しいと思っています。それは何でしょう?」
にこっと、しかし底冷えするような笑顔で問うてきた。……おい、まさか。
「私いま、ノーパン・ノーブラです。上は胸ポチしてます。下は厚手のデニムだけど、ぱっくり大事な所のラインが出そうです。幸いカーデガンで胸元を隠し、悠真に後ろに居てもらったから何とかなったけど、気が気じゃありませんでした」
なにカミングアウトしやがるんだ――!
「私の恥ずかしい姿を見せるの、悠真ならいいけど、他の人は……イヤです……」
メアは俯き、か細い声で、消え入るように囁く。
……ホント、なに告白してやがんだ。
俺はガシガシと自分の頭を掻く。
「……40分。それが限界だ。その間に買い物を終えろ。それまでは、とことん付き合ってやる。……それ以上は俺の精神が持たん」
その言葉に、メアの顔から喜びが滲みだし、全身から嬉しさの光が放たれた。
「うん! とびっきり素敵なの探すね! 悠馬を悩殺するような、凄いの!」
その内容にそぐわぬ、快活で朗らかな声でメアは叫ぶ。
このアンバランスさがタチが悪いんだよ。
お手柔らかに――思わず心の中で呟く。
それから40分、俺は試着室前の狛犬となった。
メアちゃん、いい子です。是非応援してあげてください。
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