生きかた
「見て――悠真。川面がキラキラしてる――」
俺たちはいま電車に乗り多奈川を渡り、県境を越えようとしていた。
先週行った『兎越木』とはまた別の場所だ。『茅崎』駅へと向かっていた。
漣を立てる水面が、銀箔を散りばめたように光っている。
メアはその光景に見蕩れ、膝を立てて窓にへばりつき、目に焼き付けんばかりに眺めている。
「あの大っきなお姉ちゃん、子どもみたい――」
向かいに座っていた幼稚園児が声をあげる。
おい、ガキに『子ども』と呼ばれているぞ。
メアは顔を真っ赤にさせる。
「ごめんね。マナー違反だったかな」
しおれた表情で俺に謝罪する。
「気にするな、次から気を付ければいい」
俺は責めることなく慰める。こいつは元来素直な奴だ。間違いを指摘すれば、すぐ受け入れる。言い訳もしない。そして二度と同じ過ちを起こさない。そんな彼女を責めることなど、不要なことだ。
「うん! もうしない!」
彼女は座り直し、膝を揃え、背筋を伸ばして正面を向く。
一本のすらりと伸びた木みたいだった。
太陽に向かってぴんとし、陽の光を浴びる葉のように黄金の髪が輝いている。
敬虔な気持ちにさせる、自然界の存在に思えた。
その姿に気圧されたのか子どもは無言となり、じっと彼女を見つめていた。
「次は~茅崎~茅崎~。お出口は左側です~」
間延びした車内アナウンスが流れる。
「行こう!」
俺はメアの手を取り電車を降りる。
はぐれないようにするだけで、他意はないからな。
そう言う俺に、ハイハイと嬉しそうにメアは笑顔を向ける。
周囲から、微笑ましいものを見るような視線が注がれた。
あ――むず痒い!
中央改札を抜け、自由通路に出る。
東口広場から、音楽が流れてきた。聴き覚えのある音楽だった。
いま、やっているのか!
俺はメアの手を引き、広場へと向かう。
「行こう! ちょっとしたイベントだぞ」
訝しがるメアを尻目に、俺は音楽の源へと進んだ。
広場では、幾人ものストリートミュージシャンが演奏をしていた。
キーボードでテクノポップを演奏する女の子、ウッドベースで重低音をかき鳴らす中年男性。
だがその中で、一際多くの人混みに囲まれ、アコースティックギターの弾き語りをする30歳ぐらいの男性がいた。その声はガラスのように透明で、脆く、儚く、しかし圧倒される存在感を放っていた。
「この曲、知っている……」
メアは呟いた。そうだろう。おそらく日本中で、誰もが一度はこの曲を耳にした事があるだろう。
学校の教科書に掲載された事もあるほどだ。
30年前に、20代半ばで急逝した伝説のミュージシャンがいた。その彼の代表曲だ。
年代を問わず、彼が亡くなった後に生まれた若者でも知っている、そんな曲だ。
十代でデビューし、同年代の若者の繊細な心情、大人への反抗や葛藤を歌い上げた。
今でも卒業の時期には、定番ソングとして街に流れている。
観客がざわめいている。
「本物そっくり……」
「モノマネってレベルじゃねえぞ」
あまりの再現性に、皆が戸惑っていた。
その中で一人の観客が、ざわめきをかき消す発言をする。
「そりゃそうだよ。だって歌っているのは、あの亡くなったミュージシャンの実の息子だもの」
観客は驚愕する。その事実に。紡がれた歴史に。そしてそれに立ち会えた自分に。
30年前に彼が亡くなった時、当時二歳の息子がいた。
その時日本中では、若くして亡くなった天才を悼んでいた。
有線放送ではリクエストが殺到し、一日中彼の歌だけしか流れなかった。
彼が倒れ発見された場所は、聖地として巡礼の場所となった。
そんな中で幼い息子は、父の死をどう捉えたのだろう。どう向き合ったのだろう。
歌声は、澄んでいた。
淀みなく、高く、天に届くようで。
それがひとつの答えのようだった。
いま彼は路上で歌っている。
本来、ストリートで歌うような人ではない。
実際大きなコンサート会場やライブハウスで活躍をしていた。
だがコロナが発生し、その場所が奪われた。
感染を、密を、飛沫を恐れ、日本中の会場が閉鎖された。
彼は歌を届けることが出来なくなった。
彼は苦悩した。
歌いたい、みんなの前で。お金とかは、どうでもいい。
そして選んだ、この舞台を。茅崎駅前のこの広場を。
このちっぽけなステージで、彼は歌い続けた。
現在、コロナは終息したとは云えないが、社会は落ち着きつつある。
危険性は変わらず有るが、折り合いをつけて生きていく生き方にシフトチェンジしている。
音楽も日常を取り戻した。安全に配慮しながらコンサートも開かれるようになった。
彼のコンサートツアーも再開された。
だが彼は今もストリートでも歌う。
なんで歌うのか、俺にはわからない。
だがその姿は気高く美しく、音楽の神に愛されているようだった。
「いいものが見れたな……。まるで本人が乗り移っているみたいだろう」
俺は横で聴いていたメアに話しかける。
メアは、歌い上げる彼をじっと見つめていた。一点を、狂いもなく。
その視線の先にあるのは、彼の肩先だった。
歌い上げる口もとではなく、かき鳴らすギターでもない。
「おい…………」
俺は不安に駆られ、呼びかける。
「……行こう。ヨソのシマを荒らしちゃいけない」
そう言うとメアは青い顔でその場を立ち去ろうとする。
待って、『縄張り』ってなに? 『他人』ってなに? お前には、なにが見えているの?
俺は急いでメアを追いかける。…………後ろは、振り返らなかった。
チラホラ現実にリンクする事柄が出てきました。
ですがこの物語はあくまでフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
……突っ込まないで下さいね。自分は登場した全ての人に、尊敬の念を抱いています。揶揄する気持ちは一切ありません。
メアちゃんの活躍をもっと見たいと思われましたら、『ブックマーク』、『星評価』、『いいね』をお願いします。最高に輝けるシーンを考えます。……筆者の切なるお願いです。