ダイヤモンド・プラネット
俺たちは、青い惑星に向かって進んで行く。
一段一段確実に。はやる心を抑えて。
これまでの道程を噛みしめながら。
俺は視線を足下に向ける。
そして先刻から気になっていた事を、明日香に訊ねる。
「これ、ダイヤモンドだよな」
「……そうね」
俺の足下には、内部から虹のような色が湧き出す、透明な板があった。
"水晶の板" や "銀の板" は、『まあ、そんな事もあるか』とスルーした。しかし、流石にこれは……。
「自分たちの力を、見せつけているのかな。秀吉の "黄金の茶室" みたいに」
あまりにも贅沢すぎる。俺は敵の思惑を推察する。
「たぶん、そういう事じゃないと思う。海王星ではダイヤモンドは、ありふれた物だから」
『えっ?』と、思わず声が出た。ダイヤモンドが、ありふれた物?
「 "ダイヤモンドの雨" が降るの、ここ」
言葉の意味が、解らなかった。
「 "ダイヤモンドの雨" ? "ダイヤモンドダスト" ではなく?」
"ダイヤモンドダスト" なら、見た事がある。水蒸気が凝華して出来た、 "氷の結晶" が降る現象。寒冷地で晴れた日に発生する自然現象だ。
「マジモンのダイヤ、結婚指輪に使うダイヤ。それが、天から降って来るの」
「待て待て。ダイヤって、地中深くから掘り出す物だよな」
なごり雪みたいに、その辺の道端に落ちていて堪るか!
「地中に在るというのは、結果論。ダイヤは、炭素が圧縮されて出来る物質。それが地球上では、条件が整うのが地底だけだという話。海王星では、大気の下層部の圧力は地球の大気の10万倍。そこで "炭素" は変質し "ダイヤ" となり、中心核に向かって "ダイヤモンドの雨" を降らせるの」
理屈は分かるが、想像力が追いつかん。そんな光景、思い浮かばない。
俺は詐欺にでも遭った気持ちになる。
『いい儲け話があるんですよ』と、辻褄は合っているんだが、どこか胡散臭い話を聞かされる気持ちに。
俺はその原因の、足下にある物を見つめる。
そして当然の、必然の、下世話な言葉が出た。
「これ持って帰ったら、一財産だよな……」
ごくっと唾を飲み込む。
「売り捌けたらね。多分その前に犯罪組織に目をつけられて、よくて誘拐、悪くて情報を聞き出された後にコンクリートのブーツを履かされて、東京湾でお魚さんと遊ぶ事になるわね」
おっかねー! ありえそー!
俺は、先刻とは違う味の唾を飲む。
「それにこれだけ大量のダイヤが市場に出回ったら、値崩れを起こすわ」
"神の見えざる手" か。 "需給" と "価格" の調整機能。
ん? その言葉が頭に浮かんだ瞬間、何かが引っかかった。
「どうしたの、ちょっとだけ持って帰りたいの? それなら帰り道にしなさい。戦いに臨むに当たって、余計な物は持ってちゃ駄目」
『仕方がないわね――』といった顔を、明日香がする。
「いや、そういう事じゃなくてだな……」
俺の真剣な顔に、明日香は表情を引き締める。
「……覚えているか? 殿倉 主馬が創りだした世界―― “奉天“ に現れた “黒い靄“ 。主馬が “理“ と呼び、メアの複製に死を迫った存在。 “同一の存在を否定する概念“ たるバランサーたるアレも、 "神の見えざる手" じゃないのか?」
俺の質問に、明日香は虚を突かれた顔をする。
「……確かに。秩序の化身、存在の絶対数を調整するという点では、同類項かもしれない。でも待って、ならばその構成要素は……」
彼女はブツブツを呟く唇に指を当て、思考の海に沈む。
もう一人のメアが消えたショックで、すっかり “黒い靄“ について考察する事を失念していた。
だが無数の亜夢美が、主馬が、そしてメアが生まれる可能性がある今、無視していい事ではない。
「う~ん」
明日香は唸る。結論は出ない。
