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ラブレター

人は、孤独である事が悲しいのではない。

孤独な存在であると認めるのが、辛いのだ。




「帽子屋さん。ユウヤに苛められてたよね、『友だちがいない』って」


少女は哀しい目で問いかける。

嘲りも憐みもなく、ただ哀しい顔で。

それが一層、傷を深くする。


「いや、そういう訳では……。いえ、まあ、そんな所です」


おい、そこは否定しろ。そんな話じゃなかっただろう。

それを認められたら、俺もボッチ確定じゃないか。こっちにもダメージが及ぶ。


「大丈夫、私はあなたの友達だから。班分けでも、一緒になってあげたじゃない」


明日香はそう言って俺の手を握る。なんか、哀しくなってきた。



「わたしは、帽子屋さんの友だちだよ」


あっちでも、似たような光景が繰り広げていた。

彼女が握った手を、マッドハッターは握り返していた。愛おしそうに。


「あ、ちがうか。友だちじゃなかった」


アユミの何気ない一言に、マッドハッターは谷底に突き落とされた様な顔をする。


「友だちじゃなくて、『しんゆー』だもね、わたしたち」


『しんゆー』――彼はその言葉を、何度も何度も繰り返す。


「うん! その人のために、死んでもいいと思えるのが、『しんゆー』だって。わたし、帽子屋さんのためなら、死ねるよ」


その言葉に彼は、衝撃を受けた。


「その『しんゆー』とは、どんな字を書くのですか……」



「たしか、『(こころ)』っていう字に、『友だち』の『(とも)』っていう字!」


彼女は胸を張り、得意気に言う。

三歳でこんな字を知っているの、すごいでしょうと。


「そうですか、『心友(しんゆう)』ですか。……いい言葉ですね」


彼は、涙ぐんでいた。

その言葉に込められた気持ちを知って。


「なんで泣いているの? イヤだった?」


彼女は、その意味に気づいてなかった。

自分が与えた愛情の深さを、知らなかった。


「あなたが、泣かせたんですよ。……まったく、この人は」


彼は、笑いながら泣いていた。






「アレを、殺すの?」


明日香は彼らを指差し、嫌そうな顔をしている。


「俺だって、やりたかねぇよ。けど亜夢美の所に行くには、メアを助けるには、避けて通れないんだ」


「迂回ルートも、あるんじゃない?」


「ま、一応交渉はしてみるか」


俺は憂鬱な気持ちを押し殺し、頭を掻きながら彼らの許へと向かう。


「あ~物は相談なんだがな、ここを通して貰えないだろうか。俺たちは、お前らをどうこうしようと云う気は無い。ただ、メアを助けたいだけなんだ。その為に、この上の球体(セフィラ)に行きたい。亜夢美は、一番上の “王冠(ケテル)“ に居るんだろう」


俺は極めて好意的に、彼らに停戦交渉を試みる。


「それは……ムリだよ」


アユミは、きっぱりと拒絶する。


「亜夢美に逆らう事が、出来ないのか?」


なんとか折り合いをつけれないか。俺は糸口を探る。


「そんな事は無い。亜夢美ちゃんとわたしは、別物だから」


その意味を図りかねた。


「ここに居る “三歳のアユミ様“ と、貴方の知っている “十七歳の亜夢美“ は、分岐した流れの独立した存在。上下関係や支配関係はありません」


マッドハッターが補足する。


「だったら何故!」


俺たちが戦う理由が、どこにも無い。


「わたしが、戦いたいの。ユウヤと――命を掛けて!」


それは交渉の仕様の無い、絶望的な答えだった。


「わたしは、亜夢美ちゃんみたいな “天界の王さま“ とは違う。この一番下の階層の、精神世界から一番離れた場所の “地の王さま“ 」


彼女は滔々(とうとう)と語る。自然の摂理のように。


「新世界とか進化とか、ややこしい事は、わたしは知らない」


このアユミからは、ギラギラとした上昇志向という物は一切感じられない。


「けれど、ユウヤと戦いたい。他に何も目をくれないで、わたしの動きを考えを、必死になって見つめて欲しい。ただ、それだけなの」


それは独占欲とも違う、ひたむきな、いじらしい感情だった。









「これ、持ってて」


アユミは持っていた機関銃を、マッドハッターにひょいと投げて渡す。


「帽子屋さんは近くで戦うのが苦手なんだから、無理しちゃダメだよ。これを使って、いつもの様に離れて戦って」


こいつ、あの動きで近接型じゃなかったのか。剣士(セイバー)ではなく、銃士(シューター)だったのか。



「そうだぜ、ダンナ。自分の距離(レンジ)(わきま)えなきゃ。フックやショートアッパーを持たないのに、肩をつけて(ショートレンジで)戦うなんざ選択ミスもいいとこだ。餅は餅屋。そっちは嬢ちゃんに任せときな。アンタはいつも通りにオレをぶっ放し、トリガーハッピーに浸りゃいいのさ」


