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トライデント

圧倒的な力の奔流が、治まった。

闇が、薄らいでいった。

建物の揺れや軋みが、消えてゆく。


「まあまあ、いけませんね、私ったら。感情をあからさまにするなど、はしたない真似を。勇哉さんにお会いして、舞い上がってしまったみたいです。お恥ずかしい」


亜夢美はコロコロと、嬉しそうに笑う。

先刻(さっき)までの威圧感が、波の様に引いて行く。


「私も、まだまだですね」


舌を出し、あどけなく微笑む。それがより一層、怖ろしかった。

先程よりも、闇が深く見えた。


彼女は視線を聡美へと移す。


「よくやってくれました」


労わりの声をかける。


「よくぞ “光の結晶“ を持ち帰りました。ありがとう……感謝します」


聡美はその言葉を聞き、感涙にむせび泣く。

亜夢美は菩薩のような、慈愛に満ちた顔をしていた。


そして最後に、明日香に声をかける。


「痴れ者が!」


氷の様な、冷たい声だった。


(たっと)き理想を解せず、その崇高なる行いを邪魔立てする、不埒者(ふらちもの)!」


虫けらを見る様な目だった。



神の貌は、相対(あいたい)する者によって、相応しい物に変貌すると云う。

愛する者、(あが)める者、そして(あらが)う者……。鏡の様に、その姿を変える。


神は、その姿を偽ろうとしない。

人と違い、周りに(おもね)るような真似をしない。

素直に、激しく、その感情を発露する。

自分の心の(おもむ)くままに。


その彼女の気持ちが、俺に注がれる。




「あの子たちは、伝えてくれましたか? 貴方への想いを……」


聡美と同じ質問をする。

ただ、それを訊く表情は、異なっていた。

聡美の偲ぶ様な感情ではなく、切ない、祈るような表情だった。

まるで己の存在を幻ではないと信じたいみたいな、必死さが滲んでいた。


「ああ……」


俺は短く返答する。彼女はそれを聞き、安堵の溜息を漏らす。


「だが、他にやり様があったんじゃないのか? あんな伝え方しか、出来なかったのか? こうやって話せば、伝わったんじゃないのか?」


あんな凄惨な、やり切れない事を、……やりたくは無かった。


「言葉は、記号です。『大好き』とか『愛してる』とかで伝えられる程、私の想いは軽くありません。心を込めて、命を掛けてこそ、伝わる気持ちもあるんです」


(まど)うことなく、彼女は答える。


「私の十四年間は、言の葉には乗りきりません」


彼女は俺を愛してる。命をかけて。その事実は疑いなく、痛いほど伝わって来た。


だが、それを受け入れるかは別問題だ。

俺は、彼女の在り方を知ろうとする。



「聞きたいんだがな……」


俺の呼びかけに、彼女は満面の笑みを浮かべる。

お話出来るのが嬉しいと言わんばかりに。


「よくあるだろう、『母親と恋人、どっちが大切?』って質問。君なら――どう答える?」


父親(カズマ)を犠牲にした、君なら。

恋人(ユウヤ)に執着する、君なら。

それに、どの様な整合性をつける?


「あれは、母親と恋人の事を問うているのではありません」


彼女は、質問そのものに疑義を(てい)する。


「『過去(ママ)(わたし)、どっちが大切?』という質問です。どちらも大切です。等しいとかじゃありません。一緒なのです、その二つは」


意味が、解らない。


「高邁なる “愛“ という存在が具現化したもの、それが “親“ であり、 “恋人“ なのです。それの為なら、この身を投げ出してもいい、殉じてもいい。そう思わせる “愛“ の体現者であり、その根源は同一なのです」