「とにかく進もう。時間が無い。……そして判断材料も」
海王星まで、あとわずか。答えは、そこにあるかもしれない。
成層圏に達した。
明日香は歩みを止め、俺に呼びかける。
「そんな薄着じゃ、もたないわ。これを、着ていって」
明日香が両手にエネルギーを集める。
そしてそれを、俺に纏わそうとする。
赤龍の神気だ。
「大丈夫、これがあるから」
俺は躰を覆っている気を顕現させる。
鈴から貰った、黄龍の神気を。
「それだけでは……だめよ」
それを切なそうに見ながら、明日香は言う。
「いくら硬くても、単独の鎧ではこの惑星では生存できないの」
明日香の姿をよく見る。彼女の躰は、何層もの膜に覆われていた。
「何層もの鎧を纏い、空気の層を作らなければ、この惑星では生きられない。この “灼熱の氷“ の惑星では……」
灼熱の氷? 矛盾した言葉だ。俺は困惑の表情を浮べる。
「そう、 “灼熱の氷“ !」
明日香は、きっぱりと言い切る。
「 “物質の三態“ は知っているわね。温度や圧力によって、 “固体“ “液体“ “気体“ の三つに変化するというヤツ。本来 “H2O“ は、 “氷“ “水“ “水蒸気“ の状態で存在する」
「けれどこの惑星では高圧力と高温のために、固体でも液体でも気体でもない、 “超イオン氷“ という状態となっているの」
超イオン氷?
「10万気圧の高圧力と、5000度の高温という極限環境でのみ生成される、特殊な状態。通常の氷みたいに透明ではなく、光を吸収する事により、黒く輝く。灼熱に凍る、海神の世界なのよ、ここは」
上空に浮ぶ、淡い青色の星を見上げる。
あの惑星は、その美しさからは想像もつかない “死の星“ なのか。
「私は精神体だから、まだダメージが少ない。でもあなたは精神体に近づいたとは云え、根幹は生身の体。物質界に属する者。人間が、生きられる場所じゃないのよ、あそこは。……お願い……私にも……守らせて……」
途切れ途切れに、彼女は懇願する。泣きながら。『俺を守りたい』と。
その気持ちが、嬉しかった。
「わかった。ありがたく、頂く。だが、こう言ってくれないか。『ずる~い、鈴ばっかり。私のは、貰えないって言うの!』って、怒りながら、拗ねながら、そして可愛く!」
明日香はキョトンとして、プッと吹き出す。
「どこのツンデレさんよ。あなたがやると、キモい!」
彼女の表情は和らいだ。……よかった。
「しょうがない。……では、やるとしますか、ツンデレサービス! 『ずる~い、鈴ばっかり……』」
彼女の気持ちが、愛が、伝わって来た。
万全の装備を纏い、俺たちは海王星内部へと進んで行く。
超音速流に飛ばされない様に手を繋ぎ、下へ下へと降って行く。
ずっと登っていた筈なのに、いつの間にか降りに変わっていた。
これも重力の為せる業か。
階段の、終わりが見えた。
メタンの海に、巨大な古代ギリシャ建築の宮殿が浮んでいた。
力強くシンプルな装飾が施された、ドーリア式の柱。
ただ違うのは、柱は "大理石" でなく "金剛石" で出来ていた。
"ダイヤモンドの宮殿" ――なにか、鼻についた。
最上部の水平梁には、神々の物語が刻まれていた。
"地母神・ガイア" 、 "月神・アルテミス" 、 "伝令神・ヘルメス" 、……そして、 "海皇神・ポセイドン" 。
そのすべてが、 "亜夢美" の顔をしていた。
そして階段はその正門に繋がり、そこで途絶えていた。
「どうやら、終着駅みたいね」
明日香の呟きに、俺は頷く。
長かった旅が、ようやく終わりを迎えた。
最後の一段を降り、宮殿へと足を踏み入れる。
柱を通った瞬間、空気が変わるのを感じた。
「窒素78%、酸素21%、アルゴン1%、、二酸化炭素0.03%、気圧1気圧、――地球上と同じみたいね。有害物質は無し。装備を解除しても大丈夫だけど、油断はしないで」