ププッという笑い声と共に、そんな台詞が聞こえて来た。

俺はその声が、何処からしてるかを探る。声は、マッドハッターの腕の中から聴こえて来た。


そこに在ったのは、アユミから渡された機関銃。それが、姿を変えていた。


銃身の半ばに、左右に長い耳が二つ付いている。

ふわふわの白い毛で覆われ、ピクピクと動いていた。

その銃身の少し先に、赤い目があった。

双眸(そうぼう)はサーチライトの様にクルクルと回り、全方位を見回していた。


それは、鋼鉄のウサギに見えた。

ウサギはふざけた口ぶりとは対照的に、警戒の色を濃くしていた。




「だまれ、マッドラビット(いかれウサギ)! アユミ様を危険に晒すような真似は、私が許さん!」


「かかっ! 過保護だね――。嬢ちゃんのやりたい様にさせてやり、それをフォローするのが俺たち “マッドパーティー“ だろ」


銃身を震わす様に、マッドラビットは笑う。


「さて、取りあえず邪魔者を取り除くとするかい。あのねーちゃんを、引っ剥がす……」


マッドラビットは、冷たい銃口を明日香に向ける。

ガガガッと音がして、弾丸が発射される。


「行きな、ジャン、フェブ、マーチ、エイプ、メイ、ジュン。ねーちゃんの胸に、飛び込みな。そしてハート(心臓)恋の矢(弾丸)をぶち込み、愛の泉(血しぶき)を浴びやがれ!」


マッドラビットから放たれた六発の弾丸は、キャキャキャと嗤いながら明日香へと向かう。

その弾丸には目と鼻と口があり、マッドラビットと同じ顔をしていた。


「申し訳ございません。ただ今このハートは、あのお客様で満席です。またのお越しを。……百年後に」


明日香は俺をチラっと見て、煽るみたいにマッドラビットに答える。

そして体内から赤い気流を噴出し、弾丸を逸らす。


「そうかい、なら仕方ねぇな。ならば、その土手っ腹(どてっぱら)にぶち込むとするか。ユリウス、オーギュ、おめぇらあの(はらわた)を引き千切って、どでかい風穴を開けて来い」


赤い目を更に充血させて叫び、マッドラビットは再び銃弾を放つ。

先程の直線的な軌道と違い、弧を描きながら、上空から明日香へと襲い掛かる。


「そちらは、あの殿方の子種の予約待ちとなっております。百回先の転生まで埋まっていますので、悪しからず!」


そう笑いながら、彼女は弾丸を躱す。

目標物を見失った弾丸は、地面へと激突する。

大地を吹き飛ばし、噴煙をあげ、地にめり込み、弾丸は沈黙した。


「安直な攻撃をするな。あの女の計算能力は、馬鹿に出来ぬ。もっと慎重にやれ!」


マッドハッターが、手にした機関銃(マッドラビット)を非難する。


「分かっているよ、ダンナ。すべて、計算通りだ」


マッドラビットの声に誘われた様に、最初に発射された六発の弾丸が四方八方から戻って来た。

そして地から二発の弾丸が、首をもたげる。

ジグザグに、狂ったように、弾丸たちは明日香に襲い掛かる。


「行け、マッドブリッド。狂乱のダンスを踊れ」


ホーミングミサイルみたいに多彩な軌道を描き、彼女に迫って来た。

だが明日香は不敵な笑みを浮かべ、それを迎え撃つ。


「カオス理論や多体問題に比べたら、どうって事ないわね。非線形微分方程式に見えるけど、曲線の接線方向と 2 つの垂直方向 (法線、従法線) を定め、曲率(曲線の曲がり具合) と捩率(曲線のねじれ具合) を定義すれば、自ずと解は求められる。……狂いっぷりが足りなかったわね、ウサギさん!」