それは独善的で、絶対の価値観しか認めない考え方。

彼女は縋っていた。その信奉(しんぽう)する、唯一神である “愛“ に。



「なるほど、よく分かった。君とメアとの違いが。そして『俺は君を愛さない』と云う事が」


メアは例えるなら、陳腐な言い方だが、光り輝く太陽だった。

その内側から光を放ち、暗い宇宙を照らす。

俺を喜ばそうと小さな幸せを探し、それを嬉しそうに差し出す。

他愛も無い、ありふれた物だ。

しかしメアの手に握られたそれは、どんな宝石よりも輝いていた。



亜夢美は例えれば、暗黒星雲だ。

あらゆる光や熱を吸収し、その内部に取り入れる。

その重力は収縮を促し、やがて恒星を誕生させる。

彼女はその成果を、俺に捧げる。

だがそれはどこか寒々として、もの悲しい。



『カインとアベル』――そんな言葉が頭に浮かぶ。

神は、贔屓した訳では無いだろう。

だが神の求める物と、神に差し出される物が、違っていた。


俺の求める物は、メアそのものだ。



メアは、自然の中で生きて来た。

そこに厳しさは在ったが、欺くような卑劣さは無かった。

その厳しさの中で、小さな幸せを見つけ、日々に感謝し、生きて来た。


亜夢美は、人の中で生きて来た。

権謀術数渦巻く権力の中枢で、生きて来た。

人を信用してはならぬ、隙を見せてはならぬという掟の中で。

ただ自分を磨き、潰されないように、小さな想いを抱き、生きて来た。


生き物は、環境に応じて進化する。

彼女たちは、枝分かれした道を歩んだ。

もしかしたら、根源は一緒だったのかもしれない。『好き』と云う気持ちは。

だが今や、それはまるで別物に育っていた。



俺の言葉に、亜夢美は哀しそうな顔をする。


「メアさんのそれは、幼稚で浅はかな、本質に目を背けた、綺麗で……愚かな愛し方です」


嘆くのではなく、俺を哀れむような声だった。


「貴方にも、解る時が来ます。人の愚かしさが、そしてそれを生む残酷さが。きっと……」


『壊れないで』――まるでそう言っているかの様だった。






「で、質問の続きだ。君の父親は、何処にいる?」


彼女の在り方は分かった。次は、現状把握だ。


「貴方が葬ったでのしょう、あの内面世界で」


彼女は微笑む。親の仇に。


「躰はな。魂には、逃げられた」


俺は肩を(すく)める。自分の至らなさを嘆くように。


「そしてその際、目印を、匂いを付けた」


奴の魂に、俺の粒子を混ぜてやった。


「それが、あそこから漂っている」


俺は壁に掛けられた三叉槍(トライデント)を指差す。

海皇が持つ、山脈を裂き、大陸を海に沈める、巨大な力を秘めた武器。


「最初はクローン体、ベータとかに転生するのかと思っていた。だが違った。ベータは単なるエネルギーの濾過装置。それにクローンはオリジナルの亜種、それを超える事はない」


俺の言葉を、亜夢美は黙って聞いている。


「肉体に執着しない主馬が求める物は何か? 金剛不壊(こんごうふえ)の不滅の拠り所、この三叉槍(トライデント)こそが、相応しいんじゃないか?」


俺の推論に、亜夢美はクスッと笑う。


「半分正解で、半分間違いですね」


俺の推察力の高さを喜び、己の思考の深さを悦ぶみたいな貌だった。


「ここに父がいるというのは、正解です。ですがその経緯は、違います」


彼女はゆっくりと三叉槍(トライデント)に近づき、そっと触れながら言う。


「父はここに、幽閉されているんです」


それは、思ってもいなかった答えだった。


「父は、改良を重ねたクローン体に転生するつもりでした。今はまだ未完ですが、いずれ若き日の自分の肉体を得る事が出来る。そして大道寺 直輝と共に甦る。そう信じていました」


ならば何故、主馬はその中にいるのだ?


「完成するまでの、仮の依代(よりしろ)だったのですよ、これは」


彼女は優しく、その穂先を撫でる。


「私は言いました。『お父様、暫くはこの神槍に憑依して下さい。後の事はお任せ下さい。必ずや複製体(クローン)を完成させ、 “光の結晶“ を手に入れ、 “完全なる神“ となる準備を整えます』と。父は、それに同意しました」


この槍が、どの様な素材で、どの様に作られたのかは、知らない。

だがこれが物質で在りながら、精神体に近い物である事は、分かる。


「……騙されているとも知らずに」


亜夢美が、聞き捨てならない言葉を吐いた。


「騙された? 誰が、誰に!」


冷たい汗が、背中を伝う。


「 “父“ が、 “私“ に、――騙されたのです」


それは、思ってもいなかった言葉だった。


「父は、 “生命(セフィロト)の樹“ を昇るには、歳を取り過ぎていました。 “王冠(ケテル)“ に到るには、経験を積み過ぎました。物質界(アッシャー)に、囚われていました。 “完全なる神“ には、なれません……」


憐れむ様な口調だった。


「父は、囚われていたんです。直輝さんに、若き日の自分に。それは、神に到るには大きな障害です」


確信に満ちた、迷いの無い声だった。


「だから私は、用意しました。物質界(アッシャー)から解放される、この三叉槍(トライデント)を。この槍は、お父さまを閉じ込める牢です。しかし同時に、お父様を新世界に連れて行ってくれる神器でもあるのです。私はこの槍を使い、皆を神界へと導きます!」


亜夢美は槍の柄を握り、壁から外し、構える。


「素晴らしいでしょう、この神器。でもまだ、完成体ではありません」


悪戯っぽく、亜夢美は笑う。

そして聡美に目配せをする。

聡美は嬉しそうに、亜夢美に歩み寄る。


「私の物は、みんな亜夢美さまの物です」


聡美は恍惚とした表情で、顔を差し出す。

亜夢美は左手に持った槍を後ろに引き、勢いよく前に突き出した。

鮮血が、舞った。穂先が聡美の右目に、深々と刺さった。

亜夢美は槍を引き戻す。

穂先に、眼球が突き刺さっていた。

槍はそれをジュルジュルと吸い尽くし、己が躰に取り入れる。

三叉槍(トライデント)は、妖しく輝いていた。



湖月(こげつ)さまからお預かりした力、今お返し致します」


激痛で声も出せない筈なのに、聡美はしっかりした口調で、言い放つ。

永年の責務から解き放たれたかのように、晴れやかに。

それを見ながら、亜由美は空いた右手で聡美を抱きしめる。


「これまで、ありがとう。貴方の忠義に報いる為にも、私は必ず―― “完全なる神“ となります!」




それは決意であり、誓いだった。

三百年に渡る、願いだった。

綜馬(そうま)小夜(さよ)から続く、因縁の終結だった。

太陽のような、メアの愛。ブラックホールのような、亜夢美の愛。

う~ん、どっちも重い。


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