明日香の分析を聞き、二層の赤龍の膜を外す。
そしてそれを、左右両手に纏った。
攻撃にも防御にも対応出来るように。
明日香も、同じ様にしていた。
俺たちは細心の注意を払いながら、宮殿内部へと侵入する。
そこは、ダイヤモンドで出来ていた。
柱も、壁も、天井も、ダイヤ。シャンデリアもダイヤで、無数にぶら下がっている。
キラキラと多彩な煌めきを放ち、光の渦を撒き散らしていた。
“水晶宮“ とか “鏡の回廊“ とかは聞いた事があるけど、 “金剛石の間“ かよ。
俺は少し、げんなりとした。
奥からコツーンコツーンと、靴音が響く。何者かが、近づいて来る。
俺たちは警戒を強める。
「思ったより、時間が掛かりましたね」
現れたのは黒ずくめのメイド、 “相馬 聡美“ だった。
「途中、いろいろあってな」
『そうですか』と、聡美は珍しく俺の言葉に考え込む。
そして意を決したように、俺に問いかける。
「あの子たちは……お務めを立派に果たしましたか?」
亡き人を偲ぶように、細い声で訊ねる。
「ああ、この上なく! お陰で俺の心はグチャグチャだ。憐れみと憎しみが入り乱れている」
『そうですか!』と、彼女は安堵した顔をする。
そしてその貌をすぐ消し去り、いつもの冷たい貌に戻った。
「『愛憎相半ばする』、と云うやつですか」
皮肉めいた、冷めた声だった。
「圧倒的に “憎“ が多いがな」
「それは、どうでもいい事です。 “愛“ も “憎しみ“ も、どちらも相手を強く想えばこその物。どれだけ想って頂けるかが、肝要。どのように想って頂けるかは、二の次です」
俺と彼女の価値観は、折り合わない。
「貴方たちの世界も、同じではありませんか」
彼女の主張に、俺は首をかしげる。
「 “好感度“ とやらをマイナスから始めるのが、貴方たちの遊戯に於ける流儀だとお伺いしましたが」
……なにか一部の人の特殊な例を、一般常識として誤認しているようだ。
反論しようとした矢先だった。それは、突然訪れた。
先程この部屋に入った時に感じたのが物質的・外的変化だとしたら、今度のは精神的・内的変化だった。
心の水面に、波紋が広がる。
巨大な恐竜の襲来を告げるかのように、幾重にも連なり、広がってゆく。
姿は見えない。だがその尋常でない存在感が、ひしひしと伝わって来る。
半精神体である俺よりも、純粋な精神体である明日香は、それをより強く感じていた。
「なんなの、これっ!」
明日香は背中を丸くし、両腕を抱え込み、恐怖に震え、しゃがみ込む。
震えているのは、明日香だけでは無かった。
ダイヤのシャンデリアが、ガチャガチャと揺れている。
柱も、壁も、天井も、ギシギシと軋んでいる。
部屋全体が、恐怖の悲鳴を上げていた。
「ああ、お越しになられました――」
そんな中、聡美だけが歓喜に打ち震えていた。
彼女は跪き、この恐怖の源泉に心奪われ、法悦の笑みを浮かべていた。
俺はそれが、『誰か』は知っていた。
だが、『なにか』は知らなかった。
その正体を、力を、そして目的を。俺は何も知らなかった。
五感が鋭くなる。
『目に見えるものだけで判断するな』と、心が叫ぶ。
『闇に潜むモノを見つけろ』と、耳が、鼻が、肌が、鋭敏となる。
あらゆる警笛が、けたたましく鳴り響く。
死の音がした。
闇の匂いが漂って来た。
虚無の手触りを感じた。
無明の世界だった。
黄金に光り輝くメアと、対極の存在。
全ての光を吸収し、反射を全くしない、この世に存在しない漆黒。
それを纏った十七歳の亜夢美が、嗤っていた。
いよいよ "真の亜夢美" の登場です。
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