彼女は余裕綽々で弾丸を回避する。

『クレイジー!』――ウサギは動揺し、叫ぶ。


(ひる)むな! 我らの役目は、アユミ様の邪魔をさせない事。勇哉との戦いに、横槍を入れさせない事」


帽子屋の言葉に、ウサギは冷静さを取り戻す。


一眼(いちがん) 二足(にそく) 三胆(さんたん) 四力(しりき)!」


帽子屋は大声で唱える。剣の真髄を。


「精神力は膂力・技術力を打ち伏せる。間合いを誤れば、心も力も振るう術が無い。事象を見抜く眼は、それら全てを支配する。……この女は、卓越した “眼“ を持っている。だからこそ我らに力及ばずとも、伍して戦う事が出来る」


勇哉と戦っていた時の惑乱は消え失せている。

冷静に冷徹に分析する。


「怖れるな、だが警戒せよ、その力を。私たちが奇手奇策に走らねば、敗れる事は無い。華々しい勝利を求めるな、凡庸な勝利で満足せよ。確実に、倒せ」


過程ではなく結果だけを求める、いやらしい考え方だった。

だがそれは正しく、堅実な考え方だった。


「つまんないわね、ドラマが無い。こんな作品だと、売れないわ」


明日香はそう言いながら、突破口を、必死に探る。

『さて、どうやって盛り上げよう』と呟きながら。


「私も、これまで蓄積した力を惜しみなく注ごう。怨念を放て、ポーン、ナイト、ビショップ、ルーク!」


帽子屋は叫び、テールコートの裾を翻す。

コートの裏地から、無数のデスマスクが飛び出した。

それらは凧の糸みたいに、白い糸でコートに繋がっていた。


「お前達が溜めた、恨みを晴らせ! その無念を、ぶちまけろ! ……(にえ)は、私の魂を使うがよい」


宙を漂う怨霊が、怨嗟の声を震わせながら暴れる。

目的も目標も無く、ただ負のエネルギーを撒き散らす。

暴風雨の様な存在だった。

明日香はその災厄に巻き込まれる。


「あきれた。自爆技じゃない、これ」


明日香は必死で身を守りながら、彼の所業をなじる。


「いいんですよ、それで。もとよりその覚悟。生き残るつもりはありません」


デスマスクたちは、糸を通じてマッドハッターからエネルギーを吸いあげていた。

彼の顔面は血管が隆起し、ドクドクと蠢き、その命が長くない事を如実に表していた。


「アユミの為に、忠義を尽くすという訳……」


そういった自己犠牲は、あまり好きではなかった。


「そうじゃありません。この日の為に、この時の為に、準備して来たんです、生きて来たんです。ここが命の使いどころなんです。私はいま、かってない程充実しています!」


罪も罰も悪徳もすべてを飲み込み、愛する者の為に泥の沼に咲く蓮の花が、いま散ろうとしていた。






アユミは担いでいたリュックを地面に降ろし、ゴゾゴゾと探り、中から何かを取り出す。

彼女はそれを、手に装着する。


「うん。やっぱりこっちの方が、しっくりくる」


両手に装着した状態で、勢いよく拳を合わせる。

ガチャンという重い音がした。


そこにペールブルーのワンピースと白いエプロンを身に着け、黒光りする “ガントレット“ を装着した、一人の少女がいた。


フンフンと鼻息荒く少女は拳を繰り出し、シャドーボクシングをする。

コンビネーション、ダッキング、ウィービング……。三歳児の動きじゃねぇ――。


「どう? 立派なもんでしょ。もう私も、一人で出来る、戦える!」


まるで “はじめてのお使い“ に(のぞ)む子どものように、目を輝かせていた。


「じゃあ、参る。……推してねっ!」


彼女は茶目っ気たっぷりに、微笑んだ。




矢が放たれたように、アユミが飛び出す。

そう、 “放たれ“ たのだ。彼女が蹴りだしたのでは無い。

大地という “弓“ から、彼女という “矢“ が放たれたのだ。


「 “地“ は、第一の門。始源の門に触れる “脚“ は体現する。原初の、誕生の広がりを」


アユミは、呪文を詠唱するみたいに唱える。

意味の理解は問題では無い。その力を引き出すのが重要だと。


だが俺には、それが何を表しているのか理解出来た。

ビックバン――その言葉が、頭に浮かぶ。

力の奔流が、宇宙となる。


「いま、地母神の力を解放せん!」


アユミは叫ぶ。世界が、軋み始めた。


「神の御前(みまえ)では、(ことわり)は事象の従者。結果が在りて、過程が生まれる。因果は逆転し、水は下から上に流れる」


どういう意味だ?

混乱する俺に、内なる呼びかけがあった。


『神の御前では、時間も理論も無意味。神が『こう在れ』と望んだ物が生まれ、その帳尻を合わす様に理が誕生する。『光あれ』と神が望んだから世界が生まれ、ビックバンとかの原因が後付けとして誕生した。……つまり、神が決定した瞬間に、もう確定しているの。どういう道筋を辿るかは、お好み次第。ゴールが在って、そこへのルートが決められる』


明日香の念話が伝わって来た。その説明は、絶望を連れて来た。

なんだ、それ! そんなの……どうやって防げばいいんだ。


『防ぐ事は、不可能。だから……打ち消すの。その技が発動する前に潰し、無かった事にする』


…………え?!


『……過去に、跳んで。技が発動する直前に。そして出端(ではな)(くじ)く!』


そうか。縦横に逃げるのでは無く、前に逃げるのか。しかしそれは……。


『途轍もない負担なのは、理解して(分かって)いる。タイムリープを延々と続けるような物だからね。けど、これしか方法は無いの……』


この方法なら、傷を負う事は無いかもしれない。死ぬ事は無いかもしれない。だが……。


……心が壊れる。何度も何度も死滅の未来を受け止められる程、人間の精神は強くない。

その事は、明日香も十分承知している筈だ。

彼女は、ぎゅっと自分の唇を噛んでいた。

俺は、それで全てを理解した。


『ありがとう』――俺は心の中で叫ぶ。

『え?』――明日香は驚きの声をあげる。


『俺の我儘を聞いてくれて。安全マージンが極小の戦術を探ってくれて。ありがとう、そしてごめん。つらかっただろう、こんな方法を考える事が。そしてそれを俺に伝える事が。それを隠さず言ってくれて、ありがとう」


明日香は何も言わなかった。

ただボロボロと涙を流していた。

そして両手を重ね目を瞑り、深く何かを祈っていた。


『じゃあ、行って来る。なるべく早く、還って来るから……』


俺はその言葉だけを遺し、ちょっとだけ離れた場所への、永遠とも云える長い旅へと赴いた。






「ようやく二人きりになれたね」


アユミは微笑む、天使のように。

清冽に、苛烈に、そして冷酷に。


「他の誰もいない、わたしたちだけ。あの夜みたいに……」


マヤ文明を思わせる装飾の壁を蹴り、方向転換し、宙に舞う。

"光の(かご)(ばしら)" から、光の束が彼女に射していた。

異国の神殿で、巫女が舞を奉納しているみたいだった。


「あの日ここで、わたしは自分が情けなかった。ユウヤに守られ何も出来なかったわたしが、許せなかった」


ガントレットを装着した右手を強く握り、後ろに引き絞り、唇を噛みしめる。


「あなたの横に並びたかった。あなたに相応しい女の子になりたかった」


無念が、後悔が、切望が、伝わって来た。


「見て、ユウヤ。わたしは、強くなった。あなたを倒せるほどに。わたしの成長を、努力を、想いを――見届けて!」


彼女の右手が、一直線に放たれた。

白い閃光となり、双子座(ジェミニ)黄金鎧(ゴールド・アーマー)を砕き、俺の胸を貫いた。


柘榴(ざくろ)の粒の如き鮮血が、霧のように噴き出す。


「あはっ! なつかしい! ユウヤの、血の匂いだ。夢にまで見た、あの味だ」


恍惚とした表情で、アユミは笑っていた。

自分の成長が嬉しいのか、俺を手に入れた事を喜んだのか、それとも血の匂いに酔ったのか。

そのすべてに思えた。


俺は意識が遠のく。

『大丈夫だよ。オシラ様の糸で、縫ってあげる。すぐ元通りになるから』

かすれゆく意識の中、彼女の声が聞こえた。

それは、神の眷族になる事を意味するのだろうか。


「いらねーよ」


俺は小さくそう呟き、過去へと跳んだ。






「見て、ユウヤ。わたしは、強くなった――」


彼女はそう叫び、拳を繰り出す。

軌道は、知っている。この身をもって。

俺はギリギリまで拳を引き寄せ、寸前で躱す。

僅かに逸れる……はずだった。


だが彼女の拳は俺の胸に届き、穿ち、死の芳香を漂わせる。

何故だ! 俺は答えを求め、俺を貫いた腕を見る。

笑いが、出た。

腕は、肘から先が消えていた。

そして消えた肘から先が、俺の胸から生えていた。

まるでマジックのように、腕が二つに別れていた。


彼女は腕を引き戻す。

すると消えていた腕先がくっついて現れ、一本の腕となる。


なるほど。 “必中の拳“ とはこの事かと、合点した。

空間は、神の支配下に在った。


ならば、その支配の及ばぬ場所を探そう。

俺は再び、過去へと跳ぶ。






「ようやく二人きりになれたね」


俺は前回よりも更に過去へと跳んだ。

因果が確定する前、アユミが攻撃を繰り出す前に。

不意打ちとか卑怯という言葉は、未来に置いて来た。


「他の誰もいない、わたしたちだけ――」


そう言いながら彼女は方向転換する為に、壁を蹴ろうとする。

一連の流れを知る俺は、そのタイミングを見計らい、剣を薙ぐ。


アユミが、『あらっ?』という顔をする。


「そうか、初めてじゃないのか、これは」


彼女は、満面の笑顔を浮かべていた。


そして『ふんっ』と床に向け、拳を繰り出す。

拳圧が床を砕き、爆風が吹き荒れる。

彼女はその風に乗り、天井へと舞い上がった。


「楽しいね、ユウヤ。次はどんな手を見せてくれるのかな?」


天井から一直線に襲って来た脚は俺の腹を貫き、彼女の太ももが俺の躰の中にあった。


「こんな変態プレイ、しちゃいけません……」


俺は折れそうになる心を振い立たせ、強がりを吐く。


「まだまだいけそうだね。もっとお話しようね、いやになるくらい」


天使の微笑みは、俺の心を抉る。

負けない。メアのためにも、明日香のためにも。

それを支えに、再び過去へと跳ぶ。






何百回、何千回、やり直しただろう。

だが結末は、すべて同じだった。


経過はみな違っていた。

胸を貫かれたり、腹を抉られたり、頭を叩き潰されたり、手足を引き千切られたり、千差万別だった。

この躰に死の刻印が刻まれていない場所は、もはや無い。

俺は、死の海を漂っていた。



「ユウヤ、知っている? 桜の花の下にはね、死体が埋まっているの。だからあんなにキレイなの。今度一緒に見たいな。きっとビックリするから」


「あのね、蒼森港の花火、すっごいの。パーンと上がって、バーンて弾けて、ドーンと広がって行くの。暗い夜空が、カラフルに輝くの。まるでユウヤみたい。わたしの心を照らしてくれる……」


アユミは益体(やくたい)も無い話をする。

俺は、全身全霊でその話を聞く。

どこに突破口が潜んでいるか分からない。ヒントを見逃す訳にはいかない。

彼女は、嬉しそうに喋り続ける。



一回、一回の勝利でいいんだ。

それまで何千何万回殺されようと、それで報われる。

俺は食い入るように彼女を見つめる。



それを続けていると、奇妙な感覚に襲われた。

彼女を理解しようとするあまり、二人の境界があやふやになった。

彼女が語る昔話を、まるで俺が追体験しているみたいに思えた。


彼女はそんな俺を満足そうに見つめ、自分の事ばかり話していたのに、初めて俺の事を問うて来た。



「…… “勇哉“ が好きなメアさんって、どんな人なの?」


興味深そうな、それでも不安に押し潰されそうな顔だった。


「素直で、思いやりがあって、他人(ひと)の事ばっかり考えて自分の事を(かえり)みない不器用なやつ」


「……不器用というとこ以外、わたしと合ってないね」


アユミは淋しそうな顔をする。


「メアさん以外では、ダメなの? 亜夢美ちゃんとか、明日香さんとか、……わたしとか」


俺はフッと苦笑いをする。


「イイとか、ダメとか、そんなんじゃないんだ。心が、求めているんだ。この人と共に在りたいと。本能みたいな物が」


「本能か……。なら、仕方ないね」


そう言うアユミは、どこか吹っ切れた貌をしていた。

それを見た瞬間、俺は何かを感じた。

憎しみや、怒りの先にある、愛おしさを。

メアに通じる何かを、アユミの中に感じた。


俺は知らない内に、彼女を抱きしめていた。


「最初っから、そうすればよかったんだよ……」


アユミは泣きながら笑いながら、そう囁く。

彼女の躰は光の粒となり、崩れ始めた。




球体(セフィラ)の崩壊が始まった。

王国(マルクト)終焉の時が訪れた。



忠実なる家臣は、敬愛すべき女王の許へと向かう。


「いっぱいお話、出来ましたか?」


彼は優しく問いかける。


「うん! ぜんぶ伝えられた。『好き』って気持ち、『会いたかった』って気持ち、淋しくて泣いた夜も、キレイな物をユウヤと分かち合えなかった悔しさも、みんなみんな伝えられた。……満足よ」


「それはよかった」


横たわる少女を見つめながら、男は帽子を取り、(ひざまず)く。


「思い残す事は、ありませんか?」


男は乱れた少女の髪を整えながら、尋ねる。


「……大好きな物を最初に食べるか最後に食べるかって、あったでしょ。わたしケーキを食べる時、いつも最初にイチゴを食べちゃってた。そしてどんどん食べていると、だんだん悲しい気持ちになっていった」


「ありましたね、そんな事」


「そしたら帽子屋さん、『今回だけですよ』って言ってイチゴを乗せてくれた。いつもいつも……」


男は目を細める。涙を堪えるように。


「おかげでわたし、間違って覚えちゃった。『今回だけですよ』って意味……」


男は嗚咽を抑える。幸せだった日々を、それが終わる事を思いかえして。


「……ねぇ帽子屋さん、お願いがあるの。わたしの髪を、撫でてくれる。わたしが眠るまで……」


それは少女の、最後のお願いだった。


「今回だけですよ……」


男は愛しそうに、少女の髪を自分の指で()かす。

少女は、幸せそうな顔をしていた。


「ずっとずっと、こうしています。……お眠りなさい」


少女は寝息もたてず、静かな眠りにつく。






二人が光に包まれる。

そして彼らの姿は崩れ、異なるものへと変貌する。


そこに現れたのは、大量の手紙。

手紙には、『好きです』『会いたい』という言葉が綴られていた。


もう一つは、大量の封筒。

表には、『だいどうじ ゆうや さま』と幼い字で書かれていた。


アユミとマッドハッターの、真の姿であった。


彼らは浮かび上がり、折り畳むまれ、新たな姿となる。

幾千の紙飛行機が、現れた。


おびただしい数の紙飛行機が、俺の周囲を旋回する。

折り畳まれた翼から、言の葉が浮かび上がる。

文字の濁流が、押し寄せて来た。


『好きです』『愛しています』『一緒にいたい』『お話をしたい』


小さな小さな恋心が、巨大な波となって打ち寄せて来る。


一度その手紙は、見た事があった。

だがその言葉は、その時と比べようもなく、俺の胸に突き刺さった。

知らないうちに、涙が出ていた。




付喪神(つくもがみ)だったんだな、アユミは」


俺は横の明日香に話しかける。

この世界には俺たち以外、もう誰もいない。


「ええ。千を越える、あなたへの想いを(つづ)った “恋文“ の集合体。マッドハッターは、その陪神……」


腑に落ちた。あの『だいどうじ ゆうや さま』と書かれた字を見て。

力強い筆致で、魂を込めた字を見て。


あいつ(マッドハッター)は、自分の事を『愚者(フール)』と呼んでいた。『求め、彷徨(さまよ)い、何処にも辿り着けない、哀れな旅人……』とも」


俺はその言葉の意味が……解らない。


「あなたが手紙を見た後、亜夢美がそれを紙飛行機にして、火をつけて飛ばしたの、覚えている? 霊送(たまおく)りだったのよ、あれ……」


霊送(たまおく)り――精霊送(しょうりょうおく)りとも云う、死者を冥界に送る儀式。


「彼女たちは冥府送りとなった。けれど、未練があったのでしょう。『自分の想いが届いていない』『この深く激しい愛が、理解されていない』と」


ああ、そういう事か。俺は納得した。


「彼女たちは、命を掛けた。あなたに想いを伝える為に。あなたの胸に自分の存在を刻む為に。……届いたかしら、あなたの心に」


俺に後悔の念が浮ぶ。


「俺がもっと真剣に手紙を見ていたら、こんな事にはならなかったのかな?」


「無理でしょ、それは」


俺の自責を砕くみたいに、勢いよく明日香は答える。


「あんな重さの想い、言の葉に乗る訳がない。必然だったのよ、こうなる事は」




白紙となった紙飛行機に、どこからともなく飛んで来た鬼火が降り注ぐ。

紙飛行機は紅蓮の炎を上げ、己の役割を遂げたかのように満足そうに消えていった。




彼らの想いは刻まれた。

どれだけ時が過ぎようと、この小さな球体セフィラで紡がれた物語を、決して忘れる事はないだろう。

彼らの願いは、伝えること。恋を成就させることでは、ありません。

それが彼らの、存在意義。